三玖が答えを言ったかと思うと、三玖は手すりの上を華麗に滑っていく。まるで風のような速さで。
(あいつ、また逃げる気か!いっつもそうだ。あいつらは逃げてばかり…勉強からも、俺からも!今度こそは逃がさない!)
階段を駆け下り、三玖の後を追う俺。三玖は植え込みの角を右に曲がっていく。俺も走りながら角を思いっ切り曲がった時だった。
視界が一瞬で真っ暗闇になったかと思うと、顔に伝わるのは柔らかい感触…。まるでクッションの様だった。
衝撃で跳ね返り、ぶつかった相手の顔を見てみると、それは、四葉だった。緑のリボンを付けた四葉は、俺の顔が四葉の胸に埋まったのも気にしていない様子だ。
「わお!上杉さん。あまり急ぎすぎちゃダメですよ、危ないですからね」
「ああ、四葉!三玖を見なかったか?」
そう尋ねると、四葉は渡り廊下の入口を指さした。
「三玖なら、あっちの方に行きましたよ!」
「おお!せんきゅ」
そう言ってその入口へ向かう俺。校舎内に入り、走って三玖を探そうと角を曲がった時だった。
「わお!上杉さん」
「四葉!?」
「あまり急ぎすぎちゃダメですよ、危ないですからね」
何故かさっきぶつかったはずの四葉に出会ってしまう。両手には大きな段ボールを抱えている。てことは…さっきのは…。
「四葉、さっきお前のドッペルゲンガーを見たぞ。気を付けろ。絶対に会うんじゃない。死ぬぞ」
「えぇ!まだ死にたくないです私!」
「それじゃ!」
そう言って、急いで三玖を探しに行こうとする俺。四葉を追い越し、三玖を探しに行く。
その時、後ろで何やら大きな物の落ちる音が聞こえた。
「いたたたた…」
振り返ると、四葉が荷物を落としたようだ。左手を押さえているあたり、壁とぶつけたのだろう。
「あーもう!しょうがない。手伝ってやるよ」
急いで蹲っている四葉のそばに駆け寄ると、四葉の左手を見る。特に目立った外傷はない。
「大丈夫か?」
「はい!大丈夫です!」
やけに元気が良く、どこか焦点の合ってない目で言う四葉。俺はそんな事気にせず、段ボールを持ち上げようとするが…。
「重!」
重くて持ち上がらない。
「じゃあ、2人で運びませんか?向こうの校舎の1階の空き教室に運ぶだけなので、すぐですし」
四葉がそう提案するが、俺は四葉の左手を案じて首を振る。
「大丈夫だ!俺1人で…ッッッ…」
持ち上がらない…。変に汗をかき、段ボールを濡らしてしまいそうだ。
「怪我してませんし、大したことないから大丈夫です!」
「じゃあ、手伝わなくて大丈夫だな!」
そう言って三玖を追いかけようとするが、四葉に呼び止められる。
「あー!待ってください!一緒に運びましょうよ!2人の方が直ぐに終わりますし!」
なんやかんや言って手伝ってくれる上杉さん。いつもの目は冷徹極まりないけど、最近、どこか人間味が増してきたと思う。夕焼けで朱く照らされた廊下を、2人段ボールを持って運ぶ。そんな何気ない時間が心地良い。
「どうして三玖を探してたんですか?」
そっと瞳を覗き込む。夕焼けで輝く瞳が、どこか上杉さんの目に温かさを加える。
「勉強のことだ」
必要最低限のことしか言わない。会話も続かない。けど、それで良い。一緒にいられるだけで良い。
「まさか上杉さんが自分から手伝ってくれるとは思いませんでした!」
微笑みながらそう語りかけると、上杉さんはいたって表情を変えずに言う。
「四葉には、恩も少しあるしな」
「恩?」
なんの事か分からず、首を傾げると、上杉さんは説明しだした。
「最初の授業の日、協力してくれただろ。ま、次の日すぐ逃げて、更にはテストの点も1番低かったが」
そう冷たく言う上杉さん。私は微笑んだままで、上杉さんを見つめながら荷物を運んでいく。長く続く廊下を、たった2人で占領している気分だった。窓から伸びてくる朱い光は、廊下を明るく照らしていた。暫く沈黙が流れるが、私がその空気を断つ。
「私の顔、どこか見覚えありませんか?」
含みのある声色で尋ねる。上杉さんはそんな唐突な質問に、困惑している様子。
