魔境狩人物語 作:クーシャ騎士爵
飛行船の甲板に出ると、自分のちっぽけさを、否応無しに知らしめられる。
眼下に広がるのは、見渡す限りの大樹海。
飛行船の直下から遥か地平線の彼方まで、さながら雑草のように生い茂る青々とした木々は、しかしその一つ一つが大型のモンスターよりもなお大きい。
あの鬱蒼とした樹冠の下に広がる世界には、いったいどれほどの海千山千の魑魅魍魎が跋扈していることだろうか。
遠方の空に見える小さな翼影は、果たして間近で見ればいかなる強大な飛竜のそれなのであろうか。
人間の文明による侵食、そのほとんどを阻む、圧倒的なまでの大自然。
そんな異界の空をポツンと独り飛んでいる、小さな小さな飛行船。
街で見た時はあれほど屈強で重厚に見えた人類の叡智の結晶が、しかしことこの場所においては、ひどく弱々しく頼りないものにすら見えてしまう。
ましてや、そのちっぽけで頼りないものに、ただ命を預けることしかできない自分など。
吹き荒ぶ風に髪を揺らしながら、『ユウ』は自嘲気味に小さく笑った。
──この世界では、人の命など吹けば飛ぶような塵芥以外の何者でもないのだと。
・・・・・
「よう、キョーダイ」
そうしてしばらく、風に揺られながら広い世界を眺めていると、ふとそんな呼び声がユウの耳に入ってきた。
酒に焼けた中年男性特有の野太いしわがれ声。
なんとも馴れ馴れしい無遠慮極まりない呼びかけ方。
こういう手合いと関わっても、いいことなど何一つとしてないと経験則から知っていたユウは、敢えて顔を向けることはなく、視線だけでそちら見やる。
──ばっちり目が合った。
もしかしたらたまたま近くで聞こえてきただけで、別に自分に話しかけているわけではないのかも知れない……みたいな、そんなユウの淡い期待は見事に裏切られたのであった。
そもそも、今のタイミングでこの広い甲板に出ている人間など、自分の他には作業に従事している飛行船の乗組員くらいなものなので、本当に淡い期待ではあったのだが。
まあしかし、お陰で相手が完全に初対面の相手であるという確認はできた。
こんな昼間っから赤ら顔になるまで酔っ払っている無精髭を生やしたみっともないオッサンは、少なくともユウの記憶の中にはその面影すらも見当たらない。
ましてや、血の繋がった家族を持たず、交友関係も狭いユウに対して、「キョーダイ」などという親しげな呼びかけをする人間など、この世にいるはずもない。
そして、そんな初対面の赤の他人を相手に、目が合ったからと言って真面目に応対してやる義務は自分にはないと、ユウは再び眼下に広がる大自然に視線を戻し、ガン無視の体制を決め込むことにした。
この手のからみ酒は、相手さえしなければいずれは退屈して自分から離れていくものだろうと。
「お前さん、ハンターかい?」
結果から言えば、そんなユウの目論見は、ものの一瞬で潰えたのであった。
いっそ見事と言いたくなるほどに自然な動作でユウの隣に陣取った酔っ払いは、妙にしんみりとした調子でそんな疑問とも言えないような問いを投げかけてくる。
何故疑問とも言えないのかというと、何を隠そう今のユウはそのものズバリ、「ハンター装備」に身を包んでいるからである。
どこからどう見ても、これ以上ないほどにハンターでしかない相手に対して、これほどの愚問が他にあるだろうか。
いくら酔っ払っているとはいえ、男は足取りは確かで、呂律が回っていないわけでもない。ほろ酔いの一歩二歩先といった塩梅だ。いくらなんでも、ハンターをハンターと認識できないほど酔いが回っているとは考えにくいだろう。
要するに、この男はなんでもいいからただ何か話題を作りたいだけなのだ。
そんな寂しい中年の心理に気付かされたユウは、当然そんな男の思惑に乗ってやる道理はないと、一切の反応を示すことはなく、ただ眼下に広がる美しい大自然を無心で眺め続けた。
──暫しの不気味な沈黙が、両者の間を流れる。
男も、いくら酒が入っているとはいえ、流石にここまで暖簾に腕押しな相手にいつまでも絡み続けることはないだろう。
自分だったら、最初の呼びかけで反応が無かった時点で居辛さを感じてとっとと引っ込んでいるところだ。
興が醒めれば、この無遠慮な男でも、流石に気まずくなってこの場を立ち去るはず。
そんなユウの楽観を、当然そうは問屋が下さなかった。
「そうかい。まあ、アルペリオンに行くぐれェだから、お互い苦労してんなァ、キョーダイ」
……げに恐ろしきは、酔っ払った中年の図々しさか。
ドカッと床に座り込み、腰から取り出した酒を軽く煽りながら、男は無言を貫くユウの姿に、何かを察したかのようにそう言った。
完全にユウの隣に腰を落ち着けてしまったその姿からは、ここから立ち去ろうなどという意思は、微塵たりとも感じて取れない。
むしろ、今の時分が昼であるということを除けば、今にも夜通し飲み明かそうとでも言い出しかねない体勢であった。
男のあまりの図太さに、ユウはもはや自分が船内に戻ろうかとも考え始めたが、それをするとなんだか負けた気分になるので、心の中で静かに却下する。
少なくとも現時点では、別に大した害もなく無視を決め込める程度の相手なので、どうせ船内に戻ってすることがあるわけでもないし、気にせず外の空気を味わい続けることにした。
「……こうやって、高えトコロから世界を見下ろしてるとさァ。自分の悩みとか、柵とか、そンなの全部、この星から見れば砂粒みてェに小さいことなんだって、そう思えるんだよな」
