名前をもらった。
存在の認識、自分が自分であると言える拠り所。
くれたのは、暖かく優しい雰囲気のーーーー今まで会ったことも無いような可憐な少女だと思った。
奇妙な道具に頼ることなく己の剣閃を押し止め、いつも自分の命を狙う奴らから何の躊躇いもなく殺意の砲火を撃ち掛けられたーーーーきっと自分と同じ存在、仲間なのだと思った。
だから、“彼女”を守ろうと思った。
そうすれば、そうすればもしかして。
望んだものは、あるいはたった一つでーーーー。
古くからのナトリウム光によって暗い赤橙色の照明が照らす地下空間で、暫く十香と士道は黙ったまま寄り添っていた。
一度掴んだ肩を、二の腕を撫でるように下ろしていき、そのまま繋いだ手。
霊装を解除し、代わりに霊力を編んだ―――よく分からない表現だがそうとしか言い様が無いらしい―――士道の服と酷似した装いになり、そして直接伝わる肌の温もりを掌で確かめていた。
言葉を発することもなく、塗装の為されたコンクリートの壁にもたれながら二人並んで腰を降ろしていた、そのまま十香は緩やかに目を閉じている。
リラックス、しているのだろうか――――それは結構なのだが、会って間も無いのにどうしてまたこんなに気を許されているのかと思うくらいの気の抜けようだった。
眠り姫という形容がぴったり似合いそうな、動きの少ない表情。
定期的に意思のある素振りをしているので眠っている訳でもなさそうで、暫く付き合っていたが、訊きたいこともあったのでこの空気を破らせてもらうことにした。
「なあ、十香」
「む、どうしたシドーっ?」
弾むような反応が帰ってきて、話したくないということもない、ように見えた。
「色々と訊かせてもらっていいか、十香のこと」
「………………」
だが応とは言わず、開いたばかりの目を伏せる十香。
その形の良い唇から次に零れた言葉は、少し沈んでいるように感じた。
「不毛だ」
「え?」
「『知らないのに、敵なのだろう』と、言ってしまったな、シドー。
…………すまなかった」
「いや、それは……確かにちょっと怖かったけど、仕方なかったんだろ?」
「………嗚呼。感謝するぞ、シドー。そう言ってくれるのはシドーだけだ。他は全て―――そういうことだ」
「…………」
「そんなものを語っても、不毛なだけだ。私はシドーに貰うまで名すら持たなかった身。そんな存在の無為な時間を、どうしてシドーと語らわなければならないのか」
「十香…………」
何も知らない、なのに敵。
十香の周囲には今までそんな相手しかいなかった。
婉曲的にそう語る十香の、照明による陰影の掛かった無表情。
それは諦めという意味すら知らぬ、己自身のことを何の感慨もなく不毛と切って捨てる悲しい精神性だった。
(…………そんなの、ダメだ)
辛い過去があるのなら、せめて未来に希望を持って欲しい。
士道は五河士道の変わらぬ性として極当たり前にそう思い、………結局いつも通りの厄介事に関わることを決めてしまった。
「だったら、これからのことを話そう」
「………?私はシドーを護ると誓った。大丈夫だ、違えるつもりは無い」
これからという言葉に士道が不安を感じているのだと思ったのだろうか、気遣ってくれるその優しさが。
士道はようやく彼女の勘違いの内容をなんとなく察しながらも、痛みと悲しみを堪え切れなかった。
「違う、違うんだ………もっと、十香はもっと――――!」
「し、シドー?む、むぅ、どうしよう……………、っ!?こんな時にッ」
伝えたい言葉があって、語気を強めるシドーに、おろおろ困ったような十香。
そんな彼女の体が薄暗い空間に溶けていくように薄まる。
消失(ロスト)。
精霊が不意に異世界に帰る事象に抗いながら、十香は険しい声で言い残した。
「言った端から、済まないシドー………!なんとかしてすぐにまた会いに往くからっ!」
自分のことには何の希望も持てないのに、士道を心配する悲しい優しさ。
せめて彼女に、何か言えることを。
だが探そうとしても時間がある訳ではない…………結局出たのは、ありきたりの短い言葉で。
「十香、またな!また会って、話を………!」
「…………!」
またね。
再会を期する言葉、それに十香は何を感じたのか。
薄れて消えたその表情は、少しだけ笑っていたような気がした。
暫くして、警報が鳴り止んでから美九の家に顔を出した士道だが。
いつもの四人がいるのはまだいい、何故か四糸乃と琴里まで居て、全員から妙な視線をぶつけられているのだ。
