ウマ娘の実験の被検体にされそうになってから数日後。
俺は今日も今日とてスカウトのために学園内をうろうろしていた。
今日の模擬レースはどのチームが主催なのかなーと掲示板を見ていたら、背中をつつかれた。
何だと思って振り向くと、栗毛のウマ娘の姿が。
「やあやあ新人トレーナー君! ここで会うとは奇遇だね。もしかして実験をしなさいというお告げかな?」
神は信用していないんだけどね、とクツクツ笑いながら彼女はにじり寄ってくる。
先日のことを思い出して後ずさるが、背後には掲示板。
逃げ場が……!
「ククク……さあ、この前飲めなかったこの薬をだね」
「そこまでにしてほしい、アグネスタキオン」
「うん?」
栗毛のウマ娘――助けてくれたカフェという娘がタキオンさんと呼んでいたからアグネスタキオンという名前のウマ娘――を止める人物がやってきてくれた。
彼女は……シンボリルドルフ? 生徒会長だ。
「会長じゃないか。どうかしたのかい? 私はこのモルモッ……失礼、新人トレーナー君に実験の協力をだね」
「見たところ嫌がっているようだが」
「嫌よ嫌よも好きのうちと言うじゃないか。実験に否定的ではないようだからね、少しばかり被検体になってもらいたいんだよ」
うん? と返事を促すようにこちらを見て顎をくいっと動かす。
いや、協力したくないんだけど。
「つれないな。いいじゃないか、少しぐらい」
「ところで1つ聞きたいことがあるんだ、アグネスタキオン」
「なんだい? 実験に関係があることだと嬉しいんだけどね」
シンボリルドルフは困ったようにアグネスタキオンと俺を交互に見る。
あ、俺は邪魔かな。席をはずそう
「すまないな、少しだけ……」
「ちょっと待ちたまえ。会長、まさか私の実験の邪魔をするために話を延ばそうとしていないかい? それなら聞きたくない、私はそんなに暇じゃないんだ」
アグネスタキオンは不機嫌そうに腕を組み、指をトントンと動かす。
少し考えたが諦めたのか、シンボリルドルフは眉尻を下げて笑った。
「仕方がないな……新人である君にはあまり聞かせたくない話だったんだ」
「ふぅン? 何やらよくない話題のようだね」
「君の処遇についてさ、アグネスタキオン。昨日の選抜レース、参加しなかっただろう」
どうやらこのアグネスタキオンというウマ娘、選抜レースをサボったらしい。
そういえば先日の保健室でもレースについてどうこうという話をしていた気がするな。
「頼んでもいないレースの強制参加のことか。生憎だが、私はそんな有象無象に無駄な時間を使いたくないんだよ。それこそ貴重な実験のための機会をドブに捨てるようなものさ」
「何故レースに参加するよう先生方が話していたかは知っているかな」
「学園の成績や態度についてのことだろう? 小学校の通信簿に記載されてるような評価ならどうでもいいことじゃないか。授業だってそうさ。確かに私は授業に出ていなかったが、それでも私に必要な範囲の知識が得られるものには出ていたはずだよ」
「君にとってはね。だが、学園にとっては違うんだよ」
シンボリルドルフは真面目な顔つきでアグネスタキオンを見る。
「トレセン学園はやる気ある生徒たちによりよい環境で走るために尽力している。毎日の授業もそうだし、レース慣れさせるための模擬レース。デビューできる力がついているか測る選抜レースも努力の1つだ」
「ふむ……つまりはこうだ。やる気がないウマ娘は必要ない。そういうことだろう?」
「概ねそうだよ」
アグネスタキオンが結論付けて話すと、シンボリルドルフは頷く。
……ということは、アグネスタキオンは学園にいられないってことか?
「ああ。昨日の選抜レースへの出走。それが最後通告だったというわけなんだ」
「だからあれだけ念を押されたんだね。絶対に行かないと大変なことになるぞと何度も言われたよ」
「それでも行かないという選択ができるのはある意味称賛するよ。参考にはできないけれどね」
危ないよ、と言われていたのに行かなかったのか……。
学園にいられないということは、つまり退学。
え、どうするつもりなんだ?
「私がやる事は変わらないよ。学園じゃないと実験ができないわけではないからね。学園外でも高い能力を持ったウマ娘ならいくらでもいる。彼女たちに頼むこととしよう」
実験器具は何を使おうかな、と退学後のことを考え出すアグネスタキオン。
彼女はレースを走りたいという気持ちはないのか?
