少女と出会って1週間が経った。
太陽が真上に昇る頃、私は光学迷彩スーツのスイッチを入れて少女を迎えにいく。少女は相変わらずリュックに絵日記帳と色鉛筆、それから水筒なんかを詰めて山の麓で待っている。
姿を消したまま肩を叩けば、少女は驚いたように振り返り、それからへにゃりと相好を崩した。
「にとり」
「よう、昨日ぶりだね」
嬉々として虚空に話しかける少女の姿は、側から見れば何か悪いものに取り憑かれているように映るだろう。だが――
本当に恐ろしいのはここからである。
「ほら、入りな」
しゃがんで促すと、少女はいそいそと私の緑のリュックの中に入った。全く原理はわからないが、光学迷彩スーツの効果範囲にはこのリュックも含まれている。
よって、リュックに入った少女は神隠しよろしく姿を消すのだ。
「重くない?」
「重いもんか」
少女らしい柔らかさを湛えている私の四肢は、見た目にそぐわぬ怪力を秘めている。そもそも河童には相撲好きな側面があるから、膂力に関しては心配ないのだ。
「しっかり掴まってなよ」
「りょーかい!」
万が一にも見つかるのを避けるために、あえて川沿いから少し離れた山中を歩く。苔むした斜面で滑らないように、長靴の裏には水のスパイクを生やしている。
数日あればこれくらいはできるようになるってものさ。手先の器用さも河童のウリだからね。
2人分の体重を踏みしめながら、私はふと気になったことを聞いた。
「そういや、こうして毎日山に来てるわけだけど……あんたの家族は何か言ってこないの?」
「んー……」
肩から顔を覗かせた少女は、しばらく考え込んでから口を開いた。
「お父さんもお母さんも忙しいから」
聞けば、少女の父親は農業と同時に村おこしにも精力的に力を入れているそうだ。あのホテル建設もその一環らしい。母親の方は、趣味と実益を兼ねて建設予定地の近くで定食屋を切り盛りしているという。
「なるほどね。自給自足できそうな集落なのに定食屋があるんだ……と思ってたけど、先のことを考えてるのか」
そして、それを維持できるだけの金があるのだろう。よくよく考えたら、平成元年というのはバブル期真っ盛りなのであって――。
「一度都会に出てみるのもアリだな」
「おでかけ?」
「そんなもんさ。機械いじりにも手を出したくてねぇ」
技師、便利屋、あるいはエンジニアと称される「河城にとり」は、外の世界に引けを取らないどころか時代を一つ二つ飛ばしたような発明品を作っていた。
今使っている光学迷彩スーツはその最たる例だ。原理も機関も動力も不明、しかしてスイッチを入れるだけで透明になる。
高度に発展した技術は魔法と見分けがつかないとはよく言ったもので、私が人間だった頃においても明らかにオーバーテクノロジーな代物……。
正直、ロマンを感じる。いずれはどこぞの山で自分だけの工房を持ち、気の向くままに作業を進め、気の済むまで徹夜をしてみたい――なんて思うくらいには、私はこの手の機器に憧れを抱いている。
「まあ、まだ先の話だ。今日は今日で楽しまなくちゃ損だぜ――」
斜面を登り切り、河原に出た私はそこで言葉を切った。なんだなんだと顔を出す少女の口を塞ぎ、川の方を指差す。
川のほとりには、見覚えのある半袖短パンの人影が立っていた。
「あれ、あんたの兄じゃないの」
首にゴツい双眼鏡をかけ、半袖からわずかに焼けた肌を覗かせているその少年は、じっと川を見つめていた。
兄の姿を認めた少女はあんぐり口をあけ、それから震え声で言った。
「わたしのこと、追いかけてきたんだ」
「
実にタイミングの悪い話である。どうやら少女は、
「に、にとり、ごめん」
「ああほら泣くな泣くな、透明とはいえ声は聞こえるんだ。今日は上の方に行って遊ぼうぜ」
ぷるぷる震える少女を宥めながら、私は大きく迂回路をとって山頂の方へ向かうことにした。ちらりと見えた少年の表情は真剣そのもので、どうやら娯楽の少ない田舎では河童も立派なミステリーになるらしい。
だが、子供の興味は移ろいやすいものだ。何も成果が得られないと分かれば、少年も諦めて帰るだろう。
と、思っていたのだが……それからしばらくの間、私は少年を山の中で見かけることになるのである。
▽
「ぐわー、疲れた」
私は山頂の湖の水面に寝そべり、真っ青な空をぼんやり眺めていた。なるべく山頂の神社には近づかないようにしていたが、もはやそうも言ってられないこの頃である。
ため息を風に流しながら、私は光学迷彩スーツのスイッチを切った。ずっしり倦怠感が全身を襲い、思わず「あ゛ー」とも「ゔー」ともつかない声が漏れる。
「あいつ、思ったより執念深いなあ」
あいつ――つまり半袖短パンの少年は、随分と不屈の好奇心をお持ちのようだった。おかげで私と少女は遊ぶ回数を減らさなければならなくなったし、遊ぶにしても見つからないように細心の注意を払わなければならない。
これがまあ私の神経を削った。この際白状してしまうが、面倒くさくなって
……やらないけどね。私は損得勘定のできる河童なのだ。
とまあそう言った理由で、このところ光学迷彩スーツを酷使している。やはり姿が消せるというのは唯一無二の便利さだ。双眼鏡にも見えないし、送り迎えも人目につかない。どこぞの魔法学校の彼も重宝していただけはある。
ただ問題なのは、こいつは透明マントと違って妖力を食うってことだ。燃費は良いが、長く使えばそれだけ残量は減っていく。だからこんなにも疲れてるってわけ。
「それになあ。どうにも腹が減ってかなわないや」
それは、河童になってから初めて感じる空腹感だった。水をたらふく飲んだとてそれが満たされることはなく、草や虫を口にするのは忌避感が勝ってしまう。どうにも人間だった頃の私はグルメでいけない。
よって――私は再び、麓の集落に降りることにしたのである。
「若菜にゃ悪いが、ちょっと畑のきゅうりでも拝借させてもらおうかね」
なにせ河童なもんで。
ようやく新学期に慣れたので投稿です。
こっから主人公をゆっくり人外の精神寄りにしつつ、少年くんの性癖をぶち壊しに行きたいと思います。オラッ! 夏休みの間だけ遊んでくれたやけに面倒見と顔が良い不思議なお姉さんをいつまでも覚えている少年の概念を喰らえ!
ちなみに本人が無頓着なので一人称では描写されませんが、「河城にとり」のガワは肉付きのいいほうです。芥川龍之介の小説によると、河童は分厚い脂肪を纏っているそうなので、少女になってもある程度は反映されるのかなと思ったり思わなかったり。今作では反映されてる設定になってます。