※ ※ ※
千反田はその
「どうかしたか」
「どうしてですか? どうして迷子の保護者が柚之木七夕に来てないとわかるんですか」
「俺が見かけたその子は、短冊を持っていたんだ。柚之木七夕では短冊を用いないにもかかわらず、だ」
今度は、よくわからないと言わんばかりに眉に皺を寄せる。
「それが保護者の方が来ていないと、どうつながるんですか?」
「もし我が子が短冊を持っていくと知っていれば教えるはずだ、『柚之木七夕に行っても笹の木は用意されてない』と。しかし男の子は短冊を持ってきた。一般常識と言うくらいだ、保護者まで知らなかったとも考えずらい。つまり保護者から柚之木七夕がどんな催し物なのか教えてもらってない。なぜなら迷子になった男の子自身が、保護者にそう伝えてないからだ。おそらく保護者は柚之木七夕に来ていないだけじゃない。自分の子どもが柚之木七夕に参加していることすら知らない可能性が大きい。
以上、Q.E.D」
空になった壜を専用のごみ箱に投げ入れる。ガラスが鈍く砕ける音とともに、千反田の言葉が続く。
「なら……」
「うん?」
そのとき、ようやく千反田の表情が
「なら、どうしてその男の子は、皆さんの前に出てこないのでしょうか。氏子さんや関係者の方々が必死で探されてるのに、なぜまだ見つからないのでしょうか?」
「そんなに不思議か」
その問いに応えることなく、千反田は一呼吸おいた。
「10歳にも満たない小さな子どもが、たった一人でウロウロしていればいやでも目につきます。仮に氏子さんや関係者の方が見つけなくても、まわりの大人がそうと誘導するはずです。でも、現にまだ見つかっていません。なぜでしょうか」
「なぜって、そりゃ理由はいくつかあるだろう」
「例えば?」
「例えば、出て来たくないのか、あるいは……」
しばし逡巡したのち、俺の視線が、うなずく千反田とかち合った。
なるほど。
「出たくても出てこれなくなった、か」
これが去年の今頃なら「子どものきまぐれ」で済ませていただろう。しかし、今の俺たちにそれができなかった。
今年の1月1日、
俺と千反田はろくな防寒着も持たず、蔵と間違えた納屋に閉じ込められた。外に出ようにも容易に出ることができず、結果見るに堪えない目にあったことを思い出したのだ。迷子で見つかってない男の子も、もしかしたら同じ状態に陥っているかもしれない。千反田が表情を翳らせている理由はそれか。
確かに季節が夏とはいえ、本当に子どもが1人でどこか閉じ込められているのであれば緊急事態だ。迷子を捜すことは必ずしも"やらなくてもいいこと"にはならないはずだ。
ではなにをすべきか。大人数で手分けをし、子どもが入り込みそうな場所を片っ端から捜すのが手っ取り早い。
「千反田、柚之木七夕の運営や氏子たちにそう伝えて人海戦術を敷いてもらえるように手配してくれ」
今まで千反田家の人間として柚之木七夕に呼ばれているといっていた。つまり関係者に対して顔が利くはず。その千反田が関係者に回れば話はこじれず、捜索隊を組織してくれるはずだ。千反田も「わかりました」の一言で早速動いてくれると、そう思っていた。
しかしだ。
当の本人は俯いたまま、なぜかその場から動こうとしなかった。
「千反田?」
「すいません、折木さん」
その声質はやはりいつもと違っていて、冷たく先細りする声だった。千反田はその視線をわずかに上げる。
「申し訳ないんですが、今のわたしにはそれができません」
「どうして?」
「先ほども言ったように、今日のわたしは千反田家の人間としてはここに来ていません」
