アグネスタキオンは超光速の夢を見るか   作:あぬびすびすこ

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 走り切ることはできるのか


Story23:菊花賞

 温かい目でタキオンが見守られるようになってから時間が経ち、気づけば菊花賞当日となった。

 パドックで出走メンバーから一緒に頑張ろうと声をかけられ、居心地が悪そうにしながら控室に戻ってきたところだ。

 

「まったく、手のひらを返しすぎじゃないか? 私が実験で教室を燃やしかけたことを忘れているのかな」

 

 衝撃的な事件について話しながら、ふぅと息を吐いて眉尻を下げる。

 耳や尻尾もやれやれと力なく揺らしていて、なんともタキオンらしくない意気消沈した様子だ。

 

 前回の取材が報道された結果、タキオンの評価がほぼほぼ逆転した。

 以前は気味の悪い実験を繰り返しては薬を飲ませようとするマッドサイエンティストだったのに対し、今では虚弱体質を治して自分の力で走ろうとする努力家のような扱いだ。

 タキオンとしては評価はどうでもいいと思っていたのだが、周りが応援ムードになっていて少し辟易している。

 元々コミュニケーションが得意じゃない娘だし、あんまり話しかけられても疲れるんだろう。

 

「このレースで今後走れるかどうかはっきり決まるんだ。走り終わったらもう大丈夫だと宣言するよ」

 

 そもそも現時点で大丈夫なんだからね。

 タキオンは走る前から疲れてしまうよと白衣の袖をぷらぷらしているが、タキオンの口から大丈夫だと聞くだけでなんとも言えない気持ちになる。

 

 俺が感慨深く頷いていると、ふふっとタキオンは笑みを浮かべた。

 

「それじゃあ行ってくるよ。私が走ってくるのをゴール前で待ちたまえ。いつも通りね」

 

 今までにはない自信を見せながら、レースへと赴くのであった。

 

 

 

 

 

   ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

『本日は小雨が降っておりますがバ場は良。京都レース場、メインレース。菊花賞が始まります』

 

 ファンファーレが鳴り響き、観客たちはその音色を聞きながらウマ娘たちのゲートインを待つ。

 今日の主役は一体誰なのか。英雄になるのは誰か。

 ファンたちの夢を背負って、それぞれのゲートへと向かっていく。

 

 タキオンはターフを何度か踏みしめて状態を確認する。

 小雨が降ってはいるが、バ場は重くはない。内側もそこまで荒れ放題ではないから、逃げもしやすい状態だろう。

 ひとしきり確認を終えてからゲートに入る。

 今日は自分の脚を確かめるためのレース。だからといって手は抜かないが。

 

 真剣な面持ちでゲートインを完了し、他のウマ娘たちもゲートインを終えた。

 クラシック最終戦が今始まる。

 

『各ウマ娘、ゲートイン完了しました』

 

 ――ガタンッ

 

『スタートしました! 10番マインダイハードいいスタートを切りました! 他ウマ娘もそろってのスタートとなります!』

 

 10番のウマ娘がスタートダッシュを成功させ、そのままぐんぐん前に出ていく。

 人気薄ではあるが、ペースを作ってしっかりと逃げるタイプのウマ娘だ。

 ツインターボやメジロパーマー、サイレンススズカが台頭して大逃げが注目されているが、ペースメイクしてくる逃げウマ娘の方が厄介だと走るウマ娘たちは思う。

 末脚で勝てるはずなのに逃げ切られるほうが、よっぽどクるのだから。

 

『16番アグネスタキオン! 先行の位置を取るようです! 9番タニミズプライズ、6番メークミディの後ろにつけています!』

『本日は4番人気です。どのような走りを見せてくれるのでしょうか』

 

 タキオンは4番人気。脚についての情報が拡散され、長距離は難しいだろうと人気が落ちている。

 4、5番手の位置につけながら、ペースを体内時計とすり合わせて走っている。

 

『1番人気アマゾントリップは中団、2番人気ホクオウボーダーは最後方です』

『どちらも得意な位置に付けていますね。好レースが期待できますよ』

 

 アマゾントリップは得意の差しの構えだ。しかしいつもより少しだけ前につけている。

 ホクオウボーダーも追込を狙い、後ろで脚を溜めるように走る。

 

『3番人気のソラマーシャルはアグネスタキオンの横につけています』

『札幌記念で1着。神戸新聞杯ではミナモトライコウに勝利していますからね。かなり期待されているウマ娘ですよ』

 

 ソラマーシャルはこれが初のGⅠレースだ。

 新馬戦からオープン戦、重賞と着実に勝利を重ねている。

 しかしこの大舞台、さすがにいつも通りに走れるかは不安だった。

 だからこそ、不安要素があったとしても安定した走りをするタキオンの隣を陣取ったのだ。

 

