到着したそこは、昨日オレがフジとタイシンの前で話した、自前のトレーニング施設である。
外観はキャンプ地にあるコテージで居住性は抜群。
ではトレーニング施設たる本丸はどこにあるのか、という話だが、これは実は地下に設けられている。
芝とダートそれぞれのトラックコースとジム、そしてプールなど、およそウマ娘がトレーニングに必要とするものが全て詰まった特別なトレーニング施設だ。
これを建てるにあたっては、シンボリルドルフを始めとした担当ウマ娘たちのレースの勝利によって得られたトレーナー報酬を潤沢に使用させてもらった。
まあ、なんとも生々しい話ではあるが、随分と稼がせてもらったものである。
さておき、そうして稼がせてもらっていてどんな恩返しが出来るのかと考えたら、トレセン学園のものとは別に許可だの申請だのが必要ない、『つれてって』の一言で簡単に行けるトレーニング施設だろうと考えた。
それがこのコテージである。
「……なに? バカンスでもしようっての?」
早速、外観に騙されたらしいタイシンがじっとりとした眼差しでこちらを見る。
言葉の端々からもトゲが窺えるので、これは本格的に『トレーニングをしに来たんじゃないのか』とでも思っていそうだ。
「言いたい事はわかるが、まあついて来い」
「……ふん」
納得のいく説明を要求する、という顔のタイシンをつれて、コテージの入口から入り、奥へと進む。
二階に上る階段の下にはドアがあり、そこを開ければ、今度は地下に向かう階段が現れるのだ。
そうして地下に下りて間接照明に照らされた薄暗い廊下をしばらく行くと、再びドア。今度は防音仕様の両開きのドアだ。
そしてそれを潜ったらば――。
「……なに、これ……」
眼前に広がるのは広大な空間。
奥行きなどは数えるのも億劫だが、ウマ娘のトレーニングに必要なものが大体整っている場所だから、相応に広い空間なんだと思って欲しい。
天井にあたる部分には細工がしてあって、外界の様子に合わせて様相が変わるようになっている。外が夜ならこの地下施設も夜になる、そんな感じで。
トレーニング設備を整えるのはもちろんだが、この部分にも随分と金を取られたのは今でも記憶に新しい。
科学技術の進化には脱帽するばかりではあるが、もう少しお手頃なものにならないだろうか。流石にこれから冷や飯を食う羽目にはならなかったものの、ちょいと出費がデカすぎる。
まあ、しばらくデカい出費は控えますかね。
「ほら、タイシン。圧倒されてるとこ悪いが、まずはこっちだ」
呆然と立ち尽くすタイシンにそう声をかけるが、返事はおろか反応もない。
仕方ないので、前方の空海を見つめたままの彼女の手を引いて、ジムスペースまで向かう。
このジムスペースにはウマ娘用に製作された諸々の機材はもちろんだが、インターバルの際に口にするドリンクやアイシング用の氷嚢やアイシングスプレーも完備している。
当然更衣室だってあるし、なんならシャワールームさえ揃っている。
なんせここは、ウマ娘のために作られた施設。あるものはあるさ。無いものは無いが。
「あっちに更衣室があるから、そこで着替えてきな」
「……………」
「……あら?」
すっかりフリーズしてしまっている。
……仕方ない。とりあえずタイシンが再起動するまで、オレはアイシングの準備をしておこう。
それから、一応機材のチェックもしておくか。
担当したバケモノ級のウマ娘たちのトレーナーとして広く顔は知られていたから、幸いにして大手メーカーの品を多少割り引いてもらって仕入れられてるが、メーカーが万全の状態で渡してきても輸送中に何もなかったとも限らない。
それに、オレはここが建って地下施設の整備も完了するまでの一切をこの目で確認してたわけではないから気になる、というのもひとつ。
一応、信頼出来る人間と知り合いのウマ娘の力を借りての事ではあるが、見えないところに何があるかはわからないものだからな。
あとは……そうだ。ドリンクは適当に見繕って常温に戻しておこう。
身体を動かした後なんかは確かに冷たい飲み物が身体に染みて気持ちいいが、急激に、それも体内から身体が冷えていくのは本来よろしくない。
キンキンに冷たいものよりは、常温かまあ冷たいかな? くらいのものの方が良いのだ。
人間は全体のうち2%の水分を失うだけで運動パフォーマンスが落ちると言われているが、これはウマ娘であっても変わらない。
それをどうにかするための水分補給なのだが、温度の低いものは胃を素通りに近い形で通過していくために、発汗によって失われたものの補完が上手くいかない。
だからこそ、キンキンに冷たいものではなく、常温かそれよりやや冷えている飲み物がベストなのである。
