9月1日。
1ヶ月も滞在していれば漏れ鍋の朝にも慣れてくる。オリヴィエはベッドから起き上がると、慣れた手つきで洋服に袖を通した。白いブラウスにネクタイを締め、膝丈のスカートを履く。黒いハイソックスとローファーも忘れずに履き、そして漏れ鍋に来てからの習慣で、足まで届く長いローブを羽織った。漏れ鍋で暮らしていると、ローブを着ていない方が逆に目立つ。どうせ潜入先では毎日この服を着るのだから、先に着替える練習をしておいてもバチは当たるまい。ただしオリヴィエのパーカーの防御力は欲しいので、実のところ店でしつらえてもらったのは予備にしてある。今袖を通したのは、元々のパーカーに丈とそれっぽい装飾を足したオリヴィエの
オリヴィエが漏れ鍋で過ごし、1ヶ月経った。時間の流れとは存外早いものだ。光陰矢の如しとはよく言ったもので、よもやオリヴィエも齢11にしてこの言葉の意味を理解するとは思ってもみなかった。せいぜい60か70くらいで理解するくらいが丁度いい人生なんだとオリヴィエは思う。
オリヴィエが潜入するのはホグワーツ魔法魔術学校、通称ホグワーツ。ローラは
ローラが情報の統制で人を動かすのは日常茶飯事なので、今回もそんな感じなのだろう。大方、オリヴィエに魔法について学ばせる事でイギリス清教の手管を増やしておこう、とでも考えたんじゃないか、とオリヴィエは推測した。魔術に関して異常に向上心旺盛なのはオリヴィエの性で、一番手っ取り早く効率的に魔法を取り入れるのがオリヴィエだと思ったのだろう。
ホグワーツ魔法魔術学校入学式は今日行われ、明日からは学生生活兼潜入任務が始まる───だから、普段は前から使っていたくたくたの洋服を着ていたのに、今日はぴかぴかの制服を着ている───。オリヴィエはこの一ヶ月間、魔法界の情報収集に努めてきた。魔法の種類、ホグワーツの科目、政治について、タブーや禁句、流行のもの、伝統あるスポーツ『クィディッチ』について、ホグワーツの歴史や内政まで、魔法界で調べられることは殆ど調べ上げた。ホグワーツには動く階段や隠し通路があるそうなので、それは入学してからじっくり調べれば良いだろう、とオリヴィエは考える。
魔法界、というのは、魔法を扱う者達によって構成されるもう一つの社会だ。オリヴィエは先月まで魔法界を
オリヴィエ達魔術師のように宗教がベースになっていない分、内部分裂や宗教革命によって派閥ごとの敵対が少なかった、という歴史的背景も大きい。オリヴィエ達教会は大体国ごとに勢力が分かれているが、魔法界の場合は、大きな『魔法界』という1団体が世界全体を支配している、といった感じだ。
また、魔法使いは誰もがなれる訳ではないらしい。魔術師は基本的に凡人が才能を求めてなるものだが、魔法使いは才能に依存するところが多いとか。オリヴィエは一ヶ月前に『魔法使いよりも魔術師の方がスペックが高い』と評したが、全く逆だった。魔法使いは生まれつき(恐らく無意識で)魔力を精製し扱う能力があるのだ。だが、杖という万能機に頼ることでその才能を溝に捨てた。それは生まれ持った才能に胡座をかいているのと同義だ。宝の持ち腐れという奴だ。
そして才能に依存する部分が大きい為、魔法界には名家という概念が存在する。魔法使いは、長く続く旧家に優秀な子供が生まれる事が多いのだとか(勿論、そうでなくても優秀な子供は生まれる時は生まれる)。
代々魔法使いのみで繁栄してきた純粋な魔法使いの一族は純血と呼ばれる。純血が魔法界において尊ばれ、逆に非魔法使い───マグル、と呼ばれる───出身は差別を受ける傾向にあるのだそうだ。だが、純血であることに固執するあまり失敗を重ね結局破滅した純血の家も珍しくない。近頃は魔法界も混血化が進み、マグルの血を引く魔法使いも増えているのだが、長い年月をかけて浸透した差別意識は簡単に取り除けないようだ。
調べてみてオリヴィエはとても興味深いことに気づいたのだが、こちらの世界には撃墜術式は伝来していないらしい。
オリヴィエの世界では、『十二使徒ペテロが主に祈るだけで魔術師を撃墜した』という伝承から生まれた撃墜術式が広く浸透している。故に現代魔術師は、簡単に飛べるが簡単に堕とされる、という現状だ。
