メイクデビューを終えた時点で半年ほど先に控えているホープフルステークスに出走するべくトレーニングを積むタイシン。
今日も今日とてそんなタイシンのフォローをするべくトレーナー業に勤しむオレのところに、緑色の伝令がやってきた。
「こうして面と向かって話すのはしばらくぶりですね、椎名さん」
「そうですね、たづなさん。ところで、今日はどうして?」
「理事長からお呼び出しです。担当しているナリタタイシンも連れてくるように、との事です」
トラックコースをひた走るタイシンを見つめながら言うたづなさん。
……はて。
こんな半端な時期に、理事長から呼び出し?
「……ちなみに内容は」
「さあ……ただ、チームベテルギウスの事でお話がある、と」
「今からですか?」
「今からです♪」
「……さようで」
仕方ない、か。
幸いにして、ホープフルステークスであれば大して調整が必要なわけでもないから、トレーニングを中断させるのは問題ない。
皐月賞までは余裕を持てるから……とりあえず向こう半年は余裕だな。うん、問題ない。
「おーい、タイシーン! ちょっと来てくれー!」
オレから見て向正面にいるタイシンに呼び掛けると、タイシンはそのままトラックを走り、向正面からコーナーを曲がってやってきた。
トレーニングを邪魔されたからか、どことなく不機嫌そうではあるが。
「……なに?」
「理事長から呼び出し。お前も連れて来いとさ」
「めんどくさ……。アンタだけじゃダメなの?」
「チームベテルギウスに関連する事だから、現状オレの唯一の担当であるお前にも来て欲しいんだろ。ルドルフたちは生徒会だし、何より今はトゥインクル・シリーズを走ってないからな」
「……わかった。このままで良いわけ?」
タイシンの現在の格好はと言えば、いつものトレーニングウェア……つまり、トレセン学園指定のジャージ(上)と短パン(下)だ。
まあ、トレセン学園指定のものだし、そもそもやよい理事長はウマ娘の格好などいちいち気にはしない。
ので。
「別にいいよ。今回理事長は、格好に文句付けられる立場じゃないからな」
「あの、椎名さん? あまりそういう事は……」
「事実は事実のままに伝えるべきでしょう。ま、とにかく行きましょ。呼ばれた立場ですけど待たせるのは忍びないですし」
という事で、たづなさんの先導で一路理事長室へ向かう。
そうして歩く事しばらく。
理事長室の前までやってくると、まずたづなさんがドアをノックし、中に呼び掛ける。
理事長からの返答があってからドアを開け、中に進入。
「……ほう?」
理事長室の中には秋川やよい理事長の他に、我らが生徒会長シンボリルドルフの姿もあった。
こちらは恐らく理事長が直接呼んだんだろう。
「や、どうも、やよい理事長」
「うむッ、よく来てくれた! とりあえず掛けてくれ。たづな、適当に飲み物を」
「はい」
着席を促されたので、早速と応接用にテーブルを挟んで向かい合わせにされたソファの片方にタイシンと腰を降ろす。
向かい側のソファには理事長とルドルフが着席した。
「ルドルフは、今回はそっち側か」
「すまない。今回の件は私から提案した事でね。こちらにいた方が説明がしやすいと考えての事だよ」
「さよか。それで、オレだけでなくタイシンまで呼び付けて、一体なんの話をしようって言うんです?」
「確認ッ! 以前、君がここに戻って来た時に、チームとして請け負うウマ娘の人数は君の好きにしても良いと答えたと思う!」
……確かに、そんな事を言われた。
学園側としては、欲を言えば、学園に所属する全てのウマ娘が公式レースに出走するという陽の目を見て欲しいと考えているが、オレがこうして戻ってきて担当するウマ娘の数は、オレの自由にしても構わないと。
「ええ、言われましたね」
「うむ! ……だが、やはりと言うべきか、君が3年前にアメリカに飛ぶ以前に打ち立てた功績は、誰も無視は出来ないのだ」
「……というと?」
「簡単に言えば、君にもっとウマ娘を担当させるべきだ、という声が理事会の一部から上がっている。URA上層部も君の偉業を理解しているからこそ、そうした実績のあるトレーナーにはより多くのウマ娘を担当して貰いたいという事だろう」
なるほどなぁ。
