絵を描き終えた少女は、気が抜けたように私にもたれかかった。汗ばんだ背中から、少女の体温がじわじわ伝わってくる。
「暑いね」
「熱いな」
少女は麦わら帽子をぱたぱた上下に動かして、首元に風を送っているようだった。額にじっとりと張り付いた前髪を見て、ふと思い立って座椅子を
「つめたい……」
水と一緒に汗も浮かしてからきれいに水分を飛ばすと、少女は「ありがと、にとり」と呟いた。私はあいまいな返事をしつつ、随分とぬるくなった手のひらの水をぺしゃっと脇に捨てた。
私の頭も身体も、日光と少女の体温に挟まれてぬるくなっている気がする。
「淀んだ水たまりが熱せられて干からびるのは道理か」
私の言葉に少女が首を傾げたので、「ごめんごめん」と言いながら言葉を変える。
「つまり、流れる水はきれいで冷たいってこと。こんな日差しの強い午後は、川で涼むのが一番だ」
「えっ、入っていいの?」
「もちろん。ただし、私の言うことを聞いてくれよ」
「わかった!」
私の念押しにこくこくと頷く少女は、いまにも川へ駆け出して行ってしまいそうな無邪気さと幼さを兼ね備えていた。
とりあえず荷物を持ってくるように指示しつつ、水の座椅子と日傘を解除する。弾けた水がばしゃりと音を立てて、それから河原の小石の間に吸い込まれて消えた。
「にとり、準備できた」
振り返ると背中にはリュック、脇には身の丈を超えるほどの竹馬を抱えた少女がふらつきながらこちらに歩いてくる。
「よし。この辺りは深いところもあるから、下の浅瀬のほうまで移動するよ」
「歩くの?」
「まさか!」
河岸に屈みこみ、流れに手を浸した。もちろん触れなくてもいいのだが、こっちのほうが伝導率が良い。背中に少女の視線を感じつつ、私は能力を意識した。
「よっ、と」
川の流れが不自然にせき止められ、盛り上がり、それからへこんだ。数秒も経たずに、そこには透明な小舟が出来上がっていた。もちろん私の能力の支配下にあるのだから、乗ったところで壊れも破れもしない。
さっさと乗り込んで船底に腰を落ち着けた私は、少女を手招いた。
「おいで。さっきみたいに、私の上に座ると良い」
「……沈まない?」
「任せとけ」
少女は恐る恐る、船のへりに足をかけた。マジックテープ式の運動靴がきらきら輝いている。体重をかけても少しも揺れない船に安心したのか、少女は興味津々といった様子で船底越しに川底を眺めていた。
「竹馬、借りてもいいか?」
「あ、うん。使うの?」
「川を下るならオールがいるでしょ」
少女を足の上に座らせ、一緒に左右一本ずつ竹馬を握る。別にこれで水を掻いたって大した推進力にはならないけど、こういうのは気分と実感が大事なのだ。
「さあ、漕いでみな」
「……! 進んだ!」
少女が力を入れるのに合わせて私も竹馬を漕ぎ、さらに能力で調整してやれば、小舟は川面を滑るように進んだ。少女はすごいすごいと笑い、私はそれを見て笑った。
「あ、おっきな岩!」
「ほら避けた避けた。舟の道行きはあんたにかかってる」
「まっかせて!」
「……まて若菜、そっちは逆だ!」
小舟は少女の舵取りによって右に左に揺れながら、爽快な速度で川を下る。ときおり急な流れに遭遇すれば、少女は慎重かつ大胆に正面突破を決行し、そのたびに私の肝は冷えた。
「涼しいね、にとり」
「あんたのおかげでね」
そうして2つ3つと段差を超えれば、川幅が広く流れの緩い浅瀬へと出た。河原も十分に広く、目立つほど大きな岩もない。
「よし、この辺だ。河岸に寄せてくれ」
「……もうちょっと乗りたい」
「む」
