短編集「鱗雨」   作:矢留

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3.サタデー・アンセム

サタデー・アンセム

 

 

 

拝啓

 

 

 雨に濡れる紫陽花というものはとても素敵なもので、透明な傘を差しながら六月の終わりを辿ってゆけば、決して見ることのできない春と夏の臨界点に足を踏み入れることのできるような、そんな気がするのです。私は今小さな喫茶店でコーヒーを飲みながら、薄緑を深緑へと変える魔法の雨を眺め、この手紙をあなたへと書いています。六月の終わりの土曜日の午前。とっても素敵な時間です。こんな日にはいつもより少し濃いコーヒーを飲みます。降りやまぬ雨がコーヒーを薄めてくれる気がするから。

 雨の日というのは不思議なもので、なんだか過去のすべての雨の日と連続しているように思えることがあります。こうして窓際の席に座って水煙に霞む街並みに目を凝らせば、遠い過去に起こった出来事が幻のように浮かんでは消えてゆくようで、それらの記憶はまるで窓の水滴が一つに合わさって落ちてゆくように、心のどこかで確かなつながりを持ちながら存在しているのだと気づくのです。あなたは、雨の日は好きですか?私は好きですよ。晴れの日の何倍も。

 

 さて、この手紙をあなたが読んでいるということは、おそらくあなたは仙台駅構内の女子トイレでわけのわからない封筒を受け取った、幾分まともではない女性なのでしょう。だって、宛名も書いていない。差出人も不明で、切手も貼られていない。そんな封筒がトイレに置いてあるという、あきらかにまともじゃないものを手に取って、しかも開いて中身を見ているのですから。まともじゃないですよ、あなた。この封筒の中身が、わけのわからないテロリストが精製した未知の毒ガスだったらどうするつもりだったんですか。

 でもまあ、あなたの「まともじゃなさ」を否定したいわけじゃありません。こんな手紙を書いてこんなところに置いてゆく私だって全然まともじゃないのです。お互い様ということにしましょう。まともじゃないあなたとまともじゃない私が、紙面上とはいえ、こうして偶然にも出会うことができたのです。今日はめでたい土曜日ですから、家に帰ってワインでも開けましょうよ。スーパーで買った安いやつでも、いつか開けようと温存していた高いやつでも、なんでもいいから。最も、あなたが今日中にこの手紙を受け取ってくれていたらの話ですけれどね。

 

 あなたがこの手紙に何を期待して封を切ったのか、私には想像もできませんし、想像する意味もありません。あなたにはあなたなりの抱えていくべき「まともじゃなさ」があって、そこには私の「まともじゃなさ」なんかこれっぽっちも関係ないからです。そして、もしこの手紙に何かしらの哲学を期待していたのなら、ごめんなさい。ここには何の哲学も書かれていません。だって私の哲学は私のためにあるのであって、他の誰かのためにあるのではないからです。私の哲学などこの地球上の誰が必要とするでしょう?私が何者かなんて、社会の誰が気にするでしょう?世の中って、私たちが思うより何倍も乾燥してるんですよ。立派なサボテンがにょきにょき生えてくるくらいね。

 

 でもね、私はそんなサボテンばっかりの世界でも、しっとりと滑らかに生きていく方法を知っています。それはね、土曜日を讃えること。土曜日を讃える自分を讃えること。それだけのことで、私たちは—そう、どんなにまともじゃない私たちでも—サボテンに貫かれずに生きていけるんです。いつも寝て過ごすだけのカサカサの土曜日を取り出して、丁寧に丁寧に霧吹きをかけて磨くのです。

 これではあまりに抽象的な説明ですね。私は絵画も音楽も印象派が好きですけれど、人間関係というのは芸術とは違いますから、もっと具体的な説明が必要ですよね。すみません。高校生の頃から癖になってるんです。抽象的な言葉ですべてを語ろうとすることが。

 だからここから先は、あなたが主人公の土曜日を書いてみようと思います。別にこれは模範解答じゃないし、案でもありません。私があなたの目線を借りて一日を過ごすシミュレーションです。想像ですらない妄想です。だからもし気に入らなかったら、この手紙は破いてトイレに流しちゃっても構いません。

