さて。
タイシンをオレが持つトレーニング施設に初めて連れて行ってから、もう随分と経つ。
今日は待ちに待ったメイクデビュー戦の日だ。
あれから、ほとんど毎日のように件のトレーニング施設にタイシンと足を運んだわけだが、坂路トレーニングによるスタミナとパワーの増強が十分に図れたあたりで、トレセン学園のトラックコースに戻った。
そのままオレ所有のトレーニング施設でトレーニングしていれば良いと思うかも知れないが、レースは結局のところ対人戦なので、他のウマ娘と隔絶された場所でのトレーニングよりトレセン学園で他のウマ娘に囲まれた方が勝負勘を再び養えると思っての事だ。
それに、あのトレーニング施設はしばらく封印しようと考えている。
このメイクデビュー戦で鮮烈なデビューが出来るからというのがもちろん理由だが、そもそもタイシンの意見をまったく聞かずに決めてしまっていたので、そこを反省しての事だ。
もしタイシンの側からあのトレーニング施設が良いのだと言われれば解禁するのも吝かではないが、それまでは普通にトレセン学園の設備を使わせてもらう事にした。
ところで。
タイシンの出走するメイクデビュー戦の舞台は札幌レース場だ。
ビワハヤヒデは阪神、ウイニングチケットは中山と見事にバラけてしまったが……まあ、どうせクラシック路線に入るだろうから問題ない。
タイシンが今回走るのは、札幌レース場、芝2000m、右回り。
バ場状態は、前日深夜から今日午前中にかけて降った雨のせいで稍重の発表となっている。
重でないのを喜ぶべきか、稍重とはいえターフの湿潤具合を嘆くべきか。
「稍重だと。どうする?」
「どうもこうもないでしょ。アタシはただ走る。そして見せつけてやるだけ」
「そうか。……ちなみに、勝ったら次はどのレースが良い? オレとしてはホープフルステークスがいいかなと思うんだが」
「弥生賞は?」
「お前が走りたいなら、それに合わせておくよ」
弥生賞。
皐月賞トライアルとも呼ばれるそれは、トライアルの名の通り、皐月賞と同じコースを走る事になっている。
すなわち、中山レース場内回り、芝2000、右回りだ。
クラシック3冠のひとつである皐月賞と異なるのは、皐月賞はG1レースで弥生賞がG2レースという事くらいだろうか。
まあ、今回走るのも芝の2000だから、ここを走れるようであれば弥生賞も皐月賞も問題なく走れる。中山と札幌の違いはあるが。
そもそも、オレの見立てではタイシンは中長距離で光るウマ娘だ。逆に短距離やマイルには向かない。言うなれば、生粋のクラシックランナーといったところか。
メイクデビューを問題なく勝利で飾れたなら、次の課題はやはり日本ダービーになるだろうか。あれは芝2400のレースだから、それまでとは違うやり方で走らなきゃいけない。青葉賞で様子見するのもアリかな?
