第1話 手紙と準備
7月29日。
今日は7月の割に、というかここ数カ月に比べて大分冷え込んでいた。北のほうでは大荒れの可能性もある、とテレビの天気予報は告げている。
ロンドンの朝は非常に落ち着く。煉瓦造りの街並みには自動車のエンジン音とクラクションが響き、排気ガスと霧の様な雨のせいで窓の外は仄白い。そして早朝は殆どの場合は地面がほんのり濡れている。
(色んな国について知りたいところだ…
なんてことを考えつつ、11歳らしからぬオリヴィエは身支度を整える。
着古したシャツにネクタイを締めて―――これまた11歳らしくない行動だが―――スカートを履き、トレードマークの黒いパーカーを羽織った。
このパーカーはオリヴィエ特製の霊装だ。オリヴィエの独学で発明した布──
最高傑作の出来に惚れ惚れしながら鼻歌を歌いつつ、やかんに水を張って湯を沸かす。
ぶくぶくと泡のたつ音をBGMに窓の外を眺めると、窓の方に一羽のフクロウが止まっているのに気がついた。
フクロウの大きな黒い双眸がオリヴィエを見つめていた。白色混じりの薄い茶色をした羽が一枚、ひらりと落ちる。
フクロウの嘴には手紙のような紙切れのような、白い紙が咥えられていた。不思議に思って、オリヴィエはフクロウの咥えている手紙を手にとってみる。
それは上質な紙だった。封筒の四つ角、それぞれに獅子、蛇、鷲、穴熊があしらわれている。
宛名のところには「イギリス清教 第零聖堂区 必要悪の教会 オリヴィエ=コニアテス様」と書いてあり、送り主の所には「ホグワーツ魔法魔術学校」とエメラルド色の字で表記されている。
ほぐわーつ?とオリヴィエが疑問に思いながらナイフで封を開けると、オリヴィエの表情は一変した。紫紺の双眸は見開かれ、小さな口が開いて塞がらない。数秒の逡巡の後、オリヴィエはすぐに上司に連絡する。同時にオリヴィエは魔術で瞬間移動し、手紙をまっすぐ聖ジョージ大聖堂へ持っていった。彼女自身ではおおよそ判断のつかないような内容が、手紙には書いてあったのだ。どうやらさっき沸かした湯を紅茶にして飲めるのはしばらく後になりそうだ。
「
ダァン!という大音を鳴らし、オリヴィエは戸を蹴破るように開け放った。大きなステンドグラスには珍しくカーテンがしてある。一筋の明かりすら入ってこない程隙間がなかった聖堂の中は、一気に明るくなった。聖ジョージ大聖堂は
聖堂の中には、一人の女性が座っていた。
「なぁに?」
座っている女性が怪訝そうに答える。肌は白く、差し込んだ光を反射して光っている様に見えた。銀の髪留めでまとめた身長の数倍の長さにもなる金髪がさらりと揺れる。そのまま宝石屋に売りに出せそうな黄金の髪は、大きな戸から差し込む朝日を浴びてキラキラと輝いていた。柔らかい印象を与える青い目は、サファイアのように美しい。だがついさっきまで聖堂の中が真っ暗だったという事もあり、眩しそうに目を細めている。彼女の名はローラ=スチュアート。彼女こそが
「私の寮にこのような手紙が」
オリヴィエはローラに駆け足で近づき、手紙を差し出して渡した。手紙を受け取ったローラの表情はあからさまに面倒臭そうな様子だったが、手紙に目を通していくにつれて一気に険しく変化していく。
「ふぅむ……? これは……なるほど」
ローラは、眉をひそめて手紙に目を通す。一介の魔術師に過ぎないオリヴィエならまだしも、ローラほどの人間がこの様な表情をするというのは、オリヴィエからはとても珍しい様に思えた。
ローラは常に先を読んでいる。常に3手先を考え、会談ではありとあらゆる謀略を張り巡らす。才能で全部片付けるようで不本意だが、天性のトップ、と言ったところか。だから予想外のことは滅多にない。故に、ローラの反応はオリヴィエにとっても意外なものだった。
全部読みきるとローラは天を仰ぎ、そしてふう、と息を吐いた。
「ホグワーツ魔法魔術学校、ね……ダンブルドアの狸、このようなことまでし始めるとは。……オリヴィエ。あなたに命じるわ」
