的な回になっているはず。
スリザリンはホグワーツの嫌われ者である。
スリザリン以外の三寮は悉くスリザリン生を嫌い、またスリザリン生は他寮生を嫌う。特にグリフィンドールからは蛇蝎のごとく嫌われ、グリフィンドールとスリザリン両者は因縁の
ともあれ、スリザリンが他寮生から嫌われているのは周知の事実だ。特にグリフィンドールとは壊滅的に馬が合わず、互いは互いをしょっちゅう罵り合う。ならば無理に接触を起こすのは間違っていよう。それでもこういう事が起きるのは、なんらかの陰謀でも絡んでいないと説明がつかないとオリヴィエは思いたい。
―――飛行訓練は木曜日に始まります。グリフィンドールとスリザリンとの合同授業です―――
つい数日前のスリザリン寮談話室、掲示板にはそんなことが書いてあった。朝特有のひんやりとした地下の空気は寝起きだろうとすっきりとした気分にさせられる。掲示板のその脇には『来週からの合言葉』の張り紙、正面には難しい顔をしたオリヴィエ。隣に居たダフネは憂鬱そうに、もう一個向こうにいたドラコは得意げに、それぞれ完璧に同じタイミングで息を吐き出したものだ。
「こんな授業もグリフィンドールみたいなところと一緒なの? 気分が悪いわ」
「僕は楽しみだね! やっと学校で僕の飛ぶ様を披露できるなんて!」
ダフネはあからさまに嫌そうにうげぇと言い、ドラコはふんすと踏ん反り返りながら、朝食を求めて食堂へと歩いて行った。両者の反応は実に対照的だったが、根底にある思考回路は変わらないとオリヴィエは考えている。ダフネが憂鬱そうなのは単純にグリフィンドールが嫌いだからで、ドラコが得意げなのは大嫌いなグリフィンドール―――特にポッター―――に自分の素晴らしい飛行を見せつけてやりたいという思惑が入り込んでいるからだ。双方共にグリフィンドールが嫌いなのは変わらず、そして寮ごとのいがみ合いを嫌うオリヴィエとは相容れなかった。
―――箒飛行、か。
掲示物の「飛行訓練」という一節を、オリヴィエはゆっくりと指でなぞった。飛行術式は幾度か試した事があったが、ペテロ系の撃墜術式があるせいで―――ついでに、飛行術式は魔女の得意分野だからオリヴィエは堕とす側だ―――実戦で運用したことは未だない。撃墜術式が効くとはいえ、魔法界では深く浸透している箒飛行には、少々とは言えない好奇心があった。
もっとも、魔法使いの家の子供はオリヴィエよりも余程空を飛びたがった。
数日前に飛行訓練が予告されるや否や、まず初めに箒飛行について語ったのはドラコ・マルフォイだった。ドラコはいつ何時たりとも口を閉じることは無く、自身の飛行体験―――なぜか、毎度毎度マグルのヘリコプターを危うく躱したところで締めくくられる―――をしょっちゅう話していたし、一年生がクィディッチの寮代表選手になれないのが残念だ、と不満をこぼしていた。ドラコの自慢話がうるさかったのかあまり長々と話したがったスリザリン生は少なかったが、飛行訓練を心待ちにする同級生はグリフィンドールやスリザリン問わず存在した。グリフィンドールのテーブルに耳を傾ければ、クィディッチの話や実家に居た頃の飛行体験がひっきりなしに話題に上がっていたし、クィディッチとサッカーのどちらが面白いかという論争をしているグリフィンドール生も見受けられた。―――悲しい事に、話に耳を傾けようと近くで立ち止まっていると「うげ」という声と共にしっしっと追い払われてしまうのだが。
ともあれ、飛行訓練が一年生に大きく影響を与えたのは誤魔化しようのない事実である。魔法使いの家の子供のみならず、マグル出身の生徒も期待感を口にしていた。とりわけ飛行訓練に必死だったのはハーマイオニー・グレンジャーで、体を使った実技教科は不得手なのか、箒の扱いのコツを図書館で仕入れてはグリフィンドールのテーブルで垂れ流していた。ハーマイオニーの話に
