二乃の上で、覆い被さるような形になってしまった。
二乃の表情は、一瞬、何が起こったか分からないというような表情になると、すぐにその表情は崩れ出した。
その大きく開いた瞼には、大きな涙の水溜まりを浮かべ、地震の如く揺らしている。
見つめ合った瞳は、まるで焦点があっておらず、まるで、俺の顔の、更に奥を見つめているかのようだった。
俺の脳内には、ある思考が巡っていた。
(俺は勘違いをしていた)
五つ子達全員の顔が、脳内に浮かんでくる。
(このバカ5人と、1人1人向き合うことの難しさと)
(俺自身もとんだ馬鹿野郎である事に)
「不法侵入!変態!」
二乃が思い切り上半身を起こし、俺に罵詈雑言を吐いてくる。
「違う!俺は取りに来ただけだ!」
「撮るって、私の裸を!?盗撮魔!」
「そっちの『とる』じゃなぁぁぁぁい!」
カシャッ
その時、背後でシャッターの切られる音が聞こえた。咄嗟に振り返ると、そこにはスマホを片手に持った五月がいた。
「最低…」
夕焼けをバックに、暗闇に包まれた中立ち尽くしている五月は、どこか貫禄を感じさせた。
顔をしかめ、心をじわっと突き刺すような声に、俺と二乃は呆然としていた。
今、もしこの状況を表すなら、裁判という言葉が1番相応しい。
裁判長一花が、釈然とソファに座りながら、裁判を進行させる。
「静粛に!」
やけに嬉々とした声で、そう叫ぶ一花。何故そこまでノリノリなのか分からないが、表情もとても楽しそうだった。
「裁判長、この写真をご覧下さい」
やけに大袈裟な動作で、スマホに映った、二乃に覆い被さる俺を、裁判長一花見せつける原告側の弁護士五月。
「被告人は、ピチピチの女子高生の裸を前に理性を失い、その欲望を爆発させてしまったのです!」
声高らかにそう述べると、五月は、その細い指を、俺の顔に向けてきた。
「間違いありませんね!」
(間違い大ありなんだが…)
そう心の中で反論するが、今変に反論すれば、逆に疑われる原因となる。
「え、冤罪だ…」
しかし、俺の心を止めることも出来ず、つい言葉に出してしまう。
「はい!裁判長!」
威勢よく右手を突き上げると、二乃は更に追い打ちをかけてくる。
「原告の二乃くん!」
愉しさを含みながら言う一花。
二乃は立ち上がると、俺に指をさしながら述べた。
「被告はわざと部屋を出たように見せかけ、私の裸を撮るために部屋に潜んでいました!」
「よって、こいつのこの部屋への出入りの、今後一切禁止を求刑します!」
「ね、捏造だ!」
そう焦りの混じった声で叫ぶが、その声は誰にも届かない。
「けしからんですなぁ」
呑気にそう言う一花は、ニヤつきながらそう言う。
「一花!」
変に俺の変態属性を上昇されては困るので、食い気味に名前を呼ぶ。
すると一花は、俺から顔を逸らし、片頬を膨らませた。
「さ、裁判長…」
俺をからかうような一花の笑い声の後、俺の右側に座っていた三玖が、静かに右手を挙げた。
「それは違う」
冷静沈着な声に、俺は光を見た。
(三玖、流石だ!)
「フータローは悪人面してるけど、今回は無罪」
(悪人面って…)
俺を少し貶しながらも、弁護してくれる三玖。
「インターホンで私が通した。録音もある。だからこれは不慮の事故」
「裁判長、三玖は自分の個人的感情で被告を守ろうとしてまーす」
三玖をからかう様に言う二乃に、三玖は頬をりんご色に染め、視線を俺から逸らし気味に否定する。
「三玖!俺は三玖が信じてくれると信じてたぞ!」
表情を輝かせながら、三玖に顔を近付ける。
「それ以上近づかないで」
そう、顔を逸らされた挙句、手で俺を制するようなポーズをとる三玖に、俺は驚きを隠せずに、つい心の中で悲しみを叫んでしまった。
「あれ〜その態度はもしかして、警戒してるってことなのかな〜」
体勢を傾かせ、三玖を煽るように顔を覗き込む二乃。
三玖は二乃へと視線を合わせると、冷たくも強い眼差しで答えた。
「別に警戒してない」
そう答える三玖に、二乃は少し感情的に話を展開しだした。三玖も、それと共鳴するように論を綴った。
話が炎を帯出したかと思えた時だった。
二乃が思いっ切りテーブルに手をついたかと思うと、三玖との顔の距離を近づけながら言う。
「私はこいつに裸を見られたのよ!?」
「別に見られて減るようなものじゃない!」
「あんたはそうでも私は違うのよ!」
「2人とも同じような身体でしょ!」
そんな灼熱の炎を散らしながら口論する2人に、無謀にも仲裁に向かう者がいた。
「ふ、2人共落ち着いて…」
「五月は黙ってて」
「てか、あんたも写真消しなさいよ」
光の射さない、ダークな瞳で睨まれた五月は一蹴…いや、二蹴という名のオーバーキルを受けて、虚しくも一花の太ももに飛び込んで行った。
手放された赤いスマホを、さり気なく手に取る一花。
