桜花賞が幕を開けた。ゲートに並び立ったウマ娘たちの闘気は観客席、果てはテレビの前で見守る人々にも伝わってくる。クラシック級に昇格したウマ娘たちが出走できるGIレース。新たなる門出を飾る意味でも、トリプルティアラを狙うウマ娘達にとっても重要なレースの1つとして注目が集まっていた。
「始まるわね」
「あぁ」
スタートをまだかまだかと見守る観客席の最上段にて、2人のウマ娘が視線を交わし合う。1人は"怪物"マルゼンスキー。彼女の言葉に頷きを返したのは"皇帝"シンボリルドルフ。阪神レース場にまで足を運んだ2人はレースに出走しているウマ娘たちの顔ぶれを見やった。
「やっぱりあの子はいないのね」
ちょっと残念と呟いたマルゼンスキーに、シンボリルドルフは首を振った。
「そんなことは無い。彼女がいなくても今年の桜花賞は十分見ものだよ」
誰が勝つかはゴールまで本当に分からないという点においてはとマルゼンスキーは友の言葉に付け加えようとしたが、無粋だろうと口を噤んだ。確かに、今回の件桜花賞に絶対的な強者はいない。1番人気のウマ娘は新年明けて早々から重賞での勝利を収め、精神的にも肉体的にも万全を期している。だが、2番人気のウマ娘もまた負けてはいない。ホープフルステークスでの勝利は逃したものの、2月時点で黒星はその1つのみだ。しかも、その黒星も相手が悪かったと言わざるを得ない相手だったので尚更だろうとマルゼンスキーは6番ゲートにいるウマ娘に同情した。
けれども、その圧倒的なウマ娘はおらず、2人の下バ評では6番人気までのウマ娘なら誰が勝ってもおかしくはないといった、大抵の観客が望む接戦が予想されるレースであった。それは予想通りであり、レースの開始は実力の拮抗した者同士による団子状態からであった。
「今回のレースには逃げがいないようだ」
「えぇ、先行が半分、あとは差しかしら」
追い込みも主体にしているウマ娘の出走登録はなかった。とすれば、こうなることはどのトレーナーでも想定できたはずだ。誰か一人くらい逃げに回ってもおかしくはないと思っていたシンボリルドルフは「おや」とあることに気づいた。
「先行にしては皆ペースが早いな」
固まった状態で動いているにしては先頭集団が第1コーナーを曲がり終えるのが早すぎる。
「あの子たちだけじゃないわ」
シンボリルドルフの違和感に加え、後ろで控えている集団が3バ身以上開かないようハイペースで動いていることをマルゼンスキーが指摘した。これはどういうことだと考える間もなく、彼女らが見えない誰かを追いかけているのが2人には見て取れた。
「なるほど。確かにヤツならもうその位置にいるだろうな」
亡霊に追いかけられて逃げるのではなく、その姿を追っているようなウマ娘たちの様子にシンボリルドルフは1人納得したように呟いた。
「もしかしてみんなあの子に負かされたのかしら」
「どうだろうか。彼女はダート主体だからな。ヤツが芝のレースに出たのはホープフルステークスが初めてだ」
しかしただの偶然の勝利と片付けることは出来ない大差をつけての勝利。最悪を想定する気持ちは分からなくもない。トレセン学園から去っていない以上、いつクラシックの戦場に現れてもおかしくは無い。居ないうちに勝利を重ねておこうという魂胆のウマ娘が多いだろうというシンボリルドルフの見込みは大きく外れていた。
「まさかヤツに食らいつくために本来のペースを乱してまで走るとは……」
恐れ入ったと驚きを隠せないシンボリルドルフに、マルゼンスキーは楽しそうに微笑んだ。
「いいじゃない。私もこういうレースに走りたかったなー!」
ハイスピードで展開されるレースに、当初観戦に乗り気ではなかったマルゼンスキーも前のめりになってレース模様に視線をやっている。だが、それでも気を惹かれたのはほんの僅かで、すぐさま姿勢を正すとシンボリルドルフへと口を開いた。
「あの子、私のトレーナー君のお誘いを断ったらしいんだけど、そっちは?」
その時に居合わせていたのか、少し苛立った様子で尋ねた。互いに遠征があったからとはいえ、マルゼンスキーが桜花賞のある阪神競バ場にトレーナー抜きで集まろうと言った理由を探っていたシンボリルドルフは、聞きたかったのはこれかと納得し、微笑みながら言葉を返した。
「こちらもだよ。わざわざ生徒会室にまで呼んでね。しかし、いい返事は貰えなかった」
