「ダメですよ、セイちゃん。この人は私のトレーナーです」
ようやく見つけたトレーナーの腕を掴み、その胸に飛び込もうとしたセイウンスカイを制したのはグラスワンダーだった。
スカイとトレーナーとの間に差し込まれた手刀は只の腕であると分かっていながらどんな刃物よりも鋭く映り、スカイの動きを制止させた。
「トレーナーさんを離してください」
「いッ、嫌だ!!」
そう強がっては見たが声が震えてしまった。それほどまでに今のグラスはスカイの目に恐ろしく映っていたのだ。これ以上刺激すれば本当にその手刀で貫かれてしまうのではと有り得ない妄想をしてしまうほどに。
「トレーナーさん、お久しぶりです。私の事が分かりますか?8年前、あの川原で─────」
「セイちゃん!!」
グラスの剣幕に臆したスカイは彼女を無視し、直接トレーナーへ訴えかける。しかし、当然ながらグラスはそれを許さない。普段のおっとりした彼女からは想像もできないような大声でそれを遮った。
「セイちゃん分かって下さい。彼は今年トレーナーになったばかりの新人さんなんです。只でさえ私の指導に四苦八苦しています。今のトレーナーさんに2人目のウマ娘の面倒をみる余裕はないんです」
「それは─────グラスちゃんが決めることじゃないよ」
歯を食いしばってグラスを睨み返した。トレーナーの腕を握る力を少しだけ強めて続ける。
「私はトレーナーさんと話してるんだ。グラスちゃんには関係ない。引っ込んでてよ」
「関係なくありません。何度も言いますが彼は私の──────」
「いいえ、セイウンスカイさんの言う通りです。グラスワンダーさん、少し彼女と話をさせてください」
そう言ってグラスを遮ったのは他の誰でもない乙女二人が取り合う渦中の男、トレーナーだった。
「トレーナーさん!!それは……!」
「グラスワンダーさん、セイウンスカイさんと話をします。いいですね?」
反論しようとするグラスをトレーナーは簡単に黙らせた。これが新人のトレーナー?気難しいグラスをここまでコントロールするなんてとスカイは驚愕した。
「セイウンスカイさん、でしたね。僕に何か御用でしたか?」
数年ぶりに聞く彼の声はイメージとはかけ離れた落ち着いたものだった。いや、そもそもセイウンスカイは8年前、彼の走りを観察し続けてはいたが言葉を交わしたのは時間にして1分にも満たない僅かな間だ。スカイはこれまで彼の事を想い続けていたがその実、彼の事を何も知らなかったのだ。
「えっと、その……!」
言葉が続かない。彼と対話できるこの日をどれだけ夢見たか分からない。必死にこれまでの想いを形にしようとするがパクパクと口から空気が漏れるだけだった。
それでも、それでも、セイウンスカイの彼への願いはただ一つ。5年前にも口にした願いだ。きっとトレーナーはあの日のことなんて覚えてはいない。でもそんなのは関係ない、スカイは次の一言をもう一度言う為に彼を探し続けたのだ。
「私の、私のトレーナーになってくださいッッ!!」
ようやく音という形を成したその言葉はセイウンスカイという少女らしからぬ誠実なものだった。
「すみません」
しかし、彼の返答はあの日と同じ、スカイの望むものではなかった。
絶望し、聞き間違いだと縋るようにスカイはトレーナーの服を掴んだ。
「なんで、なんでなんですか。私の何がダメなんですか、グラスちゃんが良くて私がダメな理由でもあるんですか!!」
「はい。グラスワンダーさんもセイウンスカイさんも素晴らしいウマ娘です。いや、違いますね。この学園に通う全てのウマ娘が才能に溢れ、指導してみたいと思えるような輝かしいものを持っています。でも───貴方はダメです。他のどのウマ娘を指導しても貴方を指導する事だけはできないのです」
「だからなんで!どうしてですか!」
「僕は──────貴女に勝ちたいんですよ、セイウンスカイさん」
「え……」
セイウンスカイの時が止まった。トレーナーは縋り付くスカイの手を掴み、ゆっくりとそれを自身の服から引き剥がす。絶望し困惑するスカイは抵抗もできずそれを受け入れた。
「セイウンスカイさんは覚えていないかもしれませんが8年前、僕は貴女に負けたのです。酷い負け方でした。大好きで大好きでたまらなかった走りを放りだし、ランナーとしての道を諦めるほどでした」
「トレーナーさんも覚えて……!」
「けれどアレで良かったとも思っています。人間の身体能力ではウマ娘に決して勝てない。若いうちに気づけたのですから」
トレーナーは言葉を休めない。セイウンスカイと少年。8年前、二人が感じていた感情の差異を、まるで答え合わせをするかのように告げていく。
「でもですね。やっぱり悔しかった。ウマ娘には勝てない。頭では理解していても悔しさは消えなかった。だから─────僕はトレーナーになったんです」
「セイウンスカイさん。僕は貴女に勝ちたいんです。僕の指導したウマ娘で貴女を倒す。だから、僕は貴女のトレーナーになることはできません」
そこまで言ってトレーナーの言葉はようやく止まった。
「グラスワンダーさんお待たせしました。トレーニングを始めましょう」
「待って」
グラスワンダーと共に立ち去ろうとするトレーナーの服を再びスカイが掴んだ。
「トレーナーさんの都合は分かりました。でも、それでも!私は貴方にトレーナーになって欲しい。どうしても諦められない。だから─────グラスちゃんと勝負させてください」
「セイちゃん、貴女何を……」
セイウンスカイの突然の申し出にグラスワンダーは困惑した。彼女にはスカイの考えがまるで理解出来なかったからだ。グラスも知らなかったことだが、トレーナーの目標はセイウンスカイを倒すことだ。だとすればこの場で二人が勝負し、仮にスカイが勝利したとしても意味がない。
逆にグラスが勝利しても、トレーナーの着いていない万全の状態とはいえないスカイへの勝利にトレーナーは意味を見出すことも無いだろう。
勝負の意味が存在しないのだ。
「分かりました。勝負は今日の12時丁度にこの場所で。その時間ならターフも空いていることでしょう」
しかし意味が無いはずの勝負をトレーナーはあっさりと了承した。グラスはますます困惑する。何故そうなる、というより二人の関係はどういうものなのか。まさか、男女の─────いや、それはない。けれどトレーナーには後でその辺じっくり話を聞かせて貰おうとグラスは固く誓った。
「言っておきますが、もしも貴女が勝っても僕が貴女のトレーナーになることはありませんよ」
今度こそスカイに背を向け去ろうとするトレーナーは最後にそう言い残した。
トレーナーとグラスがいなくなり、一人残されたセイウンスカイは涙を拭い空を仰いだ。
「勝てばトレーナーになってくれるだなんて甘いことは考えていませんよ。でも、最後には必ず私のトレーナーになってもらいます」