近所のカレー屋の店主「れーかちゃん」とも仲良くなり、穏やかな日々を過ごしていたが、ついに決号作戦発動の日が訪れる。その知らせを受け取った人々。それぞれの「作戦目的」が交錯する。
【2023年3月 広島県呉市 呉鎮守府】
河口近くの橋の上を歩きながら視線を上げると、なんの工夫も無しに水色の工作用紙を張りつけたような空がぱっと目の前に広がる。見下ろす海はもう少し複雑な深緑色で、電車で居眠りした人が頭を揺らすように気怠く、ざぶざぶと岸壁に寄りかかってはその形を崩した。ちょっと磯臭い、でも懐かしいような海の匂いが、やや無遠慮に鼻先をくすぐってくる。
「しーちゃんさん、見えましたよ。もうすぐです、ほら」
ぴっと突き出されたれーかちゃんの指の先には、呉鎮守府の正門に向かって連れだって歩く人々が歩道の並木の間に見え隠れし、さらにその先には見学者の入場列を整理する女性下士官の制服がちらちらと見えた。
「思ったより人が多いですね」
「ですねー。でも、海軍の人たちもこうやって平和なお仕事してるほうが、絶対いいですよ。最近は深海棲艦も前よりずいぶんおとなしくなってるってニュースで言ってましたし、このまま静かにしといてほしいですよね。このまま平和になってくれたら、私のお店にももっとたくさんお客さんが来て、もっと賑やかになって…」
手を後ろに組んで、ゆっくりと歩きながられーかちゃんは空を見上げた。
「私、いつかお店をもうひとつ作りたいんです。そっちはスープカレーとパンをおいしく食べてもらって、それでお客さんを笑顔にする場所にします。そういう幸せな場所をもうひとつ作りたいんです」
れーかちゃんがこちらに顔を向けた。いつも通りの笑顔で、でも瞳は真面目で、でもなぜかちょっと潤んでいるように見える。
「そのときはしーちゃんさん、2号店はおまかせしますからね!」
れーかちゃんがぱっと背後に回り、私の脇をくすぐりながら笑った。私も笑って、それから二人で顔を見合わせてまた笑いあった。
「あ、ここからでも軍艦が見えますね。ずいぶんたくさんいますけど」
ひょいと海の方に目を向けたれーかちゃんの視線の先に、見なれた艦影がごちゃごちゃと寄り集まって停泊しているのが見える。
「なんかのっぺりした船ですねえ、あんまり強そうな感じがしないというか…」
「あれは、私たちは「艦娘母艦」と呼んでました。艦首のところがぱかって開いて、そこのスロープから艦娘が海の上に出るんです。帰って来るときは、艦尾がやっぱりぱかって開いて、そこのスロープを上がって中に入る。自力で上がれないときは艦尾のデリックで吊り上げるんです」
「デリック?」
「ようするにクレーンですね」
ふうん、と言ってれーかちゃんは手のひらを額にかざし、艦娘母艦の方を見て目を細めた。
「艦娘の大部隊を展開するときはもっと大型の母艦を使いますから、あれは小型の艦娘母艦ですね…でも…」
でもなんだろう…以前よく見た1200トン型艦娘母艦とは少し形が違うような気がする。何隻も並んで停泊しているせいで艦影が重なり合ってよく見えないけど、上甲板一面に何かがびっしりと並べられているように見える。私が海軍にいたころの1200トン型にあんな装備は無かったはずだ…あれは………わかった、ロケット弾の発射機だ。武装強化型ということなんだろうけど、上甲板が全てロケット発射機で埋めつくされているのは殺気を通り越して不気味ささえ感じる。今はああいうふうになってるんだ…?