「そこで、私からも提案をさせて貰った。私やエアグルーヴ、ナリタブライアンやアグネスタキオンは既にトゥインクル・シリーズを駆け抜け、今やドリームトロフィーリーグに身を置く存在だ。故に、君が今現在、正しく『担当している』と呼べるのはナリタタイシンただ1人と考える」
「……なるほどな」
確かにオレが担当していると言えるウマ娘はタイシンだけだ。
ルドルフ以下3名は所属こそはチームベテルギウスではあるが、言ってみればOGのポジション。トゥインクル・シリーズではなく、さらにその上のドリームトロフィーリーグを走っている存在だ。
厳密には『担当している』とは言い難い。
「それに、君は以前、他にもウマ娘を担当する意志があると言った。君の言い方からすると、今年一杯はナリタタイシンに集中する様子だったが……早い話が、それを早めるつもりはないか、という話だ。故にこそ、現在の担当であるナリタタイシンを帯同して貰った、というわけだ」
……ふむ。
これはまたなんとも、面倒な話になってしまった。
理事長やルドルフとしては、オレにはさっさと2人か3人か、あるいは4人ほど見繕って担当して貰いたいと考えているんだろう。
実際、先日の札幌レース場ではそういった意識がある事をルドルフには示唆していた。
そういう意識があるのなら明日が今でも構わないのではないか、というのが理事長……いや、理事会側の言い分だろう。
ただ、トレーナーは単独でいるわけではない。
そのトレーナーが担当しているウマ娘の心情も汲んで、また、それを反映させるべきである。という考えから、理事長はオレとタイシンを呼び付け、ルドルフと共に話を持ち掛けた、というわけだ。
「ナリタタイシン。君は、どうだろうか。今、椎名タケルトレーナーは、事実上は君の専属トレーナーという事になっている。椎名トレーナーは現状は君に集中するという考えでいるようだが、仮にこれから誰がが彼の担当になるとして、君はどう考える?」
「アタシ、は……」
不安そうに眉尻と耳を垂れさせたタイシンがチラリとこちらを見て――視線が重なる。
……タイシンは、根っこの部分ではとても優しく気配りの出来る娘だ。同時に、持ち合わせている劣等感から臆病になり、それを悟られまいと強がって見せている娘だ。
だからきっと、今この時も、どう答えるのが正解なのか――どう答えれば『オレのためになる』のか、考えているんだろう。
まったく、優しい娘だ。
そうしてこちらの心を汲もうと歩み寄ってくれるのはたいへん嬉しい。
嬉しい――が。
「いいんだ、タイシン。我儘に答えていい。どうせ理事長もルドルフも、なんなら理事会の連中もURA上層部さえも、ウマ娘1人の我儘に頷かざるを得ない。彼らはそういう組織だ。オレたちトレーナーの心情はあまり汲んでくれないが、日本の一大興行事業であるレース……これに出場するお前たちウマ娘の意見には、彼らは首を縦に振らなければならない」
だって、彼らは――。
「お前たちの本能からの望みを支え、欲望からの目標到達を支える。それがURAであり、トレセン学園であり、オレたちトレーナーだから」
だから、いいんだ。タイシン。
「我儘を言っていいんだ。オレの事も学園の事も気にしなくていい。思ったように、思うままに、言ってごらん」
「…………じゃあ」
しばらく沈黙した後、タイシンはゆっくりと口を開いた。
「アンタさ、なんでそんな感動物語みたいな言い回しするわけ?」
「えっ」
「アンタにそんな事言われなくても言いたい事言うから! 子供扱いすんなって言ってんでしょ!」
「や、あの、その……すみません」
「ねえ、なんで『すみません』って言うか知ってる? すみませんじゃ済まないから『済みません』って言うんだよ?」
先ほどまで不安そうにしていたのはなんだったのか。
まるで焚火にガソリンでもぶっ掛けたかのような勢いでこちらを責めたててくるタイシン。
「えっと、タイシン……それで……?」
「別にアンタがアタシ以外に何人担当したっていい。けど、アタシの事もちゃんと見てて。どうしようもなくてヤケになってたアタシを拾い上げたんだから、最低限の責任は取って」
「や、うん、それは勿論なんだけども。……ん? 担当増やしてもいいのか?」
「……別に。それこそ、アンタの好きにしたらいいじゃん。トレーナー1人がチームを率いるのは常識なんだから、アタシ1人だけじゃトレーナーとしての責任が果たせないでしょ」