「……アグネスタキオン、1ついいかな」
「なんだい?」
「学園から去ってもいい。そう思っているのは変わらないか?」
「そんなことか。もちろん思っているよ。少し不便になるだけだろうからね」
アグネスタキオンはさらっと答える。
彼女の実験は一体何のために行っているんだ。
学園を去ってもやり続けるぐらい追求する価値があるものなんだろうか。
「ふむ……委細承知した。だが私からお願いがある」
「会長からの要望か。何かな?」
「私と模擬レースをしてくれないか? もちろん、勝ち負けで君の決断を変えるつもりはないよ」
シンボリルドルフと模擬レース……?
最後のはなむけ、ということなのか。
アグネスタキオンはふむ、と顎に手を当てて少し考え、うんと頷いた。
「いいだろう。トップの実力者である会長のデータも欲しかったところだ。付き合うよ」
「それはよかった。では今日の午後、練習場が空いてからにしよう。ああ、新人くん。君も来るといい。既に君は部外者ではなくなったのだから」
そう言ってシンボリルドルフは去っていった。
なんだか大きな流れの中に巻きこまれてしまったような気がする。
うーんと悩みながらアグネスタキオンを見ると、やれやれと首を振っていた。
「何もする気はなかったのにうまく乗せられてしまったね。おまけに君までついてくるんだろう? おかしなことになってしまったよ」
なんか、ごめん。
そう言うと、不思議そうな顔でこちらを見る。
「君が謝る必要はないよ。元々私が学園を去る話だったのだからね。だがしかし、私に対して自責の念があるというならこの薬を飲んでみないかい?」
いやそれはいいです。
アグネスタキオンがこちらに差し出してきた蛍光色の薬を押し返す。
「なんだよー、ノリが悪いじゃないか。この前はもっと楽しんでいただろう」
唇を少し尖らせて不機嫌そうにする彼女に、なんでこんなに実験してるんだと聞いてみる。
ずっと気になっているんだ。レースに走らず、授業にも出ず。
そこまでしてやる価値のある実験というのは一体なんなのか。
「ふむ。そういえば君には何も言っていなかったね」
「私はウマ娘という生物の肉体の可能性について興味があるんだ。簡単に言うと、最高速度……いや、『最高のその先』といった所か」
アグネスタキオンは腕を組み、泰然とした様子で語り始める。
「そもそもウマ娘という存在がまだまだ未発見のものばかりなんだよ」
「人間の構造とほぼ同一なのにもかかわらず、頭頂部に生えた長い耳に尻尾。それに加えて筋肉は質量に比べて甚大だ。異様なほどにね」
「特に走力は動物界でもトップクラスさ。なにせ車と同じ速さで数キロ走り続けられるんだからね」
うんうんと楽しそうに頷き、どうだい? とこちらに目配せする。
なるほどと頷くと、そうだろうそうだろう。フフン。機嫌よく胸を張る。
「そう、ウマ娘というのは未知の塊! この体でその可能性の果てを知りたいんだ!」
「すなわち――『限界速度』を!」
両手をばっと広げ、親指と人差し指と中指の3本を広げる謎のポーズをしながらくわっと目を見開くアグネスタキオン。
つまり、そのために実験を……?
そう言うと、そうだともと頷かれた。
「ウマ娘というのは体が急激に成長する『本格化』というものがある」
「それを迎えているのはトゥインクル・シリーズに出ているウマ娘たちに当てはまる」
「強者との競争によって、その走力は充実していくからね」
自分の中のデータを思い出し、くるくると手を回す。
「だからこそ、このトゥインクル・シリーズへの出走権を手に入れる。それが私の研究を大きく前進させることになる」
「そう思っていたんだが……まあ、色々と事情があるんだよ! アッハッハ!」
どうやらアグネスタキオンはレースがしたくないわけではないようだ。
ただ、なんというか……選抜レースに出れない事情がある、のだろう。
それが何故なのかは結局わからないけど。
「どうやら今日の模擬レースが学園で走る最後のレースになりそうだ。少し準備をしておくとしよう」
「――今日も運が良かったね、新人トレーナー君」
ニヤリと笑って、アグネスタキオンも去っていった。
……彼女の速さに対しての想いは本物だ。興奮気味にしゃべっていたあの話を聞けばわかる。
学園を去る彼女のレースを見ても、スカウトには関係ないのはわかっているけど。
見に行かなければならない。なんとなく、そう思うのだった。
Report:●×年4月○日
被検体Bを発見して話しかけたところ、会長に捕まってしまった。
どうやら学園にいられる最後通告を受けていたようだ。
最後に模擬レースをすることになった。会長の走りを近くで直に見れる機会だ。
被検体Bに私の目的を語ったところ、かなり真面目に聞いてくれた。
称賛こそされなかったが、実験に対しての悪感情は減らせただろう。
薬を飲ませやすくなった。次はすこし強引にいくとしようか。