最終出勤日。
私は気力と根性で瞼を持ち上げ出勤した。
昨晩はどうにか無事に帰宅。勿論その功労者は彼だ。帰宅経路も終電も全て彼が調べて無事に駅に送り届けてもらった。終電を調べてる間、
「嫌だなあ。帰したくないなあ。でも明日…」
と5回は繰り返して悶えていた。私はそんな彼を可愛いなあと傍観し、無事に帰宅した。今日の私なら傍観してないで自力で帰れと突っ込みたくなる光景だった。そして無事最終出勤日を迎え、いつも通りの朝を迎える。
「おはようございます。昨日はありがとうございました」
一体、何に対してのお礼なんだろう。彼がこういったことに律儀なのはデフォルトだが、昨日の今日では如何わしいことを想像してもなんら可笑しくはない。
「おはよう。こちらこそ、ご馳走さまでした」
これこそ、何に対してのご馳走さまなんだ。自分でも笑ってしまいそうだ。マスクがあって本当に良かった。
さあ、今日の私は挨拶周りに忙しいのだ。
ようやく各部署周り終えて、自係に帰還したのは定時20分前だった。後は最後の全体終礼での挨拶が控えている。今から緊張で吐き気がする。なんとかコロナを理由に回避を試みたが、10年戦士ともなれば許されることもなく、この瞬間を迎えようとしている。心の底から嫌だ。風のように消えるように立ち去りたいのに。数週間後くらいに、「あれ?最近あの人見かけないね」そんな感覚で立ち去りたかったが、それは叶わない。緊張の為うろちょろと辺りを動き回っていると、そんなどうしようもない様子の私を、彼はにやけながら見ていた。
「本当に、こういうこと苦手なの。もう、胃が痛い」
「僕、一番前で聞いてますね」
「じゃあにやけただらしない顔で立ってて」
「じゃあ神妙な面持ちで見てますね」
「本当にいい根性してるよね。係長!最後の最後に先輩を虐めてくる!代わりににやにやしててよ!」
「俺も神妙な面持ちで見てるから」
「2人とも勘弁してくれ」
この瞬間、すごく楽しかった。
私の最後の挨拶は、上手くいったのかな?初めから考えてきたことが飛んでしまって、なんとなくで話していたけど、感謝の気持ちは伝えられたと思う。最後に花束等を貰った時には涙が溢れた。その後、自係まで帰る間に係長の横顔を見れば、少し泣いた跡があって、本当にこの瞬間の上司が同期で良かったと心から思った。その後は、自分の名残という名残を全て回収し、頂いた物品も持ち帰る為にまとめようとするがどうやっても紙袋5つ分が限界だった。
「仕方ない。どうせまた返却物があるからその時取りにくる。しばらく置いといてくれないかな?」
「まだ当分席はあるからそれは気にしなくていいよ」
そういう上司の顔を、部下としてここで見るのは今日で最後なのだ。そう自覚するとじわじわと私の胸は締め付けられる。
「主任、着々と帰り支度してますけど、このまま帰れるんですか?僕だったら、嫌ですけど…」
それはなんの嫌なんだろう。このまま見送りもこの2人だけで帰ることが寂しいということだろうか。それとも、今晩3人で仕切り直しということだろうか。私は束の間上司の顔色を窺ったが、よくわからなかったので、このまま勢いで帰る決意をした。
「この荷物、ちゃんと持って帰らないといけないし、今日はこのまま帰るよ。連日飲み歩いてたから流石に疲れも溜まっているし」
私は笑顔で彼らに向き合って、持てるだけ荷物を担いだ。
「今までありがとう。お疲れさま!」
そうあっさりと職場を後にした。
家に辿り着くと、忙しなく頂いた花を活け、遠方にいる妹に電話しながら頂いた物品を開封し、全て片付け終わると、どうしようもない寂しさが込み上げてきた。明日から私は仕事に行く必要がない。この事実に、絵も言えぬ喪失感が沸き上がってきた。明日からの自分がすべきことは資格取得に向けて励むことだとわかってはいるが、何をしても手がつかないような感覚だった。ぼんやりここ十数日飲み続けた酒をまたしても煽る。駄目だ寂しい。私はスマホを掴み、ラインを開いてすぐさま送信した。
“来月のシフト、送ってくれない?”
彼からはすぐに返信がきた。
“ありがとう”
置いてきた荷物、取りに行かないといけないもの。行くなら面倒な面子のいない日にしたいところ。
“僕の出勤日に来てくださいね、笑”
“んー、考えてみるね”
“でも係長と休日はずらしてるので難しいかもですね、笑”
“んー、考えてみるね”
“はい、笑”
彼の出勤日に行ったところで、何がしたいのだろう。人の目があるし、彼自身は気を遣うだろうに。
“僕が休みの時に遊べないですか?”
あ、ちょっと可愛い。そしてなかなかのメンタル。
“んー、置いてきた荷物、持って帰るのに人肌脱いでくれる?”
“いつでも手伝いますよ”
この従順さ、可愛いの一言に尽きる。こうやって世間の女性達は年下にはまって行くのだろか。
いや待てよ。そもそも、私は年下とは付き合うに至った経験がない。相手は色々と頑張ってくれていただろうに、全くと言っていいほど異性としては見れなかった。その経験を踏まえると、この気持ちのベクトルがいまいち判断しかねる。可愛いだけなのかもしれない。もう少し時間をかければ見えてくるのだろか。それとも、何も考えず楽しんでしまおうか。あれ、昨日は考えることを放棄して楽しんだな。これだから酔っ払った私は手に負えないのだ。全くと言っていい程シラフの時と性格が変わってしまう。
私はとりあえず日にちを指定して、ここ数日放置気味であった愛犬と戯れる。そんなことは露知らず、彼は張り切って会う日の段取りを組もうと返信の速度が速い。若干、面倒な気持ちが芽生えた頃、またスマホが震えた。
“今、なにかしてますか?電話していいですか?”
そうだった。彼は空気も読める奴だった。
シラフの主任はとことん彼に興味がないようです。
弟みたいや感覚でいつも接してしまうようです。
ここいらで登場人物の整理をしておこうと思います。
私:主任
彼:主任直属の後輩。上司の前では僕。後輩の前では俺。
係長:主任と同期。同じ係で働くのは2度目。家庭をお持ちです。
退職した同期その1:係長と主任の4人で送別会しました。
退職した同期その2:同上
後輩その1:主任直属の後輩で女の子。送別会のメンバー。閑話休題噂話で登場しました。
後輩その2:送別会のメンバー。「係長、来ないと思います」の子
後輩その3:送別会のメンバー。「グルだったら」の子
井上課長:適当に作りました他部署の方です。
今後登場予定があるのは後輩のどれかかなってとこです。