「一般入場の方はこちらでーす。入場証を確認しますので手元に準備してお待ちくださーい」
正門前で、まだ高校生くらいに見える幹部候補生の女の子が一般参加者を誘導している。前に並ぶ人々に続いて、ゴシック体で書かれた「呉鎮守府一般公開デー」のアーチをくぐって正門を抜けた。
「今日はお祭りですもんねー、気楽に楽しんでいきましょう、しーちゃんさん!」
れーかちゃんがにかっと笑い、私もたぶん笑った、と思う。
海を目の前に臨む芝生の広場にはいくつものイベント用の白テントが張られ、それぞれのテントから肉を焼く音や、それに並ぶ人々の笑い騒ぐ声が聞こえる。定番の海軍カレーも出店しているらしく、その匂いに興味をひかれたれーかちゃんは目を輝かせて鼻をひくひくと動かした。広場のはじにあるステージでは音楽隊が演奏の準備を始め、ぶうぶうと試し吹きをする音に、子どもたちの元気な声が合いの手を入れた。平和の音だ。
会場を一回りした後、ちょっと一休みして広場の隅のベンチに座った。木陰の涼しさと木漏れ日が心地いい。ほぅっと息をつく。
「しーちゃんさん、私、飲み物もらってきますね」
れーかちゃんがぱたぱたと駆けていく音がして、私は目を閉じた。砲声も無い。悲鳴も無い。平和の音だけを聞いて、耳を澄ます。戦場はもう遠い。報道では、深海棲艦の活動はハワイ東方沖で小規模な活動が見られる以外は、世界各地で沈静化しているそうだ。理由は分からないけど、それならそれで別にいいじゃないですか。平和の音の中で、れーかちゃんが戻るのを待つ…ただ待つ…。
「具合でも悪いのかい?」
意識がとろとろとした瞬間、頭の上で聞こえた声にはっとして、目を開いて顔を上げた。
「ああ、大丈夫そうだね。気分でも悪いのかと思って心配したよ」
声で分かった。時雨さんだ!
「時雨さん!びっくりしました、またお会いするなんて…」
すると、時雨さんが小さく首をかしげる。あれ?
「時雨さん…?一昨年お会いして以来ですよね?」
時雨さんは今度は反対方向に首を傾げた。
「ごめん、どこかで会ったことあったかな…」
「いやいや、一昨年取材にうかがって…私、2回ほどインタビューさせていただきましたよね?」
時雨さんは真剣に思い出せないらしく、腕組みをして首をひねっている。そこで違和感に気が付いた。取材で会ったときの時雨さんより、顔つきや体つきが全体的に小さい、というか幼い。目の前にいる彼女は誰だ?いや、目の前の「これ」はなんだ?
「あー」時雨さんがポンと手を打って言った。
「思い出した。雨の強かった日に駅前の喫茶店でおしゃべりしたお姉さんだね。僕が傘を貸してあげた…あれ、僕が借りたんだっけ?」
屈託のない笑顔でしゃべる時雨さんを見てぞっとした。冗談を言っているわけでも、からかっているわけでもなく、これは本当にそう思って言っている。それに、雨の日に時雨さんにしたインタビューは、「おしゃべり」と言えるようなものではなく、言ってみれば「対決」に近かったはずだ。私の顔と、別れ際にした傘の話だけが歪んだ不正確な記憶として残り、あの「インタビュー」を「おしゃべり」として記憶する、妙に幼い時雨さんが目の前に立っている。しかも瞳がきれいだ。あの、何もかも見透かしたような、不遜で悲しい瞳ではなくなっている。
固まっている私を見て時雨さんは少し心配そうな表情になった。
「ごめん、きみの名前を思い出せないんだ。気を悪くしたら申し訳ないんだけど…」
「時雨!」
鋭い声が耳を突いた。
「時雨は外に出ちゃ駄目って言ったよね!」
声のした方を見ると20歩ほど離れて秋雲さんが立っていた。私に向ける視線にははっきりと敵意がある。
秋雲さんの後ろに初霜さんと朧さんもいる。走って来たのか、少し呼吸が荒い。
時雨さんはばつが悪そうに頭をかくと、楽しそうだったのでつい…というような言い訳をごにょごにょとした。
「初霜ちゃん、悪いけど時雨を連れてって」
「はい」
初霜さんは私を横目で見たが、視界に入れた、という程度でさっと視線を滑らせ、渋る時雨さんを連れてどこかに歩いて行った。
私が状況についていけずに「あの…」と言って立ち上がると、大股で歩いてきた秋雲さんが目の前に顔をつきつけてきた。
「あんた!」
私の喉元を秋雲さんの人差し指が軽く突く。
「何話した!」
「何をって…」
「何を話したかって聞いてんの!」
朧さんが「秋雲、やめなよ」と言いながら秋雲さんを後ろから引っ張っているが、勢いは止まらない。
「何って…お久しぶりですって言っただけですよ、それが…」
秋雲さんはため息をついて空を仰ぎ、それから私の両肩を痛いくらいの力で掴んだ。
「いい?あんたは…あんたは今日、駆逐艦娘には誰にも会わなかった。秋雲さんたちも含めて誰にも会わなかった。分かった?いい?」
言うだけ言って秋雲さんは手を放して私を押しやると、踵を返して立ち去ろうとした。
「待ってください。さっきの時雨さんは…あれは…あの時雨さんは本当に私が前に会った時雨さんなんですか」
秋雲さんは答えずに歩みを早めた。
「あれは『誰』なんですか!」
「朧、行くよ!」
しかし、朧さんが足を止めて振り返った。
「さっきの時雨さんも、神々廻さんが前に会ったのも、どっちもそれぞれ時雨さんです」
「朧!」
『それぞれ』って言った…?
