ナリタタイシンの模擬レースの相手に選んだのは、ビワハヤヒデとウイニングチケット。
ナリタブライアンやらルドルフやらを引っ張ってきても良かったが、最初だし、気心知れた仲の方がやりやすかろうと思ってのチョイスだ。
……というのは建前だ。
同期であるからこそ、他の誰よりもナリタタイシンの特性を理解しているだろうと踏んで彼女達を呼んだ。
そうしてナリタタイシンを知るウマ娘を下した時にこそ、
「さあ、そしたら……うん、こうしよう。距離は2500m、右回り、バ場は……ま、いっか。年末の殿堂、有馬記念だな」
「ふむ……その心は?」
「おや、聞きたいかビワハヤヒデ?」
「聞かせていただきたいな」
赤のアンダーリムの向こうからギラギラと光る視線をこちらに向けてくるビワハヤヒデ。
「2000や2200なら『自分が勝つ』って気になるだろうが、2500じゃそうはいくまい? オレはうちのタイシンがお前ら2人を下すとこが見たいんだ」
「ふっ……言ってくれる」
「タイシンにもハヤヒデにも絶対負けないから!!」
「うざ……模擬レースで何熱くなってんの」
静かに闘志を燃やすビワハヤヒデ、堂々と宣言するウイニングチケット、そのノリをウザがりつつも拳を握っているナリタタイシン。
この3人が同期……か。
今年のトゥインクル・シリーズも面白くなりそうだな。
「じゃ、準備を始めてくれ。タイシンは残ってくれな」
「…………なに?」
「まあ待て。…………そろそろいいか」
人間の身体能力を遥かに超越するウマ娘の聴力でも聞こえないだろう位置まで2人が行ったのを確認してから、早速タイシンに作戦を授ける。
「さて、タイシン。……勝ちたいよな?」
「当然でしょ」
「よろしい。今回の模擬レースだが、タイシンには追込を試してもらう。わかっていると思うが、追込ってのはバ群最後方から抜け出すタイミングを虎視眈々と狙い、ここぞという時に溜めていた脚を使ってゴボウ抜きする作戦だ。つまり、ウイニングチケットよりも更に後方で走る事になる」
「追込? ……なんで?」
「昨日の選抜レースの結果から理解したはずだ、お前に先頭争いは向いてない。だったらいっそしなければいい」
「けど――」
「それに!」
少し弱気な発言をしそうになったタイシンの言葉を遮る。
ここは何が何でも指示に従ってもらわなきゃだからな。
「知り合いのウマ娘が言ってたけどな? 後ろから前にいる連中を一気にぶち抜いて1着取るのって――最高に気持ちいいんだってよ」
そう言うや否や、タイシンの耳と尻尾がピーンと立った。
どうやらこの負けん気の強いお嬢様の気質にぶっ刺さったようだ。
「……行ってくる」
「おう、行ってこい。残り800mでラストスパートかけな。それまではジッと我慢だ。出来るか?」
「やってやる……!」
当たり前だと言わんばかりの視線と語勢をこちらに投げて、タイシンはウォームアップへと向かっていく。
ところで、今朝まで知らなかったのだが、このトラックコースには何故かヒシアマゾンのパネルがあり、ゴール板の役割を果たしている。
……あいつ、オレがいない間になんかツラい事でもあったんかな……パネルなんかになっちまって……。
とか考えていたんだが、チームリギルの練習中にゴール役をしていたヒシアマゾンがアメリカ遠征に行った時に、代わりにと作ったらしい。
そんな事ならあのままアメリカに留めといてやれば良かった。
可哀想なヒシアマゾン……美浦寮長の明日はどっちだ!