箒は意思を持つことがあるそうなので、杖と同じく箒側が処理を行っているのだろう。ちなみに魔法使いの飛行にも撃墜術式は効くという検証結果が出ているので───この為にわざわざロンドン郊外まで出て調べた苦労には見合った成果だ───いざという時には重宝するだろう、とオリヴィエは思った。例えば、飛ぶのが下手なやつが暴走して6メートルくらい飛び上がった時とか。まあ、そんな間抜けは滅多に居ないだろうが。
他にも大分収穫があった。ホグワーツは聞くところによると全寮制で、四つの寮に分かれているとか。グリフィンドール、スリザリン、ハッフルパフ、レイブンクローの四つであり、各四寮にはそれぞれ違った特色がある。
グリフィンドールは騎士道精神に溢れた勇猛果敢な生徒が集まる寮だ。正義感が強く、信念を貫き通す強さを持つという。英雄を多く輩出し、世間的にはグリフィンドールが人気らしい。現校長も元グリフィンドール生らしいのだ。但し、若干思い込みが激しい節があったり無謀で向こう見ずな傾向があるなど、欠点も少なからずあるようだ。
スリザリンは伝統ある家系を重んじ、人間との混血を嫌う、所謂純血崇拝の傾向があるらしい。禁句とされてはいるが、穢れた血、なんて貶し文句もあるくらいだ。実際純血の者が多く、マグル出身者は一握り程しか居ないという。また、悪の道に走る者───オリヴィエに言わせれば魔術を修める者に悪も善も無いのだが───が多いのだとか。だが、高貴さなどに代表される貴族的な一面もあり、一概に悪であると断じることは出来ない。
ハッフルパフは静かな精神的美徳を持ち、誠実で心優しく、勤勉で謙虚、公平な生徒が多い。他三寮に比べて功績が霞むと言われているが、謙虚で誠実な性質故に名声への欲が少ないという特徴による。何より、ホグワーツ四寮において最も闇の魔法使いの輩出数が少ない、という美点を持っている。
レイブンクローは知的好奇心や創造性に長けた知性ある生徒が多い。独創性が高く、孤高の存在、というイメージもあるのだとか。だがホグワーツにおいて最も個人主義的な寮でもある。自身より下の人間を見下し、成績を上げるためには周囲の人物を蹴落とす事すら辞さないエゴイスト的な一面もあり、知的な多様性を持つ一方でいじめなども散見されるとか。
このように、どの寮にも美点と欠点が存在する。情報収集中は、話を聞いていた常連客同士が『どっちの寮がいいか』などと言い争う場面もあったが、結局の所順位などないのだ。大の大人が些細なことで言い争うのはオリヴィエ的にやや見るに耐えなかった───しかもオリヴィエに「どちらに入りたいか」なんて聞いてくるのだ───正直どちらでもいい───が、寮生同士の敵対関係が把握できたので結果オーライだと思いたい。
ここまで情報を集められたのは潜入には丁度良かった。漏れ鍋の常連さんと親しくなって正解だったらしい、とオリヴィエは感じる。これだけの情報をもたらしてくれたのは全て漏れ鍋に通う常連の魔法使い達なのだ。「マグル出身で魔法界について知らない」と話すと、彼ら彼女らは気前よく教えてくれた。人付きあいもたまには悪くはないものだ。
さて、場所は変わって下のパブだ。オリヴィエは脳内で、今まで集めた情報や学校の予習分を反芻する。別に予習はしなくても平気なのだが、情報は多いほうがいい。建前上とはいえホグワーツに潜入するのだから、成績が伸び悩んで退学、なんて事態は避けたいという狙いもある。
オリヴィエは、漏れ鍋の出入り口に歩いていく。ホグワーツへはキングス・クロス駅から、11時発の列車に乗る。駅には結構人が居るらしく、迷わないように注意するように、という常連さんのアドバイスをもとに、オリヴィエは常連さんに道案内を書いてもらう事にした。右手には切符とホームへの道案内を、左手にはトランクを乗せた大きなカートを携え、ガラガラと音を立てながら店内を歩いていると、常連さん達からしきりに声が飛んでくる。
「オリヴィエちゃん、いってらっしゃい!」
