ゴールドシップが未来に帰ってから三日が経った。
意外だと思われるけど俺は意外と元気にやっていた。普通に朝起きたら飯を食べて、トレセン学園に行って、時間になったら帰宅。普通の社会人となんら変わりのない生活だ。
俺はトレーナーである。その担当しているウマ娘が急にいなくなったら普通はかなり騒動になるのだが、意外なことに何も変化はなかった。ゴルシが言ったように誰もが彼女のことを気にすることなんてありはしなかった。学園はおろかテレビや彼女のファンだった人々ですらも。それを目の当たりにしてようやくゴルシが言っていたことを理解したし、改めて彼女が未来からやってきたことを裏付けていた。
ゴルシがいなくなって逆に残ったモノと言えば、『世界一のトレーナー』なんていう大それた肩書だ。まあ実際のところ日本一なのは間違いないだろうが、世界一はちょっと言いすぎな気もしなくもない。だけど、彼女なら「実際にアタシは勝ったんだからいいんだよ」とか言いそうではある。
先程も述べたように世界一のトレーナーのウマ娘が急にいなくなっても誰も気にはしてない。では、実際にどう補完されたと言えば。
「確認! 次に担当するウマ娘は決まったのかね」
トレセン学園理事長室にて、この学園の理事長こと秋川やよいは何食わぬ顔で告げた。『次に』というぐらいだから、一応は前にいたウマ娘のことを認識はしてはいるようではあった。だけど、そこに何も疑問も抱かないし、今の状況が当たり前のように認識しているようだ。
実際にそれを聞いた俺も少しだけ驚いただけで、変に事を荒立てる気はなかったから普通にこう答えた。
「まあ、その内に。とりあえず今は教師の仕事に専念します」
元々俺は教師としてここに赴任してきて、トレーナーに関しては当時色々あっておまけみたいなものだった。それがゴルシと出会ってトレーナーの仕事に本気で取り組むようになっただけの話。それが今度は普通に教師として仕事をするだけのことだ。
だからまずは教師の仕事に専念しよう。トレーナーの仕事を再会するのはもう少し経ってからでいい。
まだ彼女のことをきっぱりと忘れられるほど俺はよく出来ていないから。
「はぁ……まだ調子が狂うな」
ゴルシが消えてから三日目の夜。仕事を終えて我が家に帰宅後、片手にキンキンに冷えた缶ビールを持ちながらソファーに座り、天井を眺め眺めていた。
教師の仕事はまあ上手くやってる。昔と違うのはクラスにアイツがいないから、かなり静かに授業ができているということ。元々ゴルシの担当になった時点で彼女のクラス担任も押し付けられたんだが、まあ静かな日はなかったと言っておこう。
だからこそ静かに……というかごく当たり前な日常というのにまだ慣れずにいる。いや、まだ彼女が消えたことを本当は受け入れたくないのかもしれない。だからこうして毎晩酒に逃げて、酔いながらゴルシが写る写真を見て思い出に浸っているんだ。
「未来の世界はどういう感じなんだろうな。やっぱSFぽいのか、それとも意外と遠くない未来とかか……」
まるでゴルシに語りかけるように俺は話すけど、返事は返ってこない。
「お前に会いたいよ、ゴルシ」
また本音が漏れる。
今までそんなこと死んでも言わないようなことを、今はこれでもかと言うぐらい言っている。もっとそれを早くに言えばよかった、なんてもう何十回と繰り返している。
──ピンポーン
静寂だった空間に滅多に鳴らないインターホンの音が響いた。
通販で何かを買った覚えもないし、出前か何かを頼んでもいない。となると同じ階の住民か管理人とかだろうか。
しかしだ。そんな誰かに迷惑をかけるようなことをした覚えもない。家賃はちゃんと払っているし、普段は仕事で家にいないから別段近所の人に不快な思いをさせてもいない。
──ピンポーン。
聞かなかったことにして無視しようとしたらまたチャイムが鳴った、
