「珍しい苗字の女性」こと「しーちゃん」は、袖ヶ浜鎮守府の艦娘と共に戦場に向かう。
人々の運命と思いは徐々にひとつに収束してゆく。
いくさはけふぞかぎり、者どもすこしもしりぞく心あるべからず 平家物語「鶏合壇浦合戦」
中突進隊作命甲第一九〇八〇〇号 発:中突進隊司令官 宛:中突進隊関係諸部隊
一、 依然敵深海勢力はハワイ東方沖の深海棲艦湧出口に集結しあり。また、敵は新たに有力なる勢力を湧出口より投入しつつあるもののごとし。
海軍部隊他第一線諸部隊はハワイ方面に近接せる一部の敵を拒止しつつあり。
我陸海空軍航空部隊は当面の敵深海棲艦を求めて攻撃中なり。
海軍総隊は四月上旬を目途に全力を以て更に有力な攻撃を敢行する筈。
二、 我が中突進隊は更に戦備を厳にし前進前面の敵を撃滅せんとす。
中猛進隊はその突撃部隊を以て敵中枢部を撃滅すべし。
左猛進隊右猛進隊は中猛進隊主力の左右を援護すると共に側背の警戒を厳にすべし。
三、 「東ホノルル防衛隊」支援艦隊の一部を左猛進隊に復帰せしむ。ただし後方支援任務を必要とする場合は本然の任務に服せしむべし。
四、 通信隊は海軍総隊司令部、各突進隊司令部、各猛進隊戦闘指揮所、東ホ防の通信連絡に任ずべし。
五、 呉鎮守府隊はその一中隊を「ホノルル」に移動せしめ爾余東ホ防収容部隊長の指揮下に入るべし。
六、袖ヶ浜鎮守府隊はその一中隊を余の直轄予備たらしむべし。
七、爾余の部隊は依然現任務を続行すべし。
中突進隊作命甲第一九〇八一五号 発:中突進隊司令官 宛:中突進隊関係諸部隊 東ホ防部隊長(本電所轄長以外の閲覧厳禁)
一、「東ホノルル防衛隊」はホノルル東部海域を確保すると共に接近する敵を撃摧すべし。
二、爾余海域を確保しつつ後退する味方損傷艦艇の収容援護に任ずべし。呉鎮守府隊より一中隊を配属す。
三、撃沈破せる深海棲艦より艦娘の再生を確認したる場合は至急報を以て報告すべし。突進隊司令部と連絡を密にすべし。
四、再生艦娘については「R艦娘」と呼称す。
五、本電所轄長職以上閲覧の上受電記録関係綴含め破棄せざるべからず。
【2023年3月19日 房総半島南端 野島崎灯台沖】
艦隊は東京湾を出た。房総半島南端の野島崎灯台を左に見ながら、艦隊はハワイ方面を目指してゆっくりと左に変針しているはずだ。見渡す限りの海のすべてを埋める大艦隊の動きは、象と大地を背中に乗せて支える亀の王のように、はてしなく巨大でおそろしくゆったりとしている。
涙でぐちゃぐちゃの顔を拭きながら士官室の扉を押し開け、鼻をすすりながらラッタルを駆けあがり、艦娘母艦のデッキに飛び出して、ぶるぶると頭を振ってから深呼吸をした。両の手のひらで顔をごしごしと拭いて気分を落ち着ける。
ぐるりと首をめぐらすと、前にも後ろにも、右にも左にも、海を埋める船、船、船の列が見えた。後続の艦の船影は春霞と水平線の向こうに滲んで消えている。
潮風に吹かれながら、自分の頬がまた熱くなるのを感じた。両手でぱたぱたと左右のほっぺたを扇ぐ。
恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。なんで急にあんな柄にもないこと言っちゃったんだろう。
私は艦娘だ。前に「だけ」進んで、前「だけ」を見て、戦える「だけ」戦って、敵を倒して、それでそこで終わってしまうのなら、それはただそれ「だけ」のことだ。それがかつての私、戦艦のように戦う護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツのはずだった。
今はどうだろう。
後ろを振り返れば気の知れた仲間がいるし、帰るべき暖かい場所もある。アメリカにいるときだって、仲間はいたし帰る場所だってあった。でも今は違うんだ。私は「あの」場所に帰りたいって、「みんな」と帰りたいって、まだ終わりたくないって、心の底からそう思うようになった。正直に認めよう。私は袖ヶ浜という「home, sweet home」を得て、その代わりに本当に戦場が怖くなった。
「みんな」で「袖ヶ浜」に帰りたい。
みんなの顔を見ながらそう思ったら、唐突にあの言葉が出てきた。止まらなかった。
「私、一年前にアメリカからこの鎮守府に来て、最初はどうしようって思ったけど、今はすっごく楽しく過ごせてる。それはみんなが優しくしてくれたおかげで…すごく感謝してる。私たちの鎮守府は、そんなに艦娘の数も多いわけじゃないけど、でも、だからこそ、少ないメンバーでも、みんなといっしょにやってこれたのはすごくラッキーだし、今ここでみんなと一緒に戦えるのもハッピーだと思ってる。すごくハッピーな数少ない私たちは…ええと、うん、それはよくて、あの、だから、作戦が終わったら、みんなでまた鎮守府の『艦娘の木』の下に集まろう。お弁当持って、お菓子も持って、みんなであそこでピクニックをしよう。みんなと一緒に帰って、またあそこに行くって…約束したい…だから…」
言ってる最中に涙が出てきて、でも辛気臭くなったら嫌だと思って無理やり笑顔を作ろうとしたら、きょとんとしていたみんなが、どっと笑いだした。
「急に泣き出すから何かと思ったよ。びっくりさせんなって」大口を開けて涼風が笑う。
「泣きだしたと思ったら急に笑顔になるから、ごめん…!笑っちゃった…!」お腹を抱えながら、それでも少し申し訳なさそうな陽炎。
「分隊士が泣いてちゃ世話ないのです」ほんとにこの子たまに口が悪いな。
ダメだ、思い出したらまた恥ずかしくなってきた。
波静かな太平洋に手を大きく広げて深呼吸。
海は穏やか。空も青色のキャンディみたいに澄んでいる。
なんだか、こないだ読んだあの詩の風景そのままみたい。
目を閉じて、また深呼吸。
そら晴れて 日あきらか
鏡のごとき うな原を
「ゆたかに船は すべりゆく」
頭の上から声が聞こえた。振り仰ぐと、艦橋のウイングからこっちを見下ろす人影が見える。逆光に浮き上がった人型の影の中でメガネのレンズが鈍く光っている。一瞬だけど影の中にどろどろと渦を巻く黒い泥のような何かが見えた気がした。あれ?…この人ほんとに人間…?人間だよね?