「……ん、流石に大手のメーカーだな。バッチリだ」
一通りの機材チェックをしたが、どこかが緩んでいるとか錆びて脆くなってるとかは確認出来なかった。
それどころか、使われるのを今か今かと待っているような気さえしてくる。流石、大手メーカーが自信を持って世に輩出しているだけはある。
機材のチェックを終わらせたら、ドリンクの用意だ。
これから寮の門限の30分前までトレーニング時間を設ける予定だから、アイソトニック系のドリンクを適当に見繕って、適当な場所に放置しておく。
トレーニング開始前に飲むではちょいと冷た過ぎるかも知れないが、トレーニングのインターバルに飲む分には丁度いいくらいの温度になっている事だろう。
「機材チェックよし、ドリンク用意よし、あとは――」
と、先ほどまでタイシンがいた場所に目をやると、そこに既にタイシンの姿はない。
代わりに、更衣室に続くドアが開いて、その向こうからタイシンが現れた。トレセン学園指定の運動着姿である。
「おう、来たか」
「……あのさ」
「うん?」
「……ここ、ほんとにアンタのなの?」
「ああ。トレセン学園とは一切関係ない、オレ個人で保有しているウマ娘用トレーニング施設だ。ちなみに、ここの他にも山を2つほど買った。それなりに高い、しかし道の整備がしてある山と、ある程度整備はしてあるが頑張れば道に見える程度の道しかない山だ」
「山? なんで?」
「トラックコースや坂路コースみたいな、完全にヒトの手によって整えられた道だけじゃ、鍛えられないものもあるからな」
「ふーん……」
興味なさげな返答だが、尻尾がゆらゆらと揺れているところを見るに実際は興味がありそうだ。
「……あ、そうそう。ここの芝コースなんだけどな」
「芝コース?」
「うん。バ場状態は一応良ではあるんだが、アメリカの芝コースを参考にしてるから稍重だと思っててくれ」
「日本では稍重って事?」
「そういう事だ。地下茎の密度が高いからクッション性が高くて、脚への負担は少ないけどパワーが必要だ。ま、早い話が洋芝だな。だから、ここの芝コースを走る時は稍重のつもりで」
「……わかった。じゃ、ウォームアップしてくるから」
「ああ。ウォームアップメニューに更新はないから、昨日と同じメニューを頼む。……ゆっくりだぞ」
「わかってるってば」
子供扱いしないで、と言いたげな視線をこちらにくれてから、タイシンは早速ウォームアップメニューを熟しにかかった。
ちなみに、このウォームアップ中もそうだが、トレーニング中オレはタイシンの方をあまり見ないようにしている。
というのも、タイシンからはブライアンのような性格をしているように感じられたからだ。
つまり、根は臆病で不器用、実際のところは心優しいウマ娘なんだけども、それを悟られまいと強がって一匹狼を気取っている感じだ。
まあ、そもそもタイシンは他人にあまりジロジロと見られるのは好きじゃないだろうからな。
過去の経験から色々とドライな受け取り方をしてしまうだろうから、それも加味しての対応でもある。
それでもタイシンがぶっ倒れたりしないか確認する程度には見ているから、今のところ問題はないかな。
「ルドルフやエアグルーヴ、タキオンは『常に見ていろ』タイプだったから、ちょっと新鮮だな」
本当は久しぶりなだけだが。
ともかく、『見られているとやり難い』というウマ娘は少なからずいるはずで、タイシンやブライアンがそれにあたるというだけの事だ。
まあ、トレーナーは逐一目を光らせているのが普通だが。
なまじウマ娘が優秀だと、そこまで気にしなくても良いので楽である。どこからがオーバーワークなのかなんて、外から見てるオレよりも当人たちの方が解っているだろうからな。
「……それにしても」
ウォームアップ中のタイシンをちらりと見る。
どうやら今はルームランナーでジョギングをしているようで、規則正しい息遣いがかすかに聞こえてきている。
「……可愛いな」
こんな事を言うとそれはもうカンカンに怒られそうではあるが、小柄なタイシンが頑張る姿はたいへんに可愛い。
ウマ娘でなければ、昨日の坂路トレーニングの段階で『こんな小さい娘にへとへとになるまでこんな事やらせて!』なんて言われていたに違いない。
「あのさ、ぼそっと『可愛いな』とか言うのやめてよね」
どうやら、我らがタイシン姫のお気に召さなかったようである。
「わかった。――タイシンは可愛いなあ!」
「違う! 大声で言えって事じゃない!」
「……じゃあ、どうしろと言うんだ」
「黙ってて」
ギロリ、とこちらを睨みつけるタイシン。
有無を言わさないその眼光に思わず頷くと、タイシンはウォームアップを再開した。
ところでタイシン姫?
