「私の脚は、いつ走れなくなってもおかしくない状態なんだ」
タキオンからそう告げられた時、ガツンと頭を殴られたような衝撃が襲ってきた。
俺が思っている以上に。あまりにも大きな問題で。
思わず口を開いたままタキオンを見つめてしまう。
「この脚は天性のスピードを持つ。代償といってはなんだが、同時に脆さも兼ね備えているわけだね」
タキオンの脚を見る。
そんな状態で今まで……。
「いやはや、いささかショッキングな事実だろう? トレーナー君に伝えてしまうと研究に支障がでるかと思ってね、言わないでおいたんだが……」
それにしても、ひどい顔だよ。
タキオンは穏やかに、切なそうな顔で俺を見つめてくる。
「……なあ、トレーナー君。私がウマ娘の肉体に夢を見ていることを知っているだろう?」
呆然としながら、こくんと頷く。
「見た目はヒトとほぼ同じ。しかし、筋力は数倍にもなる。なら、どれほどのスピードで駆けることができるのか」
「こんなロマンがあるだろうか! 幼いころからずっとそう思っていたよ。いや、今も思っているが」
自分の脚を撫で、耳を動かし尻尾をゆらりと揺らす。
「私には走る才能があった。なら、自分の脚で果てに到達したい。そう考えるのが自然だろう」
しかしね。
薬の入った試験管をつまみ上げ、ちゃぷちゃぷ揺らして眺める。
「……私の脚は、そこに行きつくまでの頑強さを持ち合わせていなかったんだ」
それこそ、GⅠレースで全力を尽くせないぐらいにはね。
タキオンの話を聞いて、皐月賞からのレースを思い出す。
皐月賞ではいつも以上にいい走りだと思っていたが、最後の方で何故かあまり伸びなかった。
日本ダービーでも伸びることなく、アマゾントリップに差されてしまった。
どちらもなんというか、タキオンらしくないなとは思っていたんだ。もっと速く走れるはずなんだから。
「エンジンばかりが立派でね。機体はひどくオンボロなんだ。無理はできなかったし、細心の注意が必要だったということさ」
タキオンがレースやトレーニングに消極的だったこと。
いつも脚ばかり研究していたこと。
全ては彼女の脚が理由だった。
「それでね。私はプランを2つ用意して研究を始めたのさ」
指を2本立ててこちらに見せる。
「まずプランA。これは私の脚で限界に挑戦するために、脚の補強をするというものさ。まあ、いつもやっていたことだよ」
実験で作った薬などは、全ては脚の脆さを補強するためのもの。
だから毎回脚が光っていたわけだ。
「プランBは、他のウマ娘に限界へ到達させるもの。つまりは私の脚を諦めるということだ」
そう言って目をそらし、腕を組んで薄く笑う。
「この2つを並行して行っていてね。その最中に君と出会ったということさ」
初めて出会った時のことを思い出す。
あの時は選抜レースへの不参加で説教を受けていて、そこから逃げていたんだっけ。
……脚の補強、あまり進展していなかったんだろうか。
「君は私に期待していただろう? 薬を3本も一気飲みしてまで、トレーナーになりたいと言っていたんだから」
懐かしむように目を閉じ、くつくつと笑う。
「積極的にレースへ出られるように、君は様々な献身を私にしてくれた。しかし、現実は非情だよ」
「皐月賞で走ったとき。私は大舞台では耐えられないと感じたんだ」
皐月賞以降、明らかにトレーニング量が増え、そのデータを取ることが多くなった。
薬での実験はほとんどなく、常にオーバーワークギリギリで走っていたことを覚えている。
それに、強い口調で出走については自分に決めさせてほしいと言われていたし。
……あの時点から、もう。
「うん。プランAの進みがあまりよくなくてね。私のピーク時に間に合うと思えなかった」
「だからプランBに舵を切った。そのはずだったんだけどね」
君に今、止められてしまったよ。
机の上にある月桂杯の招待状を見て、薄く笑った。
つまり、タキオンは……。
1度走るのを諦めようとした。そういうことだ。
ああ、なんでこんな……。
何も言えず、両手を目に当てる。
ボロボロ涙が零れ落ち、溢れたものがぽたぽた脚を濡らす。
「ああ、まったく。そんなに泣くことはないじゃないか」
タキオンが俺の手をどかして目にハンカチを押し付けてくる。
されるがままに涙を拭かれるが、後から後から流れてきてしまう。
自分の担当ウマ娘がずっと脚のことを気にしてがんばってきたのに、俺はただ走れって言うばかりで……。
