日本ウマ娘トレーニングセンター学園。
東京は府中にあるそれの正門に、オレは立っている。
「トレセン学園……か」
国内最高峰のウマ娘養成機関であるそれの敷地内には、トレーナーは元よりウマ娘の姿すら見当たらない。
きっと今は授業中なんだろう。
レースに出て勝つ事がウマ娘達の至上の命題であるとはいえ、将来を考えれば、座学も疎かには出来ないのであるからして。
「――あら?」
トレセン学園の威容に少々圧倒されていると、不意に女性の声が聞こえた。
「あなたは――」
「……どうも。今日からお世話になります」
声のした方に顔を向ければ、明るいグリーンの衣服を身に纏った女性がいた。
彼女は駿川たづな。
このトレセン学園の理事長の秘書を務めている女性だ。
一部界隈では理事長もその秘書もウマ娘ではないかという噂があるが……まあ、どうでもいい事だ。
「お久しぶりです、椎名さん」
「ええ、久しぶりです。たづなさん」
「……どうして他人行儀なんですか?」
「や、まぁ、何やかんやと世話になる事ですし、運営サイドのたづなさんには下手な真似は出来ないと言いますか」
「むむ……。確かに、一理あります」
納得いただけたようだ。
「で・す・が! もう少し砕けている方が心象が良いです」
「……さようで」
「はい」
「ん……まぁ、頑張ります」
「はい♪ それでは、早速理事長のところに行きましょうか」
「了解です」
たづなさんの先導でトレセン学園のメインストリートと言うべき大路を行く。
……そういえば、今の時間、ウマ娘達は何をしている時間なんだろう?
「たづなさん」
「はい? なんでしょう?」
「今の時間、ウマ娘はどこで何を?」
「ウマ娘の皆さんは、今の時間は座学中ですね。午後からは選抜レースがありますから、椎名さんが皆さんと会うのはそこになるかも知れないですね」
「なるほど」
選抜レース。
トレーナーの付いていないウマ娘達が出走し、トレーナーは二人三脚で歩いていきたいウマ娘を、ウマ娘達は自分に合ったトレーナーを選ぶための、実力を披露する場。
なるほど……今日それがあるのか。
僥倖、と言うべきかな。
「誰か、気になっている娘はいますか?」
「いやいや。来たばっかで気になるも何もないですよ」
「本当ですか? 椎名さんの事ですから、適当な伝手からある程度目ぼしい娘の情報は仕入れているかも……と思ったのですけど」
「過分な評価ですよ。第一、データだけが全てではないですから。走りでしかわからない事なんて、いくらでもあります」
「それもそうですね」
そう言い、ふふっ、と楽しげに笑うたづなさん。
たまに全部見透かしてるみたいな顔するから怖いんだよなぁ。
そうしてたづなさんと談笑しながら歩くことしばらく、大きな両開きのドアの前までやって来た。
ドアの上にあるプレートには『理事長室』と彫り込まれている。
たづなさんがそのドアを3度ノックすると、中から『入ってくれ!』と元気な声が響いた。
「――失礼します。椎名トレーナーをお連れしました」
あくまでも丁寧に。
ドアを開けた先の人物へと、たづなさんが声をかけた。
と同時にスッと道を空け、入室を促してくる。
促されるままに入室すると、大きな白い帽子が特徴的な人物が、『理事長』と書かれたプレートがある机に向かっていた。
「歓迎! 我々の召喚によく応じてくれた!」
「しばらくです、やよい理事長」
「うむ。君も忙しい身の上だろうに、世話をかけてすまない」
「いえいえ。向こうでの仕事も一段落しましたから、折は良かったですよ。……まぁ、引き止められはしましたが」
「陳謝! 向こうの彼女達には申し訳ないとは思うが、こちらとしても喫緊の課題であるが故に、手段は選んでいられなかったのだ。重ねてお詫びする」
「大丈夫ですよ」
心底申し訳なさそうな顔でしょんぼりとしている理事長に笑顔でそう返す。
実際、ここに来るまでに請け負っていた仕事にはケリをつけて来ているので、心配する事は何もないのだ。
「にしても、なんだってオレなんかを呼び戻す羽目になったんで?」
