袖ヶ浜鎮守府の作法   作:佐伯美鈴

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袖ヶ浜鎮守府の工廠。
海の見えない戦場で戦う明石が、激務の中でふと立ち止まる。
戦場に出ない明石が垣間見た戦場と自分との「距離」とは。



②明石「心はあかし 出づるふなびと」

 工廠の作業場の時計は午前8時45分を指している。

 壁のスピーカーから、録音された「課業はじめ」のラッパが凛冽とした初冬の寒気を刺しつらぬいて響き渡ると、五月雨ちゃんが鈴の転がるような、それでいて透き通った凛とした声で「手こすりはじめ」の号令をかけた。

 工廠には毎日5人の艦娘が交代で応援に来てくれる。五月雨ちゃんの号令に、残る4人は一斉に両の掌をすり合わせ始めた。傍から見れば滑稽な、あるいはかわいらしい光景に見えなくもないけれど、事故防止のためには欠かせない手順だ。凍えた指先が起こした事故の報告書のファイルは、書類棚の一角に確かな位置を占めるほどに厚く重い。

 やがて手こすりの音に合わせるようにあちこちから湧きだした工廠妖精さんたちも真似して手こすりを始めた。

 今日も忙しい一日が始まる。

 槌音が響き、鉄粉の舞う。ここが私の戦場だ。

 

 涼風ちゃんが保護メガネ越しに作業手順書を見ながら12.7㎝連装砲を作業台に並べていき、手順書に記された登録番号と砲塔の登録番号を照らしわせる。工廠妖精さんたちはわらわらと集まってくるのだけれど、特に何をするでもなく作業台に置かれた12.7㎝砲の周りにただ(たむろ)している。

「明石さん、お願い」

 私が、「12.7㎝連装砲B型改二 登録番号2290011番、日課手入れはじめ」と声をかけると、工廠妖精さんたちは弾かれたように手入れ作業に取り掛かった。

「いつも思うんだけどさ、あたいたちも妖精さんに指示が出せれば明石さんの仕事ももっと楽になるのになって。なんとかなんないのかな、これって。あたいの役目って正直クレーンみたいなもんだろ?」

「工廠妖精さんたちにきちんと指示が出せるのは『工作艦』だけ。こればっかりはどうにもならないみたいですね…でも気持ちは嬉しいですし、助かってますよ、ほんとに」。

 提督も気にしてくれてはいるものの、私の負担が減らない決定的要因がこれだ。

 夕張や北上さんや秋津洲さんも工廠妖精さんに指示が出せるけれど、あくまで日課手入れなどの基本的、限定的でざっくりしたものだけで、複雑な作業はやはり私でないと指示が出せない。三人とも気を使っていろいろ申し出てくれるが、そもそも彼らは出撃して不在という日も多く、根本的な解決にはならないのだ。真面目で小回りの利く艦娘の手伝いが日に5人。これが私の指揮する頼みの綱の艦隊ということだ。「助かっている」は混じりけなしの本音だ。

 私の内心のボヤキをよそに、工廠妖精さんたちの作業は続く。

 実戦と演習とを問わず、一度でも砲弾を発射した砲には必ず手入れの必要が生じる。砲弾には砲身の内側を傷つけないように保護用の銅製のリング(弾帯)がはめられており、発射の後は砲身の内側に銅と火薬の残りが一面に塗りたくられたような状態になる。火薬ガスには腐食性があり、放っておくと重大な事故につながるので、洗滌油に浸したクリーニングロッドで全て取り除かねばならない。それが終わると洗滌油を全て洗い流し、スピンドル油をひく。ハリネズミのように5インチ砲を突き立てたアトランタさんが着任したときの我々工廠班の悲憤たるや……。

 だから気を使って、砲身の洗浄は自分でやると申し出てくれる艦娘も多い。ただ、洗滌油はささくれ程度の傷にも飛び上がるほど沁みる。下手をすると痛みで眠れずベッドに横たわって両手を上げたまま夜明けを迎える羽目になる。艦娘の戯れ歌に「涙で濯ぐ洗滌油」「泣く泣く突くは洗滌(かん)」「乾く暇なく出撃す」とうたわれた砲身手入れだ。作業自体は単純だが、作業中の事故の可能性を考えるとやはり工廠でまとめてやるしかない、という判断になる。どちらにせよ砲身の掃除だけでは手入れは終わらない。砲尾の閉鎖機も分解清掃して再度組み立てる。こればかりは工廠妖精さんにしかできない。

 涼風ちゃんはホイスト式天井クレーンを操作して16インチ3連装砲を次の作業台に移動させようとしている。午前の演習に戦艦が参加したのだ。午前の演習の分の手入れが終わらないうちに午後の演習が始まるのは何としても避けなければ…!