眩しさに目が慣れると、三種軍装の女性士官がウィングの手すりに体を預け、頬杖をつきながら私を見下ろしているのが分かった。灰色の飴玉のような瞳をレンズ越しに私に向け、何もかもわかっていますよとでも言いたげな不遜な顔が、頬杖に押されて歪みながら薄く笑っている。
「声に出てた?」
「出てましたね」
「まいったな、ちょっと恥ずかしいな」
「まあいいじゃないですか。『うららかや前の船またあとの船』、今の風景にぴったりですよ」
うう…この人、なんか嫌だ。人としての好き嫌いというより、なんだろうこの…違和感?嫌悪感?…いや…恐ふ…
「睨まないでください。そんなに怖がらないでいいですよ」からからと笑う。
「睨んでないし怖がってなんかないよ」
私の言葉が終わる前に、女性士官は手を少し丸めた猫の手のような変な敬礼をひょいとした。
「この艦の副長です。第246号中型艦娘母艦 副長 海軍予備大尉 神々廻舞」
私は指を伸ばして力を込め、踵を鳴らして敬礼する。
「袖ヶ浜鎮守府艦娘隊 駆逐艦分隊 分隊士サミュエル・B・ロバーツ」
「分隊士でしたか。では同じ大尉同士、なかよくしましょうか」
黙ってうなずく。
「あのさ、神々廻大尉は…」
「同じ階級ですから『しーちゃん』って呼んでくれて構いませんよ」
「やめとく。神々廻大尉はどこから来たの?」
「海から」またからからと笑う。
私は真剣に腹を立て始めていた。
「あのさ!私は真面目に…」
「私だって真面目ですよ。嘘は言っていないつもりです。私たちはみんな、海から生まれて、いつか海に帰る。今だって海に向かってる。そうですよね」
「腹の底を見せずにはぐらかしておいて、仲良くする気があるようには見えないけどね」
「戦場に向かう理由を明かすことが腹の底を見せたことになるのなら、理由はサミュエルさんといっしょですよ」
「いっしょ?」
「仲間のためです」
「…さっきのも聞いてたの?」
「ええ。感動的な演説でしたよ。仲間と共に、仲間のために戦う。私にもそういう気持ちは分かります。私にだって仲間がいたし、あの子たちとは今もつながってます。『絆』を感じるんです。だから、サミュエルさんが言おうとしたけど思い直して引っ込めた言葉だって、私分かりますよ」
「ちょっと…」
「『おお、我らは幸福な少数なり。我ら“姉妹の絆”で結ばれたり。今日私と共に血を流す者は私の“姉妹”となるに因りて』」
「やめなよ、レディがひっこめた言葉を引っ張り出すのはマナー違反でしょ」
「すみません、ちょっと失礼でしたね。ふふ」
瞬間、怒りで全身が総毛立った。なんだ!なんだ!会ってたったの数分で私の大事な思いに無遠慮に踏み入ってきて!その上なんで訳知り顔で知ったようなことを言われなきゃならないの! 私の仲間と、仲間たちへの思いのために、なにもかもお見通しとでも言いたげなそのにやけ顔へ、言わなきゃならない! 言ってやらなきゃならない!
口を引き結んでにらみつけ、足を半歩踏み出した瞬間、「サミュちゃーん!指揮班長が呼んでるー!みんなもう集まってるから早く来てー!」右からの甲高い声が頭を貫いて左耳から抜けて行った。
「さ、早く早く!怒られちゃうから!さあさあさあ!」
阿武隈に右腕を引っ張られて士官次室に続くハッチに引きずり込まれる。
なんで耳元で叫んだ。頭ががんがんする。
「サミュちゃん大丈夫だった?あと指揮班長が呼んでるのは嘘、ごめん!」
「大丈夫じゃないよ!なんで耳元で叫んだの!」
「喧嘩寸前だったしね。サミュちゃん喧嘩売られると全部高額買取するから、タイミング見て引っ掻き回してこいって鬼怒姉に言われたの。あたしが全力で声張ったらとりあえずその場の空気はバラせるでしょ?」
いまいち納得はしてないけど助けられたということか。
「ありがとう。正直カッとなってた。仲間のことをさも分かってますよみたいに言われて頭に来ちゃって…」
「あの副長とはほどほどに付き合っといた方がいいよ。由良姉ですらちょっと引いてるもん」
「性格が悪いってこと?」
「と言うより、みんな言ってるけどちょっと気味が悪いというか得体が知れない感じ。出航してからずっと海を見てるし、それも天候とか波の様子を見てるっていうんじゃなくて、ただほんとに海面を嘗め回すようにじっと見てるらしいの」
