「お客さん…お客さん!」
左頬や手にあたる感触は柔らかい。聞き覚えのない声を聞き、まだ重い瞼を擦りながら開けると、そこには見たことも無いおっさんがいた。
(まさか…タクシー?一体なぜ…まさかあいつが…)
二乃に睡眠薬を盛られたことに気づいた俺は、静かながらも煮えたぎった怒りが腹の底から湧いてくるのが分かった。
「ここ、どこ?」
「どこって、お客さんのお家でしょ?」
ふと金額表示のモニターを見る俺。そこには…。
「4800円になります」
(4800円!?そんな大金…)
「カードで」
俺でも、おっさんでもない別の人物の声と共に、座席の隙間から細い女性の腕がカードを出すのが見えた。体をずらし、そいつの正体を確認すると…。
「五月!?」
ダサい2つの星型のピン、赤い髪とアホ毛。間違いなくそれは五月だった。
「何でお前が…?」
そう問いかけるが、運転手に早く降りるよう促され、詳しい話を聞くことは出来なかった。
「これに懲りたのなら、もう家庭教師はやめてください」
車外に出た俺は、車窓を開けている五月に言う。
「それは出来ない」
五月は変わらず、冷たい目で俺を見ている。その時、家のドアが開く音がした。小さい足音が近付いてくる。
「お兄ちゃんおかえり!カレーもう出来てるよ!」
妹のらいはだ。肩より伸びた黒髪に、頭からちょこんと生えた長いちょんまげ。澄んだ瞳。
らいはは車内に乗っている五月に気付くと、持ち前の可愛さで言った。
「もしかして教え子さん?良かったら、うちで晩御飯食べませんか?」
五月と俺は困惑した表情を浮かべる。
「らいは…」
俺が止めようとるすると、らいはは目に涙を浮かべ、五月をじっと見つめる。月明かりでよく映える。
「ダメ…ですか…?」
五月の瞳が大きくなったかと思うと、まるで心臓を撃ち抜かれたかのように仰け反っていた。仕方なく五月を部屋にあげると、小さいちゃぶ台を俺、五月、らいは、父の勇也で囲む。五月はどこか居心地が悪そうで、俺も自分の家なのにどこか落ち着かなかった。
父さんは牛乳をずるずると汚い音をたてながら飲んでいる。
「プハー!それにしても、風太郎がまさか女の子を連れてくるとはな!」
声質こそ渋いが、父さんの性格と口調のせいで、どこかチャラい声で俺をからかう。
「父さん!」
俺に耳を貸すつもりは無い。
「それに風太郎、もっと食べねぇとな!そんなに細かったら、父さん見てぇにモテねぇぞ!」
そう言って自慢の筋肉を見せびらかす父さん。父さんとは顔のパーツこそ似ているが、父さんは金髪で髪型も俺より崩している。対して俺は黒髪で、頭には子葉の様な可愛らしいアホ毛?が生えている。
「ん、このカレー美味しいです!」
そう言って銀に光るスプーンでカレーをすくって食べる五月。俺は冷めた表情をしながら吐き捨てる。
「お嬢様の口に庶民の味が合うかね…」
するとらいはが木製のおぼんで俺の頭を叩く。恐らく手加減はしているが、結構痛い。叩かれた振動が頭全体を伝う。お盆を片付け、俺と父さんの間に座ったらいはは、無邪気な笑顔でカレーを食べ始める。
らいはがふと聞いてきた。
「そう言えば、今日の家庭教師はどうだった?お兄ちゃん」
俺と五月の顔が強ばる。スプーンを止めた五月は、真剣な顔になる。
「その件についてですが…」
何を言われるか察しのついた俺は、強引に五月の肩を持つと、無理矢理距離を縮めた。五月の肩の柔らかさが伝わってくる。
「あー!もちろん上手くやってるぞ!な、五月!」
そう、無理にでも笑顔を作って五月を強引に誘導する。五月が小声で俺の左耳に耳打ちする。
「で、でも…」
五月の声が、五月の吐く空気と混ざりながら耳に入ってくる。俺はらいはに聞こえないよう五月の右耳に耳打ちする。
「らいはが悲しむ…」
五月は少し納得のいかない顔をし、またもスプーンでカレーを口に運ぶ。その時、ふとらいはが口にした。
「これで借金問題も解決だね!お兄ちゃん」
無邪気な顔で言うらいはを少し注意する俺。食事も終わり、五月が帰る時刻になると、俺は五月を見送ることになった。玄関までは父さんとらいはもついてきた。
「五月ちゃん、いつでも来ていいぞ!父さんは大歓迎だからな!」
するとらいはが、急にシリアスな口調で言い出した。
「五月さん…」