 

 だいたいいつもここらへん、工廠の作業がスムーズに動き始めたころに、いつも無言の来客がある。

 そろそろかな、と思って出入り口の方を見ると副司令の加賀さんがいつも通り愛想のない表情でひょいと覗き込むように顔だけのぞかせていて、気が付くといなくなっている。着任間もない艦娘は無言でやってきて無言のまま去る副司令の行動に戦々恐々とし、私も実際最初のうちは少なからず動揺したけれど、しばらくしてわかった。

 単に心配で見に来ているのだ。

 

 隣接する航空機格納庫では五月雨ちゃんがエンジン整備の段取りを見てくれている。

 艦娘隊が使う航空機のエンジンは、燃料に発錆性の強い特殊な添加剤を使用している関係で、週に一度は試運転をしないと大変なことになる。もし間隔がそれ以上に開けば、試運転前にプロペラを手動で逆回転させてシリンダーにたまったオイルをドレナージしておかないと、これもまた故障の原因になる。格納庫にあるすべての航空機のエンジンを、1週間かけて順番に機体から取り外し、試運転し、再び機体にとりつける作業のはてしなさ。試運転そのものも微速、加速、急加速に油温と電気系統と過給器のチェック、終わるときにも微速運転で落ち着かせてからでないとまた故障の原因になる。そして全てが終わったら次の試運転のローテーションに入るのだ。さらにこの試運転によるエンジンの稼働時間もエンジンの一台一台について全て記録しておき、小型機なら稼働150時間ごと、大型機なら450時間ごとに分解総点検が必要になる。

 午後5時45分、「課業おわり」のラッパで「お手伝い班」は終業する。「まだ何か手伝えること、ないのかい?」「ほんとに大丈夫ですよ、私たちは」。涙が出るほどいい子たちだ。何か心残りな表情をするお手伝い班の艦娘たちを工廠から出し、報告書、申請書、明日の作業手順書の作成に、出納簿の帳尻合わせ(これは他人に任せられない!)…すべてがひと段落する頃には日付が変わる。

 何か言いたげな表情の加賀さんがひょいと工廠事務室に顔をのぞかせるのもだいたいこの時間帯だ。まあそのまま帰っちゃうんですけどね。

 そしてこれは特に目立った作戦行動の無い普通の一日、『袖ヶ浜戦線異状なし。報告すべき件なし』の状態なのだ。

 大掛かりな改修や大規模作戦が始まったときの狂騒は、もうなんと表現したらよいものか……。

 

 でも、目立った出撃が無いのはありがたい。

 誰にも言えないけれど、出撃のある日は気が重い。腰の後ろが不安でむずむずして気持ち悪くなる。仕事の量が増えるのが原因ではなくて(もちろんそれもあるけれど)、ひどく気が沈むのだ。

 帰投する艦隊が東京湾に入って富津岬の先端を回るときに、赤色の信号弾を2発打ち上げるときがある。監視塔の上の当直艦娘が「帰投する艦隊、信号弾赤赤!」と報告すると鎮守府に緊張が走る。「信号弾赤赤」は「損傷艦あり。救護準備せよ」の意味だ。しかも鎮守府が肉眼で見えてから信号弾で報告するということは、無線で報告する余裕がないほどひどく痛めつけられている可能性が高い。

 袖ヶ浜鎮守府の提督は、こういうとき躊躇なく高速修復剤を使うけれど、それでも帰港から入渠まではわりと凄惨な光景になる。

「私は大丈夫ですから駆逐艦たちを先に」

 勇気を(てら)っているわけではない。傷だらけの軽巡たちは必ずそう言う。胸がチクリと痛む。損傷艦を抱き抱え、入渠ドックまで運ぶときに、制服がどろどろに汚れることがある。それを見てまた胸が痛む。

 

 

 

私の制服が私の血で汚れることはないのだ。

 

 

 