「うへえ、なんなんだろう、それ」
「そうそう、誰かが言ってたんだよね。まるで…」
「まるで?」
「まるであの人、人間じゃなくて深海棲艦みたいだって」
軽巡艦娘に手を引かれたサミュエルさんがハッチに引きずり込まれる瞬間、軽巡の子が私に目を合わせてきた。20mは離れているのに、私の目をぐいっと覗き込んできたのが確かに分かった。「うちの子にちょっかい出すのやめてもらえますか」ということか。なるほど、面白い子がいますね。
「おい副長。あんまり艦娘をいじめるなよ」
後ろから声がした。振り返ると、艦橋右端の簡易座席に腰かけた艦長が小太りの体躯を揺すりながら、白髪交じりの頭をぼりぼりと掻きつつ口をとがらせている。
「いじめてませんよ。挨拶しただけです」
「どうだかな。そうやってねちねち絡んで回ってるから『深海棲艦』なんてあだ名付けられるんだぞ。艦娘いじめてる暇があるなら、せっかくウィングに出てるんだ、見張りぐらいはちゃんとしろ」
「やってますやってます」
私物の双眼鏡で左舷側をぐるりと見渡す。将棋盤の全ての目を艦艇で埋めたような大船団が海原を艦影で埋めてのたりのたりと静かに進んでいるのが見えた。200m隣をゆく同型の艦娘母艦の艦首の砲座からは、操砲訓練を指揮するホイッスルが聞こえてくる。砲の周囲では急遽乗り組みになった陸軍の兵隊たちが波の揺れに悩まされながらばたばたと動き回り、ホイッスルに合わせて砲口を左右上下に振っている。もう海軍所属の兵員だけでは乗組員を充足できないのだ。
「艦娘隊の隊付経験もある女性士官が来るって言うから、こっちもちょっと期待してたんだがな」
「期待外れでした?」
「まあ全体の仕事ぶりは問題ない。が、なあ。おい」
艦長は航海士と目を合わせ、次に親指で私を指してから二人で笑い合った。
「いじめられてるの私の方じゃないですか?」
「いや、若い女性士官が来るって言うからさ。若い士官連中なんか色気づいてちょっと色めき立ってたんだけど、蓋を開けてみたら『深海棲艦』だろ?」
艦橋にいる他の士官たちも笑う。
「おい、砲術士。どうだ、貴様も色気づいてたクチだろう」
「いや、副長は実際けっこう美人だと思いますよ」
「おい砲術が裏切ったぞ」航海士が混ぜっ返す。
「ただね、私は軍隊の前はタクシーの運転手やってましたが、深夜に副長が手を上げてたら素通りして乗車拒否しますよ。乗せたら乗せたで、いつの間にか姿が消えてる怪談パターンになりそうですもん」
「いまここで憑りつきましょうか?うらめしや~って」
「よしてください、作戦開始前にツキが落ちちゃたまんないですよ。雪の日に恩返しに来てくれるようにも見えないし」
皆がひとしきり笑ったあと、一呼吸置いて艦長が海を見ながら言った。
「副長は今まで何やってたんだ?」
ちょっと考える。
「カレー屋さんです」
「おう、そりゃあいいな。カレー屋なんて洒落たことやってたんだなあ。こんどの金曜日に士官室の分くらい作ってみないか」
「ああ、私はテーブルに運んでただけで、作るのは別の人がやってたんです」
「なんだ、そっちも期待外れか」
「運ぶだけならやりますよ」
「いや、いい。副長のウェイトレス姿は想像できん」
「艦長は今まで何やってたんですか?」
問われた艦長は少しの間黙って前方の海を見つめていた。言いたくないわけではなく、いったん何かを整理して順番に思い出そうとしているような、そんな感じだ。しばらくの間、艦首が波を叩くざっざっという音と、足の裏からドロドロと聞こえるエンジン音だけが聞こえていた。隣の艦娘母艦との間を海保の巡視船が高速で追い抜いていく。もはや巡視船すら護衛艦隊の「主戦力」なのだ。
「笑うなよ」
「笑いませんよ」
「学校の先生」
「へえ。どの学校の?」
「中学校だよ。あんまり驚かないな」
「そういえばそうですね。わあびっくり!意外でした!」
「性格悪いなあ、副長は」
「…艦長は学校を離れて海軍に入るときどんなふうでした?」