ぶすくれた、明らかに『私、不機嫌です』という表情でタイシンは吐き捨てるように言う。
……そうか。
そういう事なら……うん、答えは決まったかな。
「じゃあ、理事長、そういう事で」
「うむ!」
「今年いっぱいはタイシンに集中したいので、この話は無かった事に」
「な、何!?」
「だって、ねぇ? 自分の担当にこんな顔させといて、『わかりました、他にもスカウトかけます』なんて言えないでしょう。それに……ああ、ほら、確かオレがアメリカにいる間に新しく学園に来た桐生院ってトレーナーは、担当が1人だけみたいじゃないですか。あれが認められてるなら、オレがそちらに従う理由はありません。ウマ娘の幸福を願うのであれば、それが道理というものでは?」
「論破! そうではあるが……ううむ……」
いや、今『論破!』って言ったじゃん。
これ以上どうしようって言うんですかね、やよい理事長。
「なあ、ルドルフ? 『全てのウマ娘の幸福を』なんて大層な御題目を掲げてるお前なら、オレの言ってる事が正しいってわかるだろう?」
「ふふ……相変わらず困った人だ。理事長は理事会からの圧力があるから渋ってはいるけれど、私個人としては何ら問題はない。私達が信頼し、愛したトレーナーは、3年経とうと変わってはいなかったのだからね」
「それだとオレが成長してないみたいだろ」
「そんな事はないさ。より頼もしくなったと感じているよ。かつての君であれば、一度持ち帰るくらいはしていただろう?」
くすくすといたずらっぽく笑いながらルドルフは言う。
そうかな……? ……そうかも。
「後の事は私達に任せておいて欲しい。どうせ今日は、そういう話が出ているというだけの話だったからね。いや、トレーニング中のところをすまなかった」
「なんの。早いうちに言ってくれて助かったよ。やっぱアレだろ、タイシンがメイクデビューで大勝ちしちゃったもんだから、『やはり彼には担当を増やしてもらわねば……』みたいな手合いが増えてんだろ」
「明察! 実のところそういう側面が強い。これまで誰にも注目されていなかった……いや、悪い意味で注目されていたウマ娘がメイクデビューを華々しく飾った。それだけでも称賛に値するのだ」
「かつては私達の才能におんぶに抱っこの素人トレーナーなどと言っていた連中が、だ。まったく辟易してくる」
2人してお疲れの様子の理事長とルドルフ。
この2人は普段の業務の上で折衝役も熟してるわけだからなぁ。
いやはや、お疲れ様ですな。
「さて、話は以上だ。忙しいところをわざわざすまなかった。ところで……次のレースはどれだい?」
「見に来るつもりか?」
「息抜きは大事だと思うよ、私は」
「……まあ、タイシンからの要望が特に無ければホープフルステークスだな。その後はクラシック路線かな」
「ふむ。そこのところはどうかな、ナリタタイシン」
「……走るよ。走る。ホープフルステークスも、クラシックも。で、無敗で3冠を獲る」
「ほう……!」
ギラリ、と。
タイシンの言を聞いたルドルフの目が光った。
「会長。アンタにも、負けないから……!」
「ふふ。頼もしい後輩が育っているようで何よりだ。椎名トレーナー、この頼もしい後輩の向背は君次第だ。言うまでもないが、真摯に向き合ってやって欲しい」
「さらっとダジャレぶち込むのやめろお前、そういうとこだぞ」
「ふふふ。狙って言っただけだよ」
余計質が悪いんだよなぁ……。
今度エアグルーヴに安眠グッズでも贈ってやるか。
ルドルフのダジャレと言う事を聞かないブライアンと……、あいつは気の休まる時がなかなか無いだろうからな。
またエアグルーヴに出くわすのを待つか、それとも同室のファインモーションに渡してもらうか……どちらかだな。
「はぁ。……さて、それじゃあタイシン。行こうか」
とタイシンに呼び掛ければ、無言で立ち上がりスタスタとドアの方に行ってしまう。
距離が縮まってるんだか、そのままなんだか。
とりあえず理事長とルドルフに挨拶代わりに軽く頭を下げ、タイシンの後を追う。
チーム……ね。
◇◇◇
「ところでさ――」
「うん?」
「会長って、あんなキャラだったんだ……」
「生徒会メンバー以外のウマ娘との距離を縮めたいらしいぞ」
「余計離れてくでしょ」
「だよなー」
だよなぁ……!