ローラはオリヴィエに目を合わせた。サファイアのような瞳がオリヴィエをじっと見ている。まさに真剣そのもののローラの表情はいつものようなおどけたような風ではなく、式典で見せる様な神妙な面持ちだった。
ローラのかしこまった表情は、オリヴィエに真剣に聞く様に強制していた。普通の人間ならば迫力で逃げ出してもおかしくない程の気迫だ。オリヴィエはローラの気迫に押されながら、求められた通り真面目に返事をする。
「はい、ローラ様」
「このホグワーツ魔法魔術学校なる
急な指示にオリヴィエはう、と一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……はい。了解致しました、ローラ様。謹んでお受けいたします」
と、目を伏せて了承の意を示した。オリヴィエは昔の思い出に想いを馳せる。かつて、オリヴィエの掌が泥で薄汚れていたあの時。オリヴィエの手を優しく取って、泥水の底なし沼から引き上げてくれた恩を思い出す。ローラからの命令は一度だって背いてはいけないと、心に決めた事を思い出す。ならば従わなければ、筋が通らないというものだ。
「じゃあオリヴィエ。今からこれらのものを買いに行きなさい。案内人は付けてあげるから、あなた一人で」
「……は、はい」
───オリヴィエにとっては予想外の展開である。
だが動揺は表情に出さず、声は決して震えたり裏返ったりしない様に、至って落ち着いて返事をする。
オリヴィエの返事に気を良くしたローラは、オリヴィエに手紙の2枚目を手渡した。そこには、魔法の杖(火の魔術専門なのか?)やら教科書(魔道書の事だろうか?)やらと、必要な物が羅列されている。
まあ、
オリヴィエが不思議に思って外の方へ向くと、深緑色の車が停まっていた。高級そうな一台の車だ。
「もう来たの。魔法省の石猿共もこういう時は仕事が早くなるのね。オリヴィエ、行きなさい」
「わかりました。ローラ様も是非お元気で」
オリヴィエは回れ右して、聖ジョージ大聖堂の外へ歩き出す。日の指す外は、先刻よりも少々気温が高くなっていた。心なしか太陽の位置が少し高くなっている気もする。オリヴィエが深緑色の車に近づくと、運転席から出てきたスーツの男に握手を求められた。ローラが後ろから、今回の任務の協力者だという声を飛ばす。怪しいタクシーの類かと思っていたオリヴィエは急いで態度を改め、スーツの男と握手をした。
スーツの男は丁寧な言葉遣いでオリヴィエに話しかけた。
「あなたがオリヴィエ=コニアテスさんでよろしいですね?魔法大臣じきじきの指示により、迎えに参りました。今からダイアゴン横丁へ向かいます」
魔法大臣?だいあごん横丁?オリヴィエには理解のできない単語が続いたが、とりあえず黙って指示を聞くことにしたオリヴィエは後部座席に腰を下ろした。足をぶらぶらさせながら周りの街を見回す。まだ普通のロンドンの街並みだ。
すぐに帰れるといいな、とオリヴィエは窓の外を眺めながら思った。
発車してから10分ほどかかって、車が停止した。
スーツの男に声をかけられ、オリヴィエは車から下車する。オリヴィエがスーツを着込んだ男に案内されて入ったのは、薄汚れた古いパブだった。
オリヴィエが入ったパブは、普通に歩いていたら見つからないようなひっそりとした佇まいの店だった。「漏れ鍋、という有名な店です」とスーツの男は言っていた。買い物なのにパブ、というのは珍しい。酔拳でも使うのだろうか、とオリヴィエは思った。頭上にクエスチョンマークを浮かべながら店に入ってみると、とんがり帽子とローブを着たトンチキな格好の人々が屯していた。
「さあ、買い物に行きましょう」
スーツの男が言った。火の
スーツの男は、オリヴィエの手を引いて歩き出した。行き先はどうやら、店の裏側だ。男とオリヴィエが店の裏側へ行くと、男は突然、店の周りを囲っている煉瓦壁の煉瓦を叩きながら数を数え、杖で三回、コツコツコツと叩いた。
その時、突然に変化が起こった。煉瓦壁がグネグネと変形し、アーチを形作ったのだ。
(……今、術者から魔力は感じなかった。という事は壁の方が霊装なのか?じゃあ杖の意味はなんだ?)