まあ、中長距離で光ると見ているから、トライアルなんぞ挟まなくても十分やれるとは思うが。ともかく、要相談だ。
クラシック3冠を狙うなら、最後のひとつ、菊花賞は中々難題になるだろうか。
2000,2400ときて芝3000だ。一気に600も増えるあたり、ダービーよりもより走り方に気をつけなきゃならない。
特に気をつけなきゃいけないのは、息を入れるタイミングだ。
クラシック3冠の前2つと違って菊花賞は長距離レースだから、ステイヤーのウマ娘にレクチャーを頼むのが良いか。
菊花賞を取れればシニアクラスの春の天皇賞まで見えていると言ってもいいだろうから、クラシック3冠は取っておきたいところだ。
……ま、それもこれも、全てはこのメイクデビューで華々しく勝利してからだ。
「タイシン」
「……なに?」
「今更言うまでもないだろうが、お前の武器はその末脚のキレだ。今回は2000だからちょいと短い気もするが、お前が自分の走りを忘れなきゃ問題なく勝てるさ」
「…………そ」
「作戦は追込。今回は2000だから……そうだな、ゴール前4ハロンあたりでスパートしたらいいんじゃないか?」
「アンタ、指示テキトーすぎ。それでもトレーナー?」
「走るのはお前だからな。お前が『ここだ!』ってタイミングでスパートかければよろしい。大差勝ちで頼むな」
「……めんどくさ。一応狙ってみるけど、あんま期待しないでよね」
「おうよ」
そう返事はするものの、やはり期待してしまう。
自分が担当するウマ娘だからではない。
否応無しに期待してしまうだけの能力が、彼女には備わっているからだ。
だからこそ。
彼女が十全に走れるように、呪いをかけよう。
「……いいか、タイシン。よく聞いてくれ」
「……なに? 真剣な顔して」
「今回以降、お前はずっと追込策になる。オレはそのつもりだし、お前が勝つためにはそれしかないとも考える」
「それで?」
「レースが始まったら、最後方に近い位置から始める事になる。そこで他のウマ娘はこう思うはずだ、『このチビ、そんなナリして後方からぶち抜こうって? 出来るわけないじゃん』ってな」
「……は?」
ゴゥッ、と。
地の底から吐き出したような声と共に、タイシンの蒼い双眸に闘志の蒼炎が燃え上がった。
「彼女たちは知らない。彼女たちのトレーナーさえも。タイシン、お前の本当の実力を。だから、まずは思わせておけばいい」
「どういう事?」
「第3コーナーまで、彼女たちにはそう思わせておくんだ。このチビなウマ娘が自分たちを抜けるはずがない、ってな。……だけど、忘れちゃいけない。それはタイシン、お前が侮られている証拠だ。チビで、手足も細くて、およそレースには向いてないウマ娘だから、お前が勝てるはずなんてないと思われてる。それは対戦するウマ娘だけじゃなく、そのトレーナー、ここ札幌レース場に集まった観客、記者、その全部がだ」
メラメラと、ごうごうと、タイシンの瞳に燃える蒼炎に少しずつ薪を焚べるように、言葉を紡ぐ。
「きっと、今期のトゥインクル・シリーズでお前に期待しているのは、同期のビワハヤヒデとウイニングチケットくらいなものだろう。それ以外の連中はお前を知らない。知ってたところで、なんの事はない、『ああ、選抜レースでバ群に飲まれて勝手に潰れたチビの事?』なんて言葉が返ってくるに決まってる」
だが、オレは信じている。
彼女ならば、このトゥインクル・シリーズを制覇出来ると。
「だから、タイシン。見せてやるんだ、圧倒的な実力を。そのためには……どうすればいいか、わかるよな?」
「当然……! アタシの前を走るどんな奴も、この脚でぶち抜いてやる!」
バシッ、と。
さながら抱拳礼のように左の手の平に右手の拳をぶつけながら、タイシンが意気込む。
「よし。んじゃ、行ってこい」
「ん……。アンタも、ちゃんと見てなよ……?」
殺意さえ込められているんじゃないかと錯覚しそうな鋭い眼光を称えた目でこちらを見るタイシンに、笑って頷きを返す。
「じゃ……行ってくる」
そう言って選手控室を出ていくタイシンを見送ってから、アイシングの準備をしておく。
メイクデビュー戦でもウイニングライブは当然あるからな。
レースとウイニングライブの間にしっかりアイシングが出来るように、今から準備しておかないといけないんだ。
どうせ、レースは最後まで見守る事になるんだから。
「――と、これでよし。観客席に行きましょうかね」
アイシングの準備が完了したのを確認して、オレも選手控室を出て観客席に向かう。