「あら、オリヴィエじゃない。次は飛行訓練よ、外に出ましょう」
最近耳に馴染んできたダフネの声に、オリヴィエは意識を現実に引き戻された。横にはパンジーやミリセント、ついでにドラコや取り巻き達も居る。どうやらオリヴィエは、ここ一週間でドラコを軸としたスリザリン中心グループの端くれになりつつあるようだった。
ポケットから取り出したアンティークものの懐中時計を見ると、三時半前を指していた。空は青く晴れ渡り、さわやかな微風が吹き抜けている。芝生が風でさわさわと揺れる緩やかな坂を、校庭を横切りながら下っていくと、平坦な芝生が現れた。遠方には暗色の森、反対側には所謂『禁じられた森』が見え、誰も居ない芝生の面に二十本の箒が並べられている。小走りで側に駆け寄ったオリヴィエがじっくりと観察していると、何もしていないのに箒がプルプルと小刻みに震えていた。
程なくして、グリフィンドール生もやってきた。ポッターやハーマイオニー、初回の魔法薬からオリヴィエと組む事が多いアルバート―――友人が居ないのだろうか―――や、ポッターの友人らしい赤毛の―――ドラコ曰くウィーズリーなんかが歩いてやってくる。ポッターはスリザリンとの合同授業が余程嫌なのか、しかめっ面を隠しもせずに歩いてきていた。それを見たドラコが、「なんだいあのポッターの顔は」と吹き出していた。
グリフィンドール生もスリザリン生も勢揃いした。グリフィンドール生がやってきた後すぐに現れたマダム・フーチは、鷹のような黄色の目と健康そうな体をせかせかと動かしながら、
「何をボヤボヤしているんですか―――みんな箒の側に立って。さあ、早く!」
ガミガミと怒鳴りながら指示を出した。
生徒達がおずおずと、或いは悠々と、箒の側に立った。マダム・フーチは
「右手を箒の上に突き出して―――そして、『上がれ!』と言う」
と掛け声をかける。すると全員が一斉に、「上がれ!」と叫んだ。オリヴィエも無論叫び、あっさりと手の中に箒を納める。オリヴィエの予想通り、箒の方で処理が行われているようだ。少し遠くに居るドラコは余裕綽々で持ち上げていたし、ポッターも難なく引き寄せている。箒の実技には自信がなさそう―――だからこそ、図書館から引っ張って来た飛行のうんちくを語っていたのだろうし―――だったハーマイオニーや上がれの声が震えに震えているロングボトムは上手く上げられていないようだ。どうにも、箒の操作は術者の精神状態に大きく左右されているようだった。
全員がなんとか箒を手に納めたのを見届けたマダム・フーチは、箒への正しい跨り方をやってみせた。これがまた難関で、殆ど予習無しだったオリヴィエは何度も何度も修正を受けた。ずっと自慢話を垂れ流していた割にはドラコがずっと箒の握り方を間違っていたので、ポッターとウィーズリーがあからさまに大喜びしていた。
「さあ、私が笛を吹いたら、地面を強く蹴って下さい。箒はぐらつかないように押さえ、二メートルくらい浮上して、それから少し前屈みになってすぐに降りて来て下さい。笛を吹いたら、ですよ。一、二の―――
笛の音の前に、せっかちな誰かが風を切る音が真っ先に耳に入り込んだ。オリヴィエが急いで主を探せば、トラブルメーカーのネビル・ロングボトムが、必死に箒にしがみつきながら上へ上へと上がっていくではないか。「こら、戻ってきなさい!」とマダム・フーチが叫ぶ。だが、ロングボトムは恐怖にかられて何も言えず、ひっひっと浅い呼吸を繰り返した。掃除機に吸われるが如き滑らかさで、スーッと上昇していく。ロングボトムは声にならない声を情けなく撒き散らしながらぐんぐんと上昇していった。2メートル、3メートル、4メートル―――ロングボトムの上昇は止まらない。