「ホグワーツを楽しんでこいよ!」
「スリザリンだけは入るんじゃねえぞ!」
「バッカお前、ハッフルパフにこそ入るなよ!」
「レイブンクローが一番いいわよ!」
様々なアドバイスに感謝。だが主観と偏見が大いに混じっているのは頂けないな、とオリヴィエは遠い目をする。1ヶ月間ずっとこんな調子だったのだ。だが、悪い気はしなかった。
オリヴィエはずっと
「みなさん、ありがとうございます」
オリヴィエは右足を軸に回転して振り返った。
「───いってきます!」
オリヴィエは出入り口のドアに手をかける。
ドアを開いた先には、1ヶ月前となんら変わらない、騒がしいロンドンの街があった。
「ひ、広い……」
場所はキングス・クロス駅、9番線プラットホーム。オリヴィエはやたらガラガラ鳴るカートを左手に携え、右手に持った道案内の羊皮紙と駅の案内図を交互に見比べていた。裏技的に魔法界のプラットホームもあるが基本的にマグルの駅なので、魔法使いのローブを着たオリヴィエはとんでもなく浮いている。ちなみにオリヴィエは、自信満々で店を出たが駅自体の利用は初めてだ。
駅舎の見上げるほど高いアーチ型の天井はガラス張りで、青い空がよく見える。壁は歴史を感じさせる煉瓦造りで、情緒もへったくれもないコンクリート打ちっ放しの
あまりにも広い駅に、オリヴィエは目眩を覚えた。心の拠り所を求めるように、オリヴィエは再度切符を確認する。『キングス・クロス駅 9と4分の3番線 11時発』大丈夫だ。きちんと合っている。現在時刻は10時40分。充分余裕があるし、まだ焦らなくても良い。道案内の紙───オリヴィエに対してとりわけ気前の良かったおばちゃんが書いてくれたもので、妙にリアルな図解と解説付きの逸品───によれば、9と4分の3番線は9番線と10番線のプラットホームの間の改札口、そこの柵に入り口があるらしい。
オリヴィエは件の柵を眺めた。なるほど確かに若干の魔力を感じる。
オリヴィエが右手に持っていた道案内の羊皮紙には、先程は見当たらなかった『思い切ってまっすぐ走って行く』という文言が浮かび上がっていた。どういうメカニズムかは存じ上げないが、
「思い切って、って……無機物にか……?」
ゆっくりと柵に手を伸ばすと、金属の冷たい感触は伝わって来ない。不思議に思って見てみると、指先が柵にめり込んでいる! オリヴィエは一瞬、短く悲鳴をあげそうになった。が、すんでのところで強引に飲み込む。オリヴィエはホラーに弱いという訳ではなかったが、下手なスプラッター映画よりもよほどぞくっとする絵面だった。
不思議な話だが、どうやら本当に柵をすり抜けて行けるらしい。やや心臓に悪かったが、結果オーライというわけだ。認めたくはないが。
身をもって柵の安全性を確認したオリヴィエは、もう半ばやけくそでカートを押した。カートがどんどん柵に引き寄せられて行く。3、2、1、ぶつかる───というところで、検証の通りきちんとカートは柵をすり抜けた。これ、仮に通り抜けなかったとしたらどうするのだろう。
すり抜けて着いた場所は、マグル側のプラットホームとは似ても似つかない雰囲気の場所だった。プラットホームには紅色の蒸気機関車が停車していて、天井に張り付いたような煙が立ち込めていた。マグルのプラットホームには現代風の電車が停まっていたから、その差は歴然だった。改札口の筈だった場所は鉄のアーチがかかっていて、『9 3/4』と書いてある。どうやら、無事に到着したみたいだ。
プラットホームには、もう既に沢山の生徒で溢れかえっていた。先頭の2、3両はもう生徒で埋まっているし、乗れるコンパートメントを探している生徒も少なくない。流石世界最高峰の魔法学校。生徒数も一級品だ。
オリヴィエはカートを押しながら後ろの方の号車に向かった。先頭の方から生徒が埋まって行っているし、後ろの方が人には会いにくいはずだ。オリヴィエは別段人嫌いという訳ではないし、沈黙には強い方だと思う。だが、オリヴィエは一般的な11歳に比べて口下手だ。漏れ鍋の常連さん達は向こうがよく喋ったので聞き役に徹するだけで良かったが、子供同士だと何があるかわからない。だから、人は避けられるなら心理的には避けたい。まあ、オリヴィエが人を避けるならどうせコンパートメントに『
