「うーん」
「どうしたの?」
「いや、何しようかなと思ってさ」
残念ながら前世含めて育児の経験がない私は、こういう時何をして遊ぶのか思いつかない。首を捻るも良い案は出てこず、結局少女に聞いてみることにした。
「あんたは何したい?」
「お絵描き」
「そんなんでいいの?」
ん、と頷いた少女は平べったい缶ケースを取り出した。ぱかりと開いた中には金色と銀色以外が短くなった色鉛筆が並んでいる。
「これね、お父さんに誕生日にもらったの」
「へえ……こんなに短くなるのか、色鉛筆って。私は赤と青ばっかり使ってた」
「どうして?」
「そりゃ……赤青えんぴつをよく忘れてたから、かな」
小学校のころ、色鉛筆のケースは引き出しの底にべこべこになって眠っていた。丸くてすぐに転がる色鉛筆は徐々にメンバーの脱退を重ね、気づけば使わない色だけが残っている……なんて。よく見た光景だった。
使われずに仕舞い込まれた灰色の色鉛筆。一見普通に見えるけど、色鉛筆の芯は脆いから、中で欠けたり割れてたりする。
ふと、思い出す。
「大事にしてるモノには神様が宿るんだ」
「かみさま?」
「そうそう、だから長く使ってやりな。いずれあんたを助けてくれる」
不思議そうにこちらを見上げる少女に、「わからなくてもいいよ」と笑う。好きなものを好きなままでいてくれたら、それで良い。私はそういうの下手くそだったから。
さて、感傷に浸るのはやめだ。今日は少女に付き合うって決めたんだから、蘊蓄垂れてばかりじゃいけない。
手始めに、私は川から水球を引き上げてみせた。
「え、え?」
「立ったまま絵を描くのも辛いだろ?」
ちょっと頑張って水をこね、固め、整形して、簡単な座椅子を作る。座布団に背もたれを生やしたようなL字のそれは、向こうの景色をゆらゆらと透かしている。
一度形が固まれば、維持するのは簡単だ。燃費が良いし応用もきく『水を操る程度の能力』は、こういったことも可能にする。
「どうやったの?」
「ひみつ」
口元に人差し指を当てる。少しわざとらしい仕草だったが、少女は納得してくれたらしい。それ以上の追及はなく、水で作った座椅子を不思議そうに眺めていた。
「座っても濡れないよ」
「……ほんと?」
「ほんとさ」
せっかくなのでもう一つ作って、リュックを脇に置きながら座ってみせた。背もたれと座面がひんやり心地良い。吸い付くような柔らかいような、独特の感触だ。
少女はそれを見て自分の座椅子を指で突いていたが、やっぱり濡れるのが怖くなったのか私の元までやってきて、
「ここにする」
と私のあぐらに腰掛けた。
「……私の足の上、固くないか?」
「いいの。ねえ、にとりの体冷たいね」
「そりゃ妖怪だし。あんたの身体は熱いくらいだ」
言いつつ、使われなくなった座椅子を分解して私たちの上に広げる。水は光を通してしまうが、それでも多少の日よけにはなるだろう。
少女はぼんやりそれを見上げてから麦わら帽子を脱いで、私の胸に頭を預けた。ちいさな膝の上に絵日記帳を広げて、下敷きを差し込む。
一つ前のページにちらりと見えた風景画は、素人目にも上手く書けているように映った。
「上手いな」
「そうかな」
「背景が白じゃないだけで、私にとっては天才さ」
少女は笑った。
「前、お父さんが写真集を買ってきてくれたの。雨の日はずっーとそれ見て描いてるんだ」
「道理で上手いはずだ」
少女の絵は、子どもが描きがちな単色で構成された世界とは違った。太陽は真っ赤ではないし、川の水は水色じゃないことを知っている絵だ。色合いには光と影も含まれるのだと知っている絵だ。
やがて絵日記帳のページが捲られ、白紙が顔を出す。少女はこちらを見上げ、「後でにとりも描いて良い?」と訊いた。
「私のこと、誰にも言わないって約束できるならいいぞ」
「わかった」
「即答なのが不安だよ、私は」
それきり、少女は黙って絵を描いた。手持ち無沙汰になった私は水の日傘から顔を出して、初夏の抜けるような青空を見上げる。暑いばかりでなく冷たさも併せ持つ空は、宮沢賢治の言う通りだった。
「ま、幻想郷もイーハトーブも何処にあるんだかわからないけど。岩手でも行くか?」
ここにいられなくなったら、それもアリだな。私はホテル建設予定地を思い出す。
もしあそこに良いホテルができて人が集まるようなら、私の存在が拡散される可能性が高まる。現代の河童発見か、なんで見出しで三流都市伝説誌に載るのはごめん被りたい。
「頼むよ若菜」
「なにが?」
「私のことバラさないでよ、って話」
「わかってる」
少女は「描けた」と呟き、こちらに振り返った。
「次はにとり描く」
「間違っても他人に見せちゃダメだぞ」
「もー! わかってるよ、いいからそんなしかめっつらしてないで笑って!」
「悪い悪い、心配性でね」
言われた通り笑うと、少女は満足げな表情で筆を走らせた。
……え、これってしばらくこのまま?
「なあ」
「動いちゃダメ」
「……」
引き攣った笑みのまま、私は遠くの方を見つめた。セミの輪唱が今だけは許せる。
暇に耐えきれず遠くの方にランドルト環のように水を浮かべて視力検査ごっこをしていると、ようやく少女が顔を上げた。
「……うん、できた」
「もう良いかい?」
「いいよ」
妖怪だから表情筋とか無いと思うけど、精神的に疲れた。頬をむにむにと揉みほぐしていると、少女が描いたらしい絵を見せてくる。
「どう?」
「……いや、うん。よく描けてるわ」
今朝に水の鏡で見たままの私が、今朝とは違う楽しげな笑顔を浮かべている。観察力と再現度が高い少女のことだ、余計な脚色はされていないだろう。
「私ってこんな表情もできたんだなぁ……」
「いる?」
「いや……残念だけどいいや。私が持ってても濡らしちまうだけだし、あんたに持ってて欲しい」
「いいの?」
「いいよ」
少女は絵日記帳を閉じ、色鉛筆と一緒にリュックにしまった。
少女が見た日本の原風景の中に私が追加されたことが、どこか嬉しかった。
幼子と触れ合うことで少し心が若くなる妖怪のお姉さんが真理です。ときおり寂しそうな懐かしむような表情を浮かべているとなお良いです。
需要があるかは分かりませんが、いずれ若菜ちゃん視点も書きたいですね……。