ま、そんな可哀想な美浦寮長の事はさておいて。
どうやら3人とも出走準備は整ったらしい。
「準備はいいかー?」
「はああああぁぁぁぁい!!!!!」
「うるっさ……」
「元気でいい事だ」
「よぉい――」
言葉と同時に右手を振り上げると、3人の纏う空気がガラリと変わった。
横並びに出走体勢を取っているが、その双眸はギラギラと輝いて正面を見据えており、たとえ模擬レースであろうと絶対に負けないという意気がビシビシと伝わってくる。
「――スタート!」
右手を振り下ろすと同時に3人は飛び出した。
そしてそのまま、ビワハヤヒデは先行の、ウイニングチケットは差しの、ナリタタイシンは言い付け通りに最後方の追込の位置に入った。
それに驚いたのか、ビワハヤヒデとウイニングチケットがチラリと後方を確認する。
ナリタタイシンの走り方といえば、やはり昨日の選抜レースでも見せた先行策が頭にあったのだろう。
だが、今回はそれとは違う追込。
先行が先頭争いをして1着をもぎ取る作戦なら、追込はここ一番で力を解放し1着を掻っ攫う作戦だ。
1着を取って実力を見せつけたいタイシンの圧力に、真綿で首を絞められるが如くじわりじわりと追い詰められていくといい。
「……早いな」
スタートと同時に起動していた手元のストップウォッチに視線を落とし、呟く。
そこに表示された時間とレースの進行状況から計算すると、タイシンにウイニングチケットが押されて掛かっており、それを受けてビワハヤヒデも掛かっている。
自分のペースで走れているのはナリタタイシンただ1人だ。
しかし、それもどこまで続くやらといった感じだ。
負けん気が強いとは言うが、裏を返せば劣等感の塊だという事だ。
ただでさえ侮られ憐れまれてきたタイシンが、果たして逸る気持ちをどこまで抑えられるのか。
オレの指示に100%従うという確信は持てないし、そんな保証もない。何せ、オレと彼女は昨日知り合ったばかりの2人でしかないのだから。
◇◇
アイツ……あのトレーナーが言った通りに追込を試してみてるけど……。
(なんか……、走りやすい)
こっちの事情も知らないであれこれズバズバ言ってくるけど、言ってる事は間違ってない……と、思う。
実際、昨日の選抜レースの時と違って周りに他のウマ娘がいないから抑え込まれる事もないし、余計なプレッシャーがかかってないから楽な気分で走れる。
レースって……こんなに楽なんだっけ……。
周りの景色が一段とよく見える。
他のウマ娘に囲まれてないから……?
(チケットとハヤヒデ……もしかして掛かってる? アタシが後ろにいるから……?)
アタシは悠々と走れてる。
けど、ハヤヒデもチケットも少し苦しそうに見える。
ただの、フラットな2500mのはずなのに。
……なんで?
……まさか、アタシが後ろにいるから……?
そんなはず……と考える頭を即座に切り替える。
事実として自分は走りやすく、また、脚も十分に溜められている。スタミナだって問題ない。
チラリとトラックコースの外側にいるアイツに視線をやると、それに気付いたのかニヤリとした笑みを返してきた。
……ムカつく。
何がムカつくって、アイツの言った通りに走っている今、昨日までのレースより遥かに楽に走れて、確実に1着も狙えそうだって事実がそこにある事。
今までは何もかもチケットやハヤヒデに先を越されてきた。
アタシにはハヤヒデほどの身長はないし、チケットみたいに他のウマ娘と競り合えるほどのパワーもない。
それに、トレーナーだって。
今でこそアイツがトレーナーになってくれてるけど、今まではアタシに目を向けてくれるトレーナーなんかいなかった。
口を開けばアタシを否定する事ばかり言うトレーナーはいたけど、ただそれだけだった。
(でも……もう、違う……!)
ムカつく奴だけど、アイツのおかげでアタシは『走り方』を知った。
そして今、現実として、勝てそうな状況にいる。
だから……。
だから……ッ!
アタシはもう、誰にも負けない。
チケットにも、ハヤヒデにも――もう、誰にも!