 怪我は修復剤ですぐに治るから、まだ、比較的、まだしも、「まし」だ。しかし艤装や装備はそうはいかない。

 打ち飛ばされて下半分だけになった煙突。中央から折れて倒れかかったマスト。回転台しか残っていない魚雷発射管。

 私の仕事がもっと完璧だったなら、紙一重で敵弾を避けられたのかもしれない。

 私の仕事があと少しだけ上出来だったなら、流される血の量はもっと少なくて済んだのかもしれない。

 破裂した砲身を初めて見たときのことは忘れられない。砲身の(くう)発事故は「起こるときは起こる」といったもので完全に防ぐことはできないけれど、だからこそ自分のせいではないと言い切ることも不可能だ。

「自分のせいかもしれない」。不安と焦燥で膝が震えだしたのを覚えている。

 その主砲の持ち主は「砲身に敵の砲弾が当たったのかもね。どっちにしても明石さんのせいじゃないよ!大丈夫大丈夫!なはははは!」と笑っていたけれど、本当の答えは誰にも分からない。

 転職サイトのテレビCMは「自分の仕事が役に立っているのを感じられるやりがい」を謳う。

「自分の仕事の結果が見える」って、それほんとに幸せなんですかね?

 だから私は忙しいのが好きだ。あれこれ考えなくて済む。疲れ果ててベッドに倒れ込めば、天井を見ながらあれこれ思い悩んで狂おしい思いに(さいな)まれることもない。明日も忙しくなればいいのに。何もわからなくなるくらいに。

 

 

 

狂おしく 眠れぬ夜に 秒針は Still Live Still Liveとぞ 時を刻める

 

 

 

 その日も朝から忙しかった。南方で大規模作戦が始まったという話も漏れ聞こえてきていたが、内地の長閑な鎮守府には遠い世界の話だし、何より自分の知らない前線の話にあれこれ思いを巡らす余裕は私にはなかったのだ。

 昼休みにカレーライスをかき込み、午後の仕事の準備にとりかかろうとした矢先にスピーカーから入港ラッパが鳴り響いた。

「出撃中の艦娘もいないのに、なんでかしら?」大淀が首をかしげる。大淀が知らなければ私が知っているはずもない。そのときまたスピーカーががなった。「輸送船宗谷丸間もなく入港する。信号弾赤赤」。

 艦娘の鎮守府に普通の輸送船が入港するのは異例だった。さすがに艦娘ではない普通のケガ人の対応は私たちの手に余る。袖ヶ浜鎮守府の救急車や各種の車両が荒々しいサイレンを響かせて埠頭に向かっていくのが見えた。手すきの艦娘たちも埠頭に集まりだした。 

「あっ…見えたっしゅ……あっ…」

 思わず声を詰まらせたのも無理はない。傾いた船体に半分没した船首。船体の後部からはまだ煙が上がっており、マストは全て折れ飛び、船橋は片側が潰れて、と言うか上部構造物そのものが被弾と火災で半分崩れかけていた。まわりにむらがるタグボートが袖ヶ浜鎮守府の埠頭に宗谷丸を何とか押し込もうとしている。

 宗谷丸を護衛していた駆逐艦娘が一足先に埠頭に近づいて叫んだ。「本船団はルソン島西岸サンフェルナンドから脱出した撤収船団ですが、途中敵の反復攻撃を受け船団は宗谷丸を残して全滅しました!これ以上の航行が不可能なため宗谷丸は当港に入港します!救援準備頼みます!」

 救援準備と言っても何をしていいのか見当もつかない。修復剤は人間には効かないのだ。それでも艦娘たちはばらばらと散った。自分の考えたことをやるのだ。いつだってそれしかないのだ。

 宗谷丸はゴール寸前で力尽きたマラソン選手が倒れ込むように埠頭に接岸した。と言うより岸壁に(くずお)れたという方が正しかった。

 宗谷丸にはラッタルがかけられ、埠頭に集まってきていた袖ヶ浜基地隊の将兵の手によって負傷者が次々と運び出された。隣接する駐屯地の陸軍の部隊もやってきて、陸海軍の制服が入り混じって負傷者の救護と搬送が始まった。