 

 

 では始めます。

 

 

 あなたはカーテンの隙間から滑り落ちてくるすべすべとした光とキジバトの鳴き声に目を覚まします。よく晴れた五月の土曜日の、朝七時。買ったばかりのクリアファイルみたいにシャキッとまっすぐで、曇りのない朝。一週間の疲労がまだ抜けていないあなたは、二度寝をしようか少しだけ迷うのだけれど、それでも頑張って身体を起こすのです。だいぶ暖かくなってきたし、そろそろ薄いパジャマに変えようかな、なんて考えながら。

 

 朝ごはんは、そうだな。チーズトーストにしようかな。ケチャップをいっぱいかけて、窓際で育てている家庭菜園のバジルを二枚むしって。あとはお歳暮だかなんだかでもらったドリップコーヒーと、実家から送られてきたおっきな白桃。いつもはなんとなくテレビのワイドショーをかけているのだけれど、今日はスマホでドビュッシーの曲を流しながら食事をします。人類の代表みたいな態度のコメンテーターなんか電子の砂漠に追いやって、近代フランスの情景をテーブルいっぱいに広げるんです。

 ご飯を食べると、あなたはベランダに出て本を読み始める。いつか買って読みかけになったまま、机の上にほったらかしにされていた本。あなたはどこまで読んだか覚えていなくて、結局最初のページから読み始めることになるのだけれど、それでも初めて読んだ時の心の輝きはちっとも失われていない。頭の中の声で文章をトレースすれば、心の内壁にはたちまち淡い映像が投射されて、あなたはとても満たされた気持ちになる。自分の中に自分のものではない物語が流れ込んでくるというのは、ちょうど私たちが栄養や愛情を摂取するのと同じように、生きていくうえで必要なことなのですね。

 

 十二時の鐘が街角の教会から聞こえてきたら、今度は昼食の準備。あなたは作り置きのミートソースが冷蔵庫に入っていることを思い出して、スパゲッティ・ミートソースを作ろうと思い立ちます。一人分よりちょっとだけ多くミートソースを鍋に移して再加熱。その間にパスタを八十グラム茹でて、アボカドのサラダを作る。

 もちろんパルメザンチーズはたっぷりと振りかける。そう、それはもう小高く盛られたスパゲッティがチベットの雪山に見えるくらいたっぷりと。それを食べながら、あなたはふと雪山を思い浮かべます。チベットの信心深い仏教徒に神域として崇拝され、人類の足音を頑なに拒み続けた孤高の山々。あなたはそんな拒絶の象徴にぐさりとフォークを突き刺して、口に運んでしまう。皿の上にはもうたどり着けない神域もなければ、予言も教義も輪廻もない。ただ後に残るのは、あなたがたどるべき残りの土曜日と洗い物だけ。

 

 洗い物を済ませたあなたは、カメラを片手に家を出る。空を青くどこまでも晴れて、誰かがクレヨンで描いたような飛行機雲が二本だけ橋を架けているだけ。あなたは雲を描いたクレヨンのかけらを探してみるのだけれど、足元には錆びた乾電池とカナヘビの子供しか見当たらない。もっと遠くを探さないと見つからないのだとあなたは悟るのです。

 若葉の色をした眩しい午後の光をくぐり、いつもは通らない道を選んで歩くと、なんだか後ろ歩きをしているみたいに世界の一粒一粒が鮮明に見えて、あなたはなんでもない小さなものを写真に撮り始めます。蔦に覆われた古い理髪店。ベニシジミのつがい。魚屋の発泡スチロール。プランターに植えられたムスカリ。きっといつも通っている道にだって同じようなものはいっぱいあるのだけれど、ここにあるものたちは特別な意味をまとっている気がして、あなたは世界の秘密をひとつだけ知ることができたような気持ちになるのです。

 