尻尾がブンブンと振られておりますが、いかがなされましたかな?
――と言ってからかってやりたいのをグッと堪える。
まだだ。今はまだその時ではない……。せめて1年……クラシッククラスを走り切るまで待つんだ、オレ。
きっとその頃には、タイシンとも気の置けない関係になっている! ……はず。……恐らく。……メイビー。
◇◇
驚いた。
何がって、トレーナーが個人単位でトレセン学園にも劣らないくらいのトレーニング設備を保有してる事が。
いくら生徒会長や他の優秀なウマ娘のトレーナーをしてたからって、ここまでのものが揃えられるもんなの?
なんて考えてたら、当の所有者は機材のチェックをしてる。
……悪いトレーナーじゃない――と、思う。
まだ信じ切れはしない。だってまだメイクデビュー戦も走ってないし。
でも、今までのトレーナーとは違うのはわかる。
だって、アタシに『走るのをやめろ』なんて言わなかった。
『お前には向いてない』とも、言わなかった。
言わなかったんだ、ひとことも。
代わりに言ってきたのは、ハヤヒデたちとやった模擬レースの後のひとこと。
――お前が持つ武器を十分に把握出来たと思うが、どうかな?
アタシが持つ武器。
言われた時は、レースに勝ったのと他の言葉で混乱してわからなかったけど、あとになって模擬レースを振り返って、わかった。
アタシの武器……それは『末脚のキレ』だ。
自分でも気付かなかった――いや、先行策を取っていたから気付けなかった、アタシの武器。
それを、深く自覚した。
そして、嬉しかった。
アタシはまだ走ってていいんだ、って。
アタシはまだこのトレセン学園にいられるんだ、って。
アタシは――ようやくレースに出られるんだ、って。
それまで、散々に言われてきた。
手足が細すぎる。
身体が小さすぎる。
お前はレースに向いてない。
全部全部、聞き飽きてた。
そんな事、アタシが一番よくわかってる。
身体が小さいのも、手足が細いのも、レースに向いてないのも、アタシが一番よくわかってた。
うるさい。黙れ。いいから見てなよ。
……もう、何度言おうと思ったかわからない。
何か言われる度に言おうと思って……その度に喉でつっかえて出て来なかった言葉。
だけどこれからは違う。
見せつけてやるんだ。
アタシをバカにした奴らに。
見返してやるんだ。
アタシをバカにした奴らを。
この細い手足で。
この小さすぎる身体で。
この、レースにはとことん向いてない肉体で。
アイツに教えられた、アタシの走り方と、アタシの武器で。
そのためにも、まずはスタミナとパワーをつけなきゃいけない。
坂路トレーニングはキッツいけど、それが強くなるための道なら、アタシは進む。
「……可愛いな」
そう思ってウォームアップをしてる最中、アイツがそう呟くように言うのが聞こえた。
ウマ娘の身体能力はヒトの比じゃないってのに……。
「あのさ、ぼそっと『可愛いな』とか言うのやめてよね」
調子が狂うし、別に嬉しくもないから。
「わかった――」
どうやらわかってくれたらしい。
「――タイシンは可愛いなあ!」
なんにもわかってない……!
「違う! 大声で言えって事じゃない!」
「……じゃあ、どうしろと言うんだ」
どうしろって?
そんなの決まってる。
「黙ってて」
そう言いながら睨みつけると、気圧されたのかぎこちない頷きが帰ってきた。
わかってなさそうだけど、今日はもう言わないだろうから放っておく事にする。
……バカみたい。