朧さんの目を見た。明るく、そして繊細な茶色の瞳が何の気負いもなく静かにこちらを見ている。迷いのない瞳だ。
「朧さん…じゃあ、私が以前会った時雨さんは…」
「海へ」
「じゃあ、さっきの時雨さんは…」
朧さんは一瞬視線を切って、すぐにまた私を正面から見つめた。躊躇いのない瞳だ。
「海から」
「朧!本気で怒るよ!」
「神々廻さんこそ忘れたんですか。『私たち』『みんな』海から生まれたんですよ」
秋雲さんが朧さんの肩を掴んで向き直らせ、胸ぐらをつかんだ。
「朧…あんたなんで…」
「秋雲、もういいと思う。もうすぐ…もうすぐ全部『片付く』んだから」
秋雲さんの顔に一瞬だけ、乾いた恐怖のような影が差したのが分かった。そして、ぎゅっと目を閉じて、朧さんの胸ぐらをつかむ手がぶるぶると震えた。
秋雲さんが私に顔をむける。荒れた砂場のような表情の中に、鶯色の瞳が、まるで半分砂に埋もれたふたつの宝石のように私を見ていた。
「覚えていて」
「はい?」
「秋雲さんたちのことを覚えていて」
「はい…」
「今ここにいる秋雲さんのことを、目の前にいるあたしたちのことを、朧のことも、初霜ちゃんのことも、時雨のことも、みんな忘れないでいて」
秋雲さんが何か大事なことを言っているのは分かった。
私は秋雲さんの、そして朧さんの目を見てはっきり言った。
「はい、忘れません。絶対に」
本心だ。それは間違いない。
「本当に?」
「本当です。約束します」
「正直言うと、インタビューの時も最初からあんたのことは苦手だったのさ」
「はい…」
「でも、あんたのことが嫌いな『この』秋雲さんのこと、絶対に覚えておいて。絶対だよ」
「はい、必ず」
秋雲さんは顔をくしゃくしゃにした。涙も声も出さずに泣いているのが分かった。
「でも」
言っていいのかわからなかったけど、綺麗ごとだと思ったけど、口から出てしまった。
「私、とってもカレーの美味しい素敵なお店を知ってるんです。どんな人でもつい笑顔になってしまうような、そんな温かいお店なんです。私のことは苦手でも、カレーは苦手じゃないですよね。秋雲さんも朧さんも、初霜さんも時雨さんもみんな連れて、いつかそのお店に来てください。いつか、きっと」
いつの間にか戻ってきていた初霜さんが、秋雲さんの傍に立って腕と背中に手を添えた。よく見ると秋雲さんの足が震えている。
「カレーか、ふふ、ちょっと笑っちゃう」
秋雲さんの瞳が、乱れた前髪の間から私を見た。
「神々廻さんだったよね、覚えておくよ。みんな何もかも『ケリがついた』ら、きっと行ってあげるさ。約束ね」
「ええ、いつか、また。必ず」
秋雲さんの言葉に、朧さんはちょっとだけ微笑んだ、初霜さんは鼻を鳴らして少し呆れたような表情をした。
「ああ、分かった」
去っていく秋雲さんたちの後ろ姿が遠くなったとき、思わず声が出た。
かつて私は、かつての時雨さんに言った。
『海で沈んだ船たちの魂、そこには怨念や無念もあれば勇気や毅然といった物語もある。光が当たれば艦娘を生み、同時にできた影は深海棲艦を生む。そして、沈んだ艦娘は深海棲艦になりうる…』
それを笑って否定した時雨さんは海へ。そしてまた海から還って来たんだ。きっと。たぶん。
海から来たものは海へ、海へ行ったものは海から。
魂のありかも、生まれたところも、帰る場所も、帰ってくる場所も、すべて海にある。
そんなこと、当たり前のことだったんだ。それこそ、この星で最初の生命が海で生まれたときから。
沈んだ艦娘から深海棲艦が生まれるというのなら、沈んだ深海棲艦から艦娘が生まれることだってあるはずだ。
