今日も今日とて研究三昧だ。
タキオンは午後に室内で研究、次の日の午前に研究成果を確認という日々を送っている。
俺は毎回薬を飲まされて砂浜や近くの山を走らされていて、周りからは同情的なまなざしを毎度受け止める日々だ。
走るのはキツいし脚は発光しっぱなし。肉体的にも精神的にも疲弊している。
しかし、これを乗り越えた先にタキオンの走りがあると思えば、不思議と頑張れるのだ。
俺も少しはちゃんとしたトレーナーになれているのかなと内心思ったりしちゃっていたり。
まあ先輩にはまだまだ負けるが。
あの絆の強さ、ウマ娘を信じる心は素晴らしいものがある。
ちょっと発想がおかしな部分はあるけど、レースでの作戦立案でプラスに働くからなぁ。
そんなこんなで8月だ。夏合宿が始まってから1月が経つ。
先輩と合同トレーニングをしながら研究を進めているものの、あまり進展がない。
タキオン的にはかなり順調だと話しているが、あと1歩。何かが足りないと話していた。
今は2人で何が足りないのかを考えながら研究とトレーニングを続けている。ううん、どうしたらいいんだろうか。
「むつかしい顔をしていますね~。大丈夫ですか?」
ずいっと俺の顔を覗き込んできたのは先輩のチームメンバー、マチカネフクキタル。
そういえば彼女は相談室をやっていると聞いたことがある。
自分だけではわからないし、少し相談してみることにした。
とりあえずぼんやりとタキオンが速く走るためのあと1歩が足りなくて悩んでいると話す。
フクキタルはふむふむと頷くと、どこからともなく木の棒を何本か取り出して差し出してきた。
「1本引いてください!」
なんだこれと疑問に思ったが、言われた通り棒を1つ引く。
引いたものの先端には『耳』と書いてある。え、耳?
「なるほど、耳ですね。ならば話は簡単です! タキオンさ~ん!」
フクキタルが突然タキオンに声をかける。
ゴザの上から落ちて全身を濡らしていたタキオンが不満そうにこちらへ歩いてくる。
「なんだいマチカネフクキタル君」
「前に合った時から、トレーナーさんとお話しましたか?」
「ああ、したさ。それはもう色々とね」
タキオンが意味深に笑みを浮かべて俺を見る。
ほほう! とフクキタルは目を光らせてニコニコ笑う。
「では隠し事はないのですね!」
「隠し事かい?」
「はい! 前にもお話したじゃないですか。話すべきことはきちんと話したほうが吉ですよ~って」
そういえばそうだね、と腕を組んで頷く。
そしてふむ、と俯いて何やら考え出した。
どうやらまだ言っていないことがあるらしいな。
「何を悩んでいるかはわかりませんけど、1人では解決できないのであれば助けてもらうのが吉です! 私たちはそうやって頑張ってきましたから!」
「助けてもらうね……ならフクキタル君のデータが取りたいんだ。これをひとつ飲んでもらってもいいかい?」
「うぎっ! さ、さすがにそれはちょっと……」
よくわからないものを飲み食いすると怒られちゃいますし。そういって困った表情で頬をかいた。
「それはそれとしてですよ! 悩んでいると気持ちが落ち込んで、きちんと走れませんからね! 私は運命の人と一緒に走れるなら大丈夫と思っていますので、いつでも大吉です!」
「ふぅン? 運命の人ね」
「はい! トレーナーさんを信じて走れば、なんだってできるんですよ~!」
嬉しそうにニコニコ笑いながら体を揺らすフクキタル。
羨ましいほどの信頼関係だ。強いわけだよ、先輩のチーム。
でも運命の人ってどういうことですか、先輩。
「信じる、ね」
タキオンは顎に手を当てて少し考えるそぶりを見せる。
と、少しだけ体がぶるりと震えていた。さっき海水に落ちていたから少し寒いんだろう。
近くに置いていたタオルで頭を拭いて肩にかける。
「おや、助かるよ。でも先に何か言ってくれてもいいんじゃないかい? 急に頭を揺らされては今考えていた内容があちらこちらに走っていってしまうよ」
悪いな、と謝ると、適当すぎたのかむくれてしまった。
尻尾でビシビシと虫を落とすかのごとく腕をしばかれる。そこそこ痛い。
