その身体に秘めしモノ   作:神楽光月

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意識に刷り込むように。

 

 夜。

 撮っておいたタイシンのトレーニング風景と、メイクデビューでの走りを見ながらコーヒーを啜る。

 

 

「…………ふむ」

 

 

 一言で評するのなら『悪くない』といったところ。

 見立て通りに末脚のキレは半端じゃないし、最後方からまくっていく姿なんか最高のカタルシスだ。

 トレーニング中の方も、確実にスタミナとパワーがついているし、自分の走り方というものを自覚出来てきたのか、スピードも並々ならぬ事になっている。

 

 だが、まだまだだ。

 

 本来ウマ娘というのは、選抜レースを走る時点で本格化というものが始まっている事がほとんどだ。

 本格化とは何かと言えば、レースにおいて最高の能力を発揮出来るようになった状態、という風に考えて貰いたい。

 つまり、選抜レースの段階でほとんどのウマ娘がレースで十分に力を発揮出来る状態にある。

 

 ――の、だが。

 こうして、いざレースで走っているタイシンをよくよく見てみると、まだ本格化に至っていないのではないか? とも思えてくる。

 本格化は言い換えれば全盛期。

 つまり今現在においてタイシンの全盛期は既に始まっている、と考えるのが普通だ。

 

 

「どういう事なんだ……?」

 

 

 違和感。

 本格化を迎えているはずなのに、それがまだ先にあるような感覚。

 トレーニング中にしても、レース中にしても、よく見れば見るほどに、それが強くなっていく。

 

 考えられる事としては……うーん……。

 能力的に伸び代がある? いや、それは当たり前の事だ。

 本格化とは全盛期の事であって、能力の頭打ちを意味する言葉じゃない。

 今以上にスピード、スタミナ、パワーが伸びるのは至極当然の事だ。

 

 

「んー…………? ん? あれ? 待てよ……?」

 

 

 いつかの日。

 オレがルドルフを担当し、エアグルーヴに声をかけ、ブライアンが合流してすぐくらいの頃に、確かそれがあった。

 ちょうど今と同じ違和感を、ルドルフの走りから受け取った記憶がある。

 

 あれは……なんだったか。

 ルドルフは普通に走っているのだ。

 その聡明な頭脳とレース中でさえ広い視野と冷静な精神でもって他のウマ娘の心理に働きかけ、巧みにレース展開を操り、有利な展開を作ったところで一気に抜き去る。

 あの皇帝は、そんなレースをするウマ娘だった。

 

 それは変わらなかった。

 変わっていなかったはずなのに。

 どういうわけだか、もう1段階上の本格化が待っているように思えてならなかったのだ。

 

 そして、それは成った。

 レース中の、極めて限られた条件を満たした瞬間にのみ、そのウマ娘の能力が飛躍的に向上して……あれは、そう、覚醒とも呼ぶべき現象だった。

 残念ながら常時その状態というわけにはいかず、レース後には元に戻ってしまったのだが。

 

 

「あれ、なんつったかなぁ……」

 

 

 …………確か、それを初めて目の当たりにしたレースの後ルドルフに訊いたんだ。

『最終コーナーからホームストレッチを駆け抜けるまで、お前何考えてた?』って。

 

 ルドルフは答えた。

 

 何も考えていなかった。ただ走る事だけが頭の中にあった。

 前方に続くターフの緑と『勝つ』という想いがあったのを覚えている。

 それ以外は何も。私は妙な走りをしていただろうか?

 

 ――と。

 

 それを聞いたオレはその日一晩考えに考え抜いて、ある結論に至った。

 名前は、確か――

 

 

「――ゾーン」

 

 

 主にスポーツ選手に多く見られる、極限の集中状態をそう呼ぶ。

 頭の中が特定のもので埋め尽くされた時にそれは発揮され、己の身体能力を超えて最適化された動きが出来るようになる状態。

 それが、ゾーン。

 

 ルドルフはレース中にそれに至ったのだ、と。オレはそう考えた。

 

