「本当はこんな雰囲気の街並みだったんだね」
「まあ、ヒュージ出現前よりもずっと昔の風景ですけどね…建物は古いし、舗装の無い道もありますし」
「人もいないし」
「すごい、あの建物なんて歴史の教科書に載っている写真みたいな雰囲気」
「ハイカラってやつ?」
一柳隊一行は芳佳を先頭に鎌倉の街中を歩く。だが、この騒動の影響で住民の姿はない。すれ違うのは小銃を抱えた陸軍や海軍の兵士達ばかりである。しかし、芳佳がいるからか特に何かを言われる事は無い。それどころか敬礼すら飛んでくる。芳佳はそれに対して笑顔で敬礼を返すが、軍人ではない一柳隊の面々はそれぞれ軽く会釈しながらすれ違う。
「普段ならきっと楽しく観光出来たんだけどね」
芳佳は残念そうに口を開く。
「いえ、いい気分転換になりました。それにこの騒動が過ぎ去ればきっと元通りですよ!」
「じゃあ、その時はまたみんなで観光しようよ」
「是非!」
「それならきっちりヒュージを倒さないといけないわね、梨璃。観光気分は程々に」
「…あはは、勿論ですよ。お姉様」
夢結のその釘を刺すような一言に梨璃は冷や汗を流す。事態がまだ何一つ解決していない以上、緊張感を捨て去る事は出来ないのである。そんな会話をしつつも一行は元の世界であれば百合ヶ丘女学院がある辺りまでやってきた。しかし、そこにあるのは大きな神社や商店等であり、百合ヶ丘女学院は影も形も無い。
「学院が…」
「これが本来あった風景、教科書なんかで知ってはいたけれど…複雑ですね」
複雑な心境で周囲を歩く。普段なら活気があるだろう参道の周囲は数人の兵士が歩く程度で人がおらず閑散としていた。
「ヒュージがいなければ、向こうも賑やかな街のままだったんだろうなあ…」
景色を眺める梨璃がそう口にする。
「ええ、ヒュージがいなければ鎌倉どころか世界中のあちこちの街が昔ながらの姿で賑やかなままだったでしょうね…私の故郷も、きっと」
それに対して神琳は伏し目がちにそう答えると、他のリリィ達の表情も曇る。すると、その様子を見た芳佳が問う。
「もしかして、向こうは鎌倉以外にもヒュージという怪物が出現しているの?」
「ええ、世界中。そして、日本国内もあちこちの土地がヒュージに制圧されて奪われたわ。梨璃の住んでいた甲州…山梨も。そして、首都である東京だって散発的にヒュージが現れて被害が出るぐらいよ」
夢結がそう答えると芳佳が苦い表情を浮かべる。
「向こうはネウロイの侵略を受けた欧州の国々みたいな状態って事かあ…」
その様子を見ていた夢結が質問を返す。
「で…そのネウロイというのは結局どういう存在なのかしら?」
「えーと、色々説は出ているけど…今も正体不明で未知の化け物としか」
そして、芳佳はネウロイがどういうものなのかを語り始める。
ある日突然、巣と呼ばれる巨大な存在と共にネウロイは現れる。ネウロイは主に空中と陸上を活動域とし、水には何故か一切触れようとしない性質がある。また、周囲の金属を吸収、同化するらしい。更には生物に有害な瘴気という毒物をまき散らす個体がネウロイ占領地に出現する事もある。なお、ネウロイにはコアという部位があり、それさえ破壊できれば例え歩兵の武器であろうと一撃でネウロイを破壊できると言われている。だが、多くの個体はコアが残っているとダメージを受けてもあっという間に再生してしまうという。
だが、ウィッチの魔法力を伴う攻撃は小火器でもネウロイに対して有効なダメージを与える事が出来る。また、魔法力によってネウロイの再生スピードを鈍らせる事が出来る為、ウィッチは通常兵器よりもその分だけ有利である…といった内容であった。
「ふーむ、やはりヒュージとは別物じゃな。ヒュージは水なんて気にしない。むしろ、ヒュージの巣であるヒュージネストは海なんかの水辺にあるからのう」
その話を聞いたミリアムは唸る様に言う。そして、周りのリリィ達もそれに同意しながら頷いた。少なくとも、ヒュージは生物である事が分かっている。その時点で正体不明のネウロイとは大違いなのだ。すると、芳佳も何かを思い出したのか呟く。
「そういえば、昨日あの雲の中で掃討戦をやったけど、ネウロイと違ってヒュージは残骸が残っていたなあ。ネウロイは撃破すると跡形も残らないのに」
「残骸が残ると言ってもすぐに崩壊してしまう。ヒュージはマギを失うと体を維持する事が出来ないからのう」
「なるほど。だからあんなに強烈な臭いが」
芳佳とミリアムの会話を聞いた梨璃は先程の様子を思い出す。雲の中でほぼ接敵しなかった理由がこれで分かった。