 艦娘の何人かが船内に手伝いに入ろうとしたが、岸壁にいた士官に「いらぬ。あっちへ行け」と怒鳴られていた。私は岸壁から宗谷丸を見上げていたが、乗り込んだ兵隊たちの「ひでえ」「処置なしだ、こりゃあ」「動かしちゃアいかん」「オイ、バケツを持ってこい」という声が漏れ聞こえてきて事情を察し始めていた。海防艦たちはそれでも水を汲んだコップとタオルを手に、運ばれていく負傷者の担架にまとわりついた。担架を運ぶ兵隊たちは艦娘を追い払おうとしなかった。私はといえば、ただ茫然と宗谷丸の残骸を見上げていた。

 

 

 

「これも私たちの仕事の結果なのか」

 

 

 

 足が震えた。胃の上の方から嫌な感じが上がってきた。心臓が早鐘のように鳴った。ふと人影を感じて横を見て悲鳴を上げそうになった。乾いた血糊でどす黒く変色した三種軍装の小柄な女性士官が立っていた。例えは悪いが昆布を着ているようだ。割れたメガネの奥の視線は定まらず、しきりに首の後ろをかきむしりながら何かをぼそぼそとしゃべっていて、最初は私の方を向いているのだとも、私に向かって何かを話しているのだとも思えなかった。

「あ、ここにいた」「少尉、ダメじゃないですか勝手に動いちゃ」「こっちです、大丈夫、もう大丈夫だから」

 看護兵が頭を下げて言った。「すみません、こん人ぁ船橋に機銃掃射をやられたときにやられた遺体と残骸に挟まれて一晩身動きがとれんかったんですと…」

 両脇を支えられて連れられて行く彼女の、血糊で固まった髪が鈍い光を放つ後姿を見送りながら、私はただ立ち尽くしていた。

 

 

 

「これも私たちの仕事の結果なのか」

「私の制服が私の血で汚れることはないのだ」

 

 

 

 

 

「いいかしら?」

 2週間後、深夜の工廠事務室に無言ではない来客があった。書きかけの書類から視線を上げると魔法瓶を持った加賀さんが立っていた。

「どうぞ」

 椅子をすすめると加賀さんは上品に腰かけた。

「生姜湯を作ったの。はちみつをたっぷり入れてね。さあ、飲みなさい」

 カップに生姜湯を注ぎながら加賀さんは私の顔をじっと見る。こんなに優しく命令口調で話す人を私は他に知らない。一口含んだだけで温かさが体にしみた。

「おいしいです…。すみません、ありがとうございます」

 沈黙。

「辛いものを見たわね、怖くなった?」

 しばし沈黙。

「本当はあなたとももっと早く話をしたかったのだけれど。他にもショックを受けた子がいて、ごめんなさい」

 ああ、この人はみんなわかっているのかもしれない。

「戦いが怖いわけではありません」

「そう?」

「そうです」

「でも悩んでるわ。少なくとも元気はない。私が心配するほどに」

「ご心配をおかけしたのはすみません。でも悩んでるわけでもないんです…ただ」

「ただ?」

「迷いはあります」

 沈黙。

「私が整備した艤装と装備に、私の仕事の結果に、みんなが命を懸ける。そこに他の人々の生死も関わる。その結果に私は責任を取らない、取れない、そこに迷いはあるかもしれません。自分の仕事の在り方というものに、何かすごく納得のいかない部分があります」

 カップを両手でぎゅっと握った。手が震えた。

「責任を取れる人なんてもともといないわ。起こってしまったことは元に戻せない。それに、責任を取るとしたら提督ね。あの人は責任を取るのが仕事なのだし」

「そういう建前の話ではないんです」

 加賀さんはきょとんとしたが、すぐによく気を付けなければ分からない程度に小さく微笑んだ。

「でも似た話よ。私たちが負えるものは限られている。負える責任も限られている」

 沈黙。

「だから、みんなで背負うの。少しずつ。私たちはあなたが背負えない部分を背負っているし、あなたは私たちが背負えない部分を背負ってくれている」

 沈黙。

「『なんと、橋が寝返りを打つ!』」

 私は視線を上げた。

「今のなんですか?」

「橋が寝返りを打てば上に乗っている人は落ちるわ。無理に変わらなくていいこともあるということよ」

「私は変わるべきではないと?」

 カップを包み込む両手の外側を、さらに加賀さんの両手が優しく包み込んだ。

「変わらなくてもいいということよ。あなたは橋。私たちはあなたを信じて渡る。たとえ橋が落ちても私たちに悔いは無いわ。橋が寝返りを打ったのでなければ、ね」

 加賀さんの顔をまっすぐに見た。加賀さんの瞳もまっすぐに私を見つめていた。涙は出なかったが鼻水が出た。

 