今まで何度も頭に浮かんでは必死に打ち消してきた夢が、たった今突然に目の前で形を取り始めた。
私はれーかちゃんのお店の温かさに満ちた幸せなテーブルで、何度もある夢想にふけった。もっと赤裸々に言えば妄執にとらわれ続けた。私が失った艦娘たち。荒潮ちゃんと白雪ちゃんと浦波ちゃんと、あと時津風ちゃんも。みんながあのテーブルでカレーを囲む団欒を思い描いた。私のことなんか覚えていなくてもいい。でも一目でいいからまたみんなに会いたい。私は名前も知らないただの店員で構わない。でも一度でいいからまたみんなの団欒が見たい。その気持ちが胸に湧くたびに、でもそんな方法あるわけないと、自分の心を破いて丸めてゴミ箱に放り込み続けてきた。
―あったんじゃないですか、方法。みんなにまた会えるまで敵を沈め続けるっていう方法が。
「しーちゃんさん…?」
飲み物を持って戻って来たれーかちゃんの声が後ろから聞こえた。
振り返った私は笑顔だった。本当に、心の底から本気の、混じりけの無い笑顔だった。
見たことのない表情をしたのはむしろれーかちゃんだ。敬虔な信徒が邪教徒に悪魔崇拝を誘われたときのような、怖れと本能的な嫌悪の混じった表情、とでも言えばいいのか。
「しーちゃんさん」
「はい」
「今考えてること、絶対悪いことですよ。なに考えてるのかは分かんないですけど、悪いこと言わないから忘れたほうがいいです」
そのとき、バッグの中のスマートフォンがサイレントモードを無視して鳴り響き、続いて鎮守府の中や、敷地の外でもサイレンが鳴り始めた。
スマホを取り出すより早く、近くにいた幹部候補生の女の子が口に手を当てて呼びかける声が耳に入った。
「このサイレンは危険を知らせるものではありません、安心してください」
れーかちゃんがほっと息をつくのが聞こえた。
「ただいま軍籍点呼召集が発令されました。軍籍のある方は3日以内に最寄りの自治体の兵事課に出頭して点呼を受けてください」
そこでやっとスマホを見た。ショートメールが入っている。
「海軍後備役中尉 神々廻舞 軍籍点呼召集を令せらる 3月7日午後5時までに最寄りの召集事務所兵事課に出頭すべし」
横から覗き込んでいたれーかちゃんの表情がこわばって、私にわっと抱きついてきた。飲み物を落として足元が派手に濡れたのにも構わず私の腕にしがみつき、早口でまくし立てた。
「しーちゃんさん、点呼って何しに行くんですか。どこか行っちゃうんですか。嘘ですよね、大丈夫ですよね」
不安そうなれーかちゃんに、私はもう一度にっこりとほほ笑んだ。
「単に名簿と照らし合わせて本人確認をするだけですよ。それだけ。きっとそれだけです」
でも同時に私の頭の中で、また別の私の声が響いた。
―なんだ、呼んでるじゃないですか。そっちからも。
【前日 袖ヶ浜鎮守府】
袖ヶ浜鎮守府本庁舎の大時計の針は…えーと、いま午後11時過ぎだね。
いつもならもう静かに眠りについているはずの鎮守府は、まだ騒々しく慌ただしい。
貨物専用鉄道からの引き込み線に資材を満載した臨時列車が入って来たのは夕方過ぎ。基地の隊員や艦娘総出で卸下して、ようやくさっきひと段落したところだ。
それとタイミングを合わせたように、警察車両に先導された大本営の公用車がよろめくように通用門を出て行った。
昼過ぎから続いていた、大本営からの連絡参謀と提督との長い長い会議がやっと終わったのだ。
「サミュちゃん!所轄長以上集合だって」
廊下を小走りに駆けてきた阿武隈が声をかけてくれた。
嫌な予感がする。いやもうこれは予感じゃないね。
