前話が作者の中でかなり不完全燃焼なので、この話を投稿してまたしばらく寝ます
妖怪って食い溜めできるのかしら。
「にとり、腹減ったの?」
「いや満腹だけど。でもそろそろ良い時間かなあ」
遊び倒して遊び尽くして、気づけば雁が群れる時間である。斜めに差し込んだ夕陽が木々のフィルターを通して、湖に赤い影を投げかけていた。
「そろそろお開きにしようか。あんたは腹減るでしょ」
「ええー」
「さあ帰った帰った。心配しなくとも私はいなくなったりしないさ」
少年はしばらく膨れていたが、やがてそれもしぼんで、最後に神社へ双眼鏡を取りに行った。水遊びするなら双眼鏡は退けとかないといけなかったから。
ともかく、駄々を捏ねるほど幼くなくて何よりだ。2人並んで湖の縁を歩く。
神社へと進む小径は、背の高い草や木で挟まれて薄暗い。奥の方で何かざわめいている気さえする。その入り口で少年は立ち止まった。
合わせて私も止まると、少年はこちらを見上げる。
「来ないの?」
「面倒だからね」
「……実は怖いんじゃない」
「そりゃこっちの台詞。1人で行きなよ、怖くないんだろ」
言うと少年は明らかに狼狽した。食事どうこうを抜きにしても、可愛らしいヤツだと思う。
「でもまあ」
「!」
「あんたの恐怖が自然現象に独り占めされるのも気に入らないな。私の腹が膨れない」
貴重な湧き水が動物に飲まれているのを見た時のような――しょうもなくて、それでいて大事な独占欲。助け舟を出してやると、少年の顔がみるみるうちに晴れた。
「ほらほら、置いてくぞ」
「っ……!」
少し先を行くと、少年が慌ててついてくる。歩幅を緩める。
そんなに大きな山でもないから、その社にはすぐ行き当たった。木製でやや色が剥げているが、屋根としてギリギリ機能する。もし雨が降っても双眼鏡が守れるくらいには。
そう。だからそこに置いておいた、はずだった。
「え」
双眼鏡を取りに駆け出した少年は道半ばでびくりと身体を震わせ、その場に立ち竦む。
明らかに様子が変だ。視線が社の方向に固定されたまま、少しも動かない。
ごぽっ
何か泡のような音が、小さく、しかし確かに広場に響く。やな予感が、未知が近くに忍び寄る気配がした。
「少年――」
その小さな背に追いつき、そして社を見た。
ごぽっ
そのままを形容して良いのなら。
それは50cmほどの、てらてらとした
表面は滑らかで、僅かに襞のような凹凸があって。
スライムのようにも、歪な茹で卵のようにも見える。
「あれ、は」
「――見るなよ、少年。あれは私に近い」
咄嗟に少年の目元を手で隠したのは、おそらく正解だった。肉塊がわずかに裂け、そこからぷくぷくと気泡が浮かんでは嫌な音を立てて割れる。
それは――その泡は、認めたくはないが――声だった。電気信号を脳に直接送り込むような、奇妙奇天烈な声だった。
『やっと、きた』
「あんたは……何だ?」
『わたしを指す言葉、けっこうある。『雨が降ると』『糸』『ぬめり』『おいしい』。でも最近は、『やまのかみさま』って言われてる』
嫌な感覚が背筋を伝う。河童が少女の姿をとるならば、神もまた人間に親しみやすい姿をとるのだろうと――てっきりそうなのだとばかり思い込んだ。
アレが。
白く濁った肉塊の、アレが神だって言うのか。
「……認識が甘かったか」
『そうなの? じゃあ、にんしき、大好き。どういうかんじ?』
「あー……随分と生き物じみた神様だな、と」
最大限ぼかして言うと、白い肉塊はぷるぷる震えながら気泡を吐いた。
『あんまりあまくない』
「いや、その甘いじゃなくてな……」
いやいや。
違うなこれ。あの白い肉塊は本気で認識
「兎に角」
少年を胸の方に抱き寄せながら、私は問うた。少年が僅かに震える。ああ、耳も塞いでおかなくては。
「やっときた、ってのはどういう意味だ?」
『まってた。あなたを呼んだのはわたしだから』
「呼んだ? 何のために?」