プラットホームのどこかから、不機嫌そうなふくろうの鳴き声が聞こえた。耳を澄ませばヒキガエルっぽい鳴き声も聞こえるし、足元には色とりどりの猫が歩き回っていて、うっかり踏んでしまいそうで怖い。そういえばペットの持ち込みも許可されていたっけ、とオリヴィエは思い出す。もっともオリヴィエは生き物と触れ合うのがそこまで好きではないし、オリヴィエはなぜか動物を飼うのが壊滅的に下手だ。ペットは飼わない方が得策だろう。オリヴィエの精神衛生の為にも、オリヴィエに飼われるペットの為にも。
最後尾から3つ目の号車の前で、オリヴィエはピタリと止まった。ここぐらいでもういいだろう、とオリヴィエはカートを方向転換する。カートに乗っているトランクは一見するとオリヴィエ一人では持ち上がらなさそうだが、実のところそうでもない。このトランクも実はオリヴィエが作った
時間帯に加えて最後尾近くということもあって、オリヴィエ以外には誰も居なかった。コンパートメントにも廊下にも人っ子一人いないし、車内はやけに静かだった。オリヴィエは適当なコンパートメントを見繕って、カートを押し込んだ。
「
オリヴィエはトランクの中からルーンのカードを取り出し、コンパートメントの入り口に貼り付けた。変な模様が描かれたただの紙にしか見えないが、それでいてれっきとした魔術の道具である。このルーンはオリヴィエのオリジナルで、ルーンを書いた一種の御札だ。御札が浄化の効果をもたらすのも地脈の制御という特色があるからで、御札の効果をルーンの魔術に重ねる事によってより効果的な地脈の制御が可能になるのだ。その上大量に貼り付けたルーンの回収作業も短縮でき、一石二鳥のメリットがある。オリヴィエが今発動したのは『
また、オリヴィエは『ノタリコン』という技能を持っている。ノタリコンの元ネタは、ユダヤ教を起点とした神秘主義思想・カバラだ。カバラは『セフィロトの樹』をはじめとした近代西洋魔術に深く関係する思想で、オリヴィエでなくても魔術師ならば誰でも知っている基礎的な知識として知られている。そして、ノタリコンというのははギリシャ語で速記者という意味だ。アルファベットの頭文字を取って繋げることで新しい言葉を生み出すというもので、長い詠唱を大幅に短縮する事ができる。感覚的には日本のあいうえお作文みたいなもので、
人払いを済ませたオリヴィエは、ほっと息を吐いた。窓に寄って外を見ると、オリヴィエの方を見ている人は居ない。オリヴィエの方からは見えるのに向こうからは見えないなんて、まるでマジックミラーみたいだった。
オリヴィエは座席に座って、トランクを開く。トランクの中には何も入っておらず、なにかの入り口のようなものが裏地にあるだけだった。オリヴィエは躊躇いもせずその入り口に手を突っ込み、なにかをまさぐるように手を動かす。オリヴィエが手を引き抜くと、その手には魔法瓶の水筒と、読むのに二時間はかかりそうな分厚いハードカバーが握られていた。
さっきトランクに魔術がかけてあると言ったが、その魔術は『縮地』という。道教神話に出てくる技で、所謂仙術に分類されるものだ。これもまた地脈を使ったもので、千里先でも目の前であるように距離を縮める事が出来る。このトランクが繋がっているのは、オリヴィエの自室だ。自室に繋がる鞄には何も入れる必要がない。だからオリヴィエのトランクは異様に軽かったのだ。荷物が少ないと心も軽くなる。オリヴィエはあまり重いものを持つのが好きではない───むしろ好きなやつを見てみたいものだ───ので、まさにうってつけと言っていいだろう。
オリヴィエは早速ハードカバーを机の上に開いて、自室から持ってきた魔法瓶を開けた。立ち昇る温かな湯気と、鼻腔をくすぐる上品で深みのある香ばしい香り。そう、紅茶である。漏れ鍋で飲んでみた紅茶やコーヒーも悪くはなかったのだが、やはり自分自身の舌で厳選した茶葉で淹れた紅茶は味が段違いに良い。久々のティータイムが列車の中、というのは興がなくてよろしくないが、1ヶ月ぶりにゆっくりと楽しめたのだ。それをまず喜ぼう、と思いながら、オリヴィエは魔法瓶に口をつける。