 

 

袖ヶ浜鎮守府日々命令

一ツ 東京湾内長距離練習航海遠征 本日ノ編制ハ下記ノ通リ 旗艦:明石 2番艦:陽炎 3番艦:不知火 4番艦:黒潮 5番艦:親潮

 

 

 出撃ドックの上から提督が大声で呼びかけてきた。

「もし明石に何かあったら鎮守府の存亡にかかわるけえの。東京湾内でめったなことは起こりゃあせんじゃろうが、念には念をで全員改二の手練れの連中を揃えたわけじゃ。陽炎、不知火、黒潮、親潮、責任重大じゃ。よろしく頼む」

「まかしといて!」

 言われるまでも無いとばかりに陽炎が胸を張って返事をした。

「ホントに私が遠征旗艦なんですか?」

 提督はニヤニヤしながら返答する。

「明石、お前も艦娘じゃったちゅうことじゃな。う、司令官は見過ごしとって悪いことをしたぞ。艦娘はたまには潮風にあたらんとおかしゅうなる。ちいとは潮っ気を入れとかんとよけいなことを考えるいうもんじゃ」

「でも」

「あーじゃこうじゃ言わずに行ってこい。幸いこれ以上ないくらいに気持ちのええ天気じゃ。ちっとは波に濡れて艦娘らしゅうなってこい。命令じゃ。陽炎、さっさと抜錨せえ」

「両舷全速!陽炎、出撃しまーす!」

 先頭を切って陽炎ちゃんが飛び出すと、残る3人に押し出されるように海に出た。不知火ちゃんがそっと背中に手を添えてくれたのがわかった。

 潮風を受けて体がふわっと浮くような感覚があった。体が覚えている、波に乗れる。ゆったりと弧を描く波頭(なみがしら)の曲線に沿って、自分の進むべきコースが見えた。体が自然に動き、艤装がそれに心地よく応える。

 つい調子に乗って、航行中だった他の鎮守府の内火艇の進路を横切ってしまった。怒られるかと思ったが、手信号で「ゴキゲンデスネ」と送ってきた。黒潮ちゃんが勝手に返信する。「只今初級艦娘訓練中ナリ」。向こうからさらに返信「船トハ乗ルモノナリ」。船に乗られるなということか。内火艇に手を振って別れると、親潮ちゃんが言った。「明石さん、今日はよろしくお願いします。いっしょに走りましょう」

 私はうなずいた。

 

 

 

「あれでよかったのかしら?」

「まあええじゃろ。責任を取るのはワシじゃ。艦娘に背負わせた業も迷いもなんもかんも、背負っていくのは人間の役目じゃろ。『一度かけられたが最後、落下することなしには橋はどこまでも橋でしかない』。腹は決まっとるよ。最後まで結果を見届けるのはワシの役目じゃ」

 加賀は海に向き直り、よく気を付けなければ分からない程度に哀しげな瞳で、繰り返し寄せる波を見つめた。




【登場人物紹介①】
神々廻 舞(ししばまい)
 茨城県ひたちなか市出身。愛称は「しーちゃん」。1997年生まれ。高校卒業後海軍1種幹部候補生6期に進む。2017年3月海軍予備少尉に任官。卒業時の席次は158名中85番。その後、フィリピン・ルソン島西部の第20特別根拠地隊防備戦隊艦娘隊で勤務中の2017年11月に捷一号作戦の発動を迎える。根拠地隊はバギオへの撤退戦で総員1294名中887名の戦死者を出した。
 帰国後健康上の理由で後備役に編入され、海軍を離れてフリーライターとなる。現在は広島市佐伯区在住。市内でカレー店を経営する知人によれば「あの子はね、心のどこかをフィリピンに置いてきちゃったのよ」。
 著書に「ルソン戦記」「夕陽の勲章」「人とカレーのヒストリエ」など。
 好きな言葉は「神よ、願わくは我をして、自ら知らぬ又は解さぬことを非難しあるいは語らしめ給ふな」(チェーホフ)。
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