そうして観客席の適当な位置につく頃には、既にパドックでの顔見せは終了していたようで、ウマ娘が数人ゲートの近くにいた。
ところで、9人の出走者のうち、タイシンは6番人気だった。
恐らく、タイシン自体のデータはあまりないものの、オレに関してはそれなりに有名だったので、その分人気があったってとこだろう。
トレセン学園の有名なチームを率いているのでもなければ、トレーナーを加味したところでタイシンは9番人気だっただろうな。
これも狙い通りと言えば狙い通りだ。
トレーニングの様子や内容に関しては徹底して秘匿したから、記者連中から入る情報がない。だから観る側もあまり期待はしない。
だが、オレを見て『あのシンボリルドルフを担当したトレーナーならもしかして?』とは考える。
それでも人気は低いが。
そこが狙い目なのだ。
期待されてない、情報もない、だから警戒すらしない。
他のトレーナー連中はオレが貧乏クジを引いたと踏んで、あのチームベテルギウスのトレーナーが落ちぶれたものだ、とでも考える事だろう。
「くくく……っ」
思わずくつくつと笑いが漏れる。
ああ、まったくそれで良い。
どうか、どうか、オレたちを侮っていてくれ。
それが……それこそが、何よりも彼女の焔を燃え上がらせる。
「――悪い顔をしているね、兄さん」
と、不意にそんな言葉がやってきた。
「わざわざ札幌くんだりまでご苦労な事だな、ルドルフ」
「ああ。私達の後輩がどんなものか、見てみたくてね」
声のした先にいたのは、長い茶の後ろ髪に焦げ茶の前髪と白い三日月のようなメッシュのシンボリルドルフその人であった。
お忍びではあっても生徒会の仕事という名目で来たのか、トレセン学園指定の制服を着ている。
「人気は……6番か。あまり期待されてはいないようだね」
「隠してきたからな」
「……何故か、訊いても?」
「……ナリタタイシンは、常に見限られてきた。トレーナーにも、他のウマ娘にも。だから、見返してやるのさ。ここで、劇的で鮮烈なデビューをかましてな」
「臥薪嘗胆、というわけかな」
「お前もよく見てろ、ルドルフ。そのうち、喰らいつかれるかも知れないぞ?」
「フ……そうなるなら、私としても大慶至極というものさ。もちろん、そうして埋もれていたウマ娘が兄さんの目に止まって発掘されたというのもね」
柔和な微笑みを称えたままそう述べるルドルフの瞳には、隠し切れない戦意の炎がチラついている。
やれやれ……もう既に狩るつもりでいるらしい。困った7冠ウマ娘である。
そんなルドルフからターフへと視線を戻すと、ちょうど最後のウマ娘がゲートに入ったところだった。
我らがナリタタイシンは7枠7番。出走ウマ娘は9人なので、それなりに外から走る事になる。
まあ、出走者が少ないからあまり関係ないと思うが。
それに、メイクデビュー戦なんて一部のウマ娘を除けば大体が実力伯仲。大して心配するような事もない。
『――さあ、全ウマ娘、出走準備が整ったようです。札幌レース場、芝2000メイクデビュー戦――今、スタートしました!』
ガコンッ、という音と共にゲートが開き、9人のウマ娘が飛び出した。
『各バ、綺麗なスタートを切りました。まずハナに立ったのは4番センレンムジカ、二番手には2番クリスタルベルナー。1バ身離れて1番カミカゼヒャッカ、そのすぐ後ろを5番レッドシュシュ、外をついて3番ロストメイヤー。その後ろから8番マグナレンタル、並ぶように9番シルキーダンス、すぐ後ろには6番トリリオンメイト。7番ナリタタイシンは最後方からとなりました。各バ、ホームストレッチから第1コーナーへと差し掛かっていきます』
実況の声がスピーカーから響く。
うん、いい立ち上がりだな。
作戦通りに追込の位置につけているわけだが……そういえば、タイシン以外の追込ウマ娘はいないのか。
「ふむ。珍しいな、追込のウマ娘か。確か、過日の選抜レースでは、ナリタタイシンは先行策を取っていたと聞いていたのだが。あれは兄さんの入れ知恵かな?」
「入れ知恵とはまた不穏な。……ま、確かにあれはオレが教えたもんだが」
「何故、先行策にはしなかったのかな? 彼女の心持ちを考えるのであれば、兄さんも先行策を取るかと思っていたのだがね」
「愉しさを、教えてやったのさ」
「愉しさ……?」
「ああ――」
最後方に位置したまま向正面を走るタイシンを見ながら、言う。
「――前にいる連中をまとめてぶち抜くという、愉しさを」