肉塊はしばらく固まって、ちょっとしわっとなって、それからぽこぽこ気泡を連発した。
『対応? やり返す? にもーさく? 正しい言い方、わからない』
「私にもわからんよ」
『でも、理由はかんたん。どんぶり減るのまもるため』
「どんぶり?」
『どんぶり、それ』
それ、と指し示す指もなかったが、直感的に理解する。「それ」とは、私の腕の中の少年のことであると。
『うつわにおいしいものが入ってる。どんぶり。ちがう?』
ぞっとした。
ぞっとして、それから猛烈に腹が立った。
要因のひとつは、妖怪が相手に恐怖してどうする、という防衛本能にも似た自分への苛立ち。恐怖は怒りによって塗りつぶすことができるから――精神に依存する生き物ほど、追い詰められた時に怒りを露わにする。
そして、もう一つは。
「悪いが」
『?』
「これは私のモノだ」
やはり――独占欲、だった。
「あんたの意図は知らないが、これは私が喰らうもの。これの妹もそうだ。あんたには視線の一欠片だって寄越すものか」
『……』
それは宣戦布告に近い言葉だった。思考エネルギーの取り合い。獲物の奪い合い。どちらが先に目を付けたか――ではなく、どちらが上かで所有権が決まる。
張り詰めた緊張が、肉塊と私の間に重くのしかかった。脳の片隅で、水分を奪えば殺せるか、などと考え、即座にその案を捨てる。
埒外の相手。常識は捨てろ、法則を捨てろ。一分の隙もなく、己が全能だと思え。
極限の集中のなかで、空気中と地中の水分を集めて作った1発の弾丸が、私の眼前に浮かぶ。しかして萃めたものは、決して水分だけではなく。
特別の自信と怒りを込めた、一度きりの弾幕。絶死の理念。それをいつでも撃てるように、肉塊をじっと見る。
対して白い肉塊はしばらく動かないままだったが、突然ひとつ気泡を吐いた。
『わかる』
「……うん?」
果たして肉塊の放った言葉には、何故か共感が込められていて。
『たべるの邪魔されるの、いや。とってもいや。わたしわかる。ごめん。おじゃましました』
おい。おい待て。そう言う前に、肉塊はしおしおと萎んで、やがてそこには何も無くなった。
「……はぁ……くそ、連想ゲームみたいな語彙力しやがって……」
怒るべきはそこでは無いのだが。
文句の一つでも言ってやらないと、入れた気合いのやり場がない。わざわざ作った弾丸を霧散させることの虚しさといったら、もう。ため息も漏れるというものだ。
「に、にとり」
「ん? ……ああ、ごめんごめん」
腕に力が入ったままだった。謝りながら解放すると、なぜか少年もしおしおっとしている。
「どうしたのさ」
「……」
少年は無言で私の手を引き、双眼鏡を回収して、俯きがちに言った。
「……その。山の下まで、ついてきてほしい」
「……ま、良いか」
しかと握られた手を、ゆっくりと引いた。置いていかぬように、夜に呑まれる前に。置いていかれぬように、日が沈む前に。
「怖いか、少年。怖かっただろうな」
「……」
「少年、少年。怖い時は私を思い出せ」
「きっと、私で塗りつぶしてやるから」
同じくらい強く握り返してやった。
▽
「ああ、そうそう。伝言頼めるかい。村に目が悪い婆さんいるだろう、菜江ってやつが。
私の名前は出すな、聞かれても何も言うな。そう言う約束だからな。
ただ一言伝えといてくれ。『今日は起きとけ』って」
活動報告にもある通りしばらく更新危ないかもだから、書けるうちに書いとく作戦。あとは前書きの通り。
白い肉塊にはもちろん元ネタがあるんですが、クトゥルフ関連ではありません。ぽいっちゃぽいんだけどさ。ちょい種明かしすると、食べると不老不死になれるらしい。
あと、少年の名前が決まりそうです。今んとこ「璋」と書いて「あきら」で行こうかなと考えてます。漢字は「明」とかに変わるかも。「あきらかにする」の意を込めてます。でもこれワンチャン作中で出ないんだよな、少年呼びが気持ち良すぎて。
次は……うーん、2月以降かも。別作品にも手をつけなきゃだし。