セイウンスカイはトレーナーさんを諦めない   作:キ鈴

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樫本理子は諭さない

『私が貴方の変わりにその娘を倒します。だから─────貴方が私を強くしてください』

 

 八年前そう少年と約束した。自分だけの走法を奪われ絶望する彼にトレーナーとなって『少女』と戦う道をマンハッタンカフェは提案した。

 

 彼と共に名も知らぬ天才ウマ娘を倒す。そんな共通の目標を持てることにカフェの心は踊った。その目標があったからトレーナーの資格を得るために地元を離れる少年を笑って見送ることができた。

 幼い頃からずっと一緒だった彼と離れ離れになるのは辛かったけれど、いつかきっとトレーナーになった彼が迎えに来てくれると信じ、マンハッタンカフェは少年を待った。

 

 けれど、何時まで経っても少年は彼女を迎えに来ない。トレーナー資格は難関だということを知っていたカフェは彼は試験に苦戦しているだけ、それでも彼ならきっと合格出来ると待ち続けた。

 

 少年と別れ何度季節が巡ったか分からない。

 

 そしてとうとう再会した少年───いや青年となった彼の隣には自分ではないウマ娘の姿があった。

 

 なんで、どうしてと疑問符が脳内を駆け巡る。

 

 どうしてトレセン学園のジャージを来ているのか。

 トレーナーになったのなら何故真っ先に迎えに来てくれないのか。

 隣にいるウマ娘は何なのか。

 

『貴方では勝てないと気づいてしまいました』

 

 その言葉で長い年月を掛けて蓄積されたマンハッタンカフェの少年への想いが負の感情へと変換されていく。気づけば彼女はトレーナーに背を向けて走り出していた。

 

 許せない、悔しい、悲しい。涙で視界が滲む中、唇を噛んで感情を抑えた。走って走って、裏切られたという事実から逃げ出そうとした。

 

 けれどどれだけ走っても逃げ切ることは出来なくて、疲れ足を止めれば更に悲しみに襲われ、周囲の目を気にすることもなく彼女は泣いた。

 

 あれだけ眩しかった夕日はいつの間にか完全に沈み、当たりを闇が覆い尽くした。泣き尽くし、涙も枯れ果てたマンハッタンカフェは目を腫らしたまま僅かな街灯と月明かりを頼りに歩を進める。

 

 向かったのはトレセン学園にある職員寮。そこの一室の前に立ち数度扉を叩いた。中から現れた人物にマンハッタンカフェは変わってしまった願いを告げる。

 

「どうしても勝ちたい人がいます。私の可能性を否定され、裏切られ、奪われました。それ等を取り戻す為に勝たなくてはならないんです。だから……だからッ!私を強くしてください!!」

 

手を取り合い、共に戦うはずだった少年は倒すべき相手として彼女の中で姿を変えていた。

 

 

 

□□□

 

 

 

 マンハッタンカフェと遭遇した日の翌日、トレーナーは一人中庭の隅にあるベンチに座り昼食を食べていた。彼の膝の上で広げられた弁当箱の中には白米にミートボールに沢庵、ブロッコリーとトマトがぎっしりと詰め込まれていた。先日、サッポロポテトを昼食代わりに食していた者と同一人物とは思えない変わりようだった。

 

 しかし当然、弁当の中身は変わったが彼の中身にまで変化があった訳では無い。サッポロポテトばかり食べている所を彼の担当バであるグラスワンダーやセイウンスカイに見られては示しがつかないという打算あってのものだ。

 合理主義者の彼に言わせればトレーナーである自分が食生活に気を配る必要はないと考えると共に、指導者の立場として手本を見せる事の重要さも理解していた。

 

 あと純粋にグラスワンダーが怖い。あのウマ娘マジでヤバい。

 以前、三食サッポロポテトを食べているのがバレた時は毎日ご飯を作りに行くから合鍵を寄越せと要求された。その場は何とか乗り切ったが恐らく次は無いだろう。

 

 木々の隙間からこぼれる夏の日差しを浴びながら咀嚼していると不意に影が落ちた。顔を上げて見るとそこには真っ黒なスーツに身を包み、長い黒髪に鋭くとがった目元が近づき難さを醸し出す女性、理事長代理の樫本理子がトレーナーを見下ろし立っていた。何故か樫本の右手には小さなバケットが握られており、トレーナーは嫌な予感を覚える。

 

「御一緒してもいいですか」

 

「えっ、ああ。どうぞ」

 

 理事長代理からそう問われては断る事などできない。トレーナーの隣に腰掛けた樫本はバケットを開き中のサンドイッチを口に含んだ。

 