──ピンポーン。
また鳴った。どうやら外の主は引く気はないようだ。
「はあ。こんな時間に誰だよ」
文句を垂れながら渋々限界に向かうことにした……だと言うのにまたインターホンが鳴るのでしょうがなく返事を返した。
「はいはいっ。いま開けますよっ!」
これでもかと言うぐらい嫌味を込めて言ってやった。
玄関まで行って片足だけサンダルを履き、鍵を外して扉を開けた。
「どちら様で……」
「──よ、よう」
玄関を開けた先には先程まで感傷に浸りながら恋焦がれていた……ゴールドシップがトレセン学園の制服を着て、少し気まずそうに立っていた。
アタシの目の前には扉がある。見知らぬ扉ではなくて、散々見慣れた扉……というか玄関。別に知らぬ家じゃないし、むしろ家主の許可など取らず堂々と以前は入っていった。
だと言うのにアタシはたった一枚の扉を開けることに躊躇している。
「──ゴルシ様とあろう者がこんな事でがらにもなく緊張してやがるぜ……」
そりゃあそうだろうなって流石のアタシも思う。
こっちの時間軸で三日目前のあの日、あんな別れ方をしたばかりだというのにもう帰ってきたのだ。これがよくある出張に行っていた旦那が予定よりも早く仕事が終わって戻ってきた、なんて感じなら問題はないけど、アタシの場合はもう会えないような形で別れたわけで。
「いや大丈夫だ。アイツのことだ。きっと嬉しくて抱き着いてくるに違いない、うん」
多くの不安材料はあれど、アイツはアタシのことが大好きなんだ。そんな惚れた女が帰ってきたんだからきっと嬉しくて泣きながら抱きしめてくれるに違いない。
……いやはや我ながら抱きしめてくれる前提で話を進めていることに驚いた。
そりゃあアタシもアイツのことがす、好きだから当然のことだ。だから、全然問題ないっ。うん、そうに違いない。
何よりアイツのためにアタシは色々またやらかして戻ってきたんだ。ちょっとコンビニに行ってくるような感覚じゃなくて、マジでアイツに会いたいから今こうしてここにいるんだ。
「よ、よし……ポチっとな」
初めてアイツの家のインターホンを鳴らしてみた。するとちょっとだけ緊張が解けて気が楽になったような気がする。
……来ないな。寝てるのか。
しかし何も変化がない。時間はもう遅いがまだ寝るには早い時間だし、この時間にアイツはまだ寝ないはずだ。とりあえずもう一度押してみるが何か変わった様子がない。
先程まであんなに浮かれていたのが一転してイライラしてきた。折角帰ってきたと言うのにアタシが想定していたモノと全然違うからだ。
このイライラをぶつけるべく何度もインターホンを鳴らしまくってようやく反応があった。
『はいはいっ。いま開けますよっ!』
……久しぶりに聞いたアイツの声は一瞬にしてアタシのイライラを吹き飛ばして、だけど胸の鼓動が早くなってまた緊張してきた。気づけば髪を整えたり服に変な所がないか見回している。本当にアタシらしくない。
「どちら様で……」
「──よ、よう」
何やってんだろう、アタシ……。
顔を見たら言おうとしていた台詞を忘れてしまい、ついいつものように返事をしてしまった。アイツもアイツでアタシを見た瞬間、目を丸くして固まっていた。
本当に変わってない。いや、たった三日しか経っていないのだから、そんなにすぐ変わるものではないなんて分かり切っていることじゃないか。……スンスン。なんか酒臭い。もしかして酔い潰れようとしてたのか。なんだ、やっぱりコイツもコイツでアタシのことが忘れられないのか。何度も言うけどまだ三日しか経ってないから当然なんだけどさ。
互いに無言のまま10秒か20秒ぐらい過ぎて、アタシは頭が混乱している状態の中頑張って言葉を口にした。
「は、恥ずかしながら帰ってきたぜっ」
……なに言ってんだアタシは!?