オリヴィエは目の前で起こった現象を分析する。どうやらこれから潜入する
となればオリヴィエに仕事が回ってきたのもなんとなく理解ができる。大方、
突然首を傾げたりなんだりと側から見れば奇行としか思えない行動をするオリヴィエを、スーツの男は変な物を見る様な目で見ていた。オリヴィエにしてみれば、スーツの男達の方が変である。確かに服装の工夫で魔術は増強できるが、それにしたってとんがり帽子とローブというのはトンチキすぎやしないだろうか、とオリヴィエは思った。
「まずは教科書です。そのあと鍋や秤、望遠鏡などを買い、最後に杖と制服を買います」
スーツの男のその言葉を皮切りに、二人は動き出した。
教科書と言う奴は魔導書とはまったく違うものだと言う事を、オリヴィエはすぐに知ることになった。教科書を買ったのは「フローリシュ・アンド・ブロッツ書店」だったが、そこには宗教防壁の「し」の字も知らないような明らかに無宗教の人もいたし、試しに本を手にとって読んでみても、魔導書特有の汚染が全く感じられなかったからだ。魔導書図書館とあだ名されるオリヴィエが言うのだから間違いない。
書店に教科書として並んでいる本の中にはふざけた紀行文などもあり、一瞬ひねり千切ってやろうかと思った。
オリヴィエはなんとなく、今回はいつもの潜入任務とは違うものがあるかもしれない、と感じていた。
鍋を買ったり、薬問屋へ行ったりした時もその感覚はつきまとった。
ダイアゴン横丁の人々ときたら、魔術に関してちっとも知らないのだ。
鍋屋であった老人は術式の「じ」の字すら知らない様だった。
薬問屋で材料を量り売りしていたおばさんは
洋装店で働く女性に魔法陣を書いて見せてと言っても「そんなもの知らないし必要ない」の一点張りだった。
それどころか魔法名すら持たないと言うし、箒屋の前に張り付いていた少年はクィディッチがどうだ寮がどうだと語り始める始末だった。
ダイアゴン横丁での買い物は、オリヴィエにとって全くもって不思議なことばかりだった。
他にも色々ありつつも必要な備品はオリヴィエの腕の中で高く積み上がり、持ち物一覧につけてあるバツ印は全てについた。
オリヴィエは自分の持っている物をうさんくさそうに見やった。オリヴィエの持っている杖は火の
これから一体どうなるのだろうか、と、オリヴィエは溜息をついた。
「今日から一ヶ月間は、漏れ鍋に泊まってもらいます。入学式の日は9月1日です」
と告げて、スーツの男はそそくさと帰って行ってしまった。協力者がそんなあっさり帰っていいのか。空はまだ青く、日は高い。今日はまだ長そうだ。スーツの男は、まだ仕事があるのだろうか。よもやもう家に帰ったなんてことはあるまい、とオリヴィエは思う。そんな事があれば、任務が終わり次第ローラに報告する事もオリヴィエは辞さないだろう。置いていかれたオリヴィエは、山の様に積み上がった荷物をもう一度眺め、不安を吐き出す様にため息をついた。
「入学式、って…私は学校に行くのか?」
呆然と呟く。オリヴィエの隣に立っていたカラフルなローブの男性が「そうだとも」と断言した。言うまでもないが、オリヴィエの知らない人だ。
「君、ホグワーツの新入生だろ?いやあ、君達はついてるよ。なんせ今の校長は世界一偉大な魔法使いのアルバス・ダンブルドアだからね!君はもしかしてマグルの出身かい?ダンブルドアの元で学べるっていうのはすごい誉れ高いことで───」
男性のナゾの解説をオリヴィエは聞き流す。
この
新しい文化に適応できれば、新しい宗教の伝説を知る事ができる。すると術式の幅が広がり、手数が増える。
新しい魔術を生みださなければ魔術師とは言えない、というのは常識だが、オリヴィエは特にその意識が強い魔術師だ。既存の術式に新たな要素を足して新しく魔術を生み出す。要素が多いほど複雑な効果をもたらせると言うこともある。時に無節操だと言われるオリヴィエの貪欲さだが、この貪欲さは魔術師として重要なものだ。