 各ウマ娘たちの思惑が飛び交う中、コーナーを回って流れるようにスタンド前へ。

 1度目の直線だ。観客からの大歓声を浴びながら駆け抜けていく。

 

「アマトリー! 今日も勝っちまえよー!」

「ホクオウボーダー! 今日こそはぶっちぎれー!」

「マンハッタンカフェー! がんばれー!」

「負けんなよソラマーシャルァ!」

「アグネスタキオン! 無事に帰ってきてー!」

 

 応援の声を聞きながら直線を走り、まずは1,000m。

 

『1,000mの通過タイムは63.0! スローペースですねぇ』

『マインダイハード、うまくペースを作っていますよ。これは前残りになるかもしれません』

 

 かなりうまくペースを作っているようで、マインダイハードは手ごたえを感じながらコーナーへと入っていく。

 遅いペースのため、バ群がきゅっと詰まっている。しかし、誰もが初の長距離レース。

 これが正しいのかどうか、感覚的にまだまだわかっていない。

 

(少し遅いね)

 

 タキオンはそう思った。

 自分の走っている脚の感覚から、かなりのスローペースなのがわかる。

 もっと前に行きたがっているし、まだまだスタミナに余裕があるからだ。

 

 しかしこれはタキオンにとってはチャンスでもある。

 スローなのであれば前にいる自分たちは有利だ。脚も溜めておけるし、楽に走ることができる。

 特に動く必要はない。タキオンは後続の動きをチラッと確認しつつ走っていく。

 隣で走るソラマーシャルもそれに倣って走っていく。なんとなく遅いと思いながら。

 

 そんな中、後方で走っているマンハッタンカフェはこのペースの遅さに気づいていた。

 あきらかに遅い……そう思った彼女は、少しずつ少しずつペースを上げて内側から前へと進出していく。

 

 スローペースの中レースは進み、残り半分を切ったところで中団以降があわただしくなる。

 向こう正面に入り、上り坂が見え始めたからだ。

 クラシック級に入ってから初めての長距離で、高低差4mの坂。これをスタートから合わせて2度走る。

 ゆっくり上ってゆっくり下りるというのが基本とされ、というかそうしなければスタミナが持たないし体が耐えられない。

 一部のウマ娘を除いてだが。

 

『スタート地点を通過して、2周目の坂の頂上に向かいます! ここからが勝負所です!』

『ここから誰が抜け出すか、誰が仕掛けるのかが見所ですね』

 

 マインダイハードが上り坂に入り、スローペースで勝ち取ったスタミナを以って駆け上がる。

 後続のタニミズプライズもマインダイハードをマークしつつ坂へ。

 その後の集団もそろって坂を駆けあがっていく。

 

(脚が想定以上に軽い。これは成長したというよりも……)

「………」

 

 タキオンと彼女の隣で併走しているソラマーシャルは、完璧にペースメイクされていることにほぞを噛む。

 上り坂に差し掛かった時点で、最終直線までは仕掛けるという選択肢がない。

 ここで動いてしまえば、最終直線で使う脚はなくなってしまうのだから。

 

 かといって動かないのもまずい。

 これだとマインダイハードが逃げ切る可能性もある。

 少し前の、セイウンスカイがレコードタイムを出して逃げ切った菊花賞。あそこまではいかないが、それを彷彿とさせるペースメイクだ。

 

「………」

 

 カフェはほんの少し、ほんの少しだけ前に進む。

 10番手から9番手、そして今では7番手にまで詰めていた。

 スパートとはいえない、けれども着実に前に進んでいく。

 最内からロスなくレースを運ぶカフェは、自信をもって走り続ける。

 

「ふぅ――」

 

 前後であわただしく、しかし動きがないままレースが進む中、タキオンは息を吐く。

 このレースであまり無理はしたくない。かといって負けるつもりもない。

 自分の脚、他のウマ娘たちの脚、そして残りの距離と京都レース場のコースについて少しだけ考える。

 

 そして、ほんの少しだけがんばってみることにした。

 

「ふっ」

 

 第3コーナーから始まる下り坂。

 タキオンはそこでペースを上げたのだ!

