筆がノッたからね、仕方ないね。
朝、生徒会メンバーと話をした事でオレの講師の話は消える事になった。
そう思っていた。
「――つまり、これからトレーナーを選ぶウマ娘たちのために、ひとつ講座をお願い出来ないだろうか、という話なんだ」
そう言いながら、デカいプレートの上のこれまたデカいハンバーグをナイフで切り取り、フォークを刺して口に入れたのは、他ならぬシンボリルドルフであった。
ここはカフェテリア。
ウマ娘のみならず、トレセン学園にいる全ての人間の食をささえる、憩いの場である。
さて。
このルドルフが、オレがおハナさんや中等部Cクラスの面々の要望を蹴ったにも関わらずこんな話を持ち掛けてきたのには、意外としっかりとした理由があった。
このトレセン学園には中等部だろうが高等部だろうが、適当なトレーナーに出会えず、未だに陽の目を見られないでいるウマ娘がごまんといる。
オレが知っているところでは、アグネスタキオンと同室のアグネスデジタルなんかがそれにあたる。
そうした、いわゆる『埋もれているウマ娘』たちに、トレーナーを選ぶ時の注意点などを教えて欲しいというのだ。
それをトレーナーであるオレが教えるのはどうなの、と思わないではないが、他のトレーナーでは言葉を濁したりする可能性があるため、どうにも頼めないとのこと。
じゃあ同じウマ娘ではダメなのかと言えば、ルドルフたち生徒会メンバーを筆頭に、都合のつきそうなウマ娘がいないらしい。
それに、トレーナー側からそういうぶっちゃけた話をしてもらう事で、トレーナーとウマ娘の間に僅かに残る壁のようなものを取っ払って欲しい、とも言われた。
……まあ、確かに言ってる事は理解出来るんだが。
それこそ沖野さんとか、おハナさんじゃダメなんだろうか。
あの2人なら、オレと同じように変に話をボカしたりしないと思うんだが。
「確かに私もそれは考えた。確かにあの2人ならば生徒たちの知名度も高く、実績があり、確かな人材だ」
「だったら、それでいいだろ?」
「いや、ダメだ。彼らはその特性故に、ウマ娘とは一歩引いた位置で接してしまっている。沖野トレーナーは優しさから、東条トレーナーは厳しさから」
あなたは?
私は喉から。
「今回欲しいのは、どこまでも等身大でウマ娘に接してくれる人材だ。私は私が経験した諸々の事柄から、それに適した人物は君しかいないと考えている。どうだろうか」
「それは贔屓目というやつだよ、ルドルフ。残念ながら、オレはそんな大層な人間ではない」
「そんな事は――」
「そんなはずは無いと思うがね、トレーナーくん」
ルドルフの言葉を遮って、どこかねっとりとした響きの声が聞こえてきた。
その声の主は静かに歩いて来て、ルドルフの隣に腰を落ち着けた。
「久しぶりだな、タキオン」
「ああ、本当に久しぶりだよトレーナーくん。君が私達を置いてアメリカに行ってしまったから、私は自慰のためにわざわざカフェテリアにまで来てきちんと食事をしているんだ。どうしてくれるんだい?」
どうしてくれるんだと言われても。
「それは喜ばしい事なのでは?」
「まったく喜ばしくないよモルモットくん」
えぇ……今のでモルモットに降格なの……?
「アメリカに行くのは良しとしよう。あの頃の君はまだ新人トレーナーと言った方が早く、経験も相応に浅かったからねぇ。しかし、君は私の食事を世話すると言ったのだから、せめて3年分の私の食事を作ってから行くべきではないかな?」
「なに言ってんだお前」
むちゃくちゃにも程がある。
3年分の食事を作ってから渡米しろだなんて、9割方腐るのがわかってんのにそんな事が出来るか。
……ははぁん?
これはアレだな? 久しぶりに会えたもんだから、柄にもなくちょっと暴走気味なんだな?