 細い路地を抜けて公園にたどり着くと、やはり土曜日の午後だからなのか、多くの人々でにぎわっています。噴水で水浴びをする子供たち。池の畔で絵を描いている老人。芝生でサッカーをしている高校生。ベンチに座ってホイップがたっぷりかかったドリンクを飲む女子大生。彼らはみんな、それぞれちゃんと自分なりの土曜日を持っていて、それぞれが自分のエピソードの一人称として振舞っているんです。そして一人称は存在する人間の数だけあって、その一つ一つに何十年もの記憶の堆積があるんです。それを見ていると、あなたはだんだんめまいがしてきます。蓮の花托を眺めるときのような、あんな感じに。土曜日は特別な場所から私だけにもたらされるものじゃなくて、誰の胸の中にも息づいている賛歌の集合だったんだと、あなたはその時に気付くのです。

 

 

 さて、ここまで長々と誰かの土曜日について書いてきたけれど、少し疲れてきました。

別の誰かの日常を描く何様だって思うし、独りよがりだし、もしかしたらなんの意味もないかもしれません。でもね、そういうのもまた土曜日の賛歌なのだとしたら、全然悪くないでしょう?

 ちょっと休憩します。この喫茶店おすすめメニューのシュークリームでも食べようかな。あなた、シュークリームって作ったことありますか?信じられないくらいの量のバターを使うんですよ、あれ。

 

 

 休憩も済んだので、土曜日を終わらせに行きましょう。

 

 

 そう、それで、あなたは公園に行って軽いめまいを感じるのだけれど、ふと気をとり直して歩を進めます。池の真ん中に架かった木橋を渡り、揺れる柳の影を踏み、誰かの銅像の横を通り過ぎると、やがてこの公園のシンボルにもなっているニセアカシアの巨木が現れてくる。それであなたはすぐにカメラを構えて写真を撮ろうとするのだけれど、陶磁器みたいにつるりと白いニセアカシアの花は朧に見えるほど満開で、あなたはうまく写真に撮ることができません。ピントを合わせようとすればするほど花弁は白く霞んで、あなたが目にしている天国的な美しさをうまく切り取ることができないのです。

 やがてあなたはカメラを構えるのをやめて、ただその木を眺めることにします。どんなに食パンを薄く切ったって厚さがゼロの食パンは作れないのと同じように、美しさの切片など作れないのだとあなたは悟る。そしてあなたは朽ちた金貨みたいな月が色づき、放射状に夜が降ってくるまで、そのニセアカシアの幹に寄り添い続けるのです。

 

 おしゃれなレストランで夜ご飯を食べる頃には街はもうすっかり冷えていて、あなたは「上着を着てくればよかったな」なんて少し後悔します。やっぱり五月とはいえ夏にはまだまだ遠くて、この大気の中にも冬の残渣がほんの少しだけ含まれているんだなとあなたは思う。そして暖かくてサフランの効いたパエリアを食べるのだけれど、店を出る頃には身体が熱くなって、コンビニで少し高いアイスクリームを買って帰るの。そして冷え冷えとした家に戻って、また後悔するのです。

 

 

 ふう。けっこうたくさんのことを書いた気がします。本当は私ってこんなにまじめな人間じゃないし、飽きっぽくて集中力もないし、グダグダと言い訳なり弱音なりを吐きながらじゃないと物事を進められないタイプなのです。でもね、そこまでしても、やっぱりそうせざるを得ないのです。こうして雨の土曜日の午後に会ったこともない誰かへ手紙を書くことが、私なりの丁寧な土曜日賛歌なのです。

 この手紙を書き終えたら、私はテーブルの上のシュークリームを食べきって、高層ビルの展望台にでも行こうかなと思います。紫陽花も素敵だけど、高いところから見下ろす道路の水煙も同じくらい素敵ですよ。

 

 願わくばあなたに素敵な土曜日賛歌を。そして願わくば雨の日の引力に導かれて、あなたといつかどこかで会えて、あなたのきれいな歌声が聞けますことを。

 

                                  敬具

 

まともじゃないどこかの誰かへ

 

                        まともじゃないどこかの私より

 

 

 

 

 





 Saturday Anthem
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