急にれーかちゃんにお別れの挨拶をしたときのことを思い出した。私は私のやるべきことに向かって、正しい方向に進んでいると思う。でも…あの日からずっと、あのときのれーかちゃんの泣き顔が頭にずっと張り付いて離れない。記憶の中のれーかちゃんの泣き顔は、いつも最後にはあの子の泣き顔とまざってごっちゃになってしまう。サンフェルナンドの退却戦で私と運命が絡み合った、あの女性少尉の顔と。
「どんなふうにって、なんだ?なんの話だ?」
「最後に生徒に挨拶とかしなかったんですか。『先生はこれからこの国の平和とみんなのために戦いに…』とかなんとか」
その瞬間、艦長は大笑いした。腹を抱えた本当の大笑いだ。航海士や砲術士までが仕事の手を止めて顔を見合わせるほどの大きく長い哄笑だった。私はその哄笑の中に、なにか苛立ちのようなもの、あるいは何か大きく恐ろしいものを吹き飛ばしたいとでもいうような、そんな攻撃的な何かを感じ取った。
「副長らしくもないな。俺が『フランス アルザス フランス アルザス』をやるとでも思ったのか。なんにもしなかったよ。いつも通り授業をやって、宿題出して、金曜日の帰りにクラスでホームルームやって、『また来週な』。それだけだ。俺がいなくなったのを生徒が知ったのも次の月曜だよ。学校にも言ったんだ。俺は急に辞めたことにしといてくれって」
「いなくなることくらい教えてあげればよかったんじゃないですか。さすがに私だって身近の大切な人…カレー屋の人に挨拶くらいはしましたよ」
「お前そんな柄じゃないだろ。らしくない、ほんとにらしくないな。考えてもみろ、俺が生徒たちに『先生これからこの国と君たちのために戦争行ってくるからな』って言ったとして、それはなんなんだ?結果として何になる? その言葉で命の大切さを教える、人との絆を感じさせる、そういう学びの在り方もあるかもしれない。でもな、教育者の言葉ってのは生徒にとっちゃけっこう重いんだ。聞いてないように見えて案外聞いてる」
ぼそぼそと、でも迷いなくしゃべる艦長の顔は前を向いたままだ。私の方を一顧だにしない。
「今はまだできないことでも、そのうちできるようになるように、子供らに教えて育てるのが教育ってわけだ。まだできないことを『やれ』って言うんだもの、それは時にある種の残酷な命令になる。あるいはなる可能性がある。そんなデリケートな存在の子供らに、責任取れないようなことは言えねえよ。結果のところまでこっちがきっちり付き合ってやれないことなんか、そもそも言うべきじゃないんだ。そこへ無責任に『俺は戦争行ってきます。みんなはこれからも元気に勉強して立派な大人になってください』みたいな言葉を投げつけるんなら、それは…さっきお前は『絆』って言葉を使ったけどそんなキレイなもんじゃない。それは俺が子供らに憑りついて呪いをかけたようなもんだ」
「……呪いですか」
「そうだ、呪いだ。おい航海士。お前が戦争終わったら何やるのか、副長に教えてやれよ」
航海士が羅針盤から顔を上げて私の方に向けた。
「俺は元は保険屋ですからね。戦争終わって会社に戻ったら山積みの仕事が待ってるんです。戦死者の家を回って、『ご契約者の皆さま、ご請求可能な保険金のお手続きに漏れはございませんか』って言って回るんですよ。言ってみりゃ死神の使いみたいな仕事です。運ぶんならカレーの方が百倍ましってもんですよ」
「ほらな、俺たちはもう戦争に首までどっぷり浸かってる。戦争が終わっても足抜けできないんだよ。逃げようとしたって向こうから追いかけてくる。だがな、子供らは違う。呪いみたいな絆で、子供らを『こっち側』に巻き込みたくねえんだ。縛りたくねえんだ。だから何も言わないで学校を出てきた」
私は双眼鏡を下ろして、艦長の横顔をじっと見つめていた。
「私の言う『仲間』は、艦長の言う生徒さんたちとは違います。いっしょに戦った戦友です。その仲間との『絆』のために戦うつもりです」
「どうかな。俺も人のことは言えないかもしれないが、お前の言う『絆』は徹頭徹尾自分のための言葉に聞こえるぜ。はっきり言ってしまえば、今のお前自体が呪いみてえなもんに見える」
「…ちょっと言い過ぎだと思います」
「悪いがな、言い過ぎなのは分かってる。でも神々廻の言う『仲間』って、ホントにお前に戦ってくれって思ってるのか?」
………………え?…は?
