妖怪として寝る必要があるかはともかく、人間だった頃の慣習をなぞって寝ることにする。
寝床はもちろん川床だ。河童がえら呼吸なのかは知らないが、水中でも問題なく活動できるから問題はないだろう。川の流れが緩やかなところを選び、ゆっくり身体を沈めて横たわった。
水を枕にして水面の天蓋を見上げる。月明かりだけがちらちらと水面を嘗めている。
「流れに枕するわけだ。石で口をすすぐのも風流かな」
目を閉じれば、瞼の裏にサイケデリックでダークな絵が浮かんでは消える。私は脳裏で今日一日のことを思い出していた。
河童としての目覚め。
山頂の神社。麓の集落。
少女とその兄。
レンズ。婆さんの長話。
それから、人間時代のぼんやりとした思い出。確立された1日の行程をなぞる歯車のような人生と比べても、今日一日のほうが濃密だったように思う。
「……さて。胡蝶の夢じゃないことを願うよ」
呟いて、目を閉じた。疲れていたのか、意識はすぐに沈んだ。
▽
次の日。
アラームに叩き起こされることなく惰眠を貪った私は、太陽が真上に上がる頃ようやく川から上がった。水のベッドは体に重力を感じさせず、それでいて熱がこもることもない。経験したことのない快適さに思わず二度寝してしまったのだ。
「寝た場所から思ったより移動してないな」
河童の川流れはせずに済んだようだ。体の表面を伝う余分な水分を弾き飛ばし、体を大きく伸ばす。今日の天気のような、晴れ晴れとした気分。
水を薄く板のように張って鏡にし、自分の姿を確認する。少女らしく、それでいて人外のように整った顔から、空っぽのリュック、ポケットだらけのスカートに水色の長靴まで。うん、何も失くしてない。
しかし……
「……凄いな、妖怪ってやつは」
しばらく自分の顔をみて、『なんだか人間の見た目だけを真似したような身体だ』と思った。人間の身体構造を詳しく知らないから、産毛や毛穴などのディテールまで再現できていない、というか。
「アニメチックだよな、細かい部分が省略されてる感じが」
幻想郷の妖怪もこんな感じなのだろうか? ううむ、会ったら確認したいものだ。ぼんやりと原作キャラの数々を思い出していると、後ろから声がした。
「にとりー!」
振り向けば、昨日の昼に出会った少女が息を切らして駆け寄ってくるじゃないか。風に持っていかれそうな麦わら帽子、どこかフラフラしているその走りを見て、私は慌てて叫んだ。
「昨日の今日で来るやつがあるか!」
「で、でも、川の底に足がついたら良いって!」
そこで私はようやく、少女が抱えている竹の棒に気付いた。いや、これは正確には――
「だから竹馬もってきたの!」
「そ、そうきたかぁ……」
胸を張ってそれを見せてくる少女に思わず頭を抱えた。確かに『川底に足がつくほど大きくなったら』とは言ったけどさ……!
そこまで考えて、相手は少女だぞと思い直す。
……小さな子供相手に婉曲的な表現を使ったのは良くなかったな。もっと率直に「危ないから大人になるまでダメ」って言うべきだったか。これは私のミスだ。
私は辺りを見回して、それから少女に「1人で来たのか?」と聞いた。
「うん。お兄ちゃんは学校の友達と遊びに行っちゃったし、お母さんはお仕事だから」
「学校? 村にあったっけ」
「学校は向かいの山の向こうだよ」
なるほど。とにかくこの少女は、たった1人で川沿いに山を登って来たらしい。
……安全管理がおかしいだろ、と叫びたくなる。田舎というのはこれが普通なのか? それともこの少女が無鉄砲で行動派なだけか?
少女を見ると、きらきらとした視線が返ってくる。
くそっ。こういうのは責任ある大人の役目で、私みたいな野良妖怪がやるべきことじゃないんだぞ……などと文句を言う相手もおらず、私は言葉を飲み込んで代わりにため息を吐き出す。
仕方なくしゃがんで少女と目を合わせた。
「よしわかった。私の言い方が悪かった、それはごめん。でも聞いてくれないか」
「なに?」
「1人で川に来ないでほしいんだ。うっかり流されでもしたら、誰にも気付いてもらえずに死んじまうかもしれないんだよ」
「でもっ」
「ダメなもんはダメだ。川は危ない」
「にとりは?」
「……私はほら、河童だからな」
そう言うと少女は口を膨らませた。
「ずるい。どうやったら河童になれる?」
「人間でいることに疲れたら、かな。さあ帰った帰った」
「……よくわかんないけど、やだー!」
少女の麦わら帽子をぽんぽん叩いて帰るように促すと、少女は諦めきれないと言った様子で座り込み、背負っていたリュックからノートを色鉛筆を取り出した。
「それは?」
「絵日記! にとりのこと描くの!」
砂利の上に腰を下ろした少女からは、テコでも動いてやらないという意志を感じる。無理やり退かしたら……泣くかな。泣くだろうな。
面倒なことになってしまった。
「どうしたもんかね」
少女を村へ送り届けることができない以上、少女には自分で村まで帰ってもらわなきゃいけない。そのためには……少女を満足させるしかないか。
「……あんた、名前は?」
「わかなっていうの」
「わかな、わかな……あぁ、若いに菜っ葉の菜か。よし若菜、今日だけ遊んでやる」
「ほんと!?」
「ただし、5時の鐘が鳴ったら絶対帰ること。約束できる?」
「わかった!」
ほんとかよ。5時の鐘を聴いてぐずる若菜が容易に想像できて、私は苦笑いした。
おねロリ(偽)
ちなみに、主人公が取るべきだった最良の選択肢は、「少女を全力で怖がらせて川に来ないようにする』だったのですが、その考えが出てこない程度には少女が来て嬉しかったんだと思います。
作者が「少女と少女っぽい見た目の妖怪の絡み」について真理を得た頃にまたお会いしましょう。