指揮班事務室に入ると、入り口近くの応接用ソファに提督と加賀さんが並んで座り、それを囲むように指揮班長と各班長、分隊長、分隊士の艦娘たちが、オフィスチェアを移動させて集まって座っている。椅子が足りなくてソファの背もたれにお尻を乗っけている鈴谷と、その隣で壁に寄りかかって立っている沖波の間に体を滑り込ませて前の方に割り込んだ。
眉間に皺を寄せて憔悴した提督の顔、そしてその隣の加賀さんの顔をちらっと見た。
たぶん私は顔をしかめたと思う。加賀さんのいつも通りのポーカーフェイス。でも絶対さっき一回泣いたでしょ。見たらわかるよ。
「みんな忙しいところすまん。簡潔に言うが、今日付で大規模作戦の発動準備命令が出た。まずは作戦概要を説明する。今から電が作戦計画書を配布するが、散会時に回収するけえ、そのつもりでおれ」
電が印刷したてでまだぬくもりの残る作戦計画書をみんなに手渡しして回った。電は俯いていて表情が見えない。電は印刷中に内容を見たはずだ。つまり…。いや、今考えても仕方がない。
「今から大淀が要点を補足しながらだいたいのところを説明する。と言っても大した内容はない。大淀、あと頼む」
提督は途中で一瞬だけ「しまった言い過ぎた」というような顔をした。嫌なフラグ重ねるなあと思いながら計画書に目を落とす。
2023年3月4日 大本営海軍部命令
一、醜敵撃滅の神機到来せり。
二、作戦「決1号」発動す。
三、海軍総隊は空陸軍と協力し成るべく多くの兵力を以てハワイ東方沖の深海棲艦湧出口を撃滅すべし。
3行しかない。これだけか。周りの艦娘たちも息をのんだり息をついたり隣の艦娘の顔色をうかがったり、どうにも反応に困ってるみたい。
でもこれは…ひどい。「醜敵」とか「神機」とか、作戦計画書に使うような言葉じゃないでしょ。気合が入りすぎというか浮足立っているというか…。
「実を言うとこの『決1号作戦』の大まかな部分は去年の夏には大本営から機密情報として伝えられとった。第2次ハワイ作戦のときに発見されたハワイ沖の深海棲艦の湧出口、あの海の穴を総力をあげて徹底的に叩くっちゅう、単純な作戦じゃ。ただ、やる以上ハワイ沖に全戦力を集中するしかないが、もしそのタイミングで別方面から敵の大規模攻勢があったら目も当てられん破滅的な状況になる。そういうわけで大本営はこの『決1号』作戦を発動するタイミングをつかめんでおったわけじゃ」
大淀さんが話を引き取った。
「そんな状況の中、去年の夏に本土が空襲を受けたせいで海軍へのプレッシャーが強まり、大本営も反撃作戦を発動する機会を積極的に探していたわけです。それとほぼ同時になぜか世界中で深海棲艦の活動が存在を無視できるレベルで弱まったことは歓迎しつつも、むしろ逆に深海棲艦が世界のいずれかの海域に集中、集結しているのではないかという疑いも大本営は捨てきれませんでした」
駆逐艦分隊の分隊長が口を開いた。
「そしてついに、あのハワイ沖の海の穴が突然赤色化し、深海棲艦の出現が活性化したのです。その瞬間は私たち第6駆逐隊とサミュエルちゃんが確認したのです」
提督が腕組みをして天井を見上げながら言葉を継いだ。
「その後の入念な再偵察、再調査の結果、世界中のほぼ全部の深海棲艦があのハワイ沖の湧出口に集中していると断定されたちゅうわけじゃ。上の方ではこのまま放っておこうという静観論や、包囲して閉じ込めようという封鎖論も出たようじゃが、最終的には決号作戦発動こそが、この深海戦争終結の唯一無二の機会と判断された。えーと、資料のどこかに書いてあるはずじゃ、『この作戦は我々が手にしうる最高度の情報をもとに立案されたもので』とかなんとか。この作戦は世界の全ての艦娘と通常海軍戦力、そして陸空軍が投入される文字通りの決戦になるはずじゃ。明日からは作戦に備えて予備役・後備役軍人の総動員も始まる」