「ふふ~ん。タキオンさんもトレーナーさんも、たくさん話をしましょうね! そうすれば、きっと見えてくるはずです!」
にぱっと笑ってチームの方へと去っていった。
なんというか、ちょっと一緒にいるだけで雰囲気が明るくなるなぁ。
幸運を分け与えてもらえるというかなんというか。
「………」
俺が感心している間、タキオンは何かを考えながら自分の脚を見ていた。
そして次の日。
「トレーナー君! 速く来たまえ!」
早朝に開口一番そう言われて叩き起こされた。
ウマ娘パワーでぐいぐい引っ張ってくるものだからベッドから吹っ飛び壁に何度もぶつかるなどして一時騒然。
各所に謝罪した上でタキオンと共に砂浜へと来たわけだ。
興奮しているがどうしたんだろうか。
「今までの研究が正しければ、そして新たに疑問としてでた正体があれならば」
ぶつぶつと何かを呟きながら、ゆっくりとウォームアップして体を温める。
そして十分に準備運動ができると、俺にストップウォッチを渡してきた。
「今から砂浜を走るよ。菊花賞をイメージして3,000mといきたいところだが、砂浜では負荷が違う。1,500mのダッシュとするよ」
何を思ったかはわからないが、高強度となる砂浜ダッシュを行うらしい。
かなり心配ではあるが、タキオンがやると言ったんだ。信じよう。
わかった。そう言うと、いつもとは違う、少しだけ満足そうな笑みを見せて歩いていく。
おおよそ1,500mほどの距離をとって、タキオンに合図をする。
ストップウォッチのスイッチを押したと同時に、タキオンは走り出した。
砂浜とは思えないスピードでこちらへと向かってくる。流石はウマ娘だ。
でも、これは……速すぎやしないか。大丈夫か。
半分を過ぎたところで、流石に辛いのか表情が苦しそうだ。
しかし、タキオンは走りを止めることなく同じスピードで走ってくる。
――がんばれ! がんばれ、タキオンッ!
思わず声が出る。別に模擬レースでも、併走でもなんでもない。
たった1人で走っているだけなのに。
でも、だって。自分の担当ウマ娘が頑張っているならば。
応援するのがトレーナーだろう!
がんばれ! もう少しだ!
ストップウォッチを強く握りしめて声をかけていくと、タキオンは少しだけ笑みを浮かべてさらにスピードアップする。
最後の200m。タキオンは急にグッと顔をしかめた。脚が痛むのか、苦しいだけか。
タキオンッ!!!
思わず声を上げて近寄ろうとするが、彼女はそんな苦しそうな表情で大きく首を横に振る。
「う、ああぁーーーッ!」
大きく声を張り上げて。
必死に腕と足を動かして。
最初から最後まで、一切スピードを落とさずに1,500mを走り切ったのだった。
◆ ◆ ◆
「つまり、走れるということだよ」
海の浅いところをゆっくり歩いて脚をアイシングしながら、タキオンは話してくれた。
「確かに私の脚は脆い。それは事実だ。しかしだね、トレーナー君。脆いながらも、きっちりと鍛え上げられていたわけだよ」
先輩が教えてくれるトレーニングは、基本的に走りを速くするというよりケガをしにくい体を作るということが最優先になっている。
ぱかプチを腰につけて走るのも正しい姿勢をとってケガ防止にするためのものだし、ゴザ走りも負担をかけずに体幹を鍛えるものだ。
とにかく体を丈夫にしていくトレーニングをやっていく。そうすれば、後は自分の好きなように走れるから。先輩はそう言っていた。
そして、1年ちょっと継続してやってきたタキオンにもその効果は出ていたらしい。
「トレーナー君と月桂杯の話をした後、改めて確認してみたら驚いてしまったよ。思った以上に体が丈夫になっていたんだ」
無茶をしなければ大丈夫だろう水準になっているよ。
足元の海水をちゃぷちゃぷ鳴らしながら歩いていく。
「でも、自分の脚の脆さはよく知っていた。だから過信はせずに細かく検査していたんだ」
「走っても問題ないと結果は出た。しかしあと1歩、何かが足りない。そう君に話していたね」
その足りない何か。それが昨日わかったよ。
タキオンは俺を見て、穏やかに笑った。
「昨日マチカネフクキタル君に『信じて走る』と聞いてようやくわかったのさ」
「感情だよ」
感情?