「今日、雲の中を通ってきた時に敵が少なかった理由って…扶桑の皆さんが敵を事前に退治してくれたからなんですね」
「うん、ウィッチと陸軍の皆さんで。あ、そういえばヒュージらしき生物ばかりでネウロイはいなかったなあ…」
「その…ヒュージはどこから現れたのかまだ予想できるのですが、ネウロイというのはどこから現れるのでしょうか?」
「普通はネウロイの巣の中から。でも、あの雲はネウロイの巣ではないだろうって話だから、この前のネウロイがどこから現れたのかはさっぱりで…」
そんな事を話ながら歩いていると、一行はいつの間にか鎌倉駅の近くまで来ていた。その駅前には海軍のトラックが多数停車している。そして、駅舎の中から木箱を持った水兵達がそのトラックへと向かっていた。どうやら鉄道で運んできた物資をトラックで受け取っている様子であった。
「宮藤少尉ー!!」
トラックの周りに立つ海軍の水兵達が手を振りながら声をかけてきた。その水兵達は横須賀からやってきた面々である。すると芳佳は手を振り返すとトラックへ向かって駆けていく。そして、その様子を見た楓は一言呟く。
「彼女、人気者のようですわね」
「まあ、あの人柄なら納得というか…あれ?」
梨璃が楓にそう返すと、芳佳が笑顔で手招きしてくる。何だろうと首を傾げながら梨璃は芳佳の元へと向かう。
「宮藤さん、どうかしましたか?」
「これ、差し入れだって」
「わあ、いいんですか!?」
芳佳は駅舎の日陰に置かれたブリキのバケツを指さす。梨璃はその中を覗き込む。すると、パッと笑顔を浮かべて一柳隊の皆を呼ぶ。
「みんな、ラムネ貰ったよ!!」
ビー玉を押し込み、ラムネの栓を開ける音が響く。そして、梨璃は勢いよくそのラムネを飲んだ。
「梨璃さん、余程喉が渇いていたのかな。あんなに嬉しそうに飲んでいるけど」
梨璃の様子を見た芳佳が驚いたように口を開く。
「梨璃の大好物なのよ。ラムネは」
「ああ、なるほど」
一柳隊の面々も続いてラムネを飲む。すると、鶴紗は首を傾げる。
「なんか、前に飲んだやつと味が違うな」
「多分、あの自販機のラムネとはメーカーが違うからだと思うよ。うーん、少し辛めの味付け…どこのメーカーだろう?」
梨璃はうーん、と唸りながら考えていると、芳佳がその答えを述べる。
「横須賀鎮守府で作っているラムネかなあ」
「鎮守府…?」
「軍港の司令部みたいな所ですよ」
聞いたことが無い単語に首を傾げる梨璃に二水がその単語の意味を言う。しかし、それで新たな疑問が浮かぶ。
「え、そんな所でラムネを作っているの?」
「さあ?そこまでは…」
「海軍では艦内や基地にラムネ製造機が置いてあるんだよ」
「へえ…羨ましいなあ」
興味津々な様子の梨璃に芳佳は笑顔で説明する。すると、水兵達がヒソヒソと芳佳に質問を飛ばしてきた。
「少尉。風の噂で聞いたのですが、異世界の人々は無線機よりもずっと小さな手持ちの電話機を使うというのは本当ですか?」
「自分は映画館に行かなくても映画を見る事が出来ると聞きました」
「なんか袋をお湯で温めるだけで銀シャリが食えるって…」
水兵達の俗っぽい質問の数々に芳佳は苦笑いを浮かべながら対応する。とりあえず自分もよく知らないから答えられない、と。
「じゃあ、そちらにいる方々が…異世界のウィッチのようなものだと上官から聞きました。そして、軍人ではなくて学生であるとも聞きましたが…本当ですか?」
「それは本当みたい」
「そうですか…実は、どう対応すべきか皆困っていまして」
一人の水兵がやたら深刻気味な声色で質問してきた為、芳佳は首を傾げる。何かあったのだろうか、と。
「相手が同じ軍人なら階級次第でどうすればいいのかおおよそ分かるのですが、これが階級の無い民間人の学生となると話が変わってきますよね」
「ああ…確かに」
「それでどうすればいいか、と…」
軍隊は階級や軍歴がおおよそのものを言う。上か下かはたまた同期か、それだけのシンプルな話だ。階級が違えばそれに合わせて相応の態度で臨めばいい。ウィッチも軍人であり、階級を持っている。よって、兵士達もその階級通りに接すれば話が済むのだ。
しかし、今回は特殊な事態である。異世界からやってきたその相手はウィッチのような存在らしい。だが、その身分は学生だというではないか。そこで兵士達は困った。ウィッチであれば下士官以上の階級だ。その為、下っ端の兵卒からすれば相手が上官として対応すればいい。しかし、学生には階級なんて存在しない。だが、そんな人々が自分達と同じく戦闘に参加するのである。立場はどちらが上なのか下なのか、相手が上だとすればどの階級からならその相手に指示を出せるのか…意思疎通に関わる問題が浮上したのだ。この問題は戦闘時や非常時に大きく関わってくる。意思疎通の乱れがあれば戦況や人の命にも悪影響を与えかねない。