オリヴィエはその様子を、大人しく見守っていた。一瞬は撃墜術式で落とそうかとも思ったが、自由落下と違って撃墜術式を使ったら余計な効果を足してしまう可能性がある。重症か、最悪死ぬ。オリヴィエが見たところあの高さから落ちてもせいぜい骨折くらいだろうし、自由に落下させておこうではないか、とオリヴィエは踏み止まったのである。
誰もが、落ちたあとのロングボトムの怪我の心配をしていた。ロングボトムが落ちるや否や医務室に駆け出さんと構えている生徒が、ちらっとオリヴィエの視界に入った。そして、最高点まで上がった箒からバランスを崩して転落したロングボトムは、地面に向かって真っ逆さまに落ち―――なかった。
あろうことか、箒がロングボトムを拾ってまた上昇を始めたのだ。
どよめきが起こった。
6メートルどころではない。10メートル、15メートル、上下に大きく揺れながらさらに上がっていく。ハーマイオニーが息をのんだ。ドラコが腹を押さえて必死に笑いを堪えていた。ロングボトムは半分失神状態で、箒にしがみついているのが精一杯だった。オリヴィエには、ロングボトムが再度動き始める直前の一瞬に、箒に不可視のなにかが纏わりつくのが見えた気がした。正体を見極めんと目を細めようとした瞬間、
「
マダム・フーチが杖を振った。オリヴィエには、杖の先から魔力が噴出して箒に入り込むのが見えた。魔術師たるオリヴィエには、魔力の流れが見えるのだ。入り込んだ魔力は箒の制御を上書きし、箒は上昇していく勢いを一気に静止した。箒はゆっくりと下降する。ロングボトムがへなへなと脱力するのが、遠目からもよく見えた。グリフィンドール生の群れからは安堵の、スリザリン生の群れからは失望の、溜息が一斉に出た。
―――だが、魔法の効果を一切無視して、箒は激しく動き始める。
完全に油断していたロングボトムは、勢いに振られて大きく吹っ飛んだ。気の弱い女生徒がきゃあと小さく叫んだ。寮を問わず、全員が息をのんだ。そしてロングボトムを吹っ飛ばした箒は、自分の勢いで吹っ飛ばしたにも関わらず、あろうことか甲斐甲斐しくロングボトムを拾いに行くではないか。全くの予想外の展開に、全体からは再度どよめきが起こった。
全員の目が箒とロングボトムに集中する中、オリヴィエは、目一杯の力で親指をガリガリと噛んでいた。オリヴィエの見立てが正しければ、これは魔術師オリヴィエ=コニアテスとしての緊急事態だ。なぜかと言えば単純で、箒は甲斐甲斐しくロングボトムを拾いに行っていたのだ。まるで、
―――まるで、何者かに停止されるのを待っているかのように。
つい先刻、箒はマダム・フーチの妨害を無視して動き始めた。これは、マダム・フーチの魔法を上回る出力で箒に干渉する何かがあったからだと考えられる。そしてオリヴィエの中で、そんな事が出来るのは魔術師くらいだと推測される。ここに居るのはひよっこも良い所の魔法使いの卵達で、教師たるマダム・フーチを超える魔法をかけられる人間など居ないからだ。ついでに先刻、オリヴィエにはロングボトムの箒に干渉する力が見えていたのだが、それは魔法とは異なる純度の魔力であり、生み出せるのは魔法使いではなく魔術師だ。
つまり、こういう事になる。
この中には魔術師が紛れていて、ロングボトムの箒の暴走を隠れ蓑に、箒を操ってほかの魔術師をあぶり出そうとしているのではないか、と。そうでもなければ、魔術師がロングボトムの箒を動かして、ロングボトムが落ちても態々拾いに行く理由の説明がつかない。仮に理由が他にあるとして、それが一体どんなメリットになるというのだ。