副会長たちには席を外してもらいプライベートでの使用を頼んできたトレーナーに、はじめは内心穏やかではなかったシンボリルドルフは、彼女がトレーナーからの誘いを断ったことにまだ納得出来ず、徐々に笑みが消えていく。
「ヤツの才能や実力は本物だ。ヤツならば私やマルゼン以上になる可能性は十分にある」
だが、彼女は戦場に立とうとしない。あらゆるトレーナーからの誘いを断り、1人を貫いている。理事長もその実績を評価し、これからの展望に期待を込めて席を残しているがこれ以上トレーナーをつけることを拒むのなら退学ということにもなりかねない。
「走らないスプリンターに価値なんてないわ」
走れないならまだしも、ヤツは───────シャアは五体満足。怪我や疾患のない健康優良児である。なのに、走らない。しかも、他者を圧倒できる脚力を持っていながらも。戦えることを楽しみにしていたマルゼンスキーはそのことに怒りを隠せない。さらには時分のトレーナーからの好意も、熱のない言葉で袖にされてしまった。トレーナー君は別にいいんだと言っていたがマルゼンスキーはそうもいかなかった。シャアが調子に乗っているとは思わないし、トレーナーを選ぶ権利はあるのだから断るのは別にいい。それでもあの態度は気に食わないとマルゼンスキーはギリッと歯噛みした。
「あぁ」
しかし、あらゆるトレーナーを拒みつつも、同級生や後輩たちとの併走や模擬レースには参加しているのを見るに走ることを拒んでいる訳では無い。では、何故トレーナーがつくことを拒むんだとシンボリルドルフは考える。秋川理事長も、駿川秘書もぶち当たった疑問についてあらゆる見方で理由を鑑みるも、確実にこれだと言えるものは見えてこない。これなら、ジュニア級の時にヤツのトレーナーと顔を合わせて話しておけば良かったと、シンボリルドルフは久方ぶりの後悔を胸の中に吐露した。
寮のテレビをつければ、桜花賞の中継がやっていた。トレーナーがいれば皐月賞かどちらかに出走しようと話していたレースだ。芝のマイルで総距離1600メートル。右外からスタートだったかと2月にトレーナーから聞いた話を思い出そうとするも、あの声と顔、仕草を思い出す度に憂鬱になる。どうしてこの学園にはトレーナーが少ない上に、いても男ばかりで、女はバブみが足りない若い連中ばかりなのかと悪体をつきたくなる。
あぁ、いかんなと首を振る。ルームメイトがいれば、寝言で彼女の名前を出しているのを聞かれてしまうかもしれない。いや、出しているわけではないが。おそらく。ええいギュネイめ。俺はロリコンではない。ララァは享年が20代前だったんだから仕方ないだろ。あのまま生きてたら……と考えたところで俺はガンダムのシャアじゃないんだったとまた首を振った。
この世界にララァはいない。またライバルとなるアムロも。ただ、妹はいた。他にも見知った名前は数多く居たが。トレーナーになっている者もいれば、ウマ娘になっている者もいた。どうしてウマ娘に? と考えてもしかするとシャアと同じく、競走馬の名前にいたからという理由でこちらの世界にいるのかもしれない。だが、俺の知る限り名馬と呼ばれる存在に至ったものはいなかったはずだ。一瞬、ビルドファイターズの世界かもと誤認しかけたがこの馬耳やシッポの説明がつかないし、プラフスキー粒子がないのだからここはウマ娘の世界なんだろうなと諦観している。
桜花賞以外にもレースは開催されており、休日ということも相まってか遠征に出向いているウマ娘が多いからか学園内は静かでいつもは声をかけてくるトレーナーや、トレーニングに誘ってくる知り合いの姿は見えない。今日は静かに過ごせそうだと学園内を歩いているとこの時期にしては珍しく、引越し社のトラックが寮前に止まっていた。入学式は終わっているし、地方のトレセンから移ってくるには少し早い気がするなと、野次馬根性もあってか新たな入寮者の顔を見ておこうと足を止める。
「ありがとうございます。荷物は自分で運びます」
「え? でも、このダンボールとか重いよ?」
「寮はウマ娘以外入ったらダメみたいなので……それにこれくらいの重さなら……ほら」
引越し業者の人間の心配を他所にウマ娘に備わっている超パワーでダンボール2つを軽々と持つ。なんだか安心する声だなと思っていると、ピリリリン!! とまるでニュータイプが殺意や敵意を感じた時になるSEが脳内に響く。なんだこれは? プレッシャーか? いや、違う。これは、トレーナーに出会った時にも感じた……! まさか……ッ!?