戦闘がいつ起こるか分からない状況であり、その問題が深刻だと判断した芳佳は深く頷いた。
「うん、帰ったら確認してみる」
「お願いします、少尉」
一方、その会話を聞いた夢結は頭を抱えた。
「どうしました、お姉様?」
「いえ、自分達の常識が通用しないという事が改めて実感できただけよ」
「うーん、今の兵隊さんの話ですか?」
「ええ。元の世界だったら出動先で防衛軍とのコミュニケーションなんて特に問題になる事なんてなかった。でも、こちらの軍隊にとって私達は未知の存在、会話一つでも一々探り合いになると考えると、ね…」
「防衛軍と同じ感じじゃ駄目なんですかね」
梨璃ののほほんとした返事に夢結はため息をつく。
「そんな簡単な話じゃないの。この世界でリリィという立場は通じないのよ…一度レギオンリーダーを全員集めて扶桑軍との意思疎通について検討しておいた方がよさそうね」
「うーん…」
この問題は意外と厄介である。各レギオンは護衛部隊の指揮下となってはいるが、リリィには元々ある程度の独自裁量権が認められている。そして、防衛軍の側もそれを尊重しているので、強引な命令を出すのは消極的な姿勢であった。よって、リリィの側も防衛軍の側も何かあれば互いに要請を出したり、意見をすり合わせて物事を決定したりすればいいという方針である。だが、この世界の軍からすればそんな概念はすぐには理解できないだろう。下手をするといざという時に連絡や要請がうまく通じないといったトラブルが起こりかねない。よって、明日までになにかしらの対策はしておいた方がいいだろう。夢結はそう考える。
すると、芳佳が声をかけてきた。
「そろそろ戻ろうか」
「ええ、宮藤さん。もうすぐ夕方ね…」
日はだいぶ傾いてきた。まだ夕食の支度も残っているし、明日の帰還に関する打ち合わせもあるだろう。よって、帰りがあまり遅くなるのは避けた方がいいと考えられる。一行はテントを設営してある学校へと歩き出す。
途中、リベット留めの装甲が目立つ古めかしい作りの装甲車がガタゴトと音を立ててのんびりとしたペースで道路を走っていく姿に遭遇。そして、一柳隊一行は珍しげにそれを見つつ歩く。どうやら、あの装甲車の目的地は自分達と同じらしい。
その装甲車が校門を潜ると、一柳隊もその後に続いて中に入ろうとした。
「ご苦労様です」
しかし、先頭を歩く芳佳が門の前の歩哨と敬礼を交わした為、一時停止。リリィ達は歩哨に軽く一礼して中へと入っていく。そして、一行の視線の先には防衛軍が設営したテントと車両がずらりと並ぶ。
すると、そこにはこちらへ手を振る人影が一つ。
「宮藤さーん!」
「静夏ちゃん!!」
その人影は静夏であった。横須賀での任務を終えて鎌倉へとやってきたのである。無論、翌日の任務に参加する為でもあるが。
「服部さんも明日参加するんですか?」
「ええ、自分も外交団の護衛として参加しますよ。梨璃さん」
そうして、もう一人の戦友との再会を喜んでいると、門の方からヘルヴォルとグラン・エプレの面々が歩いてくる。
「あれ?皆さんも鎌倉見物に?」
「ええ、せっかくなので。いやー、楽しかった」
ヘルヴォルのレギオンリーダーである一葉は満足げにそう語る。一方、レギオンの面々は多少疲れた様子である。何かあったのだろうかと梨璃は首を傾げる。
「ヘルヴォルとは別行動だけど、こっちも色々見て回ったわ。私個人としても興味深い経験だった」
そう語る叶星の声も楽しげだった。グラン・エプレの所属する神庭は芸術系の学校である。よって、この古い街並みはさぞ興味をそそるものだったのだろう、と梨璃は心の内で思う。現にレギオンの一員である姫歌は熱心に何かを考えている様子であった。しかし、彼女の専攻は建築や美術ではなく音楽だったような…と再び梨璃は首を傾げる。
「…そういえば、先日はきちんとした自己紹介をしそびれましたね」
芳佳が二人のレギオンリーダーの姿を見て言う。そして、それを聞いた叶星と一葉は確かにそうだったと苦笑いを浮かべる。
「まあ、あんな状況でしたからね」
「ええ。どうかしら、自己紹介も兼ねてみんなで夕食でも」
叶星の提案に芳佳は笑顔で応じる。
「いいですね。是非お願いします」
リリィ達は意を決して異世界の鎌倉へと繰り出した。
そして、元の世界との違いを唯々深く感じ取るのであった。