あんまり知りたくなかった事実をそっと頭の隅に留め置きながら、「それで」と私は口を開く。藪蛇になる可能性があるとしても、確認しておくべきことはまだあった。
「他にも聞いておきたいことがいくつかあるんだが……いいかい?」
『なに?』
「どうやって私を呼んだんだ?」
『いとをたどった』
「糸?」
山の神は一つ震えて、それから滑らかな体表をうごめかせ、細っこい触手のようなものをひょろりと突き出した。
『いと。たどるの、たいへんだった。くいにげ、つけ』
「ツケ? ごめんよ、あんたの言葉はちょいと難しくてね」
『さきおくり、ちゃくばらい、まえがり? どう?』
「……わからんけど、まあ、ニュアンスはわかった。次だ、なんで私だった?」
『かるかった。からっぽのどんぶりは、おもくない。むすびつけて、ひっぱるのがかんたん』
「待て待て、急に刺してくるんじゃないよ」
そりゃあ要領がいいわけじゃないから毎日仕事で忙殺されてたし、空いた休日だって家でスマホ触ってたら吹っ飛ぶのが恒例だったけども。言っちゃ悪いが、こういう人生自体に執着が薄い奴って他にもいるんじゃないか? 私の疑問を見透かしたように、山の神は触手をひらひらと振った。
『あなただけだった。いと。たどって、ひっぱった。こどもの、あなた』
「ああもう、どういう言語体系してるんだこの神は。河童の詩人だってもう少し直接的な物言いだぜ」
『しじん?』
「ひとつの単語を何十の文字に膨らませる職業のやつらだよ」
『……へんなの』
「でもな、そいつらは題材を自分の中外に探し続ける定めにあるから、どんぶりの鮮度が保たれやすいんだ」
『しじん、どこにあるの?』
「食欲に素直だなあ」
詩人という職種がその辺から生えてくるわけではないことを説明すると、山の神は露骨に声のトーンを落としてがっかりした。
「じゃあ最後に。といっても、これが一番聞きたかったことなんだけどさ……」
私はそう前置きして、言葉をつづけた。
「あんたは私を呼んだ理由を『どんぶりが減るのを守るため』と言ってたな。しかし一体、何から守るんだ?」
『それはかんたん』
山の神は触手を引っ込め、ぶるぶると形を変え、波線のような姿になった。
『りゅうになる。りゅうがおりてくる』
「……龍だって?」
私は今度こそ、山の神との意思疎通に致命的な不具合が起きたのかと思った。りゅうと言えば即ち『龍』、つまり幻想上の動物である。現実味の無い話に、自分が河童になった事実も忘れて、私は呆然と聞き返した。
「そんなもの、本当にいるのか?」
『ほんとう』
「じゃあなんだ、この村は龍に襲われて……被害が出るってのか?」
『そう』
即答かつ断言だった。思わず乾いた笑いが漏れる。
山の神がニュアンスだけを掴んだような会話方式と語彙なのはわかっている。だから龍が何らかの比喩表現である可能性だって存在している。
けれど……けれども。
結局のところ、龍と同じくらいの脅威であれば、それはもはや龍なのだ。
そして、私は龍から村を守るために呼ばれたらしい。こんなの、どうしろっていうんだ……。
私が黙ったのをどうとらえたのか、山の神は返事を催促するようにぶぷりと泡を吐いた。
「ああいや、言ってることは理解したよ。ただ納得はできてない。ほんとに龍が来るとして、一介の河童に何ができるっていうのさ?」
『まもってほしい』
「それはもう聞いたよ、具体的に何か役割があるんじゃないの?」
『……いっぱいたべて、おおきくなりますように』
気まずげというよりは、他に言いようがない、みたいに。山の神は少し言い淀んでから泡を吐いた。私は嫌な可能性に思い当たる。
「まさかとは思うけど……力をつけて、戦って、勝てって?」
『そう』
「ただの河童だぞ?」
『だからよんだ』
山の神はここで初めて、有無を言わせぬ語気で言った。
『守って。私には何もできないから』
それだけ。
それだけ言って、山の神は地面に吸い込まれるように萎れて消えた。引き止める間もなかった。
「なあ、おい。嘘だろ……?」
私の声に応える者は居なかった。月だけが目を細めてこちらを見下ろしていた。
▲
