とある一幕。
――――なあ、この格好もとに戻せるんだよな?
――――士道がもとに戻りたいと強く思えば、それで戻る、と思う。多分。
――――え、なにその不吉な語尾。
――――戻らなかった時は…………本心ではずっとこの格好でいたいと思ってるとかそんな感じなんじゃない?
――――ちょっ。
※ちゃんと普通の男に戻れました。
天宮市某地区。
閑静な住宅街に、その豪邸はあった。
庭というより庭園には種々の草花が植えられ、今が雪風の季節でなければ色とりどりの花が咲き乱れていただろう。
そこを抜けて玄関ホールなどという馴染みの無いものに出ると、そのスペースだけで普通の家の部屋以上の広さが迎えてくる。
そして、洋風の豪奢なアンティークがところどころで存在感を見せつつ飾られているのが目に入った。
毛深い絨毯の敷かれた螺旋階段を登った、その屋敷の二階に主の部屋がある。
暗色の木製扉を開け放ち、主―――誘宵美九に士道が放った第一声は、似合わない皮肉だった。
「ずいぶん儲かってるみたいだな、美九」
「べつに。私を捏造スキャンダルで嵌めた人ー、それに協力した人ー、まとめてけじめとしてアメリカンな感じで慰謝料払ってもらっただけですよぉ」
言い値の示談だったからほとんどが破産して家族を路頭に迷わせたみたいですけどぉ、まああんなあくどいことしといて自分の家の平和なんてちゃんちゃらおかしいですよねー、などと言いつつ、テーブルソファで紅茶を楽しんでいた美九は立ちあがり振り返った。
「でも正直使い途とかとくになかったのでー、ちょうど想い出の街、だーりんが住んでいるこの街に売りに出されてたこの家買ってみましたぁ。それだけですー」
「……………」
「ただ、一人で住むには広すぎるんですよねー。
―――――――だから『だーりん、一緒に住みましょ』ぉ?」
「っ、歌わなくても能力は―――――でも、効かないっての!」
美九の言葉に込められた力によって引き起こされた頭痛を気合いで振り払う士道。
そのまま美九の顔をきっと見つめるが、微笑みを張り付けたその心は読めない。
「俺はお前のいいなりになんかならない」
「…………じゃあなんでここに来てくれたんですかぁ?“あんな格好”までして。まあすごーく可愛かったですけどぉ」
「美九、お前に聴きたいことがあるからだ」
美九の家の前には自称“親衛隊”がたむろしていたが、抜けるのは簡単だった。
あの女の子の格好で自分が五河士道の親戚だと言い、士道について美九に話があると言えば簡単に通れたのである―――――七罪が今士道の格好で適度に見つかりつつ逃げ回ってくれているので怪しまれなかったからだろう。
今の言からそれが、美九自身の指示であった可能性も高いが。
そして、美九の部屋の前で若干不安もあったが無事男の姿に戻り、今に至る。
「俺は精霊のことなんて詳しいわけじゃないから、どんな理屈でとかそんなことには興味がない」
すぐ傍に七罪がいたが、あらゆる意味で“七罪は七罪”で完結していたので精霊がどうだのはよく分からない。
だから美九に問いたいのは、その想い――――――心。
「なんでこんなことするんだ。こんな操り人形のファンを増やしたって意味はない!」
「?何の話ですかぁ?」
士道が何を言っているのか分からない、と分かりやすく示す体で美九は首を傾げた。
「決まってるだろ!“歌”で人の心を操って、ちやほやされて。お前はそんなことの為に歌ってたのかよ。そんなアイドルになりたかったのかよ…………!?」
「………?違うに決まってるじゃないですかー」
拙く紡ぐ士道の言葉に、話そのものの趣旨すら理解していない風な美九。
何かを掛け違ったような強烈な違和感を感じた。
それは。
「あ、私のこと好き好きー、な人が増えたから妬いちゃってるんですかぁ?うふふー、大丈夫ですよぉ。いつまでもぐだぐだと悪口を言わせたり、勝手に失望して裏切ったりされるのが癪に障っただけですからー」
―――――だから、そんな奴らまとめて操り人形<ファン>で十分だ。
「安心してくださいー、だーりんはもちろん特別さんですよぉ?美九のいちばん大切で大切で、唯一の“だーりん”なんですからぁ」