「ここまで来といて言うのもなんだが、お前はそのままカレー屋にいたほうがよかったと思うよ。俺から見ればお前も子供、つまり戦争に来ちゃいけない側の人間に見える。戦争からすっぱり抜けられるチャンスがあったんじゃないかってな」
私だけに聞こえるどすんと重い音が体の中に響き、次いで体のあちこちにぎりぎりと何かをねじ込まれるような痛みを感じた。
「ははは、ちょっと痛いですねえ。体に釘でも打たれたような気分です」
…いや、私は…仲間たち…白雪ちゃんと荒潮ちゃんと浦波ちゃんたちを取り戻すために…それは、だって…仲間なんだから…!
「だからな副長、この艦にもしものことがあったら退艦命令はお前が出していい。俺の命令を待つ必要はないから、さっさと逃げ出せ。ただな」
艦長は体を後ろにねじり、装弾されたロケット発射機で埋め尽くされた後部上甲板を指差した。
「上甲板があの状態だからな。一発食らえば艦ごと花火みたいに吹っ飛んじまうだろうから、あまり差はないかもしれん。その時はまあ諦めてくれ」
「艦長」
「なんだ?」
「私と艦長は仲間ですか?」
「ああ、でこぼこでドロドロしてて自分勝手な、ただの普通の人間。つまりは仲間だ」
じゃあ私はまだ人間なんだ。
よかった。
分かった。ならばあの甲板を埋める無数のロケット弾は「釘」だ。私たち人間の罪だ。いや、私の罪だ。いや違う、あれは私そのものだ。
他の誰でもない、私の罪と苦痛は私が独り占めにして背負うだけだ。誰にも渡さないし、邪魔なんかさせるもんか。勝手に私を救わないで欲しい。
今朝、艦長は「R艦娘」に関する上からの命令書の内容を一言で簡潔に表現した。「艦娘が『再ドロップ』したら確保しとけってことだな」と。
あと少しだ、もう少しだ。みんな待ってて。私の血と愛はみんなのためにある。もうすぐ敵を倒して、倒して、「R艦娘」としてみんなを取り戻す。
誰かがラッタルを上ってくる靴音が聞こえ、痩せた長身を揺らしながら通信士が艦橋に入ってきた。艦長は渡された通信紙をざっと一瞥してから私にひょいと渡した。
「総攻撃は4月6日だそうだ。それまでに少しは艦娘たちと仲良くなっておいてくれよ」
通信紙に目を落とす。「海軍総隊は六日(X日)黎明時にハワイ東方沖方面に突入先ず所在海上兵力を撃滅次いで敵中枢部を圧倒殲滅すべし」、か。
「なあ副長」
「なんですか」
「嬉しそうにするな。時々おっかねえんだよ、お前」
「ふふ、カレー屋さんで笑顔の練習しましたからね。得意なんですよ」
ああ、「あの時」の時雨さん。あなたにもまた会いたい。今だったら分かる、今だったら言える。
十字架に刺さる釘のように、雨はまだ降っていますよって。
【2023年4月6日ハワイ東方沖】
空が揺れている。海が揺れている。空気が揺れている。数千数万の命が海にうごめきひしめき合うのを感じる。
「進路90度狙う」「ヨーソロ」
轟音の中で航海士の声が微かに聞こえる。向こうも大声で怒鳴っているのだろうが、頭上を飛び越していく味方の突撃準備射撃のせいで囁き声程度にしか聞こえない。水平線は渦巻く爆煙に覆いつくされ、その中に砲弾が炸裂する閃光が盛んに瞬いている。あまりの砲撃の激しさに、海と空を赤黒く染めているはずの深海棲艦湧出口、つまり最終目標の姿すら見えない。鉄帽の顎紐をきつく結びなおし、足を開いてデッキに踏ん張り、艦橋の手すりを両手で思いっきり握りしめた。鉄帽を目深に被った艦長が私の頭を鉄帽の上からぼんぼんと叩く。耳元で艦長の低い声がした。