翌日も心地の良い夏空が広がっていた。岩を背にして川底に座り込んだ私は、ぼんやりと水面越しに空の青を眺めていた。小さな魚が背びれをぴぴっ、ぴっと振りながら私の頬の横を通り抜ける。舞うように水中を流れゆく落ち葉に手を伸ばし、願えば、新たに生まれた水流が落ち葉を翻弄するようにとぐろを巻いて、噛みついた。
千々に砕けた落ち葉のひとかけらを、水を操って手元に運ぶ。表面には虫が食った痕があった。徐に口を開く。
「少年の感情は、私にとっての好エネルギー源であると同時に、成長のための栄養素でもあったらしい。実際、『水を操る能力』はより手になじんだ感じがある……」
思考を言語化して、耳から再輸入することで考えを深める。感覚的なことを、実演と共に一つずつ確かめてみる。
少年のとくべつな感情を喰らってから、能力は以前よりも広い範囲を、より精密に調整できるようになっていた。初めはあれほど苦労した水のレンズづくりも、今なら片手間に熟せそうなほどだ。
けれど……仮に。自称とはいえ神の座するこの地に、本当に龍が訪れるのならば。私には何が──
とりとめもなくそんなことを考えていると、ざり、ざりと小石を踏みしめる足音が聞こえた。それと、かすかに話し声も。顔を上げると、水面に揺らいだ人影が映り、それから少年が水中へと顔を突っ込んできた。そのまま視線を左右させた少年は、こちらを認めると気泡を多分に含んだ声で「にとり!」と叫ぶ。すぐにその横に、目を堅くきゅっと結んだ若菜の顔が出てきた。彼女は口元から空気をごぼごぼ吐き出しながら、「わぶぶ~!」と不明瞭な声を上げる。
私は少し笑って体を起こし、水を操って推進力を得、兄妹との距離を詰めた。少年は弾かれたように顔を上げたが、若菜は目を瞑っているせいか気づいていない。そばまで寄って額をつつくと、口から泡を吐きながら慌てて飛びのいた。
顔を出し、水面に肘を突いて二人に視線を向ける。
「なんだい、二人で来たのか?」
「だって、お兄ちゃんがずっとついてくるから」
ぐしぐしと顔を拭った若菜が頬を膨らませると、少年は言い返した。
「いいだろ、俺だってにとりのこともう知ってるんだし」
「それがやなの!」
「お前だって黙ってたのズルだろ!」
キャンキャンと吠え出す二人を見て、山に来てからずっとこの調子なんだろうか、と思った。私としては餌が自分からやってきたようなものだし、歓迎こそすれ、咎めることは無いけれど……こういうのは私に向けられた感情じゃないし、そんなに美味しくない。どうせなら恐れとか畏れとかにしてくれ。
「なあなあお二人さん、誰にも言わずにここまで来たんだろうね?」
「「もちろん!」」
そこだけは息ぴったりであった。私は少しあたりを見回して、二人に手を差し出す。
「おいで」
若菜は躊躇なく私の手を掴んだ。小さな手のひらが、体温をジワリと伝えてくる。少年は怖がっているのか、はたまた暑がりなのか、しきりに手のひらをズボンで拭ってからおっかなびっくり私の手を握った。彼の手はやけに熱を帯びていた。
「なに、緊張してるの?」
「違うっ」
いつもと違って少年はやや語気が荒い。妹が一緒だからだろうか。少年にも兄としての見栄というものがあるらしかった。
「さ、歩いてごらんよ。河岸の階段を、水底の絨毯を。死なないだけの空気は送ってやるから」
二人の手を引く。兄弟が一歩踏み出す。水を固めて作った段をひとつふたつ踏み降り、体が川流に浸かっていく。
「そうだ……おいで……」
二人の頭の周りだけ水を弾いて、空気で包み固めた。やがて二人の体が川の中に沈み切ると、初めから誰もいなかったかのように、あたりは静けさを取り戻した。妖怪に拐かされた二人の子供を、天頂の太陽が見て見ぬ振りしていた。
・お願い
目的として提示された『龍』ですが、これ、神様の物言いの中では最上級にストレートなので、どういう龍か分かったとしても感想とかで言わんといてくださいね。予想とかも返信できませんので、相済みませんがよろしく頼んます。
次回はよーやく遊び回になるはず!
夏季休暇なのに重めの課題があるんでちょっと更新遅くなりそう
作者もその辺の川行ってイメージをマシマシにしてこようかなぁ