それと同時に、乗車を急かす汽笛が鳴り響いた。もうすぐ、列車は動き出すだろう。
オリヴィエは本を読むのが速い。魔導書図書館として世界中で魔導書を読み耽った賜物か、普通に比べて圧倒的に速く読める。速読などの特別な技術がある訳ではなく、単に文字を追うのが速いのだ。
案の定、ハードカバーももう読み終わってしまった。縮地のトランクがある分、次の本もすぐに取り出せるので特に問題はない。
顔を上げたオリヴィエがふと時計を確認すると、もう昼時も近くなっていた。今は12時。なるほど、道理で空腹を感じる訳だ。
窓の外を見ると、外の景色は自然に囲まれた牧場になっていた。羊や牛が放牧されていて、だいぶ広い。列車のスピードを感じさせるように、野原や小道はびゅんびゅん通り過ぎていった。煉瓦やコンクリートに囲まれた都会暮らしではなかなかお目にかかれない、心が洗われるようなのどかな景色が窓の外に広がっている。
オリヴィエは紅茶のおかわりと次の本をトランクから取り出す。トランクから取り出した魔法瓶を開けると、「かぽっ」という音と一緒に、湯気が滑らかにねじれながら上へ上へと立ち昇っていった。それと同時、紅茶の香りに反応したように、オリヴィエのお腹からぐうう、という音が。
「……お腹空いたなぁ」
天を仰ぎ、オリヴィエは呟く。話で聞くには12時半ごろに車内販売が来るらしい。なんでも、多彩な種類のお菓子が楽しめるという。───今から人払いを解いておくべきだろうか。
オリヴィエは立ち上がって、コンパートメントのドアに貼り付けた御札を剥がした。今頃になってコンパートメントに入ってくる物好きも居ないだろう。というか、オリヴィエとて話し相手が要らない訳ではないのだ。沈黙に強いだけで、一人に強い訳ではない。それに、人払いをしたといっても大人数が苦手なだけだ。仮に今頃コンパートメントに入ってくる物好きが居たとしてもそこまで大人数では来まい。大人数で来ても、そんなにコンパートメントに入らない。いざとなれば武力行使も辞さない方針で行けば、なんとかなるだろう。
オリヴィエは苦笑いし、魔法瓶に口を付ける。長編ものの冒険小説を開いていると、17章中8章に差し掛かったあたりで通路でガチャガチャという大きな音がした。えくぼが特徴的なおばさんがニコニコ笑いながらドアを開ける。おばさんが携えているのは大きめのカート。なるほど、噂をすればというやつだ。車内販売のお出ましである。
「車内販売よ。何かいりませんか?」
オリヴィエは首をもたげて、カートの中身を見た。カートの中にお菓子が山積みになっている───一種類ごとに一個で丁度満腹になりそうだ───。バーティー・ボッツの百味ビーンズやら、蛙チョコレートやら、明らかにゲテモノお菓子が並んでいる───絶対に買いたくない、と思った───が、中にはドルーブルの風船ガムやかぼちゃパイや大鍋ケーキなど
車内販売はゲテモノお菓子の殿堂であるとオリヴィエはたった今理解したが、まともな奴はふつうに美味しかった。かぼちゃパイは手作りと比較しても遜色ない出来だったし、ドルーブルの風船ガムは膨らみすぎて驚いたこと以外はふつうに美味しいガムだったし、大鍋ケーキは買って帰りたいと思うほどオリヴィエも気に入った一品だった。そしてやはり、甘い物があると紅茶が進む。元々オリヴィエが紅茶党である事も相まって、紅茶とセットにすることによってお菓子の消費スピードはぐんと上がった。
窓の外の景色は、さっきまでののどかな雰囲気と打って変わって荒涼としていた。うっそうとした暗い色の森、同色の丘、曲がりくねった川が視界に入る。空は曇っていて、何処と無く不安を感じさせる暗さだった。
紅茶とセットだとお菓子は食べ過ぎてしまう。ちょっとお菓子を多めに買い過ぎただろうか。3時くらいまで待つか、と考えていると、コンパートメントのドアが開いた。栗毛の少女と、丸顔の少年だ。栗毛の少女は新品の制服に着替えていて、自信に満ち溢れている感じがする。あと若干出っ歯だ。丸顔の少年は、栗毛の少女の態度とは逆に半べそだった。
