青い星は流れたか   作:星屑の仔

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第4章『青い星は流れたか』

※  ※  ※

 

 俺と千反田は定刻通り停留所についたバスに乗った。降りる利用者はいても乗車するのは2人だけだったようで、座席は見渡す限りの空席だった。空いている座席に俺たちは並んで座った。

 今日の陽が沈んで久しい。だが柚之木七夕のお開きの時間にはまだ早く、窓の外は漆を流したような闇色でその一部分だけが鮮やかな橙色で(あな)が開いていた。

 その孔も、バスのエンジン音が鳴るにつれ少しずつ小さくなっていく。聞こえてくる祭り囃子が少しずつ遠ざかり、代わりに窓ガラスの向こうの闇色が少しずつ濃くなっていった。小さくなっていく橙色の孔に向かって「笑い話になってくれたほうがいいけどな」と呟いた。

 しばしのバスの揺れに身をまかせていると、千反田が訊いてきた。

 「ところで折木さん」

 「うん?」

 「わたしたち、どこまで乗ればいいんでしょうか?」

 そう、それが判らないんだ。

 少年が間違った臨時バスに乗ったとする。彼はいずれ間違いに気づく。気づけばどこかでバスを降りようとする。では、それはどこか。

 「試しにバス停を1つずつ降りて試してみるか」

 「バスの本数が限られているので、とてもすべてのバス停を回ることなん出てきません」

 「なら運転手に無線で訊いてもらうか。バス会社に連絡してもらって、少年を乗せたかどうか他の運転手に確認してもらうというのは。少なくとも少年がバスに乗ったかどうかは判るはずだ」

 「例え確認できたとして、その少年がわたしたちの捜している子と同一かどうかは判別できません」

 八方ふさがりだ。そもそもバスの中という限られた時間と空間の中で少年の降りたであろうバス停を特定する事はきわめて困難だ。

 さてどうするべきかと思案に更け込もうとしたが、真横の千反田の様子がどうもおかしい。

 「……落ち着かない様子だな?」

 「あの、折木さん。『行きましょう』なんて息巻いたわたしがいうのもなんなのですが……」

 「どうした」

 「持ち合わせがほとんどないことを忘れてました」

 ああと呟き、姉のがま口を取り出す。

 「安心しろ。元はといえば俺の勝手な妄想だ、お前にバス代を出してもらおうとは(はな)から思ってない」

 そこでふと閃いたことがあった。少年の所持金だ。

 打出の小槌であるはずがない。手元が不如意(ふにょい)になれば、嫌でもバスを降りなくてはいけないはずだ。今度はバス時刻表の運賃の欄に目を落とす。少年が"三日月停留所"から"柚之木神社前"までバスに乗ったとすれば運賃は280円。つまり帰りも280円で行けるところまでしかバス乗れないのではないか。だとすれば陣出方面で280円で行けるバス停はどこか。

 指先が時刻表のとある停留所で止まる。

 「"神枝(かみえだ)停留所"か」

 奥陣出まで行き切らない、その手前の停留所。運賃はきっかり280円。その次の停留所となれば運賃は400円まで上がる。いまどきの小学生のお小遣い相場がわからないが、3年生であればそのあたりが所持金の限界だろう。

 そう思ったときだった。聞き手が2人しかいない車内アナウンスが聞こえる。

 「次は"神枝"、"神枝"です。お降りの際は……」

 俺は降車ボタンに手をかけた。

 

 

 

 俺たちは"神枝"のバス停で下りた。

 ガマ口の所持金だけでは足りなかった。市バスカードがあるからと高をくくっていたがどうやらそちらも残高がほとんどなく、なんとかギリギリ運賃を支払うことができた。乗客もないバスが発車すると、熱と湿気を帯びた風がゆっくりと地面の砂埃を舞い上げる。

 さて。ここからどうやって少年を捜したらいいのかと思惟(しい)し、とりあえず交番を捜すことにした。少し歩くと、すぐ近くに灯りが漏れている硝子戸の交番があった。なかを覗けば建物の奥にはこちらに背を向けた年配の警官と、手前のデスクには比較的若い警官。すぐにデスクの方の警官と目があった。事務作業をしていたのだろう、その手をとめると気だるそうに立ちあがってくる。

 「どうかしましたか?」

 「あの、男の子を捜していて」

 「どんな子?」

 そう言われてようやく気づいた。この状況をどう説明すればいのか。

 俺の見かけた少年が柚之木七夕の会場から姿を消した。乗ったかどうかも定かではないバスに乗り、降りたかどうかも判らないバス停で降り、名前と外見程度しか知らない見ず知らずの少年を捜してほしくて、会場から程遠い神枝の交番に赴いた、とでも言えばいいのだろうか。まず十中八九信用してもらえない。かといって今から関所破りの弁慶を演じる自身もない。さてどうしたものかと静かに思案していたときだった。