 

『アグネスタキオン仕掛けた! 下り坂でペースを上げたぞ!』

『ここで加速する算段なのでしょう。しかし脚は持つのでしょうか』

 

 ――直滑降と呼ばれる技術。

 それは下り坂でスパートをかけて駆け下りるものだ。

 有名なのはやはりライスシャワー。天皇賞春で見せた決意の直滑降はすさまじく、一歩間違えれば大ケガにも繋がる。

 それをしてでも勝ちたいという覚悟と強い意志が必要な、言わば心の技術。

 

 それを真似たタキオンは、素直に怖いと思った。

 脚に爆弾をくっつけながら坂を駆け下りているのだ。爆発しないように走っても、少し脚を滑らせたら即起爆する。

 なんでこんな無茶をしなければならないんだろうねと汗をにじませながら、その恐怖に耐えながら。

 加速をつけて一気に先頭へと走っていく。

 

 その覚悟を見た後続の有力ウマ娘たちも負けるわけにはいかないと、最後の直線にかけるべく残り数十mの下り坂からスパートをし始めた。

 

『アマゾントリップが差を詰めて来るぞ! ホクオウボーダーは内をすくう作戦に入るのか!』

 

 アマゾントリップも少しずつ前に出る。

 ホクオウボーダーは第4コーナー途中から一気に内へと斬りこんでいき、バ群から抜け出す作戦でいくようだ。

 以前マチカネフクキタルが見せた、バ群を切り裂く豪脚。アレに似たスローペースだからこそ選択できる作戦だろう。

 

『第4コーナーのカーブに入ってきた! 最後の直線! 後ろのウマ娘たちは間に合うのか!?』

『先頭は依然としてマインダイハードが逃げる逃げる! タニミズプライズ2番手! 後方からアグネスタキオンが突っ込んできている!』

 

 マインダイハードが溜めに溜めていた末脚で必死に逃げる。

 スローペースを作り出したこともあってかなりの好スピード。後ろとの差があまり縮まらない。

 そこで当然のように抜け出していくのがアグネスタキオン。

 有力ウマ娘たちも、直線に入って一気に駆け抜けていく。

 

『アグネスタキオン猛追! 後方からようやくソラマーシャル! 外からアマゾントリップ! 顔を振りながら差を詰めてきた!』

 

 タキオンと共に走っていたソラマーシャルが追い付こうと一気に末脚を爆発させる。

 脚をきっちり溜めていたかいもあり、凄まじい勢いで差が詰まる。

 アマゾントリップも外から追い込んでいくが、前も脚を使っていない。少しずつ差は詰まるがまだまだ後方だ。

 

『マインダイハード逃げ切ってしまうぞ! 外からソラマーシャルっ! 中央からマンハッタンカフェ! 真ん中を割ったマンハッタンカフェ!』

「来たか……!」

「勝ちます……!」

 

 タキオンがマインダイハードとの差をあと1バ身ほどに詰めていると、内で息を潜めていたカフェが中央から突っこんできた。

 残り200mもない中、タキオンとカフェはぐんぐん前に出ていきマインダイハードとついに並ぶ。

 残り100m。マインダイハードはもうこれ以上伸びない。後はタキオンとカフェの戦いだった。

 

 タキオンは初めて負けたくないと。そんな気持ちを抱いた。

 そして思いきりターフを踏みこんだ瞬間。

 

「………っ」

 

 襲い掛かってくるのは恐怖だ。

 坂で感情を押し込めて必死に走っていたが、ついに限界だった。

 スタミナもギリギリ、脚の消耗だってすさまじい。これ以上無理したら……そんな思いで頭がいっぱいになる。

 

 その一瞬の隙にカフェは前に出る。黒いコートの勝負服をはためかせ、半バ身前に出た。

 もうこれ以上は。タキオンはぐっと歯を噛みしめる。なんとか走り切るんだ! そうすれば、きっと……!

 負の感情に耐えながら脚を出そうとした瞬間、声が聞こえてきた。

 

 ――タキオォーーーンッ! がんばれェーーー!!!

 

 トレーナーの声だった。

 その声を聞いた途端に、脚がすぅっと軽くなる。

 やれやれ、まったく。遅いよ、トレーナー君。

 

 タキオンは内心苦笑しながら最後の100mを、スピードを落とすことなく走り切ったのだった。

 

 

 

 

 

『マンハッタンカフェ! 左手を突き上げました! なんとマンハッタンカフェです!』

 

 カフェがGⅠレースの勝利を喜び、笑みを浮かべて手をつき出す中、タキオンもまた笑みを浮かべていた。

 

「アッハッハッハ!」

 

 訂正。高笑いしていた。

 どうした急にとカフェも驚いてタキオンを見た。

 ついにおかしくなってしまったかと思っていたら、嬉しそうに自分の脚を眺めている。

 

「どうかしましたか……? 脚が、なにか……?」

「うん? ああ、カフェか」

 

 気づかなかったよと顎に手を当て、楽しそうに話す。

 カフェを見て、そして自分の脚をまた眺めた。

 

「なにもなかったよ。だから嬉しいんだ」

 

 タキオンは上機嫌なまま、いつもは見せない穏やかな笑みでそう答えた。




Report:●△年10月□×日

 走り切ることができた。
 これでもう何も心配はいらない。

 これからはトレーナー君に期待してもらおうじゃないか。
 きっといいプレゼントになるはずさ。
 GⅠレースの勝利はね。
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