一体何が、と思いながら恐る恐る何事かを訊ねると、七罪がため息まじりに如何にも呆れています、といった様子で吐き捨てる。
「士道は本当に士道よね、色々と無茶苦茶するし無茶苦茶にするし…………」
「え、え?」
それに息を合わせてきたのはなんと琴里だった。
七罪達とは微妙な関係だった筈だが、この時ばかりは何故かそんなものを感じさせない。
「連絡もつかない状態で、一体何やってるのよこのバカ兄は…………」
「あ、…………って、ああ!?」
そう言えば念のためとかいいながら携帯を折紙に没収されたままなのを思い出しながら、ふと部屋に備え付けのテレビーーーだいたいどの部屋にも付いているーーーを見ると、そこに写っていたのは凶悪な精霊に人質にされて涙目で助けを求める悲劇のヒロインしおりん。
愕然とする士道に、いかにも楽しそうです、みたいなジェスチャーのうさぎパペットが止めを刺す。
『士道く…………間違えた士織ちゃん、四糸乃が言いたいことがあるんだってー』
「いや間違えてない――――って、よ、四糸乃?」
士道に呼び掛けられた四糸乃は、もじもじしながらも距離を詰め、躊躇いがちに―――言った。
「え、えっと―――――――可愛いですね、士織さん」
ざくっ。
時間を少し巻き戻して。
「精霊反応、消失………」
地下に潜伏してしまった〈プリンセス〉の反応が消える。
無論死んでしまった訳ではなく、“帰った”だけなのであろうが、作戦は失敗という形で終了ということを意味していた。
そのことに落胆する臨時特命実験部隊長エレン・メイザースも、また次回があると自分にか同僚にか言葉を贈るが、副隊長崇宮真那は全く別のところで酷い後味の悪さを覚えていた。
避難し遅れ、〈プリンセス〉に人質とされていた少女。
何故か見覚え………というよりも親近感を覚え、しかしエレンに一片の躊躇なく切り捨てられ恐らく死んでしまったであろう少女。
真那にエレンの判断自体を非難する気は無い、精霊が人間を人質に取ったケースなど聞いたことも無かったが、あそこで引けば味を占めて以後も繰り返されるようになる可能性が高いし、そもそも軍人でない自分達に民間人を気に掛ける義務など欠片も無い。
気にするような企業イメージも無い場所であるし、如何な不幸であろうが逃げ遅れるのが悪いということで、冷たいようだが理屈は通っているのだ。
だが、感情では納得出来ない何かが蟠る。
彼女の顔を見た時に感じた、自分はこの人と会ったことがあると断言出来るくらいの感情。
それは過去数年分しか記憶の無い真那にとって、自分の過去、そして生き別れの兄の手掛かりになるかも知れなかったということで、自分勝手な気もするが無性に残念に思った。
それとはまた別の意味で、またため息を吐きたくもなるが。
勝手に自国民を切り捨てられて怒り狂わない軍人が果たしているだろうか――――そういうことである。
すれ違う相手相手からきつく睨まれるのを覚悟して帰投した真那だが、それどころではないと言わんばかりの慌ただしい空気に出迎えられる。
そこで聞いたのは、昨日愚痴に付き合わせてしまった友人の悪い知らせ。
「鳶一一曹が倒れた……!?」
「ええ。――――彼女、昔両親を目の前で精霊に殺されてるの。それも“光に包まれて”、遺品も残らない状態でね」
「…………っ」
「人質にされてた子とは随分大切な仲だったみたいよ、姿を見るや形振り構わず作戦無視して駆けつけようとしてた位には」
それを同僚に制止されている間に、かつてのトラウマを再現するような形でその死を見せつけられた。
その瞬間、魂まで振り絞った様な叫び声を上げ、文字通り血を吐いて失神したのだと。
そう冷たい眼で睨み付けられながら語る陸自の隊長に、頭を下げるしか出来ずに退いた真那。
基地の敷地を離れながら、もはやため息すら出る気分ではない彼女の心の中に、季節外れの寒風が吹き付けながら絶えず問い掛けていた。
(私のやりたいことって、こんなことでやがったのでしょうか―――)
記憶も無く身寄りの無い自分の生活の面倒を見てくれたDEM社。
だがそこに感じる恩は、忠誠に変わることは決して無いのだと、そんなどうしようもないことだけを、確信していたのだった。
たいへんだしどうさんがしんだー(棒)
でも割と折紙さん自業自得だったりするわけで、十香編で完結の予定だけどもし折紙編やるなら病院のベッドで心神耗弱の折紙にファントムが――――なんて構想なのは秘密。
まあ、新巻の展開とモチベ次第かなぁ。
構想と違う場合?
すぐに士道さんが無事なの知って元気に復活、くんかくんか再開するんじゃないかなぁ。