確かにそれは訊いた。なんでも父親から「今日は来なくてもいい」と言われたとか。千反田は弱々しく吐くような息遣いで続ける。
「確かに『今日は来なくてもいい』と、そう言われました」
「じゃあ……」
「折木さん。千反田家の人間にとって、当主からの『来なくてもいい』は選択権の譲渡を表すものではありません。それはつまり、自発的行動の禁止を意味するんです。自分は千反田家の人間として柚之木七夕に来ることが許されていません。氏子さんに迷子の情報を訊くことはできても、千反田家の名前を使って柚之木神社の関係者に働きかけることは、今のわたしにはできないんです」
ああ、と無意識に声が漏れた。
最初、千反田に声をかけたときに困惑したような表情を浮かべていた。
氏子に様子を訊きに行ってくれないかと千反田にお願いしたとき、いつもは謎の匂いを感じ取れば喜び勇んで動くはずの千反田が、なぜか一瞬動き出すのを躊躇った。
顔を知っている氏子に会えば、千反田自身がいることが柚之木神社の氏子総代、はたまた父親にまでバレてしまう。それを怖れたんだ。『来なくてもいい』と命令されているのも関わらず、それに反目したことが
それでも行ってくれと懇願すれば、こいつは無理にでも行くだろう。なにより1人の子どもの安否がかかっているのだ、千反田家の問題うんぬんを持ち出すことはないだろう。
しかし俺にはそれはできない。
もう一度、氏子の様子をうかがった。相変わらず忙しなく動き回っている。
落ち着け、深呼吸しろ。あの様子だ、俺たちから働きかけなくてもきっと敷地内の納屋や蔵まで調べてるはず。ここで無駄に騒ぎを大きくするのは得策ではない。
近くのコンクリートブロックに腰を降ろす。関係者に伝えるのはもっと場所を絞ってからでいい。そのためにも、子どもが見つかりそうな場所を考えるほうがよほど効率的だ。
どこにいる?
あの子は、いまどこにいる?
千反田はその場でこちらと目を合わせないように顔を伏せたままだ。思わず俺も千反田から目を逸らす。さあ、なにから考えようと思ったときだった。
あるものが視界に入った。特設ステージ脇に置かれている大型スピーカだ。そういえばと周囲を見回してみると、小型スピーカも道路に沿って設置されている。そしてそこからはステージ司会者のまくしたてるような言葉が飛び出してくる。俺は改めて違和感を感じた。
どうしてアナウンスをしない?
マイクとスピーカはある。迷子が出れば、ステージ進行を一時的に遮ってでも迷子アナウンスするはず。なのにこれまで一度も聞いてない。
なぜか?
1つ疑問がわくと、次の疑問もわいてくる。
そもそも、保護者が同伴もしていなければ柚之木七夕に参加していることすら把握していない子どもならば、いったい誰が「迷子が発生した」と報告したのか。
ふむ。この両者の疑問を合わせると1つの仮説ができる。
それはすなわち
「氏子たちは子どもを捜してはいても、迷子を捜しているわけじゃない」
迷子でないなら、なぜ彼らは子どもを捜そうとする?
今度は記憶をたどる番だ。
鳥居で見かけた男の子を思い浮かべる。アニメのキャラクターがプリントされたTシャツに、紺色のハーフパンツとプロ野球のキャップ、そして左手にメモ帳と右手に短冊をもって、辺りの様子をうかがうように
……短冊?
その子は勘違いしたとはいえ短冊を柚之木七夕に持ってきた。じゃあそのあとはどうする?
わざわざ持ってきたんだ、できることなら何処かに吊るそうとするだろう。しかし笹の木はない。ならどこに吊るす?
