さて、今日も今日とてトレーニング、なのだが。
「今日からちょっと変える」
「変える?」
「うん。というのもな。昨日も話したと思うが、トレーニング内容を秘匿したいんだ」
「確かに聞いたけど、なんで?」
「理由は昨日にも言った通りだが、それに加えてもう一つ。ビワハヤヒデを最大限に警戒しているからだ」
「ハヤヒデを……?」
まだ話が見えないようで、怪訝な顔をしているタイシン。
「オレの見立てが正しければ、ビワハヤヒデは理論と実戦を上手に組み合わせてくるウマ娘だ。しかし、理論を打ち立てるためにはデータが必要だ」
「……アタシのトレーニング内容を隠す事で、ハヤヒデの武器を封じようってこと?」
「理解が早くて助かるよ、タイシン。もちろんこれはビワハヤヒデ以外のウマ娘、トレーナーに対しても有効だ。相変わらず移動の手間はかかってしまうが、ノッてくれるなら嬉しい」
「ん……いいよ、やろう。アタシは多分、簡単には勝てないから。使えるなら何でも使うし、する」
「決まりだ。んじゃ、ちょっとここで待っててくれ」
そう言い残しておいて、早速近くの駐車場から愛車を回してくる。
まあ、愛車とは言ってもあんまり乗った事はないが。
そうして車をトレセン学園の正門前に停めておき、タイシンを迎えに行く。
「車なんだ」
「なんだと思ったんだ?」
「バイク。そっちのが趣味っぽい見た目してるから」
「どんな見た目だよ」
と思わずツッコんだが、実はアタリだ。
実のところ車よりバイクの方が好みなんだが、積載量と安全性の関係から、バイクより車を常用している。
「さ、乗ってくれ。多少はかかるが……まあ、トレーニング時間を圧迫するような事はないだろ」
「ふーん……」
「ちゃんとシートベルトしろよ。危ないからな」
「わかってる! 子供扱いしないでよね」
助手席に座ったタイシンがシートベルトをしたのを確認してからイグニッションキーを回す。
獣の唸り声のようなエンジンの起動音が鳴り、直後、カーオーディオから妙に懐かしいような、時代を感じさせるようなサウンドが流れ出した。
もうずっと聞いているそれを聞きながらアクセルを踏む。
「……これ、マルゼンスキーさんの曲?」
「車に乗るなら流せって、昔せがまれてな。普通に良い曲だし特に断る理由もなかったんで、車の時は基本これだ。ちょいとバブリーな感じなのが気になるが……まあ、マルゼンの母親がその時代の人だから、影響受けまくってんだろう」
「へえ……そうなんだ……」
車窓の外を見ながら生返事をするタイシンだが、チラリと視線をやると耳がしっかりと正面を向いているあたりマルゼンの曲は気に入ったようだ。
今度ルドルフとかエアグルーヴとか、フジキセキの曲とかも聞かせてみようか。
ちなみに、オレが普段からヘビロテしているのはフジキセキのソロ曲である。
黙りこくったタイシンを助手席に乗せて走ることしばらく、それまでマルゼンの曲を流していたカーナビがその表示を変えた。
「――あ? おハナさん?」
そこには『東条ハナ』の文字と電話番号。
何かあったんだろうかと思いタッチパネルに触れて通話状態にする。
「もしもし、椎名です」
『あぁ、もしもし。今、大丈夫かしら?』
「大丈夫ですよ。どうしました?」
『……サイレンススズカ、についてなのだけれど』
サイレンススズカ。
その言葉が聞こえた瞬間、話の内容を理解した。
以前から幾度となく持ち掛けられてきた話だ。
「……リギルでも手に余りますか」
『正直に言えば、そうね。私もあの娘に好きなように走らせてあげたいのだけど……なかなか、そういうわけにもね』
「それでオレにって言われても困りますよ。沖野さんに任せるのが丸いんじゃないですか? あの人、欲しがってたでしょ、スズカ」
『そうだけど、あの男じゃ早晩潰しちゃうでしょう』
「いやいや、オレでも変わんないですって」
事の次第はなんの事はない、サイレンススズカを持て余しているから引き受けて貰えないかという打診である。
これはもう、ざっと3年前から繰り返されてきた話だ。
その度におハナさんは自分が不甲斐ないと嘆いてきたし、オレはオレで常に断ってきた。
お互いにわかりきっているのだ。
おハナさんはおハナさんで、サイレンススズカというウマ娘を活かして生かしてやりたい。
オレはオレで、サイレンススズカという見る者を圧倒させる速さを持ったウマ娘を殺したくない。
だから、この話はいつも平行線。
常に交わることはなく、常に答えも変わらない。
『……変わらないわね、今回も』
「……ええ。残念ながら」
『はぁ……まあいいわ、わかりきってた事だものね。ごめんなさい、これから担当の娘とトレーニングでしょう?』
