もしもジョージ・オーウェルがウマ娘の怪文書を書いたら 作:ryanzi
アティは眠れなくなっていた。不安の襲ってくる時刻はだんだんと早くなっている。
消灯の時刻だったのが、消灯の前になり、日没がほの暗いヴェールを広げる頃になった。
大部屋から廊下へ、廊下からテラスへと一日仕事して疲れた同僚のトレーナーたちが、
足を引き摺りながら、自分の寝床へと戻ってくる。
どうか夜を乗り越えられますようにと哀れな希望に身をゆだねる。
何人かは明日には
アッラーは偉大で正しい。御心次第で与えもするし、奪いもする。
アティはムスリムのトレーナーだった。とくに深い意味はない。
担当バはシラオキという神を信じていたが、うまくやっていけている。
そもそも、本来イスラム教というのは他の宗教に寛容だったのだ。
有能な修理人がおらず、注意深い指導者もいないので悪化したのだ。
そして夜がやってくる。
トレセン学園は面喰うほどの速さで闇に包まれる。
寒さもまたいきなりやってきて、あたりに冷たい息を吐く。
外では風が吹き荒れていて、一瞬も止むことがない。
その夜、アティは毛布の中でぶつぶつと呟く自分の声を耳にした。ひとりでに声が漏れだす。
まるでぎゅっと結んだ唇のあいだを無理矢理通り抜けようとしているような音だ。
恐ろしくなって抵抗し、それから唇を緩めた。すると自分の発した言葉が耳に届いた。
電気ショックが彼を貫いた。
息をするのも忘れ、彼はその言葉に魅了され、それが繰り返されるのを聞いた。
これまで使ったことのない、意味の分からない言葉だ。一文字ずつ口にする。
「そ・・・ろ・・・ぴ・・・ょ・・・い・・・そ・・・ろ・・・ぴ・・・ょ・・・い
・・・そ・ろ・ぴ・ょ・い・・・そ・ろ・ぴ・ょ・い・・・そろぴょい・・・そろぴょい」
今、一瞬、叫んでしまっただろうか?周りに聞こえただろうか?・・・聞こえるはずがない!
これは心の中の叫びだもの・・・というか、トレーナー寮は防音バッチリだ。
アティはとりあえず、こっそり隠していた本を取り出した。
寡頭制うまぴょい主義の理論と実践 エマニュエル・ゴールドシップ
最初の何ページかは破り捨てられた後があった。
前の所有主とアティは友人だった。だが、彼もまた消えてしまった。
今では商店街で大きな栗の木カフェという喫茶店を営んでいるらしい。
この白紙の本に、アティは小説を書き込んでいた。
自分とマチカネフクキタルの交わりというくだらぬ妄想を描いたものだ。
だが、今はとてつもなく役に立つ。彼はズボンを脱いだ。
トレセンに赴任して以来、アティをずっと怖がらせてきた、
穴を通り抜けるようなくぐもった山鳴りが突然止んだ。
恐怖が飛び去り、軽やかに風が吹いた。
彼は人を酔わせる指すような学園の空気を心地よく感じた。
深い峡谷から頂へと上っていく陽気なメロディ。
彼は歓喜とともにそれを聴いた。
その晩、アティは眠らなかった。幸せだった。背中に温もりを感じた。
・・・背中に温もり?そんな、ありえない・・・だって、この部屋には一人しかいない。
彼は恐る恐る寝ながら振り向いた。すると、フクキタルが添い寝していた。
彼女はぱっちりと目を開けると、笑った。まるで、肉食獣が獲物を見つけたかのごとく。
「気持ちよかったですか?」
「・・・ああ、たっぷりとそろぴょいさせてもらったよ」
こんな時に、彼は同僚であり友人だったコアという人物を思い出す。
実に鋭敏な人間で、担当のエアグルーヴとも上手くやっていた。
コアはよくこんなことを言っていた。
「狼といる時は一緒に吠えるか、吠えるようなふりをしなくてはいけない。
ヤギや羊みたいにメエメエ泣きごとを言うなんてのは一番最後にすることだ」
しかし実のところコアは心の大きな欠点を持っていた。優しかったのだ。
手の施しようのないほどやさしく、おまけに癒しがたいほど純真だった。
彼はそれを意地の悪いシニカルな態度で覆い隠しているつもりでいた。
人々は彼のもとに泣きごとを言いにきた。他の人間から得ようとすれば高くつき、
ひどく焦らされるものを、コアからは即座に得られるからだ。
だが、それが彼の心を少しずつ崩していった。
それに気づいていたのは彼の愛バとアティだけであった。
結局、エアグルーヴの抱擁の前に彼は崩れ去り、貪り食われてしまった。
そして、アティもまたコアと同じ運命を辿ろうとしている。
だが、座してうまぴょいされるつもりなんて毛頭なかった。
最初にしたのは、フクキタルの頭を撫でることだった。
彼女は気持ちよさそうに、目をつぶって、それを享受した。可愛い。
さて、これにはある戦略があった。
今までの先人たちがうまぴょいされた理由・・・それはウマ娘たちの愛を第一に拒絶したからだ。
トレーナーと学生という関係だから、とか、人生が大変になるとか・・・。
それで愛を否定されたと逆上したウマ娘たちにうまぴょいされてしまうのだ。
アティはそんな過ちを犯さなかった。最初に愛しているということを伝えればいいのだ。
そういうわけで、そのまま彼女を抱きしめた。彼女が喜んでいるのがわかる。
尻尾が揺れ動いて、ベッドに当たっているのが、音でわかるからだ。
暖かくて、甘い匂いがする。うまぴょいしたくなる。
それでも、それは許されてはならない。
「フクキタル」
「はい、トレーナーさん」
「ぼくはトレーナーで、君は学生だ。そこはわかってるよね」
「・・・わかりません。わかりたくもありません」
そう言って、彼女はアティの唇に自分の唇を重ねた。
不意を突かれてしまった。その状態が十数秒続いた。
「・・・ぷはっ。これが私の気持ちなんです、トレーナーさん」
「でも、ぼくはムスリムでもある。
別に君の信じている神を否定するわけじゃない。
いや、むしろ肯定すらしている。
一人一人はぼくたちの愛を祝福してくれるだろう。
でも、大勢となるとそれは難しい・・・。
ぼくはそんな受難を君に味わってほしくないんだ」
「・・・私のお父さんもキリスト教徒でした」
「そうだったのか」
「でも、うまくやっていけていますし、今はシラオキ様を信じています」
「ぼくは不器用だから、アッラーとシラオキさまの掛け持ちになるだろうね」
「いいえ、シラオキ様だけを信じるようになるんです・・・強制的回心って知っていますか?」
その言葉にぞくっとしたアティは起き上がろうとするが、彼女の方から抱きしめられてしまった。
これではもう逃げることができない。気が付けば、彼女にウマ乗りされていた。
「ふふっ・・・シラオキ様の信者はこうして増えていったんですよ?」
「やめるんだ・・・今は21世紀なのに・・・こんな強制改宗なんて炎上する・・・」
「やめません♡」
彼女はそう言って、もう一回唇を重ねる。
舌と舌が絡み合い、気が付けばアティの意識はあやふやになっていた。
そんな状態で彼はその可愛らしく、福徳に満ちた顔を見上げた。
ああ、頑固な身勝手さのせいで、この情愛溢れる胸からなんと遠く離れていたことか!
でももう大丈夫だ。万事これでいいのだ。そろぴょいは終わった。
彼は自分に対して勝利を収めたのだ。彼は今、マチカネフクキタルを愛していた。