 そんなレースを経験してから、ルドルフはゾーンに入る事が多くなった。

 シニアクラスでは、どのレースでもゾーンに入っていたと思う。

 さらに、それを追うようにエアグルーヴ、ブライアン、そして新しく入ってきたタキオンと、時期の違いはあれども、次々とゾーンの力を手にしていた。

 

 それぞれにその時の話を訊いてみたところ大体似たような話が聞けたのも、オレの中のゾーン説を後押ししたと思う。

 

 エアグルーヴいわく、『理想の自分になれたような感覚』。

 ナリタブライアンいわく、『誰にも負ける事がないという全能感』。

 アグネスタキオンいわく、『あれこそがウマ娘が至る“果て”だと思った』。

 

 そしてシンボリルドルフにいわく、『その感覚は全て正しいものである』。

 

 

 とすれば、だ。

 今オレがナリタタイシンというウマ娘の走りに感じている違和感というのは、彼女がゾーンの力の片鱗を手にしかけている事から来ているのではないか。

 

 

「……だが、油断は出来ない」

 

 

 そうだ、油断は許されない。

 仮にタイシンがゾーンの力を手にしたとして、それを他のウマ娘が手に入れないという保証は無い。

 

 調べてみるにゾーンというのは、目的や目標が確立していればこそ入りやすい状態なのだという。

 だから、他の奴らを見返してやると意気込むタイシンがその力を手に入れるというのはおよそ自明で、同期であるビワハヤヒデにしても、ウイニングチケットにしても、同じことなのだ。

 

 聞けば、ビワハヤヒデは類稀なる才能の塊である妹・ナリタブライアンに未だに勝ち続け、その背中を見せているという。

 聞けば、ウイニングチケットは幼少期に見て憧れた日本ダービーを優勝する事を夢見て日々邁進しているという。

 

 そんな彼女たちにゾーンの力が手に入れられないなどという事があろうか。

 いや、無い。

 

 どのタイミングでそれを手に入れるのかというのはそれぞれだろうが、少なくともビワハヤヒデとウイニングチケットはまず間違いなくその力を手に入れるだろう。

 ウイニングチケットに関しては、もしかすると日本ダービーを走っている最中に覚醒するかも知れない。

 

 

「簡単にはいかないのは理解してるが……強敵揃いで嫌になってくるね、まったく」

 

 

 今度のトゥインクル・シリーズではビワハヤヒデやウイニングチケットだけに限らず、トレセン学園でも頭一つ抜けるくらいの優駿がいる。

 いかにタイシンが力をつけようと、メイクデビュー戦のように余裕の勝利とはいかないだろう。

 

 ……それにしても。

 今ゾーンの事を思い出して良かった。

 アメリカにいた時に担当したウマ娘は、ゾーン状態のルドルフをして勝てるかどうかという、とんでもない実力を有したウマ娘だったから、すっかり忘れてた。

 

 

「……とはいえ、だ」

 

 

 最初からゾーンをアテにするわけにはいかない。

 ゾーン状態なんて、基本的には『無い』ものなのだ。

 入れるかどうかもわからないものをアテにしてトレーニングしてたら、確実に痛い目を見る。

 

 もしタイシンがゾーンを自覚出来たら、その時に話そう。

 どういう力なのか。どれほど期待すればいいのか。

 

 

「さて、何はともあれ、違和感は晴れたからなぁ。とりあえず現状トレーニングメニューを変える必要はなさそうだな」

 

 

 なんとなく。本当に、なんとなくだが……タイシンには、第二の本格化が存在しているような気がする。

 根拠らしい根拠なんてない。

 そうあって欲しいと願うオレの心がそう思わせているだけかも知れない。

 

 ……まあ、その時が来れば自ずとわかる事か。

 

 

「まずはホープフルステークス。ひとつずつ、確実に獲っていかないとな」

 

 

 仕入れておいた情報によれば、どうやらウイニングチケットが出走予定らしい。

 ビワハヤヒデは、ホープフルステークスは出ないが代わりに朝日杯フューチュリティステークスに出走する予定とのこと。

 

