私の、そして山の神の食糧は人間の精神エネルギーの発露である。情動や情緒などと言う時もあるが、意味は全て同じだ。
これは私にとって、分かりきってはいながらも不都合な真実だ。無為な毎日をすごし、人間社会の中で擦り切れる寸前だった私は、何の因果かこうして河童と成り果てたわけだが――。
それでもなお、生きていくのに人間と関わらなければならないのだ。私は、私たちは、人間という現実の上に成り立つ幻想にすぎない。自然なしに人間が生きていけないのと同じように。
そう考えると、山の神は上手くやっている。方法こそ外道味があるが、一定の神格として信仰を得られれば、他人と関わらずとも生存には困るまい。さながら不労所得のごとく、一定期間にそれなりのエネルギーが入ってくる仕組みができている。というか、まあ、おおよその神はこの方法で生き永らえているのだろう。
翻って、私である。エネルギー源と見定めし少年は夏休み最中の子供でしかなく、質こそ良かれど後1ヶ月と少しで学生生活に戻るさだめだ。これについては、しまったなあと思う。少年と仲良くし続けても良いのだが……親の庇護下に置かれている以上は、いつまでも子供が山に入り浸っていれば、少なからず不審に思うだろう。ただでさえ小さい集落なのだし……。
身分を偽って村に入ろうと思っても、この水色の髪色じゃあ目立ちすぎる。かといって「妖怪です」と馬鹿正直に自己紹介などしようものなら狂人だ。開き直って妖怪らしく村でも襲ってやろうかと呟いてみたことがあるが、直ぐさま脳にあの独特な声音の「だめ」をぶち込まれてから考えるのをやめている。姿も見せないくせにいきなり話しかけてくるのをやめろ。相変わらず山の神は神出鬼没に過ぎる。
と……まあ、話を戻すと。
安定したように見えて、私の生活は依然不確かなものなのだ。山の神と話して、改めてそのことに気付かされたのである。
……。とんだ休暇だ。
次の移住先も、考えておかなきゃあな。
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木漏れ日が不規則な光を瞼に落として、それでおれは目を覚ました。視界を二分する緑と青。良く晴れた空、湿った土の匂い、背中に張り付くぬるい水。
体を起こそうとして床についた手が、もにゅりと吸い込まれる。水を固めた布団の上で、眠っていたようだった。
もう一度、目を閉じる。そよ風に木々が葉をこすり合わせる音、蝉の鳴き声、川のさざめき。夏に深く結びつけられた、彼女のシルエット。からかうように、満足げに、嗜虐的に、憐れむように嗤う彼女。
湖のほとりでは、妹とにとりが座り込んで何をかやっていた。ここからではよく見えない。けれど、楽し気に顔を突き合わせて、何かを話しているのはわかる。
おれはしばらく、そこから動けなかった。にとりが若菜に向ける表情を、やっぱり、おれは見たことが無い。
見とれていた。そして、近づけばあの柔らかい笑顔が引っ込んでしまうんじゃないかって思って、動けなかった。まるで機敏な川魚のように、少しでも素振りを見せれば、姿を隠してしまうような気がした。
それでも、そのうちだんだんと、別の感情が胸の奥から滲みだしてくるような感覚があった。
いつか、にとりが言っていた気がする。人は年をとればとるほど、驚きが無くなって、
……じゃあ、年を取ったらいけないのかな。
若菜がまだ小さいから、そういう顔をするの?
おれは……おれじゃあ、もう、遅いのか?
立ち上がって、日陰から出る。強い日差しが、肌を焼くようだった。足音を聞きつけたにとりが、振り返ってこちらを見とめる。
「なんだ、もういいのかい」
「だって、勿体ないじゃんか。せっかくにとりがいるのに……」
「う、ふふ、そうだな。いいとも少年、何をしようか」
しゃがんだまま、小さく首を傾げて、にとりがおれを見上げる。おれはその横に屈んで、彼女のとなりで、その水色の瞳に尋ねた。
「にとりは、おれが大人になってもここにいる?」
にとりは少し目を見開いて、それからすうっと細めた。細い光が眼に宿るのを見た。いたずらっぽく、核心には触れさせてくれないような、それでいて手を伸ばせば届きそうな、そういう笑みだった。にとりはくつくつと喉を鳴らし、柔らかな曲線を描く肩を震わせて言った。
「さあねえ、どうだろうねえ。あんたは案外、私のことなんかすぐに忘れて、都会の方に行っちまう気もするね」
「行かないよ、おれ。にとりがいるなら」
おれは真剣にそういったのだけど、にとりは堪えきれないといったように笑う。
「ふ、く。くくっ。非道いねえ、少年。私を呪おうなんざ百年早いんだよ。そういうセリフこそ、大人になってから言いな」
「でも、大人になったら、もう会えないかも……」
どこからきたのかも、何をしていたのかも知らなくて、ただにとりが此処にいる現実だけが確かだった。それ以外の全ては未確定で、にとりがこの先もここに居てくれる保証なんてない。突然現れたのだから、突然いなくなったっておかしくないんだ。それを聞いて、にとりはぽつりと呟く。
「そういうもんだよ。ある日いきなり全部を失って、知人も友人も家族も居なくなって、帰り道を忘れちまうこともあるのさ。ほら、誰だかが言ったろう、サヨナラだけが人生だってな」
にとりはどこか遠くを見ている。ここではない遠くを。おれには、此処しかないのに。
ふと、隣でずっと不安そうな顔をしながら話を聞いていた若菜が、小さく声を上げた。
「にとり、友だちいないの?」
「なんだってそんなひどい言い方をするんだい。第一、私とあんたは盟友だろ、め・い・ゆ・う」
「じゃあ、わたしが大人になっても、また会える?」
「ン……さあね。まあ、忘れないでおいてやるよ。だからあんたも、折に触れては私のことを思い出してくれよ。そうすりゃね、ちょっとばかしは望みがあるものさ」
若菜にすら、にとりは最後まで、約束をしなかった。
永遠なんてないことくらいわかってる。仲の良かった友達が引っ越していったあと、連絡を取り合う頻度はゆっくり少なくなっていったし、空いた隙間は思うよりも簡単に塞がった。ひとは、ひとのことを案外簡単に忘れてしまえる。少し会わないだけで、関係は容易く薄れてしまう。
おれは、焦っていた。
何とかして、にとりと一緒にいられる時間を延ばしたい。少しでも多く、にとりの記憶に残りたい。
忘れられたく、ない。
──夏休みが終わらなければいいのに。
お久しゅうごぜえます~~!!
試験まで1週間切ってるけど勉強してません。作者はかなり不調気味です。
メンタル維持のために感想欄に目を通してたら書きたくなったので久々ギリギリの短めの投稿です。
ひっさびさに読み返したけど、うあ、おれやっぱりにとりになりてえよ……