セイウンスカイはトレーナーさんを諦めない   作:キ鈴

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グラスワンダーは手放さない

 10時50分。セイウンスカイとグラスワンダーの勝負を約1時間後に控えたトレーナーは一人、学園の中庭のベンチで朝食兼昼食を取っていた。彼はスナック菓子の袋に片手を突っ込みながら膝の上に置いた資料に目を通す。資料に集中するあまり食べカスがぽろぽろと落ちていくが真夏にはそぐわないような爽やかなそよ風がそれを攫っていった。

 

 トントンと不意に彼の肩を誰かがつついた。口の中の物を咀嚼しながら振り返るとトレーナーが今一番会いたくない人物、理事長秘書の駿川たづなが機嫌良さげに立っている。

 

「お隣失礼しますね」

 

 失礼しないでください。立場上そう言うことも出来ず、されどせめてもの抵抗として不満を表情で表したがたづなは特に気にした様子もなくトレーナーの隣に腰を下ろした。

 

 厄介な人に見つかってしまった。トレーナーは心の中で毒づいた。彼は駿川が苦手だった。

 

「随分とお早い昼食ですね?」

 

「はい。今朝は朝食を食べ逃してしまいまして。早弁、と言うやつです」

 

「お弁当と言うにはサッポロポテトは余りに味気ないと思いますよ?」

 

「これ好物なんですよ。特にこのサラダ味は止められません」

 

「むぅ。ですがトレーナーさんもまだまだ育ち盛りなのにご飯を蔑ろにするのは感心できませんね。そうだ!よろしければ明日からは私がお弁当を作ってきましょう!」

 

「丁重にお断りします」

 

 トレーナーがすげなくそう答えると駿川はさして残念でも無さそうに肩を落とした。

 

「つれないですねぇ。せっかくトレーナーさんに恩を売ることが出来ると思ったのですが」

 

「そんなことだろうと思いましたよ……」

 

 トレーナーは呆れつつベンチに置いていた水を手に取りスナック菓子を胃に流し込んだ。駿川たづな、初めて会った時からこの人はこうだ。何時も何かを企んでいるというか、得体が知れないというか、兎に角トレーナーは彼女に警戒心を抱いていた。

 

「さてと、それでは本題です。トレーナーさん、セイウンスカイさんの指導の件、検討して貰えてましたか?」

 

 ニッコリと、しかし笑顔と言うには余りに凄みのある表情を浮かべながら駿川は首を傾げた。

 

「以前にもお伝えしましたが僕はまだトレーナーになったばかりの新人です。同時に二人の指導は手に余ります」

 

「そうですか。では仕方がありません、グラスワンダーさんを他のトレーナーに任せセイウンスカイさんと交代されてはいかがですか?」

 

「それは……」

 

 トレーナーは口篭る。基本的にウマ娘とトレーナーの契約は二者の合意の元に交わされる。しかしあくまでもトレーナーは学園から雇用されている身である。滅多にないことだが学園からの命令が有れば望まぬ契約であっても彼は従わなくてはならないのだ。

 

「ふふ、冗談ですよ。少し虐めすぎましたね」

 

「勘弁してください。駿川さんの冗談はいつも心臓に悪いんですよ……」

 

「どうしてもセイウンスカイさんの担当は引き受けてもらえませんか?」

 

「すみません。彼女に勝つことが僕がトレーナーになった理由ですので」

 

 彼のこの返答に駿川は「困りましたねぇ」と両足をぶらぶらと前後させた。いつも大人びた彼女らしからぬその行動にトレーナーは目を白黒させる。

 

「考え方の問題だと私は思いますよ」

 

 そんな言葉を枕に駿川は語り始めた。

 

「トレーナーさん、貴方はセイウンスカイさんに勝ちたくてこの学園にやって来た。その気持ちはよくわかります。こう見えて私も負けず嫌いですので」

 

 どう見ても負けず嫌いだろう、と喉元までこみ上げていた言葉をトレーナーは何とか飲み込んだ。無為に駿川の機嫌を損ねる必要はないという賢明な判断をしたのだ。

 

「けれど勝負である以上、公平性の確保は必要だとは思いませんか?」

 

「……何が言いたいのですか?」

 

「勝負というものは本人の才能と努力を競うものです。それ以外のものは限りなく平等にして初めて成立するものだと考えます」

 

「セイウンスカイさんとグラスワンダーさんでは平等ではないと?」

 

「当然です。トレーナーの付いているウマ娘とそうでないウマ娘、どちらが恵まれているのかは論ずるまでもないでしょう?」

 

 無茶苦茶な論理だ、反論しようと思えばいくらでも出来る。けれど何故だかトレーナーはそうする事ができなかった。ただ俯き、相槌を打つこともせず、しかしそれでも耳の意識だけはしっかりと駿川へと向けられていた。

 

「当然、それが仕方ないことも現実的でないことも理解しています。けれどこの学園に於いて、特に私達指導者は生徒達に可能な限り平等な環境を用意する義務があるのではないでしょうか?まして貴方はその生徒に勝負を挑もうとしているのですから」

 

 駿川たづなはトレーナーの返答を待たない。まるでただ独り言を呟いているだけかのように言葉を続けた。

 

「貴方はトレーナーのいないセイウンスカイさんに勝ってそれで満足なのですか?年下の女の子にハンデを貰ってそれで勝ったと胸を張れるのですか?」

 

 そう言い残し駿川たづなは去って行った。ずるい人だ。自分の主義主張だけを一方的に語りトレーナーには全く反論を許さなかった。

 

