とある科学の亜空切断 作:ガギャギャァッ!!!
夢を見ている。
映る風景にはところどころに靄がかかっていて、聞こえてくる音にはノイズが入っている。まるで陽炎のようにどうにもはっきりとしない、あるいは霞がかった夢だった。
夢というのは、脳が記憶を整理する過程で見る断片的な記憶である。男が見ている夢も、きっと、どこかの誰かの記憶なのかもしれない。
そんな夢の主人公は、学園都市内において【
夢の中の少年と、もう一人の少女はとても世話焼きらしかった。騒がしい幼児達の周りをいつもウロウロウロウロと、彼らの遊び相手になったり、彼らにご飯を運んだり。ずっと小走りで行動しているくらいには活発な、誰から見ても心優しい少年達だった。
そんな退屈な日々の中でも、なんとか小さな楽しみを見つけることで仲間達と幸せな時間を送っていた。
あるとき、幼児の一人が突然亡くなった。つい昨日までは、どんなときでも仲間を勇気付けてくれるような、可愛らしい笑顔を浮かべた子だった。
なんでも大人たちが言うには、彼は以前から病弱な子で、自身の病気を隠していたらしい。ーーここで気付いておけば、
その日の夜。少年は、仲間達に混じって、一晩中泣き明かした。その後もしばらく、彼のことを思い出しながら泣くことが多かった少年だが、ある日。
「いつまで泣いてんのよ、■■。もうみんなは少しずつ立ち直ってきてのに、あたしたちがずっと引き摺ってたら、あの子も悲しんじゃうじゃない」
その少女は、少年なんかよりもよっぽど心が強かったので。
「…だから、ほら。あたしのチョコ、あげるから。ちょっとは元気、出しなさいよね」
誰が聞いてもカッコいいと思うような言葉と、一週間に三つしか手に入らない、とてもとても貴重なチョコレートで、励ましてくれた。
だがこの日以降、まるで抑えが効かなくなってしまったかのように次々と仲間が死んでゆく。この日はひとり。次の日は二人。さらに次の日は三人。次の日は次の日は次の日は次の日は………。
そして、ついに少年の涙も渇いてしまった日の朝。あの少女が、いなくなっていた。少年の、憧れの人だった。最後に会話を交わしたときにも、あの子はずっと微笑んでいた。
いったいなぜ、俺だけがこの場所に残されているのか、わからなかった。死ぬのは、俺であるべきだったのに。
それから、少しばかり場面は飛んで。
ついに少年は、実験の責任者のもとへと歩みを進める。
そして、責任者の中年男性に、仲間達が次々と消えていった理由を聞くと。彼はまったく口籠るようなこともなく、あっけなく口を開いた。
なんでも、次々と皆の姿が見られなくなっていったのは、少年が毎日毎日せっせと運んでいた、あの冷え切ったご飯にあったらしい。料理の中に、学園都市に存在する、能力を暴走状態にするというとある薬品を仕込んでおり、皆が亡くなったのは、それに適応できなかったからだと。何の成果も残さないクソガキが、ただひたすらに邪魔だったからだと。
そして、それに
そして、かつて少年と仲間達が一緒になって暮らしていた施設の残骸の上に座り込んだ少年はふと、とあることに気が付いた。
こんな、クソみたいな
ーーーこうして。少年は呆気なく、
■□■
「…難儀なものだ。もう、すっかり忘れてしまったものだと思っていたんだが」
そんな、取り留めもない独り言を口にしながら、男・真珠空白は、重く閉じられていた瞼を開けると、とあることに気が付いた。ーー身体が、椅子から転げ落ちてしまっているではないか。
そう。男は、あろうことか床で寝てしまっていた。昨日の一方通行とのいざこざのあと、御坂美琴のクローンを連れて、己が知る限り最良の医者が勤務する病院へと向かった彼だが、どうやらいつのまにか眠りに落ちていたようだった。あれだけ眠れないと言っておきながら、結局はそうでもなかったらしい。
おおかた、椅子に座りながら寝ているときに、体勢を崩してしまったのだろう。そのせいか、身体の節々が悲鳴を上げていた。痛む身体を起こして、朝日を浴びようと部屋の窓を開ける真珠だが、後方から突然、聞き覚えのある声がした。
「どうやらお目覚めのようですね、と、ミサカはお昼になってやっと目を覚ました誘拐犯に、気の利いた気さくな挨拶をします」
「…ああ、君か。調子はいかがかな。…って、お昼だって?」
そんなはずはない。なぜなら、この俺がそんなヘマをやらかすわけがないからである。レベル5随一の健康志向を自負する真珠は、脳内で完璧な証明を行いつつ、念のために部屋の時計を確認しておこうと、右側の壁に目を向けた。