鈴谷がソファからお尻を離して立ち上がり、提督のすぐ横に立った。
「この作戦に勝てば戦争が終わるってこと?」
提督が天井を見上げたまま短いうめき声のような低音を出し、しばらくしてから鈴谷の方にまっすぐ顔を向けた。
「正直に言うと、わからん。しかし、ハワイ沖に集結した深海棲艦が束になってどこかに攻めてくる可能性も捨てきれん。結局のところ、戦うしかないとはワシも思っとる。それに、もしかしたらこれで本当に戦争が終わるかもしれん…もしかしたらじゃが…」
私の頭の上で鈴谷がキッと唇を噛んだのがわかった。私の横にいた沖波は眼鏡をはずしてポケットに入れて、もじもじしたあとまた取り出してかけた。なにしていいかわかんなくなったんだね、わかるよ。
緊張をはらんだ微妙な空気を断ち切って、大淀が作戦計画書の海域情報のページを開くように言った。私たちが見つけたハワイ沖の穴の位置の情報が詳しく示されている。誰かがあそこまでもう一回偵察に行ったんだね、危険を冒して。
「では作戦の詳細をご説明します。深海棲艦湧出口の位置はしっかり確認してください。作戦目標はこの穴を撃滅することです。作戦はこうです」
ここから大淀は資料を見ずに言った。
「まず、投入される艦娘は、左翼より左突進隊、中突進隊、右突進隊に区処されます」
ちょっと間をおいて青葉が言った。
「それで?」
「さらに、各突進隊はそれぞれ、左猛進隊、中猛進隊、右猛進隊に分けられます」
またちょっと間をおいて榛名が言った。
「それで?」
「この攻撃は後方より艦砲と誘導弾と航空支援によって援護されます」
さらに少し間をおいて鈴谷が言った。
「それで?」
「私たち袖ヶ浜鎮守府隊は中突進隊左猛進隊の…」
大淀が何分の一秒か言いよどんだ後に言った。
「突撃第6波です。攻撃発起後は前進し、敵を撃滅します。」
第6波って…それって私たちの出番は第5波までが全滅したあとってことじゃ…。どういう被害想定なの…?
鈴谷がまた言った。
「それで?」
「それだけです。これが作戦の全てです」
しばらく誰も口を利かなかった。私たちはこれからモビィ・ディックに突撃するわけだ! 練度も経験も兼ね備えた袖ヶ浜の歴戦の艦娘たちの沈黙が意味するものの重さに、さすがに私も手足の先が冷たくなってきた。袖ヶ浜に来る前は知らなかった感情だ。私はこの穏やかな鎮守府に来て、日常を失う恐怖を知ったのかもしれない。私、弱くなったのかな。
提督が立ち上がった。
「ワシも陣頭指揮を執る。艦娘母艦でお前たちと共に前線に立つ」
そして提督は私たち一人一人の目を順に見た。私の目もまっすぐに見た。そして私は見てしまった。使命感と恐怖と、そして艦娘に命令を下す重責の間で揺れる一人の人間の瞳を。
その瞬間、それまで沈黙していた加賀さんが立ち上がった。
そして短く一言だけ言った。
「私があなたたちを守るわ、必ず」
はっとした。「noble」という単語が艦娘の形をとって目の前に現れた気すらした。
でもずるいじゃん、やめなよ。さっきまで泣いてた顔を隠してそれ言うの、ずるいんだよ。
ダメだ、鼻水が出てきた。ごめん、ウソ、涙が出てきた。
ああ、くそ、神様。ごめんなさい。生きて帰りたい。
4年半かけて、ついに「プロ―テウスの艦娘たち」の冒頭「―海から生まれた「私たち」に捧げる。」に戻ってきました。
次回は「長いお別れ(仮題)」となります。