「なんの事だ?急に」
当たり前の反応だ。上杉さんの眉が少し下がるのが分かる。
「実は…私と上杉さん…昔1…」
言いかけた時、鈍い音が廊下に響いた。2人だけしかいない廊下では、よく響く。衝撃が壁をも伝わっていく。
「痛っ!」
上杉さんが後ろ歩きだったせいで、頭をぶつけてしまった様だ。
「もう上杉さん、何やってるんですか!」
そう、笑いながら言う。
上杉さんは衝撃で段ボールから手を離してしまった。負担が一気にかかってくるが、そんなのお構いなし。しっかりと負担を受け止めると、私は目的の教室へ向かう。
「上杉さん!置いてっちゃいますよ〜!」
上杉さんが、後頭部を押さえながらゆっくりと立ち上がったかと思うと、顔をしかめながら私に言い放った。
「全然大丈夫じゃねぇか!」
まるで悲痛な叫びかのように声を響かせながら言う上杉さん。誰もいない廊下はよく響く。
「あはは〜すいません。嘘ついてましたぁ…」
上杉さんは呆れたように溜め息を吐くと、いつもの冷たい目で私を見る。怒られるかな…。そう心が縮こまっていたが、そんな心配は必要無かった。
「なら、三玖探していいか」
別に何とも思ってなさそうに言う上杉さん。私は頷くしかない。
「じゃ、気をつけろよ」
上杉さんは、そう言い残すと、三玖を探しに行ってしまった。薄暗さと夕焼けが混じり合う放課後の廊下、私は1人寂しく荷物を置きに行った。
(思うようにいかないなぁ…)
(ちょっと疲れたな…)
フータローから逃げたため、少し疲れた。運動はこれっぽっちも出来ない。休憩しようと近くのベンチに腰掛ける。ぼーっと目の前に広がる夕焼けを見つめる。空いっぱいに広がった朱い夕焼けと、それを包み込む雲が、私の心を落ち着かせる。
「三玖!やっと見つけたぞ」
不意に声が聞こえる。私のリラックスタイムは突如崩壊した。声のした方を恐る恐る見ると、そこにはフータローが立っていた。私は何も言わず、無言で立ち上がると、すぐさま駆け出した。
「ああ!おい待て!」
後ろでフータローの声が聞こえる。それと同時に、後ろでフータローが走る音が聞こえる。私は無我夢中に走り続けるが、フータローも執念で追いかけてくる。
校舎を半周したぐらいだろうか、もう既に2人とも結構バテていた。私を照らす夕焼けのせいで、とても暑い。
「はぁ…はぁ…何でここまでするの?」
息苦しくなりながらも質問する。後ろからは、はぁ…はぁ…という息遣いが聞こえてくる。恐らくフータローもバテてきている。
「それは…いや、そんな事今はどうでもいい。戦国クイズだ、戦国クイズ」
(まだ言ってるの…)
そう思いながらも、体はとうに疲れ切っている。しかし、止まればフータローに捕まってしまう。ほぼ歩いているかのような速度でも走り続ける。
「俺はこの3日間、図書室の武将関連の本、全てに目を通した!今ならお前と、対等に話せる自信がある!」
「どうせ嘘でしょ…そうやってまた私を騙そうと…」
「それは悪かった!でも、今は嘘なんかじゃない!本当だ」
フータローの必死な声に、私はちょっと応えてみた。
「武将しりとり、龍造寺隆信!」
既にヘトヘトだけど、頑張って声を出す。額を伝う汗が、すっと頬を滴り落ちていく。
「ふでも良いんだよな?福島正則!賤ヶ岳の七本槍の、一番槍として名高い武将だ!」
そう自信満々に答えるフータロー。まさか、その人物の情報も簡単に言ってくるとは…。少し期待を寄せ、しりとりを続ける。
「金森長近!」
「河尻秀隆!」
その間にも、どんどんとしりとりは続いていった。気付けば校舎の周りをほとんどまわっている。
「か、片倉小十郎」
「上杉…景勝」
「津田、信澄」
「三好…長慶」
「島津…豊久」
「真田、幸村!」
お互い息はもうとっくに上がっていた。振り絞って出していた声も、なかなか出ない。私は限界を迎え、近くの芝生に倒れ込んだ。柔らかい芝生が優しく私を包み込んでくれる。
(どうして、ここまでできるの…?)