だからといって、今まで全く触れることのなかった完全なる異文化にすぐに適応できるほどオリヴィエも人として完成していない訳で。
案の定、オリヴィエは漏れ鍋の中で完全に孤立していた。
漏れ鍋に泊まれと言われても、お金なんて持っていない。オリヴィエとて一応手持ちは有るのだが、スーツの男が店で出していたお金を見るに、ダイアゴン横丁では全く違う通貨が使用されているらしい。繁盛していて騒がしい店の中の様子との対比で、いつにも増して虚しさを感じさせられた。
オリヴィエが頭を抱えながらその辺に座り込むと、後ろから誰かに肩を叩かれた。びっくらこいたオリヴィエが立ち上がると、愛想の良さそうなおじさんが話しかけてきた。
「貴方がオリヴィエ=コニアテスさんかい?魔法省の人から話は聞いてるよ。さ、上に上がって」
そのおじさんは歯が抜けていて、胡桃のような顔立ちをしていた。頭髪はやや寂しいので、結構な歳なのかもしれない。態度や先程のスーツの男とのやりとりを見るに、バーテンダーか何かじゃないかとオリヴィエは思った。
バーテンはオリヴィエを連れて、洒落た階段を登った上の階に行った。奥に続く廊下の脇に無数の部屋がある。真鍮の板に部屋番号が1からナンバリングされていて、オリヴィエとバーテンは「5」と書かれた部屋の前で立ち止まった。
「これがお客さんの部屋。荷物はもう部屋に上げてあるよ。じゃ、ごゆっくりどうぞ」
と告げて、バーテンは下へ降りていった。
オリヴィエは、部屋を見渡した。ベッドが一つと、
(ローラ様……まあ、準備の宜しいことで)
オリヴィエは静かに息を吐いた。ローラの準備の良さは身に染みてわかっているオリヴィエだが、矢張りこの手際の良さには毎度脱帽する。とりあえず荷物を開けようとして周囲を見回したオリヴィエがふと目に止めたのは、ー文字の書いてある紙切れだった。この紙切れだけは覚えがなかったので見てみるとそこには、見覚えのある自身の上司の筆跡でこう書いてあった。
『
潜入任務ご苦労様。とりあえず必要な備品は全部揃えられたみたいね。一段落付いたようだから、わたしからも伝言を伝える事にするわ。
通信手段については通信用の術式を使うのがベストよ。日が落ちた後に、他の者にバレることがないよう、術式を使用する時はなるべく隠すように。声でなく、文字を使った物がいいわね。
差し当たっての問題は資金になるかしら。そうでしょう? その事なのだけれど、ダイアゴン横丁にある「グリンゴッツ銀行」という建物の227番金庫にあなた専用の資金が保管されているわ。あなたの為だけに用意した物なのだから、ありがた~く使うように。
それじゃあ、次の通信——9月2日を楽しみにしているわよん♪
相変わらずどこまでも準備のいい上司だ。上司からの手紙片手に、オリヴィエはやれやれと頭を振る。
ややふざけた文体なのはローラの性格上問題ではない。細かいことはさておき、潜入にあたっての注意事項を聞けたのはオリヴィエにとってはプラスだ。それに、
オリヴィエはふと、時計──ポケットの中に忍ばせてある懐中時計だ──を見た。まだ昼食の時間帯である。
ダイアゴン横丁をじっくり回りたいが、まずは昼を食べなければ。腹が減っては戦はできぬとはよく言ったものだ。極東の諺らしいが、実に的確だとオリヴィエは思う。
オリヴィエは、潜入にそなえてその前に一旦教科書類に目を通しておこう、と立ち上がる。だが迂闊にも、その瞬間にオリヴィエの腹からぐうう、という音が。
とりあえず、銀行でお金を下ろそう。
魔術サイドのザ・黒幕さん(私命名)ことローラさんが登場していましたね! ローラさんは土御門に変な日本語を教わる前なのでエセ古文使いではありません。綺麗なローラさんですね!
さて、オリヴィエがダイアゴン横丁に行きましたね。ふと思ったんですが、グリンゴッツっていくつぐらい口座があるんでしょう。魔法界で唯一って言うし、億超えてるんでしょうかね。
では、この辺りで目を離して頂いて、
次話に進んで頂ける事を祈りつつ、
今話はこの辺りで筆を置かせて頂きます。(鎌池和馬先生風)