──これから自分達が向かう場所のことを思えば、これくらいの環境音は、むしろちょうどいいのかも知れない。
そんな風にも、思えたから。
・・・・・
大地を覆い尽くさんばかりに広がっていた森に、僅かに切れ目が見え始める。
無限に続いているのではないかとも思えた樹海はついに途切れ、彼方には美しい水平線が姿を表した。
──目的地が近付いてきた。
5日間にも及ぶ船旅も、いよいよ終わりを迎えようとしている。
「あん?どうしたキョーダイ。……あァ、もうそんな時間か」
あれから小一時間、こちらからは一切のレスポンスが無いにも関わらず、ずっとユウの隣で語り続けていたこの酔っ払いの男とも、あと少しでお別れだ。
初めは多少煩わしくも思ってはいたが、男の語る話はそれなりに面白くはあったし、退屈しがちな船旅のお供としては、まあ悪くないものではあった。
もっとも、それを伝えるとこの男は調子に乗りそうなので、ユウは敢えて口にしようとは思わなかったが。
なんにせよ、所詮は他人同士の間柄。
この船を降りたら、よほどの巡り合わせがない限りもう関わり合いになることもないだろう。
そもそも、生きて再び出会う可能性すらも、これから降り立つ地を思えば、そう高くはないのかも知れない。
──前線開拓都市、アルペリオン。
古代文明の調査と豊富な資源の獲得を目的として築かれたその街は、最も近隣の都市からですら飛行船で5日間もの空の旅を要するという、樹海の真っ只中にポツンと浮かぶ陸の孤島だ。
周辺地域には莫大な鉱物資源(噂によれば、古代文明時代に築かれた巨大な飛行船の一部だとか)と多種多様な希少生物が存在するが、同じぐらい強大なモンスターも数多く闊歩しているという。
開拓を進めるためにこれまで築かれてきた21の小拠点のうち、19箇所が度重なるモンスターの襲撃により壊滅しただとか、外部から常に人員を供給し続けているのに、人口はほとんど増えないだとか、そんなとんでもない噂を頻繁に耳にする程度には、危険度の高い土地だ。
そして、そんな土地柄であるが故に、アルペリオンでは何よりも実力が重視される。
出身も身分も過去も名誉も関係なく、『古龍の如く平等に』、アルペリオンの洗礼は万人に日々訪れ続けるのだと、そんな話を聞いたことがある。
もっとも、大都市から遠く離れ、既存のコミュニティから隔離された空間であるが故に、それ以外では評価のしようがないという実情もありそうではあるが。
逆に言えばそれは、アルペリオンでなら過去の柵に囚われず、全てをゼロから再出発できる、という意味でもある。
だからこそ、さっき酔っ払いの男が示唆していたように、所謂"訳あり"の連中も、多くこの土地に集まってくるそうだ。
その中には当然、前科者や後ろ暗い過去を持つ者、さらには普通の人間社会にはとても適応できなかった狂人共も数多くいる。故に、アルペリオンの治安はお世辞にも良いとは言えないらしい。
一歩街の外に出れば強大なモンスターが闊歩し、街の中にいても頭のおかしい連中の脅威に晒される。
故に、その地に『安寧』などという概念は存在せず、外の世界の人々は、そこを指して"魔境"と呼んだ。
「──おい、キョーダイ。おい!」
!
アルペリオンという街に対して聞き及んだ噂を整理しながら、これから訪れるその土地に想いを馳せていたユウは、突如、酔っ払いの男に強く肩を叩かれたことによってその意識を引き戻される。
酔っ払いの男の唐突な行いに、多少の驚きと共にそちらを見やれば、いつの間にか立ち上がっていた男の、酒臭い赤ら顔が目の前にあった。
まだ出会って1時間程度の間柄ではあるが、その表情はいつになく真剣だ。
というより、どこか切羽詰まった感じがある。
今まで、飽きるほどに何度も見てきた表情。それは──
「モンスターが来てる!」
モンスターを恐れる、一般人の顔だった。
その瞬間、ユウはすぐさま気持ちを切り替え、万が一のために帯びたままにしてあった片手剣を引き抜くと、すぐさま酔っ払いの男が指し示した方角の空を睨みつける。
200メートルほど先を飛翔する、複数の翼影。
一目見た瞬間にわかった。初めて目にするモンスターだと。
「兵竜だ!"空賊"が来たぞ!非戦闘員は船内に退避!戦闘員は配置に付け!」
急速に接近する襲撃者──"兵竜"というらしい──の姿に、飛行船の乗組員のリーダー格と思わしき男は、大声をあげて各員に指示を出す。
それと同時、酔っ払いの男はその姿からは想像もできないような素早さで、一目散に船内に逃げ込んでいった。
……。
別に逃げ出そうなどという意思は元々無かったが、それでも何故か取り残されたような気がして、どこか釈然としない気分にさせられるユウ。
そこに飛行船の乗組員が駆けつけ、慌ただしい様子でユウに問いかけてくる。
「アンタ、戦えるか!」
ユウが無言で頷くことで肯定の意を示すと、乗組員は既に100メートル付近にまで近付いている兵竜達を指差して、
「じゃあアイツらがこの船に飛び乗ってきたら応戦してくれ!奴らはこの辺りでよく見る飛竜種の小型モンスターだ!肉弾攻撃と毒ブレスに警戒しろ!」
実に簡潔に、必要な情報だけをユウに伝え、素早く自分の持ち場に戻っていった。
対応が手慣れている。
どうやら本当に、この辺りに頻出するモンスターらしい。
要するに、今回の襲撃は……
──魔境アルペリオン、最初の洗礼というわけだ。