自分の直感と気持ちを信じて、放課後に練習場まで足を運んだ。
アグネスタキオンはどうなってしまうのだろうか。シンボリルドルフの走りを見れることより、そちらのほうが気になってしまう。
うんうん唸りながら歩いていると、後ろから声をかけられた。
「あの……」
振り向くと、そこにいたのはこの前保健室で助けてくれた烏羽色のウマ娘。
えっと……ごめん、名前を聞いてなかった。
「……マンハッタンカフェ、です」
マンハッタンカフェか。
先日はありがとう。
「いえ……。何か、あったんですか……? ずっと唸ってましたけど……」
不思議そうに首を傾げながらこちらを見てくる。
唸りながら歩いているトレーナー……うん、変質者だったな。
事情を説明しようかとも思ったが、あの3人での話なのでどうしたものかとまた唸ってしまう。
一応友人っぽいからなぁ。でも、うーん……。
「……もしかして、タキオンさんのこと、でしょうか」
言い当てられてしまった。え? と聞き返してしまう。
これでは彼女のことだとバラしているのと同じだ。
思わず頭に手を当てると、マンハッタンカフェは少し困ったように体を揺らす。
「あの……タキオンさんからは、聞いてますから……」
どうやらアグネスタキオンは彼女に事情を説明していたらしい。
ふぅ、と息を吐くと少し眉尻を下げて上目遣いに見てくる。
気をつかわせているようだ。ごめんね、と言って手を振る。
君もこの後来るの? と聞くと、こくりと頷く。
「……最後の、走りですから。見ておこうと……思って……」
そう言ってマンハッタンカフェは不意にどこか遠いところを眺める。
なんだろうと思って視線の先を見るが、何もない。
どうしたんだろうか。
「……? 行かないんですか……?」
視線をこちらに戻すと、不思議そうな顔でこちらを見る。
俺もマンハッタンカフェの行動がよくわからなくて首を傾げると、彼女も首を傾げた。
なんというか……不思議な娘だなぁと思うのだった。
「おや、カフェも来たのかい? 珍しいね。君は私に興味を持っていないと思っていたんだが」
俺がマンハッタンカフェと練習場に到着すると、クリップボード片手に足首の柔軟をしているタキオンを発見した。
こちらを見て、カフェがいることに驚いている。
友達が来たにしては結構ドライというか淡泊というか。
「もう見れませんから……あなたの走り……」
「ふぅン?」
「超光速の走り……とても速いことは知ってます……」
超光速。その言葉を聞いてピンときた。
先輩たちがものすごいスピードで走るウマ娘がいる。超光速の走りだ! なんて盛り上がっていたのを覚えている。そしてまだスカウトされていないということも。
どの選抜レースや模擬レースに行っても全く姿が見えないと思ってはいたが……アグネスタキオンだったのか!
「超光速とは言うけどね。光というのは等速度運動をしていたら常に一定の速度でしか進まないと言われているが、この原理だって本当に証明されていないんだ。つまり何もわかっていないんだよ」
「ウマ娘だってそうさ。まだまだわかっていないことばかりだ。もっと知りたい、そう思わないかい?」
ニヤリと笑って語りながらにじり寄ってくるアグネスタキオン。
不気味さがすごくて思わず後ずさりしてしまうが、ヌッとマンハッタンカフェが俺の前に体を滑らせる。
「それで、ちゃんと走れるんですか……。最近トレーニングもあまりできてなかったと思いますけど……」
「それは大丈夫だよ。筋力維持のトレーニングは行っていたし、筋力増強のサプリや薬も飲んでいるからね」
そう言って軽く腕や肩を柔軟運動して伸ばしていく。
彼女の走る姿を見たことは無い。どのような走りをするのだろうか。
「やあ、トレーナーくん。マンハッタンカフェ」
「会長さん……こんにちは……」
3人で少し話をしながら待っていると、シンボリルドルフがやってきた。
準備運動を事前にやっていたのか、少しだけ髪が乱れている。
俺の視線に気づいて少し笑い、手で髪の毛を直す。
「さて、準備はいいかな。アグネスタキオン」
「もちろんいいとも。会長の走り、じっくり見せてもらおうじゃないか」
「ああ、いいさ。マンハッタンカフェ、スタートの合図をしてもらってもいいかな」
「はい、わかりました……」
練習場のコースに入り、マンハッタンカフェが内ラチ沿いに立つ。
2人は走る構えを取り、体をグッと沈ませる。
思わず手を握り締めてしまう。2人の表情が本当に真剣だったから。
マンハッタンカフェが手を上げ、そして下ろした。
「よーい……スタートッ……!」
◆ ◆ ◆
アグネスタキオンとシンボリルドルフが同時に駆け出す。
それを見たトレーナーはハッと息をのむ。
デビュー前なのに、模擬レースとはいえあのシンボリルドルフと同じタイミングでスタートした!