「お構いなく。今日はちょっと違うので」
『……? とにかく、また話をさせてちょうだい。この件に関しては、あまり頼れる人もいないのよ』
「こんな若輩を捕まえてなに言ってんすかね、この人は」
『後輩なんだから、先輩がクダ巻いてたら付き合うものよ。それじゃ、また』
「ええ、また」
プツッと通話が切れ、少ししてマルゼンの曲がフェードインしてくる。
……やっぱり変わらなかったな。
「……ねえ」
「んー?」
「今の、アタシが聞いても良かったわけ?」
「別に? 今のオレはお前の担当だから、自分の担当ウマ娘に隠し事っつーのも不義理だろ」
「ふぅん……。サイレンススズカだっけ……あの娘、なんか問題アリなの?」
「……まあ、そうだな。アグネスタキオンは知ってるよな?」
「当然」
「簡単に言えば、サイレンススズカはアグネスタキオンだ」
「は?」
わかる。運転中だが、わかる。
『何言ってんだコイツ』って視線が痛いほど突き刺さってる。
「……速いんだよ、誰よりも。あのシンボリルドルフをしても先頭を奪えるかどうかってところだ」
「そんなに?」
「中距離……2000〜2200には敵はない。1800も敵無しかな。それ以上は短過ぎても長過ぎてもダメだ。ルドルフでも、皐月は負けるがダービーは勝てる。そういうピーキーな娘だ、サイレンススズカってのは」
「それがなんでアグネスタキオンになるわけ?」
「……速過ぎるんだ」
サイレンススズカはとにかく速い。
アグネスタキオンも確かに速いが、サイレンススズカというウマ娘はそれに輪をかけて速い。
しかし、だからこそダメなのだ。
「タキオンもそうだったんだが、速いっていうのは必ずしも良い事ばかりじゃない。速く走るためにはパワーが要るし、パワーが要るという事はその分、脚にかかる負担も尋常じゃない」
「……じゃあ、そのサイレンススズカは、常に故障と戦ってるようなものってこと?」
「どのウマ娘も基本そうなんだけどな。スズカは特に酷いタイプだ。身体は柔らかいし走りは力強い。でも、だからこそ人一倍壊れやすい。……覚えておいてくれ、タイシン。速さとは脆さの証明だ。速さを突き詰めて色んなものを削っていけば、それはちょっとした事で簡単にバラバラになる」
例えるならフォーミュラマシンだ。
速く走る事だけを考えて作られた機体に無駄はなく、美しい。
しかしそれ故にちょっとした事でも機体は浮き上がり、最悪の場合には爆発、炎上し、ドライバーは死に至る。
サイレンススズカとはそういうウマ娘だ。
己が理想とする走りを実現すればするほどに、ほんの少しのオーバースピードが彼女の
そうして酷使された脚は、ある時突然に告げるのだ。
『私にはもう無理だ、付き合えない』と。
「サイレンススズカは逃げ策が好きなウマ娘だ。自分だけが前を走っているんだという事実が大好きだから、逃げ策で先頭を走り続ける。得意だからじゃない。余計な事を考えず、ただただ走る事だけに集中出来るから彼女はそうしている」
「……要するにバカって事?」
「なに偽る事なく正直に述べればな。……まあ、そのせいでウマ娘としての寿命を削り続けてるなんて、どんな皮肉だと思うがな」
まったく、神とやらも残酷な事をするもんだ。
ウマ娘にとって走る事とは生きる事であるのに、走れば走っただけ死に近付くだなんて。
「……でもさ」
「うん?」
「アンタなら、サイレンススズカのトレーナーになれるんじゃないの?」
「……またまた」
「アンタとは短いけど、アタシにもそれくらいはわかるよ。だからさっきの、リギルのトレーナーも、アンタにって言ってるんじゃないの」
「評価はありがたいけどね。買い被りだ。大体、自分からウマ娘を殺せって? 冗談じゃない。オレはそんな非情にはなれない」
「でもさ、なんとなくだけど、アンタならサイレンススズカをきちんと生かせる手段を持ってんじゃないの?」
ははは。買い被りが過ぎる――とも言い切れないか。
まったく厄介な事になってきたもんだ。まさか他でもない担当ウマ娘であるタイシンに言われるとは思わなかった。
結論から言って、確かにそういう手段は有している。
というより、タキオンの存在があったからこそ自然と身に付いた、と言うべきか。
逆説的に言えば、アグネスタキオンというウマ娘のトレーナーをしていなければ、サイレンススズカやトウカイテイオーといった『速いが脆い』ウマ娘の状態を1ミリも理解出来なかっただろう。
だからつまり、ルドルフから持ち掛けられたトウカイテイオーの話も、おハナさんと繰り返しているサイレンススズカの話も、オレ個人の事としてはまったく問題ないのだ。
――――だが。
その話をオレの一存で決定したとして、オレが担当しているウマ娘はどうなる?