「な…………っ」
ぞくりと背中に怖気が走った。
なにか名誉や成功など俗な感情で動いていると言われれば分かりやすかった。
だが、違う。
美九はそんなもので動いてなど、いない。
そしてその感情は、何故か士道一人に集約されていることが分かった。
それだけどろりとした重苦しい視線が、士道をその場に縫い止めているのに気付く。
「だーりんは、私の歌が好きだって言ってくれました。私の一番つらい時に支えてくれました。私の、“美九”の、一番の味方ですぅ」
何だなんだ一体なんだという。
字面だけを追えばとても綺麗な美九の言葉が、何故こんなに腐臭を放って聴こえるのだ。
「だから、だーりんは“だーりん”。ファンなんかとは違います」
「“なんか”………だって!?それはアイドルが一番大切にするものだろ!?なんでそんなこと―――――っ」
「え?“ファン”っていうのは、不快な欲情と勝手な憧れをうっすいオブラートに包んだ応援で私に触れ、根も葉もない噂で掌を返して私を嬲り、そしてちょっと精霊の力を使えばまたころり。そんな人たちでしょぉ?なんでそんなもの大切にするって思うんですかぁ?」
「―――――ッ」
めまいがする。
美九の言葉に、理解が追いつかない。
こんな考えをしてしまう人間に出会った経験などなければ、これからもないだろう。
そして、何故、こんな風に考えるようになってしまったのだろう。
精神的に、そして肉体的にもいい加減限界で、疲れで意識が遠のきそうになるのを堪え、美九に問いを続けた。
「それで、俺をどうするつもりだったんだよ。操ってしまえば、一緒だろう?」
「むー……いくらだーりんだからって、自分をそんなに卑下しちゃだめですー!一緒なわけないじゃないですか、怒りますよぉ」
「なにかの、冗談かよそれは………っ」
「心外ですー。単に“しどーさん”が私を大好きになって、私がいないと息もできないくらいになってもらって、私のもの(だーりん)にするだけですぅ」
―――――――だってそうじゃないと、不公平じゃないですか。私には、しどーさんしかいないのに
「………!」
一瞬だけ微かに混ざった涙声に、美九の心に触れた気がした。
そこを真実とするならば、それは、どんなに歪んでいても愛の告白。
私はあなたが好きです、だからあなたも私が好きでいてほしい。
(七罪、お前すごいな…………)
士道は事前に七罪に教えられた“最後の手段”を思い出した。
『要するにお姫様願望持ちのメンヘラ女でしょう。いざとなれば押し倒してキスでもかませばそれで終了よ』
話だけでそこまで察した七罪が凄いのか、ここまで美九に言われないと気付けなかった自分が鈍いのか。
だが。
だからといってここでその最後の手段を使うつもりは、士道にはなかった。
それでは駄目なのだ。
「………なあ、美九」
「なんですかぁ?」
「俺とお前が初めて会ったあのライブ、覚えてるよな?」
「当然です」
「あそこにいた人達は、俺が感情のままに言ったことを肯定してくれた。その応援に、お前だって『アイドルやってて良かった』って言った。それでもファン“なんか”なのか?」
「…………そうです。凄かったですよだーりんは。精霊の力もなしに連中をあんな風に扇動できるなんて。私の為に、扇動してくれるなんて」
「それは違う、俺は単に―――――、」
「何も違わない。どうせあの時しどーさんがいなければ、そのまま私を見捨てていた連中がっ!!」
「………え?」
「だーりんが声を上げなければ、きっと歌えなくなった私に失望して帰っていったでしょう。それまで何の関係もなかっただーりんと違って、私の歌を奪ったのは自分達のくせに。私には歌しかないのに、その命の次に大切な歌を、自分達で奪ったくせにッ!!」
そんな、心の奥から漏れ出た美九の強い叫びに、士道は何かがかちりとはまる音が聞こえた気がした。
美九の言うことは、一面で否定しがたいことでもあった。
あそこで士道が暴走しなければ、誰かが代わりに声援の口火を切っただろうか?
美九の異常に困惑したまま、失声症で二度と美九が歌えなくなるのを座視するという結末を迎えなかったと断言できるだろうか?