……時計の針は、ちょうど12時を指していた。
「…この時計は電池が切れているんだろうさ、今はまだ朝だよ。ほら、あの光り輝く朝日を見てみるんだ。うーん、今日はとても清々しい一日になりそうだ」
「朝日にしてはかなり高くまで日が昇っていますね、と、ミサカは至極単純な事実を誘拐犯に伝えてあなたを論破します」
「さっきから人を誘拐犯と呼ぶんじゃない。そもそも俺は、君を助けてやった恩人なんだが、少しばかり態度が悪いんじゃないかね?ん?」
己はレベル5の中でも頭抜けた慈悲深さを誇っている人間だ、と信じて疑わない真珠だが、当然のように人を犯罪者呼ばわりしてくる目の前のクローンについに怒りを抑え切れなくなったのかついに恩の押し売りを始めてしまった。しかし、その言葉に対する彼女の返答は、彼の予想とは大きく異なっていたのである。
「……私は、助けを求めていたわけではありません。だって、あの人に殺されることが、私の存在理由なのですから。と、ミサカは…」
「……はい、ストップ。悪いが、君の事情はどうでもいいんだ。俺はただ、第1位に嫌がらせをしたかっただけで、そしてたまたま君がその嫌がらせの手段に選ばれただけ。さっきはああ言ったが、俺に君を助けたつもりはない。ーーーだがしかし、俺が君の命を救ったのも事実だ。ゆえに、君の
だから、と真珠は続けて。
「君の面倒は、この病院で見てもらってくれ。俺からもあの医者に頼んでおくから。…ただし、あの実験に戻ることは禁止する。それでは俺の嫌がらせが台無しになるからな。もしも戻ると言うのなら、その前に俺が君を殺す」
そう、あっさりと告げるのだった。
「……それは、私に生きろと言っているのですか?」
「俺は、嫌がらせのためだと言ったはずなんだがね。俺のようなクズでない限りは、生きたいのなら勝手にすればいいさ」
「……私一人を攫ったところで、実験に支障は出ませんよ。と、ミサカは約二十万円ほどの金額で私が複製可能であることをあなたにお伝えします」
目の前のクローンが唐突に己の原価を教えてきたが、まったくその理由に見当はつかない。それはそれとしてとても腹が立ったので、彼女が例の医者の庇護下のもとで暮らすことのメリットについて、もう少し付け加えて語ってやることにしよう。
『それに、これは君のためでもあるのだ。俺のようなクズに面倒を見てもらうよりも、あの医者のような善人のもとで暮らすほうが有意義だろう。それと、俺は不可避の面倒なら受け入れることもあるにはあるが、それはそれとして回避可能な面倒は絶対に避けることを信条としているんだ。悪いね』
と、レベル5随一の人格者を自負する真珠は、己がこのクローンに向かって繰り広げる完璧な理由に酔いしれながらも、例の医者にその旨を伝えにゆこうとするが。
「…あなたの考えはよくわかりました、と、ミサカはこのようなときのために用意しておいた、最終手段に出ます」
そう言って、第3位のクローンはおもむろに携帯電話を取り出し、なにやら番号を打ち込み始めた。その様子に言いようのない不安を覚えた真珠は、おそるおそる、一度このクローンに声をかけてみることにした。
「君は何をしているんだね、突然携帯なんか取り出して。……ちなみに、いったいどこへ電話をかけるつもりか教えてもらっても?」
「……もしもし。
その単語が聞こえた瞬間、男はクローンの手から携帯を奪い取り、全力をもって床に叩きつけた。なぜなら、こうして通報された場合、事情を聞かれればただの誘拐犯でしかない男に勝ち目はないからである。このままでは
この場合、解決策は二つある。ひとつは、目の前のクローンを能力を行使して今すぐに消すことだ。しかし、こんな人目のつく場所でやってしまえば一瞬でバレるに違いない。暗部として揉み消すこともできるかもしれないが、己があのクソッタレにとっての駒でしかない現状、切り捨てられる可能性も高い。そうなった場合は結局、犯罪者の烙印を押されることになってしまうので却下である。
そして二つ目は、精いっぱい媚を売り、今すぐにこのクローンを懐柔することである。
……ふむ。ーーー男は、二つ目の精いっぱいクローンに媚びるという選択肢を選ぶことにした。
「よし、君の気持ちはよーくわかった。君、俺を誘拐犯に仕立て上げるつもりだな。いったい何が望みだ。金か?名誉か?それとも単純に俺が嫌いなのか?ほら、このジュースを君にあげよう。いちごおでんと言うんだが」
「いえ。私の望みは………と、ミサカは意味深に返答を先延ばしにします」
「勿体ぶらずに早く言いたまえ。その手の先延ばしは嫌いなんだ」