「説明! 我々としても断腸の思いではあったのだが、トレセン学園のトレーナー業というのは、門戸が狭いにも拘わらず人材不足だ。採用したとして、すぐに戦力足り得るかと言われると、残念ながらそれは違う」
「……なるほど。トレセン学園としては、なるべく多くのウマ娘に陽の目を見て欲しいが、トレーナー不足ではそうもいかない。トレーナー1人が世話出来るウマ娘の数にも限界がある。だから、かつて所属していた人間に声をかけた、と」
「情けない話ではあるが、そういう事になる」
まあ、これは仕方のない話でもある。
トレセン学園のウマ娘達を世話するにあたっては、能力だけでなく人格も良いものが求められる。
ただでさえ門戸の狭いトレーナー業に、その辺りの事情も勘案して……となれば、人材など不足して当たり前だ。
……まあ、そのためにトレーナーそれぞれがチームを率いる事になっているわけだが。
なんとも、世知辛い話である。
「ま、ともあれ事情は把握しました。それで、まずは何人を担当すればよろしいので?」
「感謝! 担当する人数については、こちらからの要望はない。君がしたいだけ担当すると良い!」
「おや。よろしいんで?」
「もちろん、多ければ多い方が我々としては嬉しい。……が。君の能力を疑うわけではないが、それで教導が疎かになってもいけない」
「わかってますよ。とりあえず、今日やるっていう選抜レースで適当に見繕います」
「よろしく頼む。チームルームは以前使っていた場所が空いているから、またそこを使って欲しい。掃除などはしてあるから、すぐにも使えるはずだ」
「そりゃありがたい。じゃ、早速行く事にします」
「うむ! では、また頼む!」
ビシッ、と手にした扇子でこちらを指しながら、力強く発言する理事長。
このノリも懐かしいものである。
さて、そうとなれば即断即決即行動という事で、理事長室を後にしてかつての古巣へと歩を進める。
我ながら流石に古巣の場所は忘れていなかったようで、あれやこれやと考えていてもチームルームに到着していた。
「いやぁ、懐かしいなぁ」
などと口にしながら、昔トレセン学園を去る際に餞別にと渡された鍵をポケットから取り出し、鍵穴に入れて回す。
ガチャリ、と解錠の音が鳴ったのを確認したら、ドアを開けて中へ。
ここを去ってもう随分と経つが中は綺麗なもので、なるほど確かに管理してくれていたらしい。
閉め切ってあるカーテンを開ければ太陽の光が窓から室内へと降り注ぐ。
「……さて。チームベテルギウス、再始動だ」
とりあえず明日からお菓子なんかを買っておこうと思いつつ、せめて選抜レースまでには長旅で疲れた身体を少しでも休めておこうとソファに身体を投げ出した。
さてさて……今のトレセン学園には、一体どんなウマ娘がいるんだろうな……?
◆
どれくらい眠っただろうか。
ふと、ソファの感触とはまた違う感覚を感じて目が覚めた。
「……ぁ?」
「やあ。目が覚めたようだね、兄さん」
「……あー……。なんだ、ルドルフか」
寝起きでぼやける視界が徐々にハッキリしてくると、そこにいたのは、今もときめくトレセン学園生徒会長、シンボリルドルフだった。
かつてこのチームベテルギウスに所属し、無敗の7冠を達成した優駿。
ウマ娘業界においては、およそ知らない者など存在しないであろう、伝説が服を着て歩いているような存在。
それがこの、シンボリルドルフというウマ娘だ。
「兄さんがこのチームルームにいるという事は、そういう事なのかな?」
「……あぁ。ベテルギウスは再始動する」
「……そうか」
「戻れるか、シンボリルドルフ?」
「どうかな。私も生徒会長として多忙を極める身だ。それに、今はチームリギルの所属だしね」
「なるほど。じゃあ、言い方を変えよう」
すっかり生徒会長としての貫禄が身に付いたシンボリルドルフに、笑いかけながら言う。
「――帰って来てくれ、ルナ」
「……それは卑怯というものじゃないかな」
「本心さ」
「む……。だが、そう言われてもな……私も今や責任ある――」
「時にルナ。そこにクーラーボックスがあると思うが、中には何が入ってるんだろうな?」
「……それは本当に卑怯じゃないかな?」
困ったように苦笑しながらシンボリルドルフはオレの頭を撫でつける。
もうひと押し……かな?