だとすれば、だ。オリヴィエは干渉するべきではない。オリヴィエの仰せつかった任務は、魔法学校にて魔法を学ぶ事や魔法界について見識を広げる事なんかだ。ロングボトムを救う事でも正義の味方ごっこをする事でも、ましてや下手に目立って変な風に見られる事ではないのである。ここで変に介入して目立ったとして、任務が進む訳ではない。ならば此処は傍観に徹していようではないか。魔術師もなるべく無視で良い。敵魔術師を追求するのは任務に入らないし、今はまだ泳がせておいても支障はない。クリスマス休暇にでもイギリス清教へ持ち帰って、上司に指示を仰ごう。
この場はオリヴィエが収めるものではない。多分、きっと、恐らく、ロングボトムを救う人間が現れるだろう。何も箒の制御を魔法で乗っ取る必要は無いのだ。ロングボトムさえ救えれば方法はいくらでもある。オリヴィエは、鼻を鳴らす事で傍観の決意を固めた。
「ネビル―――ッ!」
噂をすれば、である。そらきた、勇敢なグリフィンドール生だ。オリヴィエは冷ややかに周囲を見回すと、箒を掴むポッターが目に入った。流石、魔法界の大英雄様である。
ポッターはマダム・フーチやハーマイオニーの制止も聞かず、箒にヒラリと跨ると、箒飛行未経験を感じさせない『こなれ感』でスムーズに飛び上がった。グリフィンドール生は皆歓喜の声を上げていた。グリフィンドールの女生徒はキャーキャーと黄色い声を上げていたし、ヒューヒューと口笛を吹いている生徒が居たり、赤毛のウィーズリーが感心の意を口にしていたりしていた。スリザリン生も呆然とポッターを見上げるのみで、唯一ドラコが不快そうにポッターを睨んでいた。
ポッターはスルリと上昇し、ロングボトムに近寄った。ロングボトムは必死に箒にしがみつきながら、顔は泣きべそのぐっちゃぐちゃだった。ポッターが「ネビル!」と叫ぶと、ロングボトムはほっとするやら何やらで手を離し、校舎の方へ大きく吹っ飛んでいった。無論、ポッターは見逃さない。ポッターは急加速してロングボトムを追うと、ロングボトムが校舎の凸凹した煉瓦壁にぶつかる直前でしっかりとロングボトムを掴んだ。ポッターはそのまま、ロングボトムの重量を受け止めるように縦回転しながら高度を下げ、芝生の上に軟着陸する。
沈黙が流れる。
芝生に埋もれていたポッターはやがてのそのそと這い上がり、ロングボトムの意識を確認しながら、マダム・フーチを呼んだ。マダム・フーチは二人の所へ駆け寄ると、
「―――ネビルが失神しているわ、医務室に連れて行かなくては。それとハリー、あなたも医務室です。あんな無茶をして……早くマダム・ポンフリーに見せなくてはいけません」
そう言って二人を医務室に連れて行った。オリヴィエ達生徒に、箒に触らない様にきっちりと言いつけてから。先刻の異様な高揚感から打って変わって、場はシンと静まり返っていた。マダム・フーチが返ってくるまでそのまま沈黙が続くかと思われたが、少しの静寂を破って笑い出したのはドラコだった。
「あいつの顔を見たか? あの大間抜けの」
スリザリン生が―――オリヴィエを除いて―――げらげらと笑った。あんまり皆が笑うものだから、オリヴィエも弱々しく苦笑いした。
ドラコの冷やかしに呼応するようにお喋りを始めるスリザリンの面々だったが、無論、グリフィンドール生は良い顔をしなかった。アジア系の顔をした美少女のグリフィンドール生は一歩踏み出して、
「やめてよ、マルフォイ」
と咎めた。しかし、その程度でスリザリンの悪戯精神は止まるまい。ドラコの隣で突っ立っていたパンジーは最高に意地の悪い顔を作ると、アジア系のグリフィンドール生へと冷やかしの矛先を向けた。
「へぇ、ロングボトムの方を持つの? パーバティったら、まさか貴方が、あんなチビデブの泣き虫小僧に気があるなんて知らなかったわ」
