カーテンの隙間から差し込む光が、朝だということを主張する。斎賀玲は、すっかり馴染んだ一人暮らしマンションの一室のベッドで、大きく延びをする。寝起きで、少しぼんやりした頭は、冷水で顔を洗ってしゃっきりさせる。ここからは、速度が重要だ。
大学生になって、一人暮らしの部屋を決めるときにこだわったガスコンロに火をつける。彼と一緒に選んだ二つの大きさが違うお弁当箱に、ご飯をつめる。フライパンが充分に熱されたので、溶き卵を投入。じゅんっ、と音を立てる。手早くかき混ぜて、破れないように注意しながらくるくると形を整える。
さて、今日のお弁当に何をいれようと思っていたっけ。
(そうでした)
昨晩の夕飯の残りの煮しめだ。程よく色づいたそれは、けれど茶色いので、プチトマトやブロッコリーで色合いを整える。
彼の分のお弁当を作る。ただそれだけの事なのに、玲の心臓は跳ねる。彼が喜んでくれる顔を思うと、それだけでワクワクする。
(ふふふっ)
こういうときに、否応なしに自覚させられる。
ああ、そうだ。斎賀玲は陽務楽郎に、恋をしている。
それはもう、揺るぎようがないくらいに。
◇
今日の授業も、ようやく半分が終わった。玲は、少し急いで教室の扉を開けた。「お、いつもの彼のところ?」なんていう、友人の冷やかしに少し頬が熱くなることを自覚しつつ、彼が待ってくれている学内の食堂へと向かう。
食堂の入り口付近は今日も混みあっていて、すぐに中に入れないのがもどかしい。ごめんなさいと心の中で謝りつつ、少しだけ強引に人ごみをかき分ける。
やはり今日も、食堂の机は満員で人探しは難航しそうだ。けれど、玲はすぐに見つけた。
(いた)
彼だ。少しだけ眠そうなその目は、けれど玲を惹きつけてやまない。すぐに駆け寄りたい気持ちをぐっと抑える。ゆっくり歩くことを心がけながら、髪の毛がはねていないかが気になったので、ちょっと髪の毛を撫でつける。少し深呼吸。
「楽郎君、お待たせしました」
「いや、全然待ってないよ」
弾む心臓を何とか静めつつ、そうですか、と相槌を打ちながら、彼の真向いのいすを引いて、そこに座った。
玲は、彼とおそろいのお弁当箱をリュックサックから取り出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、いつもごめんね」
緊張の一瞬。もう、彼とお弁当の交換をするようになってから、半年以上過ぎたのに未だに慣れることができない。さっきまでとは違う意味で、心臓がバクバクしてきた。
ちゃんと味見したから、大丈夫だとは思うんだけど。
「……さすが、斎賀一族だよなぁ」
「ど、どうしましたか?」
しまった。彼の感想が気になりすぎて、聞き逃してしまった。一生の不覚。
「ごめん、何でもないよ。今日も玲さんのお弁当はおいしいなあって」
彼は、そんな玲に笑いかけて、さらにほめてくれた。
「あ、ありがとうございます」
顔がにやけそうになるのを、ぐっとこらえる。彼の言葉は、力があると思う。
だって現に今、玲は胸の奥の柔らかいところを、ギュッとつままれてしまったのだから。
しばらく、彼の誉め言葉を胸の奥で反芻していると彼は、
「玲さんは、絶対いい奥さんになるよ」
「おおおおおキュシャアン!」
なんてことを不意打ちでいうのだ。奥さん、つまり配偶者。楽郎君の?ということは今のは、プロポーズ!?いあうrぁぐ;いらfkj;!
だめだ、冷静にならないと。彼のことだから、きっと深い意味はない。高校生の頃の自分なら、ここで思考は止まっていた。けれど、今の自分なら少しだけ踏み込む勇気がだせる。
「そ、それは、らりゃくりょくんにょのおおおお?」
「ごめん、なんて?」
めっちゃくちゃ噛んだ。
そんなこんなで、楽しい時間はすぐに過ぎていってしまう。
「じゃあ、玲さんまた放課後」
「は、はい。また」
寂しいと思ってしまうのは、わがままだ。お互いに別々の講義棟で次の授業があるので、別々の出口から食堂を出ていく。手を振ったら振り返してくれるかな、なんて思った時には彼はもう人ごみに流されて行ってしまっていた。
「はやく午後からの授業も終わらないかな」
ぽつりとつぶやく言葉は、すぐに喧騒に押しつぶされていった。
◇
今日は、玲が彼を待つ日だ。折よく定位置の中庭近くの席を確保できた玲は、端末で彼にメッセージを送る。もう間もなく午前中の授業が終わる時間だ。
彼を待つ時間は、嫌いではない。どんな表情で来るのかなとか、今日のお弁当も写真撮らなきゃとか、いくらでも彼のことを思いながら時間をつぶせる。
今日の彼は、きっと少しだけ不機嫌な顔で来るんだろうなと、結論付けた。果たして、
「玲さん」
「楽郎君、お疲れ様です」
「席取りありがとう」
「いえいえ、お互い様です」
正解だ。内心でガッツポーズをする。自然と頬も緩んだ。
彼は、玲の正面のいすを引いてそこにリュックサックを置き、お弁当箱を二つ取り出した。
「はい、どうぞ」
「ああああ、ありがとうございます。早速家宝に……!」
「いや、食べてほしいかなあ」
家宝にすることは、彼からの許可を得られなかったので、携帯端末であらゆる角度から写真を撮った。もちろん、玲の脳内に保存することも忘れない。
「「いただきます」」
声をそろえて、食事に対する感謝の言葉を言う。なんとなくお互いに習慣づいたことだ。
一口一口かみしめていると、彼がこんなことを聞いてきた。
「そういえばさ」
「はい?」
「玲さんって、いつも何で俺のことすぐに見つけられるの?」
危うく、卵焼きを口から吹き出しそうになった。動揺を悟られないように、頑張って表情を取り繕う。けれど、内心まではごまかせなかったようで、
「何でって、その、楽郎君はポラリスみたいに……何でもありません忘れてください早急に!」
「は、はい」
言ってしまった。いつも玲が彼に感じていること。
彼が、追及してこないように玲は頑張って話題を変えた。
◇
(ああああああああああああああああああああああ!!!????)
やってしまった。さっき彼に、ポラリスみたいと言ったのは、間違いなく玲の本心で、いつも心の奥の一番大事なところにある気持ちだ。
彼は、いつもキラキラしていて。その光は、玲をいつも新しいところに連れていってくれる。けど、そんなこと本人に言ってしまったら、きっと迷惑だろう。
(で、でも、きっと楽郎君私の言ったこと忘れてくれますよね!)
そこが救いだ。彼、陽務楽郎という玲の想い人は、びっくりするくらい鈍感だ。きっと、本当の意味にたどり着かれることなんて、ないだろう。
(う、うん!今回に限ってなんてそんなことは、無いよね)
玲が彼と放課後に本気の追いかけっこをするまであと―
そして、カレとカノジョの関係性が変わるまであと―