だが、そんなIFよりも、士道は気付いたことがあった。
“美九は何も変わっていない”。
客の一人一人が敵であるかのように怯えながらステージに立っていた姿から。
士道が支えになったから、精霊の力で人々を操れるようになったから、表に出すほどの恐怖が無くなっただけだった。
美九は何も変わってなど、いなかったのだ。
『私には歌しかない』
非道な噂を流されても、歌にだけ縋りつく程に。
良くも悪くも、歌だけが美九の全てだった。
歌がなければ、自分に価値なんてないのだと、自分から歌を奪おうとする寸前だった全てに怯える程に。
だから、美九の心の内側には、まだあの色の無い絶望の表情が留まっている。
ならば、放ってなんておける訳がない。
五河士道は当然のようにそう考える。
まして、士道が言ったのだ。
『歌え』『きみの“歌が”好きだ』と、あの時美九にそれが必要で、その言葉を支えにして潰れずにすんだのだとしても…………裏を返せば“誘宵美九には歌以外の価値が無い”ことを肯定してしまった責任があった。
だから、士道は美九のところまでにじり寄ると、その両肩を強く掴んで言った。
「俺がきみを支えたって言ったよな、美九……………だったら、とことんまで支えてやる」
「きゃっ、え、だーりん…………?」
「俺がお前の歌を好きになったのは、一生懸命だったからだ!歌うことが好きで、それを聴いてもらえることが嬉しくて、そういう感情がいっぱいこもった歌だから好きになった。
…………ごめんな、だから俺はあの時こう言うべきだったんだ。
俺は、きみの歌う姿が見たい。それは、きっと何より綺麗で、かっこよくて、惚れさせられちまう、そんな姿が見られるって思ったからここにいる。それを楽しみに待ってるんだ、って!!!」
歌を自らを縛る鎖にしていた美九に、それは違うのだと。
歌が美九をより輝かせる、そんな翼なのだと。
「だから例え何があったって、俺はそんなお前のすげえ魂がある限り、お前を支える。美九が疲れて、絶望して、もし歌えなくなったとしても、魂は褪せはしないんだから。そんなやつを、俺は決して見捨てない!裏切ったりなんか、絶対にしない!!」
「あ………、う……」
「だからなにも怖がることなんかないんだよ………っ!その上で、もう一回だけ訊かせてくれよ。
……………お前が歌いたかったのは、本当に、こんな歌だったのか?」
士道はポケットから紙片を取り出す。
それは、今日のライブ招待チケットの半券。
魂なんて欠片もこもってなかった歌を披露し、ファンを踏みつけにするような言動を曝し、身勝手に中止にした今日のライブの。
「責めたりなんかしない。美九がどんなに絶望していたのか、傷ついてたのかももう十分過ぎるくらい伝わったから、俺はそれを支えるだけだ。
だけど、お前自身が、本当にあんな歌でいいって納得できるのか…………っ?」
「―――――、――――」
そのチケットに視線を吸い寄せられた美九の脳裏に廻った想いはなんだっただろうか。
アイドルとしての初ライブの興奮、士道と初めて会ったライブで心の奥で小さく燃えていた灯、あるいはなんでもないただの少女だった美九が、父母や先生に歌を褒められたときの無垢な喜び。
雑多すぎて、そして錆つかせていたのが一気に開放され過ぎて、ただ圧倒されるだけだったという。
ただ分かったことがたった一つあって。
自分がファンに裏切られたのと同じように、また自分も沢山のものを裏切ってしまったのだと。
今自分を支えてくれると言ってくれた士道だって、美九が裏切った内の一つで、それなのに美九を見捨てないでいてくれる彼に申し訳なくて、でも愛おしくて。
「よく、ない…………っ」
くしゃりと、美九の顔が泣き顔に歪んだ。
「よくない、ぐす、こんなの、こんなの違うよぉっ!ああ、ああああぅ………っ、ふ、うええええええええええぇぇぇぇんっっっっ!!!!」
「美九!」
「ごめ、なざ、……ひぅ、ぁ、だーりん、だーりぃん!!ごめんなさい、ごめんなさいいいぃぃぃ…………!!」
押し潰されそうに身を震わせて泣く美九を、士道は強く抱きよせる。
安心させる為に、七罪が自分にそうしてくれたように。
その涙が乾くまで――――――ずっと腕の中の美九を、離しはしなかった。
そして、長かった聖夜も、ようやく更ける。
協力してくれた七罪に『成功』と短くメールを出す士道に、涙を流しきった美九が小さく頬を膨らませた。
「………だーりんってば、女たらしさんですぅ。女の子を嬉しくさせるセリフ、たくさん言ってくれたばっかりなのにー」
「うぐ……それは、なんというか、ごめん」
「いいですよー、惚れちゃったが負けですからぁ」
ちゅっ
「…………っ!!?」
甘えるように、ベッドに座った二つの陰の片方がもう片方にしなだれかかり―――――その甘く柔らかい唇を重ねた。
いきなりのことに目を白黒させる少年を、初めてのキスを捧げたばかりの娘は慈しむように見つめる。
「だーりん、大好きです――――――」
………え、当然このあと美九さん素っパですか?
クリスマスの夜に?ベッドの上で?二人っきりで?
………………どうすんのさマジで!!?
………………………よしネタで誤魔化そう
失望しましたみくにゃんのファン辞めます(特に理由の無い暴言が前川を襲う)
※モバマス知らない人はググってね!