くっくっく、とパンジーは喉の奥で笑った。オリヴィエは小声ながら「ちょっと、パンジー……」という台詞が出かかっていたが、小声だった所為か、スリザリン生の集団から上がった笑い声にかき消されてしまった。調子に乗って来たドラコは、山賊も腰を抜かすくらい滑らかな動きでロングボトムの落下跡地を捜索し、一つのガラス玉を持ち出した。
「御覧よ! ―――これは皆知ってるだろう? ロングボトムのばあさんが持ってきた馬鹿玉だ。ロングボトムがこれを失くしたことに気づいたとき、どんな顔をするんだろうな」
ドラコが持ち出したのは、白い煙が中で渦巻いているガラス玉だった。つい今朝方、ロングボトムが掠め取られかけていたものである。あれはロングボトムの婆さんが送ってきたものだったのか、とオリヴィエは今更事実を知った。
グリフィンドール生サイドから猛烈なブーイングが上がった。特に赤毛のウィーズリーは激昂して箒を掴みかけたが、ハーマイオニーが何度も制止の言葉を口にしたおかげで渋々ながら大人しくなった。文句の嵐の中に突っ立っているドラコは、なぜかもわからないほどドヤ顔で、偉そうに踏ん反り返っていた。
「返してほしいなら、ロングボトム本人が取りに来れるように隠しておかないと。そうだな……木の上、なんてのはどうだい?」
ドラコはそう言って、箒に手を伸ばした。
が、箒に触れる瞬間、遠くからマダム・フーチの大きな声が聞こえるのに全員が気づいた。勿論ドラコも気づき、俊敏な動作で箒を置くと、ガラス玉を明後日の方向に放り投げ、何事もなかったかのように平然と立っていた。
ごたごたがあったせいで、授業時間は大幅に減少していた。マダム・フーチの指示に従いながら浮いて、基本的な動作を確認するだけにとどまった為、オリヴィエとしてもあまり収穫のない授業になってしまった。強いてオリヴィエの記憶に残ったことはと言えば、自慢をしまくっていただけあってドラコの飛行がうまかったことくらいでしかなかった。
そして、翌日。
「一週間が終わる―――!」
隣でガッツポーズを決めたアルバートの声に、オリヴィエはビクンと肩を震わせた。
ホグワーツの一週間は5日だ。月曜日から木曜日まで6時間―――天文学を入れれば7か―――授業、金曜日は昼までの授業で土日は休みである。所謂完全週休二日制というやつだ。―――そして一週間最後の日たる金曜日の最後の授業こそ、スリザリンが寮監のスネイプ教授が担当する、魔法薬学である。
オリヴィエはひんやりとした冷気漂う地下室の中で、ふうと小さく息を吐いた。1ヶ月も過ごせば慣れ親しむ大理石の壁とやけに低い天井、対して未だ慣れない、ズラリと並ぶやや不気味なアルコール漬けの動物達。ここ第三地下室にて、オリヴィエ達スリザリンとグリフィンドールの一年生の一週間は終了した。一月目ではあるが、休日の気配はいささか甘美である。
やっと、一週間が終わったのだ。休日だろうと平日だろうと寮暮らしなホグワーツでは感動が薄いが、それでも休日は心踊る。オリヴィエはホグワーツでやらないといけない事が山積みだからだ。ホグワーツの構造を分析し、隅から隅まで探索し、図書館に通って―――故にしばしばハーマイオニーと遭遇するが、どうも避けられているようだ―――魔法界について理解を深め、授業の予習をしておくだけで土曜日が終わっている。せめて予習だけは平日にやっておかねば、とオリヴィエが危機感を抱いたのはつい先日の事で、つまるところ今はスリザリン生の知り合いの集団に真っ直ぐ飛び込んでいくべき時間ではなかった。
オリヴィエは教卓をチラと見やった。前方を横切るアルバートがはければ、オリヴィエのお目当てがしっかりと見える。土気色の肌と鉤鼻、ねっとりとした黒髪。そう、我らがセブルス・スネイプ教授である。スネイプ教授が魔法薬学のみならず魔法に関しては殆ど全方位カバーだと最近聞いたオリヴィエは、前回と同じように羊皮紙と羽根ペンを携え、
