五つ子達の住むマンションの玄関で、俺は1人あるものと戦っていた。
「くそっ!お前さえも俺の邪魔をするのか!」
向こう側が透ける透明な扉。何をしても、うんともすんとも動かない。
何もできない俺は、やけくそで顔をへばり付けさせながら叫んだ。冷たさが顔全体に広がってくる。
力なく顔を扉から離すと、近くの監視カメラに視点を移す。
俺よりも、はるか高い位置から、赤いランプの灯る監視カメラは、無機質に俺を見下ろしていた。
「すいません。ここに住んでいる中野さんの家庭教師をしています、上杉風太郎です。ここの扉、開けて貰えませんかね?」
扉に向かって指をさしたり、手を振ったりして反応を求めるが、カメラは全くの反応を示さない。
「こんな所で何してるの?」
ふと後ろから声が聞こえた。振り返ると、そこには三玖がいた。
小豆色のロングヘアーに、三角形のロゴが入った青いヘッドホン、年中履いているであろう黒タイツ。間違いなく三玖だ。
「今時オートロックも知らないの?」
そう呆れたように言う三玖に、俺は目を逸らしながら情けなく知ったかぶりを披露する。
「いやっ!別に!知ってるし」
三玖は力なく溜め息を吐くと、玄関の右奥の方にある、銀色の入力機へと向かっていった。
鞄から黒と白で塗られた、高級感のあるカードを取り出すと、それを横に広い差し込み口のような場所に挿した。
すると、さっきまで俺を阻んでいた扉は、まるで三玖の帰りを待っていたかのように素直に開いた。
「ここで私達の部屋番入れてくれたら、私達がドア開けるから」
素直に開いた扉に驚いている俺に、小さく溜め息を零したかと思うと、三玖は扉の先のフロアへと進んで行った。
俺がぼうっと佇んでいると、三玖が前髪のカーテンを靡かせながら振り向いた。今までの三玖とは少し違う、生き生きとした表情で。
「どうしたの?するんでしょ。私達の家庭教師」
五月の部屋を軽くノックすると、肩を涼しげに出したレッドの服を着た五月が出てきた。
体を半分ほど出した五月は、相変わらず猛犬のような顔で俺を静かに睨んでいる。
「やはり来ましたか…。勝手にしてください」
不器用に口の右端を浮かせ、小さく笑いかけるが、反応無し…。
続いて四葉の部屋にも向かう。
「おー!こんにちは、上杉さん!今日も家庭教師ですか?」
明朗快活な四葉のオーラに押され、またも不器用に微笑みを浮かべながら、続いて二乃の部屋をノックする。
「…」
二乃は、扉から4分の1程度体を出したかと思うと、勢いよく扉を閉じてしまった。俺は思わず怖くなって、体を反りあげながら後ずさってしまった。
そして…。
「一花、どこ〜?見当たんないよー。白い服だよね?」
人が踏み入っていいのかと、躊躇してしまう程洗練された汚部屋…。
消灯時間が恐らく日本最長であろう一花の部屋で、珍しく灯された照明に、一花は眩しそうに瞳を閉じながら、四葉に色々検討のつく場所を教えている。
「一花!なんでこんな下着を!?」
何事かとまぶたをゆっくりと開いた一花は、苦笑を浮かべながら言った。
「あ〜、まあ。もう高校生だからね〜…」
歯切れ悪く言ったかと思うと、お得意の、他人へとフォーカスした話題にジョブチェンジする一花。
「四葉も、小学生の頃のパンツは捨てないとね〜。そうだ!同じ顔なんだし、四葉にもそれ、似合うんじゃないかな〜」
そう片まぶたをつむらせて言う一花。四葉は動揺しながらも、その『大人の下着』を、自分の胸元に寄せて、俺に恥ずかしそうに見せてきた。
「ど、どうです上杉さん…似合いますか…」
両目をつむり、ぎこちなく胸元に、黒い『大人の下着』を持っている四葉。頬が桃色に染まっている。
「何でもいいから服を着てくれ」
そんな物に無関心な俺は、部屋から出ていきながら、尻目に四葉と一花を見ながら言った。
四葉はリスのように頬を膨らませると、目を釣り上がらせながら言った。
「もう!上杉さんのオシャレ下級者!」
今リビングに居るのは、二乃を除いた4人。それぞれソファの上に座ってくつろいでいる。
(今日も全員集まらなかった…だが、初日と比べればとてつもない進歩だ!)