「そのお弁当は自身で作られたのですか?」

 

「はい。と言っても米を炊いて出来合いのものを詰めただけですが」

 

「十分です。それが出来るということは他の生活習慣もしっかりしているのでしょう。若いのに感心です」

 

 そう言われトレーナーは後ろめたさを感じた。今日はたまたま弁当を持参しただけで普段はサッポロポテトばかり食べている。けれどわざわざそんなことは訂正せず、彼はありがとうございますと返した。

 

「理事長代理はどうしてここに?」

 

「貴方に話がありました。トレーナー室にも行ったのですが留守にしており探していた所、駿川さんが貴方ならきっとここにいると教えてくれました」

 

 あの緑の悪魔ぁ……とトレーナーは心の中で駿川たづなに悪態をついた。

 

「そうでしたか。それでお話というのは?」

 

「昨晩、マンハッタンカフェが私の元を訪ねてきました」

 

「……」

 

「どうしても勝ちたい相手がいる。自分の可能性を否定され、裏切られ、奪われた。それを取り戻す為に私を強くしてくださいと涙を流しながら懇願されました。鼓トレーナー、貴方は何故彼女を拒絶したのですか」

 

「彼女に勝ちたい相手がいるように僕にも勝ちたい相手がいる。けれどカフェさんではその相手には勝てない。だから僕は彼女を裏切った、それだけのことです」

 

「嘘ですね。いえ、正確にはそれも本当なのでしょう。けれどその理由は彼女を拒絶した理由の極一部に過ぎない。本当の原因を教えてください」

 

「何故他に原因があると思うんですか」

 

「簡単な事です。己の利の為にウマ娘を傷つけるような人間はそもそもこの学園のトレーナーになることは出来ません。この学園に在籍している時点で私は貴方という人を信用しているんです」

 

 そう断言し樫本はトレーナーの目を真っ直ぐに見つめた。数秒の静寂が二人の間に流れたが樫本は一向にトレーナーから目を離さない。マンハッタンカフェを拒絶する本当の理由を話すまで決して逃がさないという意思を言外に伝えていた。

 当然、野次馬根性で詮索している訳ではないことはトレーナーも分かっていた。この人はただ純粋に、間違った道を進もうとする後輩とウマ娘を導こうと、理事長代理としての職務を果たそうとしているのだ。

 そんな彼女にだからこそ、トレーナーもポツリポツリとその重い口を開き始めた。

 

「……絶対にカフェさんに話さないと約束してくださるのならお話します」

 

「約束します」

 

「……理事長代理はカフェさんの走りをもう見られましたか?」

 

「はい今朝走らせました。素晴らしいポテンシャルを秘めています。特にスタミナは他に類をみないレベルです。長距離に主戦場を絞ればG1でも勝利することが出来るでしょう」

 

「僕も同じ意見です。ですがもしも、カフェさんがマイルを走るとしたらどうでしょう?」

 

「それは……オススメはできませんね。彼女の適性はあくまでも長距離です。適性に逆らえば己の可能性を狭めるだけでなく、選手生命にも影響しかねません」

 

「それも同意見です。ウマ娘は自身の適性に逆らうべきでは無い。けれど、僕がカフェさんの担当となればきっと彼女はマイルを走ると言って譲りません。僕の勝ちたい相手がそこを走る以上は──────」

 

 マンハッタンカフェはかつての約束を果たすべく適性に逆らってマイルを走ろうとする。きっと走るなと説得しても聞く耳を持たない。そんなマンハッタンカフェにマイルを諦めさせる為に彼が選んだのは『カフェがマイルを走る理由を無くす』だった。だから彼はマンハッタンカフェを拒絶した。それが正しかったのかは未だに分からない。ただ、まだ若くトレーナーになったばかりの彼にはそれ以外の選択肢を見つける事が出来なかったのだ。それが不器用で人の感情の機微に疎い彼なりの答えだった。

 

「……私も余り人のことは言えませんが貴方は相当に不器用ですね」

 

「理事長代理から見れば間違った選択なのかもしれません。けど僕にはこれしか道がなかった。これが僕なりの最善策です」

 

 そう不貞腐れるように言ってトレーナーは弁当の中身を一気に掻き込んだ。陸に噛みもせずそれを飲み込むと弁当箱をいそいそと片付け立ち上がる。

 

「もう昼休みも終わりですね。ではこれで僕は失礼します」

 

「待ちなさい」

 

 逃げるようにその場をあとにしようとしたトレーナーを樫本は呼び止めた。そして彼女らしからぬとんでもない提案をトレーナーに投げかける。

 