 すぐ横に立っていた千反田が、交番の奥でこちらに背を向けてしゃがんでいる年配の警官を指差した。

 「あの子です」

 「へ?」

 誘われるように俺と警察官の視線が指差した方向に集まる。年配の警官の陰に隠れてよく見えなかったが、その向こうにはパイプ椅子に座っている男の子。

 鳥居で見かけたようにアニメのキャラクターがプリントされたTシャツに、紺色のハーフパンツ、プロ野球のキャップを被った少年。なにか質問されるたび、涙をこらえながら小さく頷いていた。

 「ああ、よかった」

 そんな言葉が自然と出てきた。

 柚之木七夕で姿を消した男の子は、無事保護されていた。

 

 

 

 その後のことは長々と語ることもあるまい。

 しばらくしたら、母親らしき女性が交番に駆けつけてきた。男の子は母親に抱きつき、母親はそれを抱え上げる。

 少年もずっと我慢していたのであろう、母親に抱えあげられるときには咆哮(ほうこう)しながら大粒の涙が頬を伝って流し続けていた。どこにそれほどの量をため込んでいたのかというくらい、幾筋もの涙が少年の目尻から頬を伝って流れ落ち続けるのが判った。

 このままいても俺たちにすべきことはないし、なにより見ず知らずの男の子の失踪をどうして知っているのかと、痛くない腹を探られることになる。ならば2人の警官が母子に気を取られているあいだに姿を消すのが得策だ。

 俺は横でそれを眺めていた千反田に合図を送り、そのまま交番を後にした。

 残念ながら姉貴のガマ口の中身は空っぽで、俺の市バスのバスカードも残高がない。ということは、ここから自宅に帰るのにバスに乗れないということで、つまりそれは徒歩での帰宅しか選択肢がないということを意味した。さきほど降りた"神枝停留所"と書かれたバス停看板を恨めしそうに見ながら、細く長い溜息が流れる。

 

 

 

 少年の失踪と母親の再会だって、考えてみれば判ることだった。

 例え少年がどこに行くか、行き先を保護者に伝えてなくても「いなくなった」ことには気づくはずだ。気づけばあたりを捜すだろうし、それでも見つからなければ警察に相談するに決まっている。欠伸(あくび)をするだけで非難される日本の警察は優秀だ、迷子になっている男子小学生くらいすぐに見つけることだろう。つまり俺たちが来ても来なくても、事件そのものの解決は変わらなかったのだ。

 それを千反田の伝えれば「笑い話になって良かったじゃないですか」と。

 生ぬるく、水と土とまだ青みかかった稲葉の匂いの混ざった風に誘われるように、視線は自然と宙に向かう。見上げた夜空は墨汁の海にありとあらゆる宝石を投げ込んだようにも見えた。そしてそこを横切る青白く細い線。

 「流れ星、ですね」

 その言葉に俺も小さくうなずく。そういえば家を出る前にテレビが言っていたな、ペルセウス流星群が地球に接近していると。

 千反田の足が止まる。自然と俺の足も止まる。

 「折木さん、ロシア南西部に位置するアルタイ地方にはこんな言い伝えがあるそうです。

 地球というのは大きな鳥籠(とりかご)に囲まれた世界であり、夜というのは神様がその籠に大きく黒い天幕をかけてしまうから起こるものだと。

 神様は時おり地球上の人間の様子を見るために、針で天幕に穴をあけてそこから覗き込もうとします。その小さな穴から神様の世界の光が漏れてくる。これが地上から見た"(ほし)"になる。

 神様がもっと地上の様子を見たくなったら、その針で天幕の一部に切れ目を入れて穴を大きくしようとします。縦に長く入った切れ目、それが"(なが)(ぼし)"だと。つまり星が空を流れるときというのは、神様がこちらをよく見ようとしている証拠。流れ星に祈れば願い事が叶う、といわれるのはそういう理由なんだそうです」

 「天幕に穴をあけなきゃ地上の様子が見えないとは、神様も万能じゃないんだな」

 俺の軽口に対して千反田が何か返すかと思ったので、少し口を閉じる。千反田は何も応えず再び歩き出すので、俺も無言でその後を追う。

 

 

 

 「あの少年、無事でよかったですね」

 「そうだな」

 夜空を、また星が横切った。

 「確かにあの子は下調べの不充分さが原因で、柚之木七夕の運営や地元警察の方など周囲の大人に多少なりとも迷惑をかけました。それは"無知"というだけで無条件で赦免(しゃめん)されるべき事柄ではありません。悪いことは悪い、社会の構成員として道理をわきまえるべきだとわたしは思うのです」

 千反田の言葉の後に残るのは、遠ざかる自動車のエンジン音とアスファルトを叩く小さな足音2組だけ。気がつけば千反田の視線は地に向いていた。

 「それでもです。わたしは、あの子がうらやましいと思ったんです」

 「かわいそう、じゃなくてか」

 かぶりを振る。

 「非常に怖い思いをしたことでしょう。自分の意志とは無関係に連れ出されたその場所は街灯すら満足にない暗い道、そこを自らの足で行くことは恐怖そのものです。ましてやその道が果たして本当に目的地を向いているのか、それすら定かではない状況なら、大人でも次の一歩すらままならないのが事実でしょう。