「……なんだい、その目は。まるで私が、しばらくぶりにご主人様に出会えた犬のようとでも言いたげじゃあないか。言っておくがね、トレーナーくん。私は、君がアメリカに行き堂々と契約違反をした事を怒っているんだよ? 君はあの時、私の食事の世話をすると言った。それというのは、私が材料をミキサーにぶち込んで混ぜただけのマズいジュースと各種サプリメントを食事代わりにしているからだと君に言ったからだろう。君は私のトレーナーとして食事の世話をすると言ったのだから、私と君が契約を交わしたウマ娘とトレーナーである以上はその契約に則って行動するべきではないのかな?」
私は今怒っているんだ、と柳眉を吊り上げて言葉を連ねるアグネスタキオン。
「あー……横から口を挟んですまないが、アグネスタキオン」
「なんだい、生徒会長どの」
「その、君は、自分で料理をしようとは思わなかったのか?」
「これは異な事を」
異な事を言ってんのはお前だ。
「私がそんな事が出来るとでも? 言っておくがね。自慢ではないが、私は時間さえあればその全てを研究に費してきたウマ娘だよ? トレーナーくんが私の食事を作ってくれる前は、先述の通りマズいジュースとサプリメントを食事代わりにしていた。そんな私が今更になって料理スキルなど身に付けられるはずがないだろう!」
声高に言う事ではない。
断じて、声高に言う事ではない。
「どうせまたマズいジュースとサプリメントに戻る事がわかりきっているから。だから私は仕方なくこうしてカフェテリアまで足を運び、本来なら1人で摂りたい食事を周囲に誰かがいるような状況で食べているんだよ!」
再三言うが、声高に言う事ではない。
だってこれは、ダメ人間ならぬダメウマ娘宣言だ。
トゥインクル・シリーズで彼女が走る姿を見て憧れたであろうウマ娘は多少なりともいるだろうが、そんなウマ娘の憧れのイメージを核爆弾で破壊するが如き所業である。
塵すら残りゃしない。
まあ、確かにタキオンの言う通りではあるのだ。
まだ経験の浅かった椎名タケル青年は、より濃密な経験を得るために単身アメリカへと飛んだ。
それが、これからスカウトする事になるであろう中央トレセン学園所属のウマ娘の為になると信じて。
それまで担当した4人のウマ娘を置き去りにする事になったとしても、それこそがウマ娘に対して出来る最低限の礼儀なのだと、あの頃の椎名タケル青年は信じて疑わなかったのである。
……まあ、こうしてその事を糾弾されているあたり、せめて目的くらいは告げてから行くべきだったと後悔してはいるが。
「……さて。それを踏まえて訊こうか、トレーナーくん。君は何故、私達4人をこのトレセン学園に置き去りにしてアメリカに飛び、あまつさえ3年も帰って来なかったのか」
「えー……話さなきゃダメか……?」
「私がまたマズいジュースとサプリメントの生活に戻ってもいいのなら黙っているといい」
「なんでお前は自分の食生活を質にしてんだよ」
「――うん。それは私も、是非とも聞いておきたいな」
と、タキオンの側についたのはルドルフだ。
……くそぅ。墓まで持っていくつもりだったんだけどな。
いや、しかしこれは……。
「――私にも聞かせてもらおうか」
「私も聞いておきたいところだな」
どうするか悩んでいると、横合いからそんな言葉が飛んできた。
声のした方に視線をやれば、我らが女帝エアグルーヴとシャドーロールの怪物ナリタブライアンが揃い踏みときている。
最早、逃げ場は完全に封じられたと見るべきだろう。
完全なる四面楚歌。気分は項羽である。
「……勘弁してくれませんか。ここみたいな、ウマ娘の多い場所というのは……ちょっと……」
「ふぅン……? では、私達だけなら話せるという事かな?」
「いやっ……それも、ちょっと……」
「それは罷り通らんな。貴様も私達のトレーナーなら、説明責任は果たすべきだと思うが」
「それは、その通り、なんですけどぉ……」
「まどろっこしいな。さっさと言って楽になれ」
「いやぁ……でもぉ……」
「……椎名トレーナー。君はトレーナーとして、私達担当のウマ娘に対して不義理を行った。その贖罪はするべきではないかな」
もはや……もはやどうする事も出来ない。
このままいても、ルドルフ達は追及の手を緩める事はないだろう。