 まあ、どのみちクラシック3戦でぶち当たるだろうけど、用心するに越した事は無いな。

 とりあえずはウイニングチケットか。

 走り方を見た感じでは、タイシンに負けず劣らずの末脚が武器ってとこかな。あとは持ち前の勝負根性か。

 能力はもちろんなんだが、気持ちで負けてないヤツってのは思ったより厄介なんだよなぁ……タイシンが呑まれなきゃいいが。

 

 ビワハヤヒデは……マイルを走るのは調整の意味も兼ねてという事だろうか。

 ホープフルステークスは見送りになるだろうから、そうなると若駒ステークスか若葉ステークスか、はたまた弥生賞あたりで調整を入れてくるか。

 どうあれ、クラシック3戦に向けて十分で細やかな調整を入れてくるのは間違いないだろう。そうなると……2000mの前に1800を入れるのも考えられるか。

 

 

「……どっちにしろ、細かく距離刻んで確実性を出しては来るだろうな。クソ……これだから頭の回るウマ娘は。タキオンが担当で良かったと死ぬほど思ったってのになぁ」

 

 

 まして、相手はあのナリタブライアンの姉だ。

 ウイニングチケット以上に油断が許されない相手なのは間違いない。

 

 

「ブライアンに訊いたら弱点とか教えてくんねーかな……」

 

 

 瞬間、『ないぞ』と短く宣言するブライアンが脳裏に浮かんだ。

 追い詰めるように『姉貴に弱点なんか、無い』と重ねてくる。

 そしてトドメとばかりに『そんなものあったら、私が勝っている。諦めろ』と言って消えていった。

 

 クソッ……あのシスコン番長め……。

 今度お前が自家栽培してる枝のプランターに花のプランターを混ぜておいて、花が咲いた頃に『へえ、そんなの育ててるなんてブライアンにも可愛らしいところがあるじゃないか』ってからかいに行ってやるからな。

 

 

「目下の敵はビワハヤヒデとウイニングチケット。トウカイテイオーは……まあ、どうせどこかで故障するから放っといていいや。あの身体では、故障は不可避だからな」

 

 

 アグネスタキオンでさえ故障は抱えたのだ。一応どうにかはなったが。

 その経験から言えば、サイレンススズカとトウカイテイオーは敵として見るに値しない。

 確かに強敵だ。強敵ではあるのだが、奇跡のひとつでも起きない限りはあの2人がトゥインクル・シリーズを何事もなく走り切るのは難しいだろうと思っての事だ。

 

 

「あー……才能豊かで嫌になってくるなぁ……。いくらなんでもバケモンばっかり集まり過ぎだろ」

 

 

 オレの目標は無敗での3冠制覇だが……果たして、どうなる事やら。

 レース関係者としてはどのウマ娘にも力戦奮闘して貰いたいところだが、残念ながらレースの勝者は1人だけだし、オレはタイシンのトレーナーだ。

 タイシンが十全に能力を発揮して、出るレース全てで勝てるようにするのがオレの仕事であるからして。

 

 

「幸いホープフルステークスはまだ先だから、やれる事を全部やるだけの余裕はある……か。来年の事は来年考える事にして、とりあえず今日は――」

 

 

 まとめた資料を保存して、パソコンの電源を落とす。

 

 

「――寝よう!」

 

 

 ウマ娘の体調管理はバッチリなのに、自分の体調管理はガバガバとか笑い話にもならないからな。

 昔1回やらかした時は普段以上にタキオンの臨床実験に付き合わされたからなぁ……。しばらくは寝ても覚めても身体が発光してて、どうしたもんかと頭を抱えた。

 タキオンとは3年まるまる会ってないけど、隙を見せたら絶対実験に乗り込んでくるからな……。

 

『やあ、モルモットくん。もといトレーナーくん。楽しい楽しい理科実験の時間だよ』とか言ってな!

 楽しい理科実験はアルコールランプを使ってた頃で終わったんだよ。

 

 

「……いかん、タキオンのこと考えてたら眠れなくなる」

 

 

 恋かな?

 

 まあ、トレーナーなんてウマ娘に恋してるようなもんだし、間違ってねえやな。

 ……よし、寝よう!

 

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