首を傾げると、うん、と頷く。
「実はね。ホープフルステークスの時、トレーナー君に応援された最終直線。想定よりも速く走れたんだ。そして弥生賞でも。その時気づいたよ、この体は感情によって出力が変わるのだと」
単純なものだね。そう言って胸に手を当てる。
「応援されるとよりよい結果がでることは知っていたよ。そんな論文も出ているからね。自分もそれに該当するとは思っていなかったが」
「ともあれ、感情や気持ちで出力が変わる。それが問題だったわけだ」
少しだけ困ったように眉尻を下げ、ぺたっと耳を伏せる。
「つまりね、トレーナー君。怖かったんだ、私は」
脚が壊れてしまうことが。
そう言って立ち止まり、自分の脚を眺めた。
ザザーンと波が当たり、そして引いていく。
「AプランBプランと2つのプランを作っておきながら、やはり自分の脚で実現したかったんだよ。でも、GⅠレースという大きな舞台で走ったとき、勝手にブレーキがかかったんだ。これ以上やると脚が、なんて思ってしまったんだろうね」
海水を蹴るようにして再び歩き出す。
ぱしゃぱしゃと跳ね、濡れていない砂に沁み込んでいく。
「日本ダービーは決定的だった。無理だと悟ったよ。耐えられないと、本気で思った」
「しかし、理論上は大丈夫なんだ。問題なのは、ダメだと思ってしまう私の心なわけだからね」
「研究までして最高速度のその先を目指しているのに、怖くてスピードを出せないなんて。カッコ悪いことこの上ないよ」
やれやれと首を振って俯く。
しかし、その顔は沈んではいない。
「ただ、解決方法はあった。恐怖によって走りにマイナスの影響が出るわけだが、応援されるとプラスの影響が出る。これについては自分の体でわかっていた」
「なら話は早い。ダメだというときに感情をマイナスからプラスに変えればいいんだ」
タキオンは手を下から上にあげて説明してくれる。
確かに言いたいことはわかるが……。
「それで色々考えてみたし、トレーニングでも実践してみた。結局効果は薄かったが」
「そんなところで昨日、マチカネフクキタルから言われたわけだよ」
「『信じる』とね」
そう言って俺を見てきた。
ひどく穏やかな表情で、それでいて視線がぶつかると少しだけ目が泳いでいる。
「私がやると言ったら、君はわかったと必ず言うだろう。心配なのに、結局私のことを信用してやらせてくれる」
「そこに賭けてみたのさ。君が私を信じてくれること、それが私にとってプラスの効果を及ぼすことにね」
君の応援がきっかけで感情の作用を知ったわけだし。
タキオンはそう話しながら海からあがって俺に近寄る。
「結果は成功だ。ダービーと同じで走り切れないと思ったが……現金なものだよ。君の声が聞こえたら、行かなくてはと思えた。そうしたら、走ることができた」
困ったね、まったく。
そう言ってくすりと笑い、尻尾を揺らした。
「ウマ娘とヒトの絆とはよく聞く話ではあるが、まさか私にも適用されるとは思わなかったよ」
「誇りたまえ、トレーナー君。君は私のトレーナーさ」
モルモットでもあるけどね。
嬉しそうに笑うタキオンの頭をくしゃっと撫で、これからが始まりだなと話す。
そうだね、と答える彼女と一緒に、ぽつぽつ話をしながら砂浜を散歩するのだった。
Report:●△年8月×日
前々から思っていたが、自分の体の素直さには嫌になるね。
GⅠレースを全力で走ることができる程度には補強されて丈夫な脚になっているとは。
トレーナー君には大丈夫だと言ったもののまだわからない。
脆い部分が少し強くなっただけなのだからね。
しかしなんだ。
面と向かってアレコレ話すのは思ったよりも恥ずかしいぞ。
しばらくああいうのは必要ないね。うん、いらないよ。