「鼓トレーナー、私と勝負をしましょう。9月4日のセイウンスカイのメイクデビュー、マンハッタンカフェも出走させます。もしもセイウンスカイが勝てば貴方の要求を何でも一つ呑みます」

 

「セイウンスカイさんが負けた場合は?」

 

「当然、私の要求を聞いてもらいます」

 

「……分かりました。その勝負お受けします」

 

 理事長代理に叶えて欲しい願いがあった訳ではない。負けた時に何を要求されるのかの察しもついた。なのにその申し出を断ることは何故かトレーナーには出来なかった。

 

 

 

□□□□

 

 

 

 トレーナーが樫本理子と会話をしている間、グラスワンダーは昼食も取らずターフを走っていた。コース上には彼女以外誰もいない。けれど、グラスの目は追い抜くべき相手をしっかりと捉えている。

 

 瞼に焼き付いたセイウンスカイの幻影だった。

 

 これまでなんど彼女に負けてきたか知れない。追いかけて、追いすがって、どれだけ距離を詰めても結局、セイウンスカイの前を走る事は叶わなかった。

 

 才能で劣っていると思っていた。だけどそれは違った。誰の目も届かない場所で彼女は一人特訓を続けていた。それをあの夜に知った。

 

 セイウンスカイよりも努力しているから、だからいつかきっと勝てるようになるという根拠にもならない言い訳で自分を誤魔化していた。それが崩れた今、もうグラスワンダーに休んでいる時間などなかった。

 

 当初予定していた距離を走り切った。肺が約束の時間だ、休ませろと求めてくる。けれどグラスワンダーはそれに反発するようにして更に速度を上げた。怒り狂った内臓が彼女に苦痛を与える。滝のように流れる汗が視界を曇らせる。しかしグラスワンダーはそれら全てを無視して走り続けた。

 

 結局、グラスワンダーが足を止めたのは予定よりも500m先の地点だった。

 

 ハァ、ハァ、ハァと乱れた呼吸を必死に整えた。今日もセイウンスカイの幻影を抜き去ることは出来なかった。

 

「お疲れ様デス」

 

 そんな言葉と共に彼女の頬に冷えたペットボトル飲料が押し付けられた。驚き顔を上げるとそこには同期の一人であるエルコンドルパサーがグラスの顔を覗き込んでいた。

 

「ありがとう、エル」

 

 受け取ったスポーツドリンクを体に流し込んだ。疲弊した体にそのドリンクはとても心地よく、失われていた水分と塩分の補給をグラスの体は快く歓迎する。

 

「セイちゃんを追いかけてましたね」

 

「分かるんですか?」

 

「グラスの前を走るセイちゃんの姿がハッキリと見えましたから」

 

 その言葉を聞いてグラスワンダーは唇を噛み締めた。

 第三者であるエルコンドルパサーにセイウンスカイの幻影(イメージ)が見えたということはグラスが生み出した仮想敵としての幻影の正確性を意味する。そしてその幻影にグラスは負けた。それは今のままでは何度やってもスカイには勝てないと自分自身が認めてしまっていることを意味する。グラスはそんな自分が悔しくて情けなくて許せなかった。

 

「エル、私はセイちゃんに勝てると思いますか?」

 

「そんな事エルは知りません」

 

 そう冷たく突き放されグラスは驚いた。再び顔を上げると鋭く目を尖らせ、獲物を見るような視線を向けられている事に彼女は気づいた。

 

「グラス、アナタはセイちゃんの事しか見てないんデスね。アタシやスペちゃん、キングの事は眼中にない」

 

「エル?急にどうしたの?そんな事あるわけありません」

 

「そんな事ありますッ!!」

 

 エルコンドルパサーが吠えた。顔を真っ赤に染め、握られた両手の拳をプルプルと震わせ必死に感情を抑えている。

 

「アタシはッ!!アタシはずっとグラスの事をライバルだと思っていました。けどそう思っているのはアタシだけでグラスはセイちゃんの事しか見てない!それがアタシは許せない」

 

 言い切ってエルコンドルパサーはグラスに背を向けた。拳は未だ握られたままで何時もの悪ふざけではなく、本気で彼女が自分にぶつかって来ているのだとグラスは理解した。

 

「8月17日のメイクデビュー、エルも出走します。グラス、アナタを倒すのはアタシです。アナタのライバルはアタシです。それを教えてあげます」

 





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  • セイウンスカイ
  • グラスワンダー
  • マンハッタンカフェ
  • トレーナー
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