 それでもあの子には"向かうべき地" がありました。あったからこそ隘路(あいろ)の恐怖を乗り越え、そして次の一歩が出せたというのも同時に事実のはずです」

 「今のお前には"向かうべきところがない"と?」

 俺の言葉は暗闇の中で届いたのだろうか。千反田は俺の言葉に反応せず、訥々(とつとつ)と次の言葉がこぼれてくる。

 「わたしは父から翼を授けられました。自由にしていいと、鳥籠の扉も開けてもらい外に出されました。でもわたしには翼を使って羽ばたく先がありません。今はまだ鳥籠の上に止まっているだけですが、いずれそれも取り払われる日がきます。そうなったとき、わたしはどこに飛んでいくべきなのでしょうか」

 千反田の言葉を思いだした。

 ―――千反田家の人間にとって、当主からの『来なくてもいい』は選択権の譲渡を表すものではありません。それはつまり、自発的行動の禁止を意味するんです

 もしそうなのだとすれば、千反田家当主の『跡を継がなくてもいい』は『跡を継いではいけない』を意味するのかもしれない。

 「あの子は大粒の涙を流していました。それはつまり涙を流すほどの、それほどのリスクを負ってでも叶えたい願い事があったということです。願うべきことがあるからこそ、向かうべきところがあるのだと、そう思うんです」

 「……千反田」

 「折木さん、わかりますか? わたしにはそれがないんです。願うことが許されないんです。わたしには『鳥籠の中に残りたい』という願いを、できるならこのまま翼を折り曲げて鳥籠の中で息を引き取りたいという願い事を胸に秘めることすら許されていないのです。

 そんなわたしからいつか鳥籠が取り払われ、どこかに飛び立たなくてはいけなくなったとき、果たしてどんな目的地が持てるのでしょうか。

 わたしには涙を流してででも、咽び泣いてでもたどり着きたい場所が、いつかできるんでしょうか。

 そしてそのとき、今日と同じようにまた星が流れてくれるのでしょうか」

 俺の思考は宙を舞う。

 「涙を流してでも叶えたい願いがお前にはあるか」と聞かれたとして、「波風立たない日々が送れますように」としか答えない俺は「ある」とは答えないだろう。それでも例え最終的に引き起る事態が同じであったとして、「願い事がないこと」と「願うことすら許されないこと」が同じであるはずがない。

 "願い事がない人間"が"願うことすら許されない人間"に対して「そんな鳥籠の中に戻りたいのか」と訊くことはついにできなかった。

 

 

 

 もう一度、空を見上げる。放射点から流れる白い尾は音もなく現れ、余韻もなく消えていく。その天幕の切れ目を目にした人は果たしてなにを祈るだろうか。

 あの少年は「お姉ちゃんが高校に合格しますように」と願っていた。

 姉か、俺の姉貴なら何を願っただろうな。

 そういえばと姉から預かった巾着袋を思い出す。携帯電話も、小銭が入ったガマ口も、バスの時刻表も使った。そしてまだ使い切ってないものが1つ残っていた。取り出したのは青いペン、しかも水性だ。

 水性とはつまり"水分で流れる"ということ。

 俺は青い水性ペンのキャップを取り外すし右手で持つと、自分の左目の目尻から頬にかけた部分に押し当てる。水性ペンの柔らかく冷たいペン先の感覚を頼りに、そこに小さい『★』を書きあげる。

 「折木さん、いったいなにを?」

 「まじないさ」

 水性ペンのキャップを静かに閉める。

 「確かに、いまのお前には涙を流してまで叶えたい願いがまだないかもしれない。

 もし5年後、10年後、あるいはもっと先、涙を流す価値のある新しい願い事ができたとしても、残念ながら天幕の向こうから神様が見てないかもしれない。それでも……」

 水分で流れるということは"涙でも流れる"ということ。

 青い水性ペンを千反田に手渡す。

 「願いのために涙を流すことがあれば、そのときだけは左頬に青い星が一筋は流れる。その青い星に願いを込めることは、もしかしたら無駄にならないかもしれない」

 さきほど水性ペンで描き上げた、自分の左頬の青い星を指差す。

 目尻からこぼれた一筋の涙は、重力に従いそのまま左頬を伝う。その涙が水性ペンの青い星をかすめるように流れ、そして消えていく。

 そう、流星は夏の夜空の専売特許じゃない。願い事に涙を流したそのときだけ、左の頬に流星が現れたっていいじゃないか。

 千反田は水性ペンを受け取ると、しげしげとその先を眺める。どうしようかと一度悩むが、俺と同じようにキャップを外しペン先の感覚を確かめるように、そっと左頬に当てた。

 覚束ない手つきではあったが、顔を上げたとき千反田の左頬には青い星がかすかに光っていた。

 それを見て、俺のため息は静かに宵闇に溶けた。

 5年後、10年後、あるいはもっともっと未来の先、俺は訊く日が来るのかもしれない。

 ―――千反田よ、お前の左頬の青い星は流れたか、と。

 

※  ※  ※

 




最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
本章をもって、拙作『青い星は流れたか』は完結いたします。

もしよろしければ評価、コメント等お願いします。
もれなく作者が泣いて喜び、今夜は美味しいビールが飲めることになるでしょう。
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