――情けなくて、悔しくて。
「……君は、いつだって。私を気にかけてくれているんだね」
優しく背中を撫でられながら、俺は泣きじゃくるしかなかった。
◆ ◆ ◆
目の前で泣くトレーナー君を見て、私は何とも言えない気持ちになる。
脚のことを告げただけで、こんなにも泣いてしまって。
わかってはいたが、ここまでショックを受けるとはね。
私は皐月賞で気づいていたし、ダービーで確信した。
GⅠレースという、最もウマ娘が速く走れるであろう環境で、脚が耐えられないということに。
だからこそ、ダービー後はプランBに移行して、データを取りに行くために月桂杯の参加も決めたというのに。
このトレーナー君は、私がプランBに舵を切ったことに気づいてしまった。
まったく誰に影響を受けてこんなに観察するようになったんだか。
しかし、思った以上に私に入れ込んでいたようだ。
目元に当てている私のハンカチは、今日はもう使えないだろうというぐらいに濡れてしまっている。
拳も強く握りすぎて、手が真っ赤だ。背中を擦っているが、泣き止む様子もない。
なんというか、不思議な気分だ。
両親にもここまで気にかけてもらえたことはない。放任主義だったからね。
ここまで私のことを見てくれたのは、君が初めてかもしれないよ。トレーナー君。
「トレーナー君、少しは落ち着いたかい?」
私が声をかけると、トレーナー君は袖でぐしぐし目を拭いて顔を上げた。
眉尻は下がって目元は真っ赤。口角も下がってへにゃへにゃだ。
ひどい顔をしているというのに、何とも言えない温かさを感じてしまう。
「……なあ、トレーナー君。私はプランBに移行するつもりさ。いいね」
トレーナー君は絶対にダメだ! と強い口調で主張する。
何故だろう。わかっているのに、ついそう口に出してしまう。
否定されるなんて、そんなの当たり前だというのにね。
「プランAの可能性は限りなく低いんだ。なら、可能性が高い方を優先すべきだろう?」
可能性はゼロじゃないんだろう。
キッと睨むように私を見つめて、ぎゅっと腕を掴まれる。
俺はタキオンを信じる。責任も俺が取る。だからやろう。
――いっしょに限界の先を見たいんだ。
トレーナー君はそう言って、頼む……と頭を下げてきた。
「………」
私の中にある衝動が抑えきれない。
今、トレーナー君によって掘り起こされてしまった。
非合理的だ。危険だってある。
でも、賭けたくなってしまった。
やっかいなことをしてくれたものだよ、まったく。
「なあ、トレーナー君。私はね、奇妙なものに惹かれる質なんだ」
顔を上げて、不思議そうに私を見てくる。
その目は疑問を浮かべているが……先ほどまではそう。
狂った目をしていたんだ。
「最初からずっと。変なトレーナーだよ、君は」
ぽんぽんと掴まれている腕を叩くと、手を放してくれた。
そして困ったような表情をする。
「しかしまぁ、可能性があるというのも問題だね。こうやって賭けたくなってしまうのだから」
机の上に置いてある月桂杯の招待状を取り、ぽいっとゴミ箱へ投げ込む。
「君が言いだしたんだ。今まで以上に協力してくれるんだろうね?」
そう言うと、トレーナー君はぱぁっと明るい表情を見せて、何でもする! と宣言してくれた。
……トレーナー君は本当に何でもしてくれるからね。
まあ、美味しい弁当を期待しようじゃないか。
「ギリギリまで粘ってみるとしよう。ロマンを追い求めてきたんだ、もう少しぐらい頑張ってみてもいいはずさ」
トレーナー君は笑顔で、いっしょに頑張ろう! と言ってくれる。
まったく……困ったトレーナーだ。
はしゃいで嬉しがるのを見て、不思議と口元が緩んでしまうのだった。
「因みに時間が無いから研究に全ての時間を注ぐよ。トレーニングはなしだ」
トレーナー君はがっくり肩を落とした。
ククク……面白いヒトだなぁ、トレーナー君は。
Report:●△年6月◎×日
今日から全ての時間をプランAの研究にあてることとする
トレーナー君からも、それが君のためになるならと許可してくれた
全面的にバックアップしてくれるみたいだからね
早速夕飯の弁当をもらったから、研究しながら食べることにする
・追記
おにぎりの具の梅干し、少ししょっぱすぎやしないか
思わず研究の手が止まってしまったよ
これは明日抗議の意味も兼ねて薬を飲んでもらわないとねぇ