「うーん。三玖の言い分が正しいにしても、普通こんな体勢になるかな〜」
「そうよ!こいつが急に覆い被さってきたのよ!」
一花の一言で勢いを得た二乃は、俺に人差し指を指して、自信ありげに言った。
「それ、本当?」
三玖が俺に疑いの目を向けてきた。
「あ、ああ」
額に冷や汗を流しながら答えると、三玖はそっぽを向いてしまった。三玖の姿は後頭部しか見えないが、恐らくその頬は膨らんでいるのだろう。三玖お得意の『ぷく顔』…。
「やっぱ有罪。切腹」
少しくぐもった声が、俺の耳に伝わる。
(このままでは、俺は家庭教師を続けられなくなってしまう…)
悪魔の様な二乃の顔が、脳裏に焼き付いてくる。
(どうにか否定しないと…)
「棚から…」
擦り消えそうな声で弁明しようとした時だった。そんな俺の声を代弁するように、五月がよく通る声で言った。
「棚から落ちてきた本から、二乃を守った…間違いありませんか?」
「その通りだ!」
テーブルに両手を思い切り付き、五月に輝く瞳を向ける。
「べ、別に、可能性のひとつを考慮したまでです…!」
そう、少し頬を赤く染めながら顔を逸らす五月。
三玖は、一花と五月の座っているソファの後ろに回り込むと、ソファの背もたれに腕を置きながら、写真を確認する。
「確かに」
「そんな!」
流れが俺に傾き出し、二乃が焦りながら叫んだ。宥める一花だが、二乃は俯き気味に言った。
「落ち着きなよ二乃。私達は仲良し五姉妹だったじゃない」
「『私達は仲良し五姉妹だったじゃない』?じゃあ、私は…」
長い、赤紫色のカーテンに隠された二乃の表情は、歯を食いしばっていた。
二乃は顔を伏せたまま、玄関の方へと走り、外へと出ていってしまった。まるで、醜いアヒルの子の様に。
辺りはもう真っ暗。黒い世界に包まれている。
そんな中、あたしを嘲笑うように灯る、マンションの照明の下で、惨めにも顔を埋めて座り込んでいた。
交錯する、様々な矛盾した感情、それぞれのピースが、いずれ1つのパズルを作り出せるように。
(あいつがあたしに覆いかぶさった時、あたしは悟ってしまった…『本当』の気持ちに…)
あたしの瞳から、熱いものが吹き出しそうなのが伝わる。全力で瞼の力を使い、それを受け止める。
(あたしはあいつの事が嫌いなんじゃない…。皆の近くにいる時のあいつが嫌いだったんだ…。皆が、今以上に変わっていってしまうのが怖かった…)
(そして私も…)
今、脳裏に浮かんできた一言。誰でもその言葉を告げられれば、悪い気持ちはしない。『す』から始まる言葉。
それを砕くように、散らばすように、頭の中をぐちゃぐちゃにして、スッキリしたくて。まとわりついて来る、長いこの髪を掻き乱した。
不意に、あいつが現れた。
あいつは、あたしを無視して歩き出したと思ったら、気付けばあたしと反対側で、扉を挟むような形で、その場に座り込んだ。
こんな時でも、あいつは単語帳を捲っている。
「何よ」
今は顔を見たくない。突き放すように、天邪鬼なあたしは吐き捨てた。
「解けない問題があってな。解くまで帰りたくないんだ」
いつものこいつなら、こんな反応は示さない。ましてや相手はこのあたし。三玖ならまだしも。
「本当はあいつらの事が大好きなんだろ?」
こいつは、あたしの心を見透かしたように言う。実際その通りだけど…。
「だから部外者である俺を、あいつらに近付けさせたくない。だから邪魔をするんだろ?」
「ええそうよ!」
全部正解。だから隠しても意味ない。
あたしは、嫌味とかなしに、心からそう叫んだ。でも、心に負った劣等感は、癒えることはない。
「でも、あたしだけが変われない…。何者にもなれない…」
雛達が巣立っていくように、五つ子は変わっていった。ゆっくりにも思えたし、とても早くも感じた。
皆、それぞれの個性を導き出していった。でも、あたしだけは…。
「それもまた、二乃の個性なんじゃないのか?」
その時、単語帳に視線を向けたまま言われた。その言葉で、あたしの心の鎖が、1本裂ける音が響いてきた。
「あいつらを守りたい…大事な家族を守りたい」
「そんな感情は、誰もが持っているものだ」
「それが人一倍強い。それだけでも、十分な個性だと思うぞ」
あたしは、少し口角を上げた。あいつに見せないように。そして見透かされないように、わざと声色を強くして。
「よし、決めたわ!」
埋めていた顔を、勢いよく上げた。
自分を勇気づけるために、わざと上を向いて、暗闇の広がる世界に、太陽を昇らせるように。
「あたしはあたしの生き方でいく。誰にも邪魔はさせないわ。特にあんたはね!」
左手の人差し指を、輝く宝物に、無邪気に指差す子供のように、あいつの顔へ向けた。
「ちょっと待っ…」
「勝手にしなさい」
「え?」
「認めたくはないけど」
あんたが家庭教師をする事じゃなくて、高鳴るあたしの心臓を。