そこは普通に「ただいま」とかでいいだろ!? なんでそこで変にいつも通りになっちまうんだアタシは!
頭の中で自分の言ったことを何度も後悔していると、アイツはまさかの行動に出た。アタシは咄嗟に閉まる扉の隙間に足を突っ込んだ。
「って、なんで閉めるんだよ!」
「うるせえ! 人が酔いながら思い出に浸っている最中にいきなり帰ってくるやつがあるか!」
「なんだよ! さっきのシーンは泣きながらアタシを抱きしめるところだろ!」
「ああそうだな。お前が一年後ぐらいに帰ってきたらそうしたかもな。だけど、三日だぞ三日! 帰ってくるのには早すぎるだろうが!」
「本当は嬉しいくせにもっと素直になりやがれ!」
「そっちこそ!」
結局のところ。アタシが想定していたモノより何倍もかけ離れてしまった再会になってしまった。いや、よくよく考えればある意味いつも通りというやつなのでは? とアタシは後になって思った。
近所迷惑になるということで、数分程玄関で戦いを繰り広げてから家の中にそれは移った。お互いソファーの端っこに座り、顔も見ずにそっぽを向きながらどうすればいいか考えていた。
アタシもアタシでやっちまったなぁと思いつつも、いや、コイツが悪いなんて腹を立てていた。だって惚れた女がこうして帰ってきたんだから、もっとこういいムードになってもいいはずだ。なのに今はその逆だ。
苛立ちをなんとか抑えながらアタシは次になんて言えばいいのか考えていると、先に口を開いたのはアイツの方だった。
「すまん……ちょっと大人げなかった」
「……アタシも、その……ちょっと悪いと思ってる」
「は──いや、何でもない」
多分ちょっとっていう部分に突っかかって来ようとしたんだろうけど、折角雰囲気を変えようとしているのにそれをまた掘り起こしてしまうと思ってすぐに訂正したようだ。
まあ、今のはアタシが悪いな。うん。
「でだ。なんでこんなに早く帰ってきたんだよ」
すごく棘のある言い方だった。アタシはムッっとなりつつも、ここは素直になって本当の事を打ち明けた。
「……お前に、会いたかったから……じゃあダメか?」
「ダメじゃない。ただ……早すぎだよこのおパカ」
「ごめん」
今度はさっきと違って優しかった。ちょっとだけアイツの方を向いたらさっきと違って表情は和らいでいて、口角が上に上がっているのが見えた。
するとアイツもアタシの方を向いて言ってきた。
「その、向こうで何かあったとかは聞かないよ。問題はこれからのことだ。また……前みたいに走るのか?」
「いや、それはな……うん、そうしたいのは山々なんだが……」
「おい。なんでそんな歯切れが悪いんだ。確かにお前が消えたらみんなお前のことを忘れたけど、帰ってきたんだから元通りなんだろ。なあ」
「……ごめんちゃい」
実際に聞こえた訳じゃないけど、確かにアタシの耳はアイツの血管が切れたようなそんな音が聞こえたんだ。すると先程のいい雰囲気なんてどこかへ行ってしまい、第2ラウンドが始まってしまった。
しかし、先程違うのは今は静かに切れているということで、ある意味では余計にたちが悪かった。
「それはどういうことだ」
「その、な。戻ってくるために色々と無茶しちゃって、アタシに対する認識阻害って言えばいいのか、つまりはアタシが消えたまんまなんだ」
「……アレか。お前は──」
「お前以外が認識するアタシは、ゴールドシップっていうウマ娘によく似たウマ娘ってことになるんだなあこれが」
隠す必要もないので正直に話すと、アイツは酷く大きなため息を吐いた。だけどそれと一緒に怒りもどこかへ消えてしまったように見える。