「千反田。七夕祭り、お前だったら短冊はどこに吊るす?」
「笹の木じゃないんですか」
「その笹の木がどこにも見当たらなかったら?」
千反田は意味を理解したのか「ああ」とつぶやくと、星が薄っすら煌めく夜空を見上げる。
「8月とはいえせっかくの七夕です。少しでも織姫と彦星の目に留まるように高い場所に吊るすんじゃないでしょうか」
なるほど。少しでも高いところ、か。
緩慢な動きで自分も空を見上げる。それは星を仰ぐためではない。自分とベガ・アルタイルとの間に存在する、女岩と男岩の間に渡された白い大注連縄に視線を注ぐためだ。そこはすなわち、織姫と彦星に近づく"少しでも高い場所"になるはず。
少年は笹の木を探していている途中、あの大注連縄を見かけただろう。七夕岩付近の重機を見つけたのかもしれない、あるいは近くの観光客の話を聞こえたのかもしれない。目の前の大注連縄がのちのち宙に浮くのでは、という考えに至ったとしても不思議じゃない。少しでも高い場所に短冊を吊るそうとするなら、これほど格好の場所はないはずだ。
左岸の男岩のほうから飾りものに焦点を合わせていく。すると右岸女岩に一番近い馬の飾り物の影、そこにかすかに風で揺れる物体が目についた。目を細めれば確かに白い短冊が1枚吊るされている。
これだ!
静止しているならまだしも、風を受けて小刻みに揺れており目につきやすいため注意深く眺めれば簡単に見つかった。であれば、俺たち以外にも運営関係者や氏子が同様に発見してもおかしくはない。
では歴史ある由緒正しい柚之木七夕のメインイベントで、それをぶち壊すような異物が吊るされているのを発見したらどうする?
犯人捜しを始めるだろう。
幸いにして"短冊を持ってうろうろしていた私服の子ども"は目につきやすい。目撃情報を頼りに、その子どもを見つけることにした。
そう、氏子は決して"迷子"を見つけるために動いていたのではない。儀式を汚した"犯人"を探している。だからあそこまで慌てふためいているんだ。
「千反田、夜目に自信はあるか?」
「ええ、多少なら」
「ならあの短冊になんて書いてあるか読んでくれ」
短冊そのものは見つかってもそこに書いてある文字はとても小さく、氏子も読めなかったに違いない。しかし視力に自信のある千反田なら読めるかもしれない。短冊を見つめながら弱々しくこう答える。
「『お姉ちゃんが高校に合格しますように
小学3年生の男児。間違いない。
「短冊が吊るされているということはその子は、熊野優太さんは目的を達したということですね」
「目的を達したら、次はどうする」
「帰路に就くと思います」
その通りだろう。迷子になっている少年は行き先を保護者に伝えていない。帰りが遅くならないように、目的が終わり次第すぐ帰る可能性が高い。そうでなくても大注連縄に勝手に短冊を吊り下げたんだ、大人に見つかる前にその場を離れようとするだろう。であれば神社内を探しても見つかる可能性は当然低い。
ただ気になる点がひとつ。
"
確か神山市西部の町でそんな地名を聞いたことがある。今いる柚之木町からだと直線距離で10kmほどだろうか。
学校行事で毎年何十kmも無理やり走破させられるどこぞの高校生ならまだしも、小学3年生が夜に自転車で移動する距離でも、ましてや歩く距離ではない。近くに鉄道駅もない。ならばその子どもはバスを使って移動してきたと判断して間違いない。
バス?