オリヴィエが遠慮がちに「教授。少し、よろしいでしょうか」と話しかければ、授業の後片付けをしていた教授の無愛想な顔がオリヴィエの方を向く。表情全体から「よろしくないです」という雰囲気が驚くほど伝わってくるような、いかにも鬱陶しそうな顔だ。だがしかし、ここで負けるのは魔術師の名折れである。オリヴィエは若干空気の読めない無邪気な生徒を装って、
「いくつか、質問させて頂きたいのですが」
自分でもやっていて若干気持ち悪い営業スマイルを浮かべながら、羽根ペンを構えた。オリヴィエは羊皮紙の上に『Q&A』という見出しをさらさらと書き込む。教授は明らかに嫌そうな顔をしながら、「何だね」と言った。そりゃそうだろう。3、4回の授業と寮で偶にしか顔を合わせた事のない生徒に、こんなに質問責めにされたら、誰だってこんな風な
「はい、まず一つ目です―――」
オリヴィエが丁寧な口調で質問を投げかけた。今回の授業の疑問点であるとか、プラスアルファで補足を貰いたいところであるとか、関係ないが無言呪文についてであるとか、ホグワーツでオリヴィエが疑問に思っていた事は概ね教授に質問している。あれだけ嫌そうな顔をしていたスネイプ教授だったが、オリヴィエの質問については意外にも真摯に―――言うまでもないが、あの虚無の擬人化のような平坦な声でだ―――対応していたようにオリヴィエは思った。今まで見てきた生徒の事を『ウスノロ』と呼んでいた事や、ネビル・ロングボトムやポッターをはじめとしたグリフィンドール生に対してのあからさまな嫌がらせ―――可哀想なポッターは今回の授業も1、2点ほど減点されていたし、ロングボトムはまた大失敗して大泣きしていた―――の印象が強かった所為で、生徒はどいつもこいつも嫌いなのかと思っていたのだ。それを察知されたのか否かはオリヴィエには分かりようもないが、スネイプ教授は唐突にこんな事を言い出した。
「君が我輩をどう思っているのかは存じ上げんが、我輩はウスノロどもがどいつもこいつも嫌いだ」
―――急にどうした。
オリヴィエの口をついて出かけた言葉は、鋼の意思で飲み込んだ。ただでさえオリヴィエの評価は低かろうに、急なタメ口は低評価以外の何者でもでもないだろう。故に、オリヴィエは出かかった言葉を丁寧に言い換えて、皮肉っぽくならないようにゆっくりと返事をした。
「突然どうなさったのでしょうか? 生徒が嫌いそうなのは薄々分かっていましたが……」
「ミス・コニアテス、我輩は生徒という皮を被ったウスノロが嫌いなのだ。その点君は他のウスノロに比べてまだ
―――皮肉か。こっちは必死に皮肉っぽくならないようにしたのに。
またも出かかった悪態を、オリヴィエはまたも鋼の意思で飲み込んだ。これはいかん。この悪態癖はそろそろ直さねば、とオリヴィエは密かに思った。既に記憶の海の彼方へ投げたっきり存在すら忘れてしまった方もいるかもしれないが、オリヴィエは毒舌なのである。オリヴィエは内心の悪態を抑え、会話を掘り下げる方に天秤を傾けた。
「はあ。まだ
これは社交辞令でも謙遜でもなく、オリヴィエの本心である。実際、数回の魔法薬の授業ではいずれも中の上くらいの出来で、早速魔法薬学の才能を花開かせた同寮のドラコ・マルフォイや、早くも才女―――スリザリンではガリ勉マグル、などと揶揄される事が多いが実力は本物だ―――として名を轟かせたハーマイオニー・グレンジャーなんかよりも出来は良くない。ついでに他の教科でも、変身術で若干上手く行った以外は中の上か上の下くらいで、オリヴィエよりも優秀な生徒は居る。褒められる道理は、ハーマイオニーやドラコに比べれば無いはずだが。それも察知したのか、スネイプ教授は平坦な声で、