アタシだってそんな面倒になることしたくなかったけど、それだけ慌ていたっていうか、戻ってくることに必死だったんだ。それだけは理解してほしいものだ。
「今のお前は住所不定身元不明のウマ娘ってわけだ」
「まあそうなる。あ、戸籍はまあちょこちょこっと弄れば何とかなるかそこは問題ないぜ」
「じゃあまた学園に通って走るのか?」
「オマエがそれを望むなら」
「──いや、いい」
その返答は意外だった。アタシはてっきりもう一度一緒にとか言うと思ってたからだ。
「一応聞いてもいいか。なんでだ?」
「もう十分……いや、たくさんのモノをお前から貰ったからな。それにもう一度お前を指導するのは骨が折れる」
「なんだよ。かわいいかわいいゴルシちゃんとまた居られて嬉しいだろ!」
「ああ嬉しいよ」
「ッ!」
ストレートにそう言われて思わず嬉しくて、胸の鼓動も早くなるし顔がちょっと熱い。鏡がないから分からないけど、多分真っ赤になっているに違いない。当の本人はそんなアタシの顔を見てニヤニヤと『してやった』みたいな顔をしていた。
その顔が非常にムカつくので一言言ってやろうと思ったら、先にアイツがソファーから立ち上がった。
「とりあえずもう寝る。細かいことは明日から考える」
そう言って何食わぬ顔で寝室へと歩いていくのでアタシは慌てて叫んだ。
「お、おい。アタシはどこで寝ればいいんだよっ」
「好きな場所で寝ろ」
背中を向けたままアイツは言って寝室へ入っていった。でも、扉は開けたままで閉めようとはしていない。ウマ娘は耳がいい。それはアタシも例外じゃないから、寝室でアイツが服を着替えて、ベッドに横になった音が聞こえる。
アタシは誰もいないリビングを見渡してまるでそこに誰かがいるように問いかけた。
「……そ、そういうことなんだよな?」
好きな場所で寝ろと言っておいて、寝室の扉は開けたまま。つまりこれは……誘っている、ということでいいはず。
アタシはただ無言で何度も頷きながら状況を整理、確認する。
別にアイツと寝るのは初めてじゃない。最初の夏合宿の時から一緒の部屋で寝泊りしたしいてたから何ら問題はない。
そう、あの時と変わず普通に寝るだけだ……寝る、だけだよな……?
「……」
ゆっくりとソファーから立ち上がり、リビングの電気を消してゆっくりとアイツの寝室へと歩いていく。暗いけど何度も訪れた部屋だから目を瞑っても歩いて行ける。
部屋に入ってアタシは着ている服を脱いだ。着ているはトレセン学園の制服だけで他に着替えも何もない。
アタシはそのままベッドに潜り込んでアイツとは違う方を向いて横になった。
「……」
意外と緊張はしていなかった。むしろ部屋に入るまでの方が緊張していたと思う。こうして落ち着いて近くにいると改めて実感できる。
ああ、コイツといると落ち着く。やっぱりオマエの傍が一番いい。
たった三日離れているだけだった。でも、アイツにとっては三日でもアタシにとっては三日じゃなかったりする。だから本当にこうしてまた会えて、会話して、口論をしたりするのがすげぇ楽しくてしょうがない。
それも有ってだんだんと瞼が重くなって、意識が少しずつ遠のいているのが分かる。
もう寝よう。これからのことは明日また考えればいいや。
しかし、夢の中に落ちていくアタシをアイツの声が呼び止めた。
「──ゴルシ」
「……どーした」
「おかえり」
確かに言ってなかったと言われて気づいた。それは確かに大事な事だ。もっと言えば、本当にアタシはここに、アイツの所に帰ってきたんだとはっきりと認識できた。なんでかわからねぇけど、すげぇその一言が嬉しくてたまらない。
「ただいま」
アタシはそう言ってアイツの背中に抱き着きながら夢の中へと沈んでいった。