芝生に仰向けになりながら、朱く染まった空を見上げる。フータローはすぐ側で両膝をついて座り込んでいる。
「俺と張り合えるほどの足とは、大したもんだ、三玖…」
息をあげながら言うフータロー。私も、激しく肺を膨らませたり縮まらせながら言う。
「私、クラスで1番走るの遅かったんだけど…」
そんな会話をしながら、私は上半身を起こすと、靴を脱いだ。そのまま履いている黒タイツを脱ぐ。
「ちょ、三玖?!」
フータローは頬を少し赤く染めている。
私は構わず黒タイツに隠れていた薄肌色の肌を見せつけると、裸足のまま黒い学生靴を履く。
「飲み物買ってくるわ…」
フータローはそう言うと、飲み物を買いに行ってしまった。私は日陰にあるベンチに座ると、ぼーっと景色を眺めていた。
不意に、左頬が冷たい感触に襲われた。
「ひゃっ!」
思わず踏まれた猫のような声を出してしまう。
「すまんすまん」
そう笑いながら言うフータロー。あの日の私と同じように、私に抹茶ソーダを差し出しながら言った。
「110円の出費は痛かったが、このくらいなら許してやろう。安心しろ、鼻水なんて、入ってねーよ」
私はそっと笑顔になると、抹茶ソーダを受け取る。手に伝わる冷たさが心地良い。
「石田三成が、大谷吉継の鼻水の入った茶を飲んだ逸話だろ」
フータローは私を見下ろしながら言う。その瞳は、なんだかすごく温かい。
「この逸話に辿り着くために、一体いくらの本を読んだことか…」
日陰といえど、多少なりとも射し込んでくる夕陽は、フータローの左半身を薄らと照らす。
「ま、最後は四葉にスマホで調べてもらったんだがな」
その一言を聞き、私は眉をひそめ、フータローを睨みつける。
「もしかして四葉に言ったの?私が武将好きって」
たじろぐフータロー。
「いや、言ってないが…」
少し安心した。フータローは続け様に私に質問する。
「てか、姉妹に知られても嫌なのか?武将好きって」
わたしは抹茶ソーダを右側によけると、靴を脱いで裸足のまま、ベンチに両足を上げた。体操座りで顔を埋める私。前髪が私の顔をベールのように隠す。私の目の前に立っているフータローに言う。
「ダメだよ…だって、わたしが姉妹の中で1番の落ちこぼれだもん」
そう悲壮的な私を、フータローは慰めてくれる。
「そんな事ないぞ。だって現に、テストでは1番点数が良かったじゃないか」
「優しいね…フータローは」
フータローは少し戸惑いながらも言う。
「ま、まあ、どんぐりの背比べではあるがな!」
私は顔を埋めたまま、殻に閉じこもったまま、フータローに語りかける。
「私達は五つ子…。だから私が出来ることはみんな出来る。だから勉強できたって意味ないんだよ…」
その時、フータローは力強い言葉で言った。
「俺の仕事は5人の家庭教師だ。だから、5人全員に笑顔で卒業してもらう必要がある」
熱く語るフータロー。少し私も心が動くが、やはり卑屈な私は心を開ききれない。
「でも、5人全員で100点なんだよ?そんなので、笑顔で卒業なんて」
「そう。5人で100点。だからこそだ」
私は何を言いたいのかわからず、じっとフータローを見つめる。
「俺も三玖の言う通りだと思っていた。昨日までは、な」
そう1人で語り始めるフータロー。
「ただの、5人で平均点20点の問題児だと思っていたが…。三玖の一言で、自信がついたよ」
そう、私に優しい微笑みをかけるフータロー。
「自分ができることはほかの4人にもできる…。裏を返せば、4人が出来ることは自分にも出来るってことだ。一花も、二乃も、四葉も、五月も」
フータローは、私に微笑みながら、優しく力強い言葉で言った。
「そして三玖、お前もだ」
その時、閉じこもった私の何かが、砕ける音がした。私の世界が明るくなった。埋めていた顔も、気付けば上がっていた。しっかりとフータローの瞳を見つめていた。今は、私の瞳も今のフータローのように、輝いているのだろうか。
「これを見てくれ」
そう言って、フータローはポケットから何やら紙を取り出した。私の右隣に置かれたそれを覗き込む。
「前のテストの結果表だ。何か気付かないか?」
綺麗にまとめられた表で、とても見やすい。じっと目を凝らしてみていると、あることに気付いた。
「全員、正解してる問題が違う…」
「てことはだな。三玖の言うことが正しければ、全員100点の潜在能力を秘めているって事だ」
そう興奮気味に言うフータロー。私はその紙を見つめたまま、小さく唇を動かした。
「五つ子を過信し過ぎ…」
少し微笑みながら。
昼休憩、図書室で勉強をしている俺と四葉。6人ほど座れるはずの椅子は、1つしか埋まっていない。正確には2つ分だが。
「他の4人もお前くらい勉強熱心だと助かるんだがな〜」
そう不満そうに漏らすと、四葉は苦笑いしながら答える。
「一応、全員に声はかけたんですけどねぇ〜」
その時、後ろで図書室の扉が開く音がした。
「どうやら私一人だけじゃないみたいですよ!」
俺はその言葉を聞き、振り返る。そこに立っていたのは、頬を赤く染め、恥ずかしそうに立っていた三玖がいた。
「ね!三玖!」
三玖は無言のまま本棚へ向かうと、そのまま屈みこんだ。数冊の本を手に取ると、その本を棚の上へ置きながら立ち上がる。紙をめくる音が小さく響き渡る。
「私、ちゃんと勉強してみることにした。昨日のフータローの言ったこと、信じるよ。5人全員を、笑顔で卒業させる…。4人が出来ることは私にも出来る…」
三玖は振り返ったかと思うと、少し体を傾け、手を後ろで組みながら言った。
俺に、その生き生きとした、ラピスラズリの様な瞳を向けて。
「責任、とってよね」
窓から射し込む光が、三玖を輝かせていた。まるで光のシャワーが降っているかのような程、三玖の周りは輝いていた。三玖の笑顔は、とても眩しかった。
「三玖の好きな人って…もしかして上杉さん!?」
そばに寄ってきた四葉が、唐突に聞いてくる。私は頬を染め、顔を背ける。必死に表情を押さえようと頑張る。
「ないない」
(こういう時は一花のつもりで…!)
そう心の中で自分を言い聞かせ、少し笑いを含ませながら答える。
フータローは私達が何を話しているかも知らず、不思議そうに私達を見つめていた。