「どうだ、副長。実戦だ。久しぶりだろ」
黙って頷く。
「俺たち突撃第六波の出番はまだ後だ。力を抜いとけ、後までもたんぞ、『しーちゃん』さんよ」
艦長が腹を揺すって笑う。
「まずは支援艦隊の突撃準備射撃で敵を叩けるだけ叩く。うちの猛進隊だけで100万発、10万トンの艦砲射撃をやるそうだ。ほら、艦娘の支援艦隊がまだ前に出るぞ」
艦の脇を、見たことがない艤装と制服の艦娘たちが前進していく。
「あれはどこの艦娘ですか」
「さあ? おい、砲術。どうだ」
「ありゃあタイ海軍とノルウェー海軍です。普段は沿岸警備しかしてないはずですから、こんな海域まで出てくるのはたぶん初めてでしょう」
「だ、そうだ。お互いご苦労さんだな」
双眼鏡で彼女たちの後姿を追ったが、すぐに前を行く艦列に紛れて見えなくなった。
「副長、艦娘に見とれてる暇はないぞ。よく見張れ。雷跡や敵機を見逃すな。本艦はお腹に抱えた艦娘サンたちを発進させるまではとにかく浮いてなきゃいかん。最低でも敵との距離1万6000まで発進させないことになってる」
「見張るって言ってもこんな密集体形の艦隊の真ん中で魚雷や爆弾の回避運動なんかできるんですか」
「できない。隊形が崩れるから回避運動もしちゃいけないそうだ。魚雷が見えても直進するだけだ。…副長、そんな顔するな。心の準備くらいにはなるだろ」
そのとき、轟音がますます激しくなった。無数の誘導弾が次々に頭上を飛び過ぎ水平線の爆煙目掛けて殺到していく。さらにその遥か上空を妖精艦載機の大編隊が目標に向かっていくのが見える。
「始まったな」
後方に並ぶ通常艦隊の艦艇も全力で砲撃を開始した。一斉射撃が起こす衝撃波で身の回りの空気全てが質量を持ったみたいだ。息が苦しい。すべての砲弾が繋がり、交差し、跳ね回り、そして吸い込まれるように水平線に消えていく。足元のデッキを見て深呼吸し、また顔を上げて前方を見る。
「第一波突撃せよ」艦橋のスピーカーが最大音量で司令部からの命令をがなり立てる。
水平線の向こうで一際激しい砲撃の閃光が一斉に閃き、数舜遅れて数千の雷を一度に落としたような轟音と衝撃波が巨大な大波のように私たちを揺らした。
「第二波突撃せよ」スピーカーが叫ぶ。
「えっ、もうなのか。早いぞ」
「右猛進隊は空爆により三割を喪失し前進を停止」「第三波突撃準備」スピーカーから聞こえる声が悲痛さを増す。
「おい、どうなってんだ」信じがたいことだが、艦長が狼狽えた。
低速戦艦を中心とした艦娘の支援艦隊が、慌てた様子で前進していった。
おそらく計画が狂い始めている。おそろしく計画が狂い始めている。
「全軍突撃せよ」
来た!と思った瞬間、天が砕けた。
艦橋トップに上がった砲術士が号令を下したのだろう、艦の前部の速射砲と40ミリ機銃が猛然と射撃を開始した。目標は無い。「前方」、ただそれだけだ。敵を一時的に制圧して艦娘の発進を援護する。一列横隊で左右に並ぶ突撃第六波の艦娘母艦や通常艦艇も、全ての銃砲で前方への射撃を開始した。左隣の艦娘母艦の艦首砲座が見えた。陸軍の兵隊たちが砲に取りついて次々と射弾を送り出している。激昂した兵隊が撃ち終わった空薬莢を叩きつけるように海に放り込んでいる。