生徒会の仕事の合間を縫って、あるいは休日に押し掛けたりして、オレから答えを引き出さんとするに違いない。
タキオンなんかは研究すら放り出してずっとついて回ってくる事間違いなしだ。
仕方ない。
これは確かに、当時なんの説明もしないままハナさんに4人の面倒を任せたオレが悪い。
椎名タケルは何故自分達を置き去りにしてアメリカに飛んだのかと不安にさせただろう。
いやはや、まったく、言い訳のしようもない。
腹を括ろう。
トレーナーとして担当のウマ娘に不義理は出来ないと口にしたばかりだ。
過去にした不義理には、事情の説明をもって情状酌量を要求するしかない。
…………いやぁ、すっげえ恥ずかしいんだけど。
周りはウマ娘ばっかりだから、誰が聞いてるかじゃなくて誰もが聞いてるんだよなぁ。
タイムマシンがあったら3年前のオレをぶん殴ってやりたい。
「……わかった。当時、どうしてオレがお前達4人を置いてアメリカに飛んだのか……それはな――」
「それは?」
「それは――その……お前達に相応しいトレーナーになりたかったんだ……」
「……は?」
「うん?」
「む……?」
「ふぅン……?」
四者四様の反応が返ってくる。
いまいち言葉の真意を掴みかねている感じだ。
「当時のオレの世間からの評価は、お前達もよく知るところだろう。シンボリ家の神童、オークスウマ娘の娘、天賦の才に溢れた怪物、アグネス家の最高傑作……それを率いたオレはと言えば、担当ウマ娘の才能と実力におんぶに抱っこのお飾りトレーナー。世間の評価は、そんなところだった」
「……そうだな。世間は私達にばかり目を向け、トレーナーである貴様を扱き下ろした」
「だが、君の事は私達がよく知っている。その身を削って、私達4人のローテーションやトレーニングメニューを1人で作り上げ、事実私達を勝たせてみせた」
「ああ、それはオレもわかってる。お前達は、正しくオレを評価してくれていた」
ありがたかった。
世間の、トレセン学園のウマ娘たちの、羨望と憧憬の視線を集めるウマ娘たちが、自分たちが勝てたのは間違いなくオレのおかけだと言ってくれたのだ。
それだけで、救われた気がしていた。
気がしていた……だけだった。
「けど、雑誌やネットに書かれるオレの評価を見ると、自分が情けなくて仕方なかった。確かに当時のオレは、トレーナー歴も短い、新人と言っても差し支えないトレーナーだった。だからアメリカに飛んだ。経験を積むために。お前達のトレーナーはオレなんだ、って胸を張って言うために」
「……向こうでも、トレーナーはやってたんだってな」
「ああ。向こうに渡ってすぐの頃だ。1人、厄介なウマ娘がいるんだって紹介されてな」
本当の意味で厄介なウマ娘だったが。
「ふぅン。どんなウマ娘だったんだい?」
「そうだなぁ……近いところで言えば、ブライアンかな。真面目にトレーニングしないし、生活もズボラ。食生活も正直良くなかった。そのくせレースになると誰よりも強くて、でも……誰よりも手を抜いてた」
「……なんで私なんだ」
「お前、生徒会の仕事あんまりしてないだろ」
「チッ……!」
痛いところを突かれたと、舌打ちと共に顔を逸らすブライアン。
「まあ、ともかくそんなウマ娘でな。もちろんトレーナーは付かない。付くはずもない。やる気はなかったが、何より彼女には熱意がなかった。逆にあったのは、尊大なまでの自尊心とそれを支える才能だ。初めてだったよ。ルドルフをしても勝てないだろうと思わされたのは」
「なに……?」
「初めて彼女に会った時、訊いてみたんだ。どうしてトレーニングをしないのか、何故レースに出ても全力で走らないのか。……彼女は面倒くさそうに答えたよ。どうせ私が勝つから、ってな」
あの時の彼女の表情はよく覚えている。
なまじ半端なく才能があるだけに、相対出来るライバルがいなかったがために、燃え尽きた真っ白な灰のようになってしまった、彼女のその悲しげな表情を。
「ふぅン……しかし、君はそのウマ娘を走らせた。トレーニングをさせ、レースにも出させ、栄光を掴ませた。そうだろう?」
「ああ、そうだよタキオン。オレは彼女のトレーナーになった。トレーニングもやらせたしレースにも出させた。そうして彼女はアメリカで伝説になった」
「……何をしたんだ? 貴様は軽く言うが、貴様をしてそんな風に言わせるそのウマ娘が簡単に走るようになったとは思えないが」