「じゃあその子はバスに乗って帰宅したと考えていいんですね」
少年が見つからないのはすでに帰路に就いたからと考えたのだろう、千反田は胸をなでおろした。そう、確かに素直に考えればそうなる。
しかし俺は素直じゃないので
数時間前を思い出す。つい考え事をしていたせいで、ここに向かうバスに乗り間違ったのだ。高校生でもバスの乗り間違うことがある、ましてや今日は柚之木七夕。
加えて千反田の言葉。
―――柚之木七夕当日には臨時バスも運行されるくらい
そう。今日だけは通常の運行ダイヤではない。柚之木七夕に短冊は吊るさないということすら知らなかった小学生だ、臨時バスの運行ダイヤも知らない可能性はある。もし、本来自分が乗るべきではないバスに乗ったとしたら……。
姉の巾着袋に手を突っ込む。取り出したのは市バスの時刻表。少年がきちんと臨時ダイヤを理解して目的のバスに乗れていればそれでいい。しかしその存在を知らず、まったく見当違いのバスに乗っているのであれば、後を追いかける必要が出てくる。後を追いかけるには、少年がどのバスに乗ったかを判別する必要がある。
時刻表に記載されている"柚之木神社前"を通るバスの路線に視線を落とす。
「くそ」
おもわず声が出た。
想像以上に臨時バスの本数が多い。上りで1本、下りで1本程度の増便かと思っていたらとんでもない。およそ30分間隔でバスの発着がある。せめて少年がどのバスに乗ろうとしたかが判れば手の打ちようがあるが、こうなると判別のしようがない。俺は時刻表を千反田に見せた。
「清里小学校の学区に向かうバスはどれか判るか?」
千反田は時刻表に視線を一度落とすが、すぐにかぶりを振った。
「すみません、バスの運行路までは自信がありません」
ため息が漏れそうなのを我慢した。千反田は悪くない。普通、どのバスのどの路線がどの学区を通るなど誰が事細かに覚えているというんだ。臨時バスの絞り込みができないなら後を追うのも不可能だ、そう思ったときだった。
「……いや、いる」
たった一人いる。極めて期間限定ではあるが神山市内の公共交通機関について、その歴史と変遷についておそらく誰よりも
巾着袋からさきほど使った携帯電話を取り出し、覚えている番号を打ち込んだ。
数回のコールの後、通話口の向こうから聞こえてくるのは懐かしい声。
『もしもし、福部ですけど……』
「里志か、俺だ」
数秒の間が開く。
『え、ホータローかい! どういうことだい、ついに携帯電話デビューでも?』
日頃から固定電話のナンバーディスプレイは眺めておくもんだ。とりあえず一度胸をなでおろす。
「後で詳しく話すから、いまは質問に答えてくれ。柚之木神社前から清里小学校の学区内に行くには、何行きのバスに乗ればいい?」
「清里小学校の学区かい? ふむ。だとしたら"
「それ以外に学区に向かうバスは?」
「ないね。それ1つだけだ、間違いない」
視線を急いで時刻表に落とす。確かに里志の言うとおり「壮川方面行き」というバスがある。
「すまん、助かった」
「礼には及ばないさ。ただ……」
「どうした?」
「なにかまた騒動に巻き込まれてるようだね。これもホータローが平和と安寧を願った結果かな」
「それが判るのは明日になってからだな」
それだけ残し俺は通話を切った。さて、当面の問題はこっちだ。
里志の話によれば、清里小学校学区に向かうには「壮川方面行き」に乗らなくてはいけない。ここで市バスの通常の時刻表に視線を落とす。柚之木神社前から壮川方面行きのバスを見ると1日1本だけで「20時45分」と印刷されている。つまり、姿が見えなくなっている熊野優太なる少年は、通常ダイヤである20時45分発のバスに乗ろうとするだろう。
しかし、だ。間の悪いことにその5分前、20時40分に柚之木神社前から臨時バスが出ている。方向は神山市北西部の「陣出方面行き」。もし間違ってこれに乗ったのなら自宅とは見当違いの場所に運ばれることになる。間違いに気づいてすぐにバスを降り、正しい方向に乗り直すことができればいい。しかし小学3年生にそこまで期待するのは酷だろうし、仮に降りることができたとしてもタイミングよくバスが来るとは限らない。
もう一度バスの時刻表に目をやる。次にもう1回バスが来る。同じ陣出方面行きの、今度は通常ダイヤのバスだ。それを逃すと陣出方面行きは明日の朝まで待たなくてはいけない。少年を後を追うにはこれに乗るしかない。
千反田と目が合った。
「行きましょう、折木さん」
「ここでバスに乗ったとして、少年を見つけられるとは限らないぞ」
「ええ」
「そもそも少年が臨時バスに乗ったという保証もない」
「かもしれません」
千反田は小さく頷いた。
「だったら」
「だったら?」
今度は千反田が強く頷いた。
「後で笑い話にすればいいだけです」
※ ※ ※