「敵までの距離2万5000、ロケットも撃ちます」
艦橋トップから砲術士が叫ぶ。
「よし、撃て」
艦橋の後ろの上甲板を埋め尽くした発射機から悲鳴のような金切声を上げてロケット弾が次々と飛び出して、みるみるうちに空を発射煙で覆い隠してゆく。左隣の艦娘母艦もロケット弾の発射を始めた。矢継ぎ早に連続発射されるロケット弾の弾幕が炎を曳きながら空を切り裂き、遥か前方の海を乱打して砕く。
「なにもたもたしてんだ、早く撃っちまえ」
航海士の声で右舷を見ると、右隣の火力支援艦がまだロケット弾を発射していない。まだ早いと思っているのか?それとも発射機の故障だろうか?と思った瞬間、敵の砲弾が二発飛んできて目の前の海に飛び込むと、ボンボンという音を立てて水柱を上げた。
「狙われてる」
誰かが上げた声の最後に三発目の着弾が重なった。砲弾は火力支援艦のほぼ真ん中に命中して、ガンという重い金属音が響き、次いで花火大会のときに聞くようなポンという音がすると同時に白い煙がぶしゅっと上がったのが見えた。
不発弾かと思ったが、一呼吸おいて艦の中央部から小さな一軒家ほどの火柱が吹き上がった。表現は悪いが、子どものころにやったススキ花火の見た目がいちばん近い。ボーボーと音を立てて立ち上る火柱に一瞬目を奪われた。
「バカ、ふせろ」
誰かに腕を掴まれ床にたたきつけられた瞬間、大爆発と衝撃波が艦を揺らし、大きく左舷に傾けた。
耳が鳴る。肺が潰されたように苦しい、息ができない。誰かに蹴とばされてやっと呼吸ができた。あちこちに掴まりながらなんとか立ち上がると、艦橋の窓ガラスが全て吹き飛び、ねじれたりちぎれたりしたいろんな部材があちこちに食い込み張り付いている。右舷側を見るが火力支援艦の姿は影も形もない。いや、正確には艦尾の一部がわずかに海面に姿を見せていたが、後続の味方艦に衝突されてそのまま沈んでいった。
「もうだめだ。艦娘隊発進用意。行くぞ」
「待ってください!まだ距離2万以上あります」
「分かってる。でも今の見ただろ、もう作戦計画は狂いまくってるんだ。艦娘ごと本艦を沈めるわけにはいかん。とにかく発進だけはさせるんだ」
一気にまくし立てた艦長が突然ぐうとカエルのような声を上げ、がくっと膝をついた。お腹のあたりが血に染まっている。
「さっきので腹をやられた。この後の艦の指揮は副長が引きつげ」
そうか、こうなるのか。
「これがお前が望んだ戦場だよ、どうだ、お望み通りか?なあ、神々廻艦長代理」
でもなんとなく予感はあった、こうなるって。
「だからよ、なんなんだよお前。なんで嬉しそうなんだよ」
艦の前方、砲煙にかすむ水平線に目を向ける。
火柱が吹き上がり硝煙が渦を巻き、空のあちこちに伸びた爆煙はまるでこちらを手招きしているように妖しくうねっている。
―なんだ、呼んでるじゃないですか。そっちからも。
私は艦内放送のスイッチを入れ、声を張り上げた。
「艦長負傷により、海軍予備大尉 神々廻舞 これより指揮を引き継ぎます」
次回は「破断界(仮題)」の予定です。