彼は驚いている。アグネスタキオンは研究ばかりでキチンと走れない。心の中ではそう思っていたところがあったからだ。
第1コーナー、2人は同じように回っていく。
内はアグネスタキオン、外はシンボリルドルフ。
皇帝に気をつかわれてしまっているね、と思いながらアグネスタキオンは観察する。
シンボリルドルフの筋肉、関節、尻尾の使い方。コーナーでの負担、力のかけ具合。
余すところなく実験のための情報として手に入れようと、目を見開いていた。
そんな彼女の視線にシンボリルドルフは気づいていた。
そして、仕方がないウマ娘だ、と内心苦笑していた。
シンボリルドルフはアグネスタキオンというウマ娘について、本当に詳しくはわからない。
だが、彼女の速さへの渇望とその探求心、それを満たすためになりふり構わず動く行動力。
何より、自分自身の体でその速さを証明せんとする覚悟を気に入っていた。
しかし、シンボリルドルフが如何に気に入っていようとも、ここはトレセン
学び舎で学ぼうとしない姿勢は褒められたものではない。
どうにかあの才覚を残せないかと理事長や秘書のたづなを頼りに掛け合ってきたが、ついに限界が来てしまった。
それでも諦めきれなかった彼女は、最後の賭けに出た。
自分との模擬レース。
これでアグネスタキオンの力を見せることで、なんとか学園に残そう。そう思っていた。
そう思っていたのだが……提案しても流石にこれ以上は、と言われてしまった。
先日の模擬レースへの強制出走が最後だったのだ。チャンスをあげることは贔屓になってしまう。
シンボリルドルフは自分の無力を感じながら、最後のはなむけになるだろうかとアグネスタキオンに模擬レースの提案をしようとした。
すると、アグネスタキオンがトレーナーに絡みついているのを見つけた。
最初は止めに入ったものの、そのトレーナーが本気で嫌がっていないのを見て、いけるか……? と希望を見出した。
この模擬レースに招待して、彼女の走りを見せる。そうすれば、きっと何かが変わる。
頼むぞ、新人トレーナーくん。シンボリルドルフは、彼のトレーナーとしての魂に賭けたのだった。
第2コーナーを過ぎて直線に入ったところで、シンボリルドルフはペースを上げた。
かたやデビュー前のウマ娘、かたやドリームトロフィー・リーグで活躍する皇帝。
今までは合わせて走っていたのだ。シンボリルドルフはついてこれるかと言わんばかりにアグネスタキオンを突き放しにかかる。
「ククク……さすがは皇帝か……!」
皇帝たる堂々とした走りとそのスピードに、アグネスタキオンは汗を垂らしながら食い下がる。
じりじりと距離は離れていき、第3コーナーに入るときには1バ身半差になっていた。
シンボリルドルフはコーナーを回りながら、チラっと後ろを確認する。
侮っているわけではない。アグネスタキオンがいつしかけてくるのか、それを気にしているのだ。
トレーナーとマンハッタンカフェは、シンボリルドルフが後ろを気にしている、と少し驚きながら、最終直線での走りを待った。
第4コーナー、シンボリルドルフが最終直線へ入り、遅れてアグネスタキオンが入ってくる。
2バ身差。そして相手は皇帝シンボリルドルフ。決まったか。トレーナーはそう思った。
しかし、アグネスタキオンはその時、全く別のことを考えていた。
(特殊相対性理論に矛盾することなく、光速度より速く動く仮想粒子の存在は、いまだ完全には
(ウマ娘の最高速度である時速70km! 定説ではそう言われているが、それ以上のスピードで走れる可能性は否定されていない!)
アグネスタキオンはグッと体を沈ませ、ターフを強く踏みしめた。
(そう! 可能性だ! ウマ娘には! この体には! 私は可能性に満ちている!)
ギュン! と音が鳴ったかと思うほどの加速。
アグネスタキオンの走りが、明らかに変化した。
「ウマ娘の
シンボリルドルフがターフを強く踏みしめたとき、後ろを見た。
そして、凄まじい速度で追い上げてきているアグネスタキオンを見て驚くと同時に、笑みがこぼれる。
そうだ! その走りだ! 見せてみろ! シンボリルドルフはゴールへと一気に駆け出した。
「いまだ影すら見えぬほど、遥か彼方なのだから……!!!」
ゴールへと駆けていくアグネスタキオン。
トレーナーは、その姿を見た。
アグネスタキオンのその瞳は無邪気な少女のようで。
悪魔に魅入られた狂信者のようで。
――呼吸を忘れてしまうぐらい、魅せられる色をしていたのだった。
Report:●×年4月○日
会長との模擬レースは非常に有意義だった。
必要な筋肉と関節の可動域を知ることができたのだから。
以後、最終目標を会長の肉体に仮定して実験することにしよう。
しかし……それよりも驚くべき結果があった。
まさかこんなことになるなんてね。
いやはや、例外というものは存在するものだね。