俺と五月がその声に反応する。
「また来てくれるよね…?」
その目には薄らと涙を浮かべている。下瞼に溜まり、大きく震えている。そんならいはを見た五月は、少し手を組み、肩に力を入れて腕を下の方に伸ばすと、満面の笑みで言った。
「えぇ、もちろん」
らいはの目に浮かんでいた涙は、まるで嘘かのように引っ込むと、いつものらいはの笑顔に戻った。その天使のような笑顔で、俺の悪口を言い出す。
「ありがとう!五月さん。お兄ちゃんはクズで自己中で、どうしようもないけど…」
俺と五月は困惑の表情を浮かべる。
「けど、もっと良い所もたくさんあるから、よろしくね、五月さん」
俺と五月も、そっと笑顔に戻ると、最寄りのバス停へと歩き出した。道中、ずっと単語帳をめくる俺。道を照らす街灯は、車道側を歩く俺を淡く照らした。内側を歩く五月は、そんな俺に話しかけてきた。
「こういう時も勉強勉強なんですね。呆れました」
俺はそんなのも無視して、単語帳を解く。五月もそれ以上話すことは無駄だと感じたのか、俺から目を逸らして歩き続ける。
5枚目の問題を解き終わった頃だろうか。目の前にある電柱に気付かず、頭をぶつけてしまう。
電柱の冷たい感触が頭から全身へと伝わっていく。
衝撃で単語帳を離してしまい、単語帳が五月の方へ転がっていく。それを拾った五月は、尻もちをつき額をさすっている俺にその単語帳と顔を近づけてきた。五月の少し丸っとした頬が、照明で照らされ微かに光る。その深い青さを含んだ瞳で、五月は俺の目の奥を見つめてきた。
「この英文。答えてください。英語は私、得意では無いので」
五月が指す英文の意味は、ざっくり言うと愛を伝えるもの。答えるのが恥ずかしかった俺は、適当に答える。
「もう私に近づかないでください…だ。これでいいか」
そう立ち上がると、五月から単語帳を取り上げる。すると五月は、頬を風船のように膨らませながら言った。
「嘘はやめてください!そんな単語は1つも入っていません!私も勉強してるんです。馬鹿にするのはやめてください!」
俺は少し溜め息を吐くと、もう一度単語帳を解きながら歩みを進める。
「いいから行くぞ」
五月は少し苛立ちながら歩みを進めている。
かれこれ3分経つと、俺たちはバス停についていた。バスが来るのを待つ俺と五月。
普通の高校生なら、男女2人っきりでこの状況だと、恐らく意識はするだろうが、俺には全く興味がない。恐らく五月も同様だろう。
時刻表を確認すると、次のバスまでは5分。バス停の灯りが、2人を優しく照らす。
「事情は分かりました。ですが、私は認めたわけではありません。家庭教師をするのでしたら、勝手にしてください。私は授業を受けませんが」
五月からの思わぬ発言に驚く俺。気づいたら五月の両肩をがっしりと掴んでいた。柔らかい感触が両手へと伝わる。街灯の薄青色の灯りが、俺と五月の顔を青く照らす。
「今、家庭教師はしてもいいって言ったよな?そして、勝手にしろって!」
そう五月の肩を揺すりながら興奮気味に言う俺に、若干困惑しながらも頷く五月。青く照らされてもなお赤い髪が、縦に揺れる。
「まじか!五月サイコー!」
(そうだ。五つ子全員の卒業が条件。赤点候補の奴のみ教えればいい!)
「明日午後1時に、また行く!全員を集めておいてくれ!」
テーブルを囲んで、トランプをしている私、二乃、三玖、四葉。今は大富豪をしている。
「よし!Kのツーペアです!」
四葉が場にKを2枚出している。まあまあ強い…。だが私は今、エースを1枚、そして、どんな数字にも対応出来るジョーカーも持っている。ハートのエースとジョーカーのペアで場に出す。2枚の固いカードが、指を離れる感触と共に軽い音を立てて場に出る。照明が、そのペアを明るく照らす。眩しい。
「一花、それズルい!」
「何がずるいの二乃。ちゃんとルール通りに一花はしてる」
「まぁまぁ、楽しもうよ、大富豪」
またも言い争う三玖と二乃を穏やかになだめる。
「それにしても五月、遅いわね」
「ね〜」
二乃が五月の事を話題に出す。そう言えば、もう1時間くらい経つ。時計の針が、どんどんと右回りに回っていく。
「フータロー、知ってるのかな」
「知らないだろうねぇ〜」
「私達全員が、落第寸前で転校してきたこと」