「お前にいて欲しいんだ、ルナ。お前がいてくれれば、ベテルギウスは本当の意味で再始動を果たせる」
「わかった。わかったから、そう甘い言葉を並べないでくれ。顔がニヤけて、以降の仕事に差し障ってしまう」
「おや、天下に名だたる7冠生徒会長の仕事を妨害したとあっては、エアグルーヴに何を言われるやらわからないな」
「わざと言ってるだろう、兄さん……」
やれやれ、と嘆息するルドルフ。
まあ、それは良いとして……だ。
「選抜レースはいつからだ?」
「もうそろそろだよ。兄さんがここを去ってからも、どの世代も粒揃いでね。期待していてくれ」
「そいつは楽しみだな、っと!」
軽く足で反動を付けて、心底名残惜しいものの、7冠ウマ娘の膝枕から起き上がる。
軽く服のシワを延ばしたらトレーナーバッヂを胸元に付けて、これで準備完了。
「お前も来るか?」
「いや、まだ仕事があるから遠慮しておくよ。行きたいのは山々だけどね。転属の手続きもしなきゃならない」
「エアグルーヴとブライアンにも声かけといてくれないか。クーラーボックスのものは好きに持っていけ」
「2人がそれで乗るかはわからないよ?」
「それならそれで、今の環境が合ってるって事だろ。2人がそっちを選ぶなら否やはないさ」
かつてはベテルギウス所属だったとしても、今は違うのだ。
リギルの方が肌に合うというなら、多少寂しくはあるが、それに越した事はない。
「さて……陽の目を見てないウマ娘を発掘しに行くか」
「いってらっしゃい、兄さん」
「ベテルギウスに所属する後輩を楽しみにしてるといいぞ、ルナ」
「ああ。楽しみにさせてもらおう」
そう言って柔らかな笑みを浮かべるシンボリルドルフと別れチームルームを後にし、トレセン学園が敷地内に保有する練習用レース場へと足を運ぶ。
このレース場は公式のレースで使われるものと違って坂がなく、フラットな地形となっている。
坂路が得意なウマ娘、逆に苦手なウマ娘といるだろうからこその配慮が為されているわけだ。
ただただ平地の地面を、規定の距離走るだけのレースではあるが、走る力を見るだけならばこれほど平等な場所もあるまい。
件のレース場に到着すると、すでに多くのトレーナーと出走予定であろうウマ娘達が集まっていた。
トレーナー達はやれどのウマ娘は良さそうだなんだと話しているが、ウマ娘達はなんとも言えない緊張感を纏っている。
まあ、ウマ娘達にしてみればデビュー出来るかどうかの分水嶺であるからして、緊張してしまうのもわからない話ではないが。
「――帰ってきたのね、あなた」
どの娘がいいかな、とウマ娘達を眺めていると、背後から聞き覚えのある声で話しかけられた。
「や、ハナさん。久しぶり」
振り向いた先にいたのは、サイレンススズカ、グラスワンダー、エルコンドルパサーなどを擁する実力派チーム『リギル』のトレーナー、東条ハナだった。
怜悧でクールな顔立ちと白いアンダーリムの眼鏡がキリリとかっこいい女性トレーナーだ。
「本当にね。シンボリルドルフ達を私に押し付けてアメリカに飛んだ時は、どうしてやろうかと思ったわ」
「その節はどーも。沖野さんとこじゃ、あいつらはちょっとね」
「あら、そうなの? 別の男に自分が担当したウマ娘のトモを触らせたくなかったからじゃなくて?」
「……ルドルフ達にはどうかご内密に」
「バカね。わざわざ言わないわよ、こんな事。……それで、お眼鏡に適うウマ娘は見つかったかしら?」
「ん、いいのがいるよ。……でも、あの娘は他のトレーナーは取らないだろうな」
「どの娘?」
オレの横からずいっと身を乗り出して出走前のウマ娘達を見るハナさん。
自分が担当したいと思うウマ娘をあんまり他のトレーナーに教えたくはないんだが、仕方ないので特徴を伝える事にする。
引き下がりそうもないしな。
「ほら、あそこ――あの、3番のゼッケンの娘だ」
「3番……? ――なるほど。確かに、他のトレーナーは見向きもしないでしょうね」
「でしょ。さっきから聞いてても、目玉は不在だのなんだのと見る目が無さ過ぎる。トレセン学園のトレーナーの質もなかなか問題ですねぇ」
「あなたが異質なのよ。自覚しなさい」
「そーですかねぇ……」
呆れた顔のハナさんとそんな話をしていると、ウマ娘業界ではお馴染みの声がスピーカーから流れてきた。
『春の選抜レースの時期がやってまいりました。本日のレースは、芝2200m、天候は晴、バ場状態は良の設定で行われます。――さあ、各ウマ娘、ゲートインが完了しました』
宝塚記念みたいなもんか。
さてさて、あの3番のウマ娘はどんなレースを見せてくれるかな?
『春の選抜レース――今、スタートです!』