期待して入寮することになるウマ娘の顔、身体が見える位置へと場所を移し、改めてその少女を見た。
「な、なんだ……!?」
───────このバブみは? そうか、これがバブみかと思い出させるような優しく柔和に満ちた顔に、包容力と女性の魅力に溢れた身体。そして、心の底から落ち着かせて甘えさせてくれるようなあの声……! まさに、俺が生涯求めていたものが今、目の前に現れた。それも自分と同じウマ娘という存在で……!
彼女は、彼女は何者なんだと、尋ねようと足を動かしたところで背後から声をかけられた。
「あら、シャア。こんなところでどうしたの?」
「─────ッ!? スレン……いや、サイレンススズカか」
危ない。危うく身体付きと名前から勝手につけた"スレンダー"と呼びそうになってしまった。
「? どうしたの、そんなに驚いて」
いつも冷静な貴方にしては珍しいと言うサイレンススズカに、なんでもないと言って彼女の名を聞こうとするも「待って」と静止の声と共に手を掴まれる。
「私のトレーナーが貴方に話があるって」
ええい、そんなことはどうでもいい! それに以前に断……ったのはシンボリルドルフとマルゼンスキーのトレーナーだったか。
「今は忙しい。また日を改めて」
「駄目よ。早くトレーナー登録しないと皐月賞に出られないじゃない」
「なんだと?」
「決着は皐月賞で。そう決めたじゃない」
何の話だと首を傾げそうになる。決着をつけるどころか俺はサイレンススズカと1度もレースで戦ったことは無いんだが? なんか先頭を独り占めする者同士、どっちが最速か白黒つけましょうとか言われたことはあるけど。
「要するに君は私と勝負したいから、君のトレーナーを私のトレーナーにするということか?」
「えぇ、そうよ」
「冗談ではない!」
スズカのトレーナーは悪い人間ではない。しかし、男だ。男にバブみは求めていない。未亡人感のあるスズカと放課後に同じ時を過ごせるというのは個人的にありではあるが、まだ実は熟していない。俺の介入でスズカが何かしらのモーションをトレーナーに起こせば、俺はバブみ亜種を身につけたスズカに出会える訳だが、それは今ではない!
「実戦とはドラマのように格好のいいものでは無い。君か私がレースまでに怪我をする可能性もある」
「それは、そうだけど……」
「付け加えるならばもし仮に君のトレーナーと契約したとしても、私がそのレースに出るかは私の自由だ」
「嘘でしょ……!? 」
「事実だ。スズカ、私は先頭を独占していたいわけではない」
私が欲しいのはと言う前に、トラックが走り出す音を聞いてしまったと私はその場から駆け出した。
「シャア!?」
「タイミングが悪かったなスズカ! 恨むのなら君の間の悪さを呪うがいい!」
待っていろまだ見ぬバブみ! バブみが私を導いてくれると信じて……!
マルゼンスキーとシンボリルドルフのトレーナーは……なんだ男か。