何も知らない間に自分のトレーナーの担当が増えていたなんて、それはちょっとどうなんだ。
あまりにも、不義理に過ぎるのではなかろうか。
ウマ娘とトレーナーは、絶対の信頼関係で結ばれるべきであるだろうに、それをトレーナー側から破綻させて良いものであろうか。
答えは否。
断じて否である。
どこをどう間違っても、そんな事だけはあってはいけない。
「……タイシンは、それでいいのか?」
だから、問わねばなるまい。
先日から面倒を見始めたばかりの、この小さなウマ娘に。
「何が?」
「そういう事、オレが勝手に決めても。包み隠さず言うなら、確かにサイレンススズカを走らせてやる事は出来る。一度か二度ほど骨折を経験させる事になってしまうだろうが、それでも走れるようにはなる」
「だったら別に――」
「本当にいいのか? オレは確かにチームを率いるトレーナーだが、ルドルフ達はそれぞれ仕事があるし、タキオンにしてもトゥインクル・シリーズを走りきった今となっては研究に精を出しているだろう。つまり、今は専属トレーナーのようなものだ。それなのに、お前に話を通さずにこっちで勝手に決めてしまっても良かったのか?」
「……………」
「それに、どうやっても一度はサイレンススズカを殺す事になる。それはサイレンススズカというウマ娘の理想の走りをさせるためには仕方のない事だ。速いが故に脆い彼女のようなウマ娘は、まず確実にそうなる。タキオンともまた違う、異次元の速さだしな」
オレはそれが嫌なんだ。
「個人的には、確かにサイレンススズカには気持ちよく走らせてやりたいと思うし、殺したくもない。だけど、いざ彼女を担当する事になれば、オレの方針上、彼女は確実に死ぬ。そうしたら、世間の口さがない連中は声を大にして言うだろう。どうしてサイレンススズカを走らせたのか、と」
「それは……」
「それがオレだけに留まるなら問題はなかった。オレだけが抱えていればいい事だ。……でも、そうじゃない。ルドルフ、エアグルーヴ、ブライアン、タキオン……そして、タイシン。オレが世間から誹りを受ける事で、お前たちにも影響が出る。それは看過出来ないんだよ」
と、そこまで話したところで目的地に到着した。
仕方ないからこの話はここで終わりにしよう。
「さ、到着だ。差し当たりメイクデビューまではここでトレーニングを――」
「ねえ」
「ん?」
「アタシは、いいよ。サイレンススズカ、請け負っても」
「そうか。オレは嫌だ。大体、サイレンススズカを移籍させるってなったらルドルフから持ち掛けられたトウカイテイオーの事も断れなくなるからな」
「は? 聞いてないんだけど」
「言ってないからな。ま、とにかく当面の間はお前だけのトレーナーだよ。オレに出来る事なら何でもするから、遠慮なく言ってくれ」
「じゃあ、サイレンススズカとトウカイテイオーの――」
「あーあー! 聞こえなーい!」
「ちょっ……ガキかっての」
……さておき。
メイクデビューまでそんなに時間があるわけじゃないし、密度の濃いトレーニングをやっていきますかね。
目指せ、メイクデビューで大差勝ち!