そう言うと、彼女が今度は部屋の電話から連絡しようとしたので、即座にコードごと電話を窓の外に転移させる真珠。彼のレベル5としてのプライドはボロボロだった。
「もう何も言わないから、できるだけ早く望みを言ってくれ。このいちごおでんをやるから、ほら」
「それは結構です、と、ミサカはその謎のピンクの液体に忌避感を覚えたうえで、あなたに私の望みを伝えましょう、と、ミサカはあなたのご要望にお応えします」
真珠は、冷や汗を垂らしながらも首肯し、彼女に続きを促す。とんでもない難題が飛んでこようものなら、即座にこのクローンにさらなる媚を売るつもりでいる彼だが、しかしてそのプライドはギリギリで守られたのであった。
「ーーー私の望みは、あなたに私の面倒を見てもらうことです」
「………は?」
■□■
さて、病院での一幕から一週間ほどが経過した今日、生意気なクローンの要望に嫌々ながらも応えることにした真珠。俺などについてきて、いったいどんな利益があるというのだろうか。一応、彼は例のカエルのような顔をした医者にも協力を要請したが、あの老人はこの状況を完全に楽しんでいるような腹立たしい笑みを浮かべながら、『君が拾ってきたのなら、君が責任を持って面倒を見るべきだね』だとか言って、真珠の要求を突っぱねたのだった。これだから老人は苦手なのだ。
そしてあの生意気なクローンは、『あなたも私に迷惑をかけているのですから、私があなたに迷惑をかけても何の問題もありませんね、と、ミサカはあなたに大きな圧力をかけて肯定を促します』などとほざいていた気がする。この俺を舐めているのだろうか、と苛立ちを隠し切れない彼だが、元々は自分が撒いた種であるうえ、さらにアレに弱みを握られてしまっている以上、下手な行動はできない。よって、どうしようもないのが現状である。
「で、今日は俺に何をさせるつもりだ。仮にも歳上の人間に、また能力で何かしら買いに行かせるのか?そもそも、この俺の能力をただのパシリに使おうなんてヤツは君だけだぞ、まったく。……本当にブッ殺してやろうか、このクソガキが……」
「いえ、今日はパシリは結構です。と、ミサカはあなたのプライドを守るために、慈悲を与えます」
「随分と上からの言葉だな……。なら、いったい何に付き合えばいいんだね」
パシリではないとなると、今日はコイツも一緒に着いてくるということなのだろうか。最終的には、俺の金を使って何かしら、衣服だの食べ物だのを買わせるつもりなのは間違いない。と、かなり悲しい予想を立てる真珠だが、そんな予想をしてしまうということも、彼の背中から漂う哀愁を増大させていた。だが、そんな彼の物悲しい予想は、幸運にも外れることとなったのであった。
「ーーー今日は、単純にこの科学の街についてあなたに教えてほしいのです、と、ミサカはあなたにそれほどお金のかからない財布に優しく可愛らしい提案をします」
「……まあ、そのくらいなら構わないが。具体的に、俺はいったいどんなことについて紹介すればいいんだね」
ーーーこの街は、俺のようなクズが生きていくには、これ以上ないほどに素晴らしい街だろう。ゆえに、俺はそんなクソみたいなこの街が大好きだ。だがしかし、そんな話をされて大喜びするような人間はおそらくいない。俺だって、そんな真っ黒な話は好きじゃない。だからこそ、このクローンが俺に求めていることがわかる。コイツは娯楽を求めている。たったひとりの最強に殺されるためだけに産まれてきた肉人形である自分が、いつの日か『生きたい』と思えるように。
「では、あの服屋さんなんてどうでしょうか。【セブンスミスト】と言う名前のようです」
「…君、結局何か買ってもらうつもりでいやしないかね?」
「……では、あそこに向かいましょうか。と、ミサカはあなたに有無を言わさず行き先を決定します」
例によって、この俺を財布か何かと勘違いしているこのクローンだが、これまた例によって、俺がコイツに余計なことを言うと俺が犯罪者としてお縄につく可能性が高い。なので、嫌々ながらも彼女の提案を受け入れることにした真珠であった。
■□■
『これで、真珠空白に関するタスクのうち三つ目が完了した。アレにはスペアプランにも全くもって及ばぬ程度の価値しか存在しないが、そこは想定通り。ーーーいつも通りに、気長にやっていくとしよう』
学園都市に存在する、窓のないビルと呼ばれる施設。その内部に設置されたビーカー型の生命維持装置にて外界を伺う、『男にも女にも、子供にも老人にも、聖人にも囚人にも見える』、ただの人間の声が響いた。