 一人残されたトレーナーは空を仰ぎ見た。濃すぎるほどの青にモクモクと浮かぶ入道雲がどんぶらこどんぶらこと風に流されている。

 

「トレーナーさんって意外と女性にモテるんですか?」

 

 一人になった筈のトレーナーの隣から声が届いた。億劫そうに視線をやるとそこに立っていたのは長い栗色の髪を風に揺らす彼の愛バ、グラスワンダーだった。

 

「今度は貴方ですか……」

 

「むっ。貴方の愛バに対してその物言いはあんまりではないですか?それとも、もう私には飽きてしまいましたか?」

 

 グラスワンダーは拗ねたように言いながら先程まで駿川が座っていた場所に腰を下ろす。

 しまった────失言だったとトレーナーは先ほどの発言を悔やんだ。彼の愛バであるグラスワンダーは気性難、というほどではないが怒らせると何というか……面倒くさいのだ。彼の一言で調子が上がることも有れば失言一つで絶不調まで急下降することもある。まるでジェットコースターのような彼女の機嫌にこの一ヶ月どれだけ悩まされてきたか知れない。

 

「違うんです。グラスワンダーさん、今のはその……そう!セイウンスカイさんと見間違えたんです!全く、僕がグラスワンダーさんのことを蔑ろにするわけがないじゃないですか!」

 

「私と、よりにもよってセイちゃんを見間違えたんですか?」

 

 コキリ、とグラスワンダーの首が90°に傾いた。グラスの目が笑っていない。トレーナーは必死に頭を回転させこの窮地からの起死回生の一手を模索する。だが答えはでない。出るはずがない。

 そもそもトレーナーは何故グラスワンダーの機嫌が悪くなっているのか毛先ほども理解していないのである。これまでの人生に於いてウマ娘の友人はいたがその友人は変人奇人の類だったので参考にならない。故に彼は女性の扱いについてのまともな知識を凡そ全くと言っていいほど有していなかったのだ。

 

「そんなに怯えないでください。トレーナーさんが他の女性ばかり構うので少し嫉妬しただけです」

 

 そんな言葉と共にグラスワンダーから放たれていたドス黒いオーラが急速に萎んでいった。

 

「脅かさないでくださいよ……。ところでグラスワンダーさんは僕になにか御用でしたか?」

 

「用というほどのことではありません。トレーナーさんがちゃんとした食事を取っているのか監査しに来ただけです」

 

 グラスワンダーの視線がトレーナーの隣に置かれたスナック菓子に注がれた。それに気づいたトレーナーは悪戯がバレた子供のように袋を隠しながら目を逸らす。

 

「またサッポロポテト……いくら好物とはいえ食べ過ぎです。私、以前にも言いましたよね?食事は三食ちゃんと栄養のある物を食べてくださいと。貴方と私は既に一心同体、ご自身の体調管理にも気を配ってもらわなくては困ります」

 

「返す言葉もありません。先程駿川さんにも同じ事を言われました。このままではあの人にお弁当を頼まざるをえなくなりますね」

 

「たづなさんからお弁当……?どういうことでしょう?その話、詳しく伺ってもよろしいですか?」

 

 グラスワンダーの周囲からゴゴゴという擬音が聞こえてくる気がした。

 何だか今日はやけに圧をかけられる。生理ですか?そう口にしようとしたギリギリのところでトレーナーは踏みとどまった。以前本当にそう口にした際、めちゃくちゃ怒られたのを彼は覚えていたのだ。

 

「いえ、特別な意味はありませんよ。ただ、あの人は僕に恩を売っておきたいようでそういった事を提案してきたのです。丁重にお断りさせていただきましたよ」

 

 トレーナーがそう弁解するとグラスからの圧が弱まった。それにしてもこの圧はどういった原理で発生させているのだろう?何とかトレーニングに生かせないだろうかと彼は頭を捻らせた。

 

「……セイちゃんとお知り合いだったんですね」

 

 トレーナーがバ鹿な事に思考を巡らせていると突然グラスワンダーが真剣な顔で呟いた。その表情から先程言っていた『トレーナーの食事上の確認』というのは建前で、こちらの話が本題であるという事が容易に察することができた。

 

「知り合いという程のものでもありませんけどね。数年前、少しだけ縁があっただけです」

 

「セイちゃんに勝つためにトレーナーになったのに……ですか?」

 

「……」

 

「セイちゃんに勝つために私をスカウトしたんですね」

 

「……すみません」

 

 トレーナーの口から謝罪の言葉が零れ落ちた。自身のリベンジの為に愛バを利用している────トレーナーとしては決して褒められないその事実を他ならぬグラスから突きつけられ彼は俯いた。

 

「怒っている訳ではありませんよ。寧ろセイちゃんには感謝しているんです」

 

「感謝……ですか?」

 

「はい。だって昔、セイちゃんとトレーナーさんの勝負があったから貴方はこの学園にやって来たんですよね?その勝負があったからこそ今こうして、貴方は私のトレーナーになってくれているのですよね?だから、私はセイちゃんに感謝しているんです。私とトレーナーさんを巡り合わせてくれてありがとう─────と」

 

 そう言い切るとグラスは立ち上がりトレーナーに手を差し出した。

 

「時間です、参りましょう。不退転、貴方の愛バは私、グラスワンダーだけであると知らしめてみせます」

 

 

 

 

 

 

 

 




他にも色々作品を投稿してますので覗いて貰えると嬉しく思います。
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