乗せてやりたいのは山々なのだが、これ以上川を下るとホテル建設予定地に近くなる。すると人目にもつきやすくなるから、あまり気乗りはしなかった。
「……そしたら、今度は川を登って山の上まで行こうか」
「でも、流れと逆に進むのは難しいんだよ?」
「よく知ってるね。だが心配ご無用、河童は力が強いんだ」
小舟を回転させ、私はゆっくりと漕ぎ出した。実際は私の能力だが、少女は驚いたように私と竹馬を交互に見た。
「私も手伝う」
「下りの体力は残しときなよ」
2人、すいすいと竹馬を漕ぐ。
「山頂に行ったことはある?」
「ううん、一回も」
「なんだ、あんたの兄はすっかり慣れた様子だったけど」
少女は「それがね」と首を捻った。
「お兄ちゃん、道がわかんなくて途中で迷っちゃったんだって。だからてっぺんまで行ってないみたいなの」
「ああ、だからすぐ戻ってきたのか」
すると、山頂の神社に行っているのは少女の兄ではないのかな。確かにこの山は子どもが1人で登るには少しきつい。
しかし……なら、なんであんな辺鄙なところに神社を建てたんだろうなあ。頻繁にお参りするつもりがあるなら、麓にでもすればよかったろうに。
……後で聞いてみるか。
「おっと、このペースじゃ日が暮れちまう。ちょっとスピードを上げるよ」
「りょーかい!」
▽
さて。
少女のはしゃぎようは、まるで長くて急な滑り台を見つけた時のようだった。幾度となく登り、滑ることを繰り返して、その度にきゃらきゃらと楽しげな声を上げるのだ。
だからか――うっすらと山に響く5時の鐘を聴いた少女の顔といったら、そりゃもう酷かった。楽しげだった表情は一転して、くしゃっと眉が下がる。
「……」
私は破裂寸前にまで膨れ上がった風船を突くような気持ちで、そっと少女に話しかけた。
「時間だ」
「……まだ遊べるもん」
「鐘が鳴ったら終わりって決めてただろう?」
いくら言い聞かせども、少女は私の体にべったりくっついて離れようとしない。「親が心配する」とか「夜の山は危ない」などのありきたりな説得は、どうやら聞く耳すら持ってくれないようだった。
やがて策を失った私は、あの時のようにスーツを使って逃げることもできずに空を仰いだ。一日の終わりを象徴するような、綺麗な夕焼け空だった。
「なあ、人間。何ももう会えないってわけじゃないだろ」
「あしたもあえる?」
「……あんた、学校は?」
「夏休み」
「そうかい……」
集落に住む人間たちに存在を知られたくない私は、日が沈んでしまう前に少女との関係を続けるかどうか決めなくてはならなかった。
そして私のこころは、もうとっくに答えを出しているのだ。私は少女の頭を撫ぜた。
「……明日も遊んでやるからさ。今日のところは帰りな」
「ほんと?」
「ほんとだよ。その代わり、私のことは2人だけの秘密だ」
しゃがんで少女と目線を合わせた私は、小指を少女のそれに絡めた。
「約束だよ、盟友。誰かに話したら、もう会えなくなっちまうからね」
「……わかった」
少女は真剣な表情を浮かべて指切りをした。それが夕日によく映えていたのを、ずっと覚えている。
ええと、まずはお礼をば。
おかげさまで拙作がランキングに載りまして、作者としては嬉しい限りです。マジですよ。四六時中感想欄を覗いてはニヤニヤしてるんですから。
もちろんお気に入りや評価も大変励みになります。現在なぜか小説を3つ同時進行しているので投稿頻度はお察しですが、皆様のブーストがあって今回も仕上げられました。ありがとうございます。
しばらくしたらまた婆さんを登場させて、それから少女の兄も少し深掘りしましょうかね。ちなみに、山頂でのにとりと少女の会話は若菜ちゃん視点で描写しようと思ってます。
ではまた。