「ねえ、ちょっと。あなた、ヒキガエルを見なかった? ネビルのがいなくなったの」
栗毛の少女が言った。少女は、何処と無く人を小馬鹿にしたような喋り方をする。自信に満ち溢れているような雰囲気といい、威張っているような感じがした。
ヒキガエルなんて見かけただろうか。オリヴィエは思い出そうとするが、いなかったはずだ。というか、ペットに逃げられる飼い主って大分間抜けだとオリヴィエは思う。
「見ませんでしたよ。見たら多分覚えてますよ、私記憶力いいので。見たらお伝えしますね。あ、かぼちゃパイいります? 紅茶もありますけど」
オリヴィエは片手でかぼちゃパイを差し出す。少女は「あら、どうも」といって受け取った。栗毛の少女はコンパートメントに入ってきてオリヴィエの向かいに座り、オリヴィエの紅茶を待った。オリヴィエが自分で誘っておいて何だが、この栗毛の少女、なかなか図々しい性格なのかもしれない。
「ありがとう。ねえ、あなたってマグル出身? それとも魔法使いの子供だったりするのかしら。私はマグルの出身なの。私以外に魔法族が家にはいなくて、私が初めてなんですって。私、とっても驚いたわ。ホグワーツって世界一の魔法学校なのよ。そんな学校に入学できるなんてとっても嬉しいことよね。それで私、教科書は丸暗記したの。これで足りるかもわからないくらいだわ。そうそう、あなたはどの寮に入りたい? 色々調べてみたんだけど、私は断然グリフィンドールね。偉大な魔法使いや魔女を何人も輩出したんですって。ダンブルドアもグリフィンドール出身なのよ。でも、レイブンクローも悪くないわ。ああ、スリザリンはあんまり嬉しくないかもね。スリザリンは悪の魔法使いの巣窟って言われてるの。絶対、性格悪いに決まってるわ。───私、ハーマイオニー・グレンジャー。あなたは?」
ハーマイオニーはそれを一言で言い切った。恐ろしい肺活量と滑舌である。アナウンサーになれるのではないだろうか、とオリヴィエは思った。
それと、オリヴィエは名前の言い方の違いに気づいた。若干だが、ファーストネームとファミリーネームの繋ぎ方が違う。思い起こせば、漏れ鍋の彼ら彼女らもそうだった。魔術師か魔法使いか、どちらかがずれているようだ。
そして、ハーマイオニーはオリヴィエが出した紅茶をぐいっと飲んだ。「おいしい」と一言呟き、席を立つ。この少女、話す為だけに座ったのだろうか。ふつうに人からはうざがられそうだが、オリヴィエにとっては丁度いい相手だった。オリヴィエは口下手なので、ハーマイオニーのように勝手に喋ってくれる人間は話さなくていい点がありがたい。だが、ハーマイオニーはやや思い込みが強いようだ。漏れ鍋の常連さん達と同じく、寮の優劣を語ろうとしている。そこだけは若干相容れなかった。
「私はオリヴィエ・コニアテスです。紅茶、気に入って頂けて嬉しいです」
オリヴィエは先程の違和感を、ハーマイオニーに合わせる事で解決した。漏れ鍋の人々がそうだった点で、少なくとも魔法界はこういう発音なのだろうと予測したからだ。魔法界で生活するときは、こっちに合わせる事にしよう。
ハーマイオニーは「オリヴィエね、よろしく」といってコンパートメントを出て行った。
ヒキガエル、一応探してみるか。
「あと五分でホグワーツに到着します。荷物は別に学校に届けますので、車内に置いていってください」
車内にアナウンスの声が響き渡る。結局ヒキガエルは居なかった。通りすがりのハーマイオニーに聞いたが、見つからなかったらしい。オリヴィエが「もし見つかったら、失くさないように気をつけるように伝えてください」と言うと、ハーマイオニーはわかったと言って先頭の方にスタスタと歩いていった。
列車はどんどん速度を落とす。オリヴィエはアナウンスに従って荷物を放置し、通路の生徒集団の中に加わった。通路にいる生徒は年上が殆どだったし、そして年上は大体背が高い。オリヴィエが人の波に流されながらアワアワしていると、気がつけば列車の外にいた。