脳裏には、無邪気な子供のように俺を追いかけ回す、二乃を除いた4人が浮かんでくる。
(こいつらも人の子…優しく接していれば、いつか心を開いてくれるはず!)
「あっれ〜、まだいたんだぁ。てっきり寝ちゃわないようにねぇ〜」
不意に聞こえてくる声。
咄嗟に上を向くと、そこには、偉そうに手すりで頬杖をついている二乃がいた。その悪意の籠った瞳で、妖しく俺を見下ろしている。
(あれはお前が薬を…)
怒りが喉元まで上ってきていたが、寸前で飲み込むと、二乃へ不自然な笑みを浮かばせながら言う。
「どうだい二乃!二乃も一緒に勉強しないかい?」
二乃は浮かべていた悪笑を沈めると、細めた瞳のまま言った。
「誰があんたなんかの授業受けるのよ」
耳へと流れ込んでくる声を、俺の脳は怒りでしか情報処理できなかった。
頭の血管という血管が、沸き立つマグマでも流れているかのようなほど浮き上がり、今にも噴火しそうだった。二乃は左へと移動し、優雅に階段を一段一段降りていく。脚を完全に隠した白い靴下を履いた脚が、着実に俺達のいるリビングへと近付いてくる。
赤紫色の、縁が黒く飾られたスカートが、風を華麗に受け流しながらそよいでいる。
最後の段を降りると、二乃は四葉に悪魔の囁きを…。
「あら、大変!バスケ部の部長から、こんな連絡があったんだ〜」
四葉を捉える視線は、俺へと向ける視線とそう変わりないのが分かった。
「なんでも、5人しかいない部員の1人が骨折で、試合に出られないかもなんだって〜。このままだと大会も出れないかもしれないんだ〜」
四葉は、日に照らされた薄肌色の唇を、そっと口の中にしまった。
「四葉、あんた運動できるんだし、行ってあげれば〜」
俺は四葉の方を向くと、確信を持つために語りかけた。
「四葉、そんなの、行かないよな…?」
俺を見つめる四葉は、俺への謝意と、葛藤で凄く強ばっていた。太陽が、より鮮明にその表情を映し出す。
「すいません!上杉さん!困っている人を、放ってはおけません!」
オレンジの髪が、波のようになびいたかと思うと、四葉は俺に向かって頭を下げていた。
そのまま、スーパーカーかのような速さで玄関の方へ向くと、そのまま走り出してしまった。
視界の外に映る二乃の表情は、小さく綻んでいた。
「そういえば一花、今日2時からバイトって言ってたわよね?」
「あ!いけない、忘れてた!」
そのまま一花も消えてしまう。
「五月も、こんなとこより図書館とかで静かに勉強した方が良いんじゃない?」
「それもそうですね」
五月も、階段の傍の机の上に置かれた教科書をまとめると、リビングから姿を消してしまった…。
「よーしお前ら、授業を始めるぞー」
俺の瞳は完全に空虚を捉え、口の動きもおろそかで、声は完全に震えていた。
「フータロー、現実を見て。もうみんな居ない」
目の前に座っていた三玖は、立ち上がったかと思うと、俺の顔を、じっと見つめながら言った。
俺を憐れむような目を見つめると、三玖の瞳の鏡に映る俺が、とても惨めに見えた。黒い世界の俺は、何とも間抜けで哀れな顔をしていた。
(二乃の奴…毎度毎度邪魔をしやがって…)
怒りで釣り上がる目で、三玖の肩越しに見える二乃を密かに睨み続ける。
得意気な二乃は、純白のテーブルの上で、頬杖をつきながらニヤついている。