「君は最初の授業で、我輩の問いを羊皮紙に書き取っていただろう。我輩の問いに正しく答えられるだけでは、ただのウスノロと変わらん。だが、授業をきちんと記録しておこう、という気概は、ただのウスノロに比べればまだ評価できよう。あの
「うわぁ」
―――おっと、うっかり出てしまった。
ドン引きってやつである。哀れなハーマイオニーよ永遠なれ。そして何というか、スネイプ教授が嫌われる理由がなんとなくわかった気がした。
しかしながら、唇を噛み潰してでも失言は防がねばならない、というオリヴィエの鋼の意思はあっという間に瓦解した。教授が怪訝そうにオリヴィエを見る。ブラックホールの深淵を思わせる真っ黒い教授の目が、「何がうわぁだ言ってみろ」とでも言いたげだ。オーララー。
「まあ、そんなことはいいんですよ。ところで、無言呪文ってコツとかあります?」
「先程も言ったはずであるが、1年生には不要であろう。―――強いて言えば経験を積む事であるな」
―――経験、とな。
「幾度となく魔法を使う事で、魔法の処理の仕方がわかってくるのであろうな。
「ほへえ」
重要な部分以外は上の空で聞き流しながら、オリヴィエは無言呪文について考えていた。
つまり、こういう事だろうか。本来魔法は、世界に出力する際に
「―――であるが故に、この比率では間違いが生まれるのだ。……おや、ミス・コニアテス、聞いているのかね」
「……え? あ、はい、聞いていますよ。ポッターが飛行訓練で騒ぎを起こしましたね」
「聞いていないではないか」
あれ? とオリヴィエは首を傾げる。全く別の事を考えて全く別の事を聞いていたのに、全く別の事が口から出てきた。
ポッターがこの前飛行訓練で騒ぎを起こしたがあれにはオチがついていて、実はあの後ポッターは、グリフィンドール・クィディッチ・チームの代表になったそうなのだ。クィディッチというのは魔法界でメジャーなスポーツで、ボールが多くて空を飛ぶバスケットボールみたいなものだ。クィディッチの寮対抗戦は非常に白熱し、勝敗が寮対抗杯の獲得にも関係してくるらしい。そんなアツいスポーツの才能を見出された事によって、参加前からポッターが得た称号こそ、
「今世紀最年少シーカー、ねえ」
オリヴィエが俯き、目を伏せながら呟く。教授の顔を見れば、人間これほどに嫌そうな顔ができるのか、というくらいにひどい、倍量の苦虫を嚙み潰したような表情をしていた。そんなにポッターが嫌いか。それとも、教授もクィディッチに傾倒しているのだろうか。どっちにしても面白く、オリヴィエはくすくすと笑った。
ふと気になって懐中時計を取り出すと、見えたのは『急がないと昼食を食いっぱぐれる時間』を示す短針。
「あ、私は失礼しますね。昼食を食いっぱぐれるので。それではまた」
オリヴィエは言って、食堂へと向かうべく階段を上り始めた。精一杯の愛想を込めた、営業用のスマイルで。
教授に魔法関係の事を聞けなくなると、オリヴィエは滅茶苦茶困るのだ。
フォイはなんのために思い出し玉を話題に出したんだ……?
ネビル落下事件発生ですね。事件と書いてイベントと読む。プラス、オリヴィエちゃんがスネイプ先生と急接近……な訳ないか。
先生の事を教授と読んでいるのは、どうやら原作ではprofessor(=大学の『教授』)らしいからです。間違ってたら即座に直します!!!
次回はオリヴィエちゃんは夜の徘徊に出ます。何が起きるか、想像がつきそうですがお楽しみに。
では、この辺りで目を離して頂いて、
次話に進んで頂ける事を祈りつつ、
今話はこの辺りで筆を置かせて頂きます。(鎌池和馬先生風)