と怪訝そうに眉を顰めているのはエアグルーヴだ。
確かに、今の話を聞けば、彼女を真っ当に走らせるのは難しいと思うだろう。
「それがさ、簡単だったんだよ」
簡単だった。実に簡単だった。
オレでさえ、まさかこんなものだけで真面目に走る気にはなるまい、と思っていた事で彼女はやる気になった。レースへの熱意を取り戻した。
「何をしたんだい?」
「簡単だ。お前達のレースを見せてやった。オレがしたのはそれだけだ」
「……それだけ、なのか? 話を聞く限りでは、そのウマ娘はとてもそれだけで走る気になるようには思えないが」
「オレもそう思ったよ、ルドルフ。だけど、彼女は確かに全てを取り戻した。ウマ娘がウマ娘たる全てを」
「何故……?」
「うん。不思議に思ってオレも訊いてみた。どうしてやる気になったんだ、って。そしたら、なんて答えたと思う?」
まったく不思議な娘だった。
この話にしてみたって、蓋を開けてみれば『そんな事で?』と言えるような理由なのだ。
いやまあ、その理由自体はウマ娘としては至極真っ当なものではあったんだが、それが彼女の口から出てきたという事が、どうしようもなく不思議なんだ。
「……どう答えたんだ?」
「彼女は、レースがしたいからって言った。ルドルフと、エアグルーヴと、ブライアンと、タキオンと、そしてまだ見ぬ強敵と。アメリカのウマ娘を諦めていた彼女は、日本のウマ娘に夢を見た。この娘たちとなら、自分は負けるかも知れない、勝つかも知れない――わからない。彼女の才能をして、お前達日本のウマ娘たちは、『勝負がどう転ぶかわからない相手』だった。だから彼女は走り始めた」
そして、そんな彼女のトレーナーに、オレは名乗りを上げた。
「まあ、結局オレはとんでもない才能のウマ娘を担当する事になったわけだが、彼女を継続的にトレーニングさせたりレースに出させたりしてるって事で評価されてたよ。それでまあ、ある時気付いたんだ。世間がどうでも、自分の担当してるウマ娘に正しく評価されてるんだったらいいじゃん、って」
「気付くのが遅いわ、たわけ」
「いやホントにな。ともかく、オレがアメリカに渡ったのはそういう理由があったからだ。恥ずかしいんで墓まで持って行こうと思ってたんだがなぁ……」
「こちとらアンタに勝たせてもらったウマ娘だ。残念だったな」
バカめ、と言うような視線をこちらに向けてくるブライアン。
はいはい、わかりましたよ。これからは包み隠さず言えって事だろ。
でも、どうしても秘密にしておきたい事のひとつやふたつはあるから、それは絶対に言わないけどな。
「……うん。ところで、アグネスタキオンが来てからすっかり話が逸れてしまっていたが、例の件は頼めるのかな」
「え。あー……うーん……どうしようかな……」
「私としては、無断渡米の咎を追及しないところを勘定に入れて欲しいのだけどね」
にっこりと人当たりの良い笑みを浮かべながらルドルフが言う。
お前……それはお前、悪魔の笑みだぞ。
「……わかったよ。ただし、一度きりだ。タイシンを優先する以上、それは譲れない」
「もちろんだとも。では、日程は追って連絡させてもらうとしよう。いつがいいかな?」
「いつでもどうぞ。日中は暇なんでな」
「わかった。では、私はこれで失礼するよ」
「私達も行く。ゆっくりしていけ」
「……アンタ、鬼か」
こちらの心情を察してエアグルーヴにブライアンがツッコむが、当の女帝どのは何の事やらさっぱりなようで頭上に疑問符を浮かべている。
いいんだ、ブライアン。お前のその言葉だけでもオレは随分気が楽になるよ。ほんと、お前は優しい娘だ。
「では私も行くとしよう。まだ研究の途中なのでね。トレーナーくん、明日からはまた弁当を頼むよ」
「えぇ……たまには自分でやってみろよ」
「私はただ食事が出来ればいいというわけではないのだよ、トレーナーくん。君が作るのでなければ意味がないんだ。だから、明日から頼むよ。いつぞやみたいに、約束してないから一食分だけというのは通らないからね」
そう言い残し、ルドルフたちを追うようにカフェテリアを去っていくタキオン。
あとに1人残されたオレには、周りのウマ娘たちやトレーナー、教官たちから生暖かい目が向けられた。
むしろ針の筵だ。誰かたすけて。