「あれ〜、三玖。まだいたんだぁ」
不敵な笑みを浮かべたまま、座っていた椅子を膝裏でどかしながら立ち上がる二乃。意地の悪い声色で、三玖を怠惰へと誘惑する。それでも動じない三玖に、二乃は別の方法で俺と三玖を引き離そうとする。
「あんたが勝手に飲んだあたしのジュース、さっさと買ってきなさいよ」
ゆっくりと小さい歩幅で迫ってくる二乃は、その豊満な胸に腕を乗せるようにして組む。三玖の顔を右斜め下から覗き込みながら、その小さい口を器用に使って言う。しかし三玖は、二乃の事を無視するかのように机の方を向いて言い放った。
「ジュースならそこに置いてる。そんな事より授業しよう」
そう言って俺に、青さを含む深い瞳で語りかける。優しく俺を諭すように。
「ああそうだな。切り替えていこう」
俺もその合図に応え、二乃の寂しげな背中の後ろを通り過ぎていく。
俺の影に埋まった二乃をふと見てみると、ピンクとスカイブルーのコンビネーションで飾られた、キャンパスのような爪を持つ右手は、深緑に飾られた缶ジュースを持っていた。
「抹茶ソーダって…」
二乃の困惑した、囁き声が耳にそっと流れ着いてくる。
俺はそんな二乃と抹茶ソーダに構うことなく、三玖の傍に立った。淡白に染められた水色のシャツは、三玖の胸をゼラチンの如く揺らしながら、俺の方を向いた。そんな危険物を揺らしながら、三玖は何食わぬ顔で俺を見上げる。
「まずは、鎌倉時代からやってみようか」
真剣な眼差しで見つめ合う2人に、二乃が横槍を入れてこないはずも無く…。
「ちょっと待って!いつからあんた達そんなに仲良しになったの?!」
思い通りにいかず、冷静さを欠きながら疑問を投げかける。
そんな二乃を、俺と三玖は冷たく見つめる。ただ、じっくりと心を凍りつかせていくように。しかし、二乃の心は烈火の如く熱いようだ。
「まさかあんた、こんな冴えない顔の男がタイプな訳!?」
ゆっくりと三玖との差を縮めたかと思うと、服の上から無防備に膨らんでいる胸に、尖った人差し指の爪を突き立てる。
「二乃は面食いだから、そんなこと言えるんだ」
(いやこっちも酷いこと言った…)
気遣いなど微塵も感じられない発言に、どんよりとしながらも、2人の醸し出す威圧感に押されて三玖の後ろへまわる俺。
「何?外見より中身って言いたいわけ?だとして、こいつの何処が良いって言うのよ!」
「それは二乃の感想でしょ」
2人の、石火の如く熱光した、雷的オーラに圧倒され、近づくことさえままならない。
見つめ合った2人の瞳は、まさに虎と龍…。二乃の瞳は、黒く包まれた橙色に、三玖の瞳は黒く包まれた白光のように輝いていた。
グルルルルルルル…
決して、二乃が猛獣的唸りをあげた訳ではない。三玖も同様。
この力なく叫ぶような鳴き声は、俺の腹から漏れ出していた。
二乃は、一文字を描いていた唇の両端を、そっと上げたかと思うと、細く釣りあげていた瞳を少し開き、とんでもない提案を打ち出した。
「丁度いいわ!料理を作って、どっちが家庭的で内面が優れているか、勝負しようじゃない!」
三玖の瞳も、二乃の瞳も、静かな闘争心で、陽炎を作り出しているかのようだった。
ただ1人、上半身を力なく落とし込む俺に気づくことも無く。