そこは小さなプラットホームだった。灯りは極端に少なく、日は完全に落ちていて、プラットホームは薄暗い。視界の隅に入った看板には、ホグズミード駅と書かれていた。空はどっぷりとした深い暗闇に包まれていて、まばらに星が瞬いている。空気は冷たく、冬のような冷たい夜風にオリヴィエは体を震わせた。
オリヴィエがその場になんとか留まっていると、頭上にランプがゆらゆらと近づいてきた。光を追って光源を探すと、
「イッチ(一)年生! イッチ年生はこっち! ハリー、元気か?」
常人の数倍の大きさの大男が人波の向こうで笑っている。漏れ鍋でハリー・ポッターの隣にいた、ひげ面の大男だ。確か漏れ鍋の店主の知り合いで、ハグリッドという男だ。
「さあ、ついてこいよ───あとイッチ年生はいないかな? 足元に気をつけろ。いいか! イッチ年生、ついてこい!」
ハグリッドの案内で、オリヴィエ達一年生は駅を出た。ハグリッドは、険しくて狭い小道を降りていく。右も左も真っ暗で、はぐれたら何があるかわからないところだった。多分森の中なんだろうな、とオリヴィエは思った。二回ほど、誰かが鼻をすする音が聞こえた。
「みんな、ホグワーツがまもなく見えるぞ。この角を曲がったらだ」
大きな歓声があがった。狭くて小さな小道が一気に開け、大きな湖の側に出たのだ。反対岸には大きな山があり、天辺に城がそびえ立っていた。大小様々な塔が集まっていて、光が漏れ出す窓の一つ一つが、背後の夜空と相まって星のように光り輝いている。
「四人ずつボートに乗って!」
ハグリッドが大声を出した。いや、ハグリッドはずっと大きい声を出していたので、きっと平常運転なのだろう、とオリヴィエは思った。
ハグリッドは、岸辺に繋がれている小舟を指差した。誰も乗っていないボートにオリヴィエが乗ると、その後に名も知らない同級生が3人続いた。
「みんな乗ったか?」
四人乗りのボートを一人で占領して乗っているハグリッドが言った。どれだけ重いのだろう。少なくとも、3倍はありそうだとオリヴィエは思った。
「よーし、では、進めえ!」
ハグリッドが号令をかけると、全部のボートが一斉に動き出した。ボートは湖面を滑るように進んでいく。これも一種の魔法なのだろうか、とオリヴィエは思った。今更ながら、魔術に比べて魔法は便利である。
ボートはスムーズに湖を渡った。山の上に乗っている城は、近くに行くとより一層大きく見えた。これがホグワーツの校舎だ。迷わないといいな、とオリヴィエは心の中で密かに願った。
「頭、下げぇー!」
ハグリッドが声を掛けた。声に従って頭を下げると、オリヴィエ達一年生を乗せたボートは蔦のカーテンを潜り、その影にある大きな崖の入り口に入った。その先のトンネルを潜ると、若干開けて地下の船着き場に到着する。オリヴィエはボートを降り、岩と小石の上に立つ。
「ホイ、おまえさん! これ、おまえのヒキガエルかい?」
全員が下船した後のボートを調べていたハグリッドが声を出した。ヒキガエル、という単語でオリヴィエはなんとなくわかっていたのだが案の定、列車で会ったヒキガエル探しのネビルだった。ネビルは「トレバー!」と叫びながらヒキガエルを受け取る。
一年生達一団は再びハグリッドの後ろについていった。ハグリッドはランプを掲げながら、岩の道と湿った草むらを先導した。
城に入る石段を全員登り、一年生達は大きな樫の木でできた扉の前に集まった。ハグリッドは
「みんな、いるか? お前さん、ちゃんとヒキガエル持っとるな?」
と話しかけて二度目の確認をし、大きな握りこぶしで樫の木の扉を3回叩いた。
初の一万字超えです。やったね。
今回書かせて頂いた人払いの御札云々の話とか縮地トランクとかは私のオリジナルです。破茶滅茶魔術理論、お楽しみ頂けたら幸いです。
次回は組み分けです。オリヴィエちゃんは何寮に組み分けられるでしょう。(めちゃくちゃ迷いました)お楽しみに。
では、この辺りで目を離して頂いて、
次話に進んで頂ける事を祈りつつ、
今話はこの辺りで筆を置かせて頂きます。(鎌池和馬先生風)