「アタシが――勝つ!」
残り3ハロンと少しの模擬レース。
アタシは思いっ切り踏み出して―――
―――――そして、一瞬、頭が混乱した。
◇◇
『アタシが――勝つ!』
その言葉の刹那、爆発的な加速と共にタイシンの身体が前身した。
そう、まさに『爆発的』と形容するのが正しい末脚だ。
さながら弾丸のように飛び出したタイシンは、ターフを踏みしめながらずんずんと前に行っている。
さあ、そうすると気が気でないのはビワハヤヒデとウイニングチケットだ。
タイシンのスパートから数瞬遅れはしたものの、ビワハヤヒデとウイニングチケットもスパートに入った。
……だが。
「それじゃ勝てない」
余裕をもってスパートに入ったタイシンと違い、ビワハヤヒデとウイニングチケットのそれは『このままでは負ける』という危機意識からきたものだ。
自分のリズムで入るスパートでなく、後方から迫る脅威に追われる形で入るスパートは、どうしたってリズムが狂って上手に走れなくなってしまう。
油断ではないだろう。
ビワハヤヒデも、ウイニングチケットも、確かにナリタタイシンをライバルとして認めていたはずで、そこに油断や驕りなど差し挟めるような余地など存在していないはずなのだ。
では何故、あの2人はそのリズムを崩す事になったのか?
それは単純に、意外だったからだろう。
先行から追込へ、競い合う走りから隙を窺う走りへ。
今までの『ナリタタイシン』とは、何もかもが違う。
それに対応出来なかったが故に、あの2人は自分の走りが出来なくなってしまったのだ。
「……どうだ、ナリタタイシン。自分の走りが出来る気分は?」
オレがぽつりと零すように呟いた時には、3人のウマ娘はヒシアマゾンが描かれたゴールパネルを過ぎ去っていた。
――ひときわ小さな、茶髪のウマ娘を先頭にして。
◆
ゴール後、息を整えている3人に近付くと何故か嬉しそうな目でビワハヤヒデとウイニングチケットに見られた。
「……なんだ?」
「いや……タイシンは良いトレーナーに出会ったなと思ってね」
「ほう? かの【怪物】ナリタブライアンの姉君に称賛を受けるとは。今度ブライアンに自慢してやろう」
「ふ……存外、子供っぽい部分もあるようだ」
チャッ、とズレた眼鏡を直しながら言うビワハヤヒデ。
「ちなみに、チーム移籍はいつでも受け付けている。その気になったらチームベテルギウスに来ると良い」
「チームベテルギウス……? あなたが、あのベテルギウスのトレーナー……!?」
「お? オレも有名になったもんだなぁ。……さて、タイシン。どうだった、走ってみて」
タイシンの方に話を振ってみると、彼女はバツが悪そうに視線を逸らしながら一言。
「……悪くなかった」
「それは何よりだ、ナリタタイシン。お前が持つ武器を十分に把握出来たと思うが……どうかな?」
「は……? 武器……?」
「おや、気付かなかったか? お前がトレセン学園に来る前から持っていたはずの武器を使えるように指示を出したつもりだが」
「なに、それ……? アンタ、アタシの事どこまで知って――ううん、いつから知ってんの?」
驚愕した顔のタイシンにニヤリと笑いかけ、告げる。
「お前がこのトレセン学園に来た時からだ」
「そんな昔から……?」
「ああ。最初から目を付けてたんだ。最初から。それにしても、節穴だらけのトレーナー陣で助かった。こんな優良ウマ娘、他の連中に取られてたらどうしようかと思ってたわ」
その点は節穴トレーナー陣に感謝感謝だなぁ。
などと考えていると、何故か妙に空気がフリーズしているような気配がある。
「……どした?」
「アンタ……何者なの……!?」
「ん、言ってなかったか? 姓は椎名、名はタケル。3年前までここトレセン学園でチームベテルギウスを牽引してた。ここ3年はアメリカでトレーナーをやってたんだ。ちなみに歳は24。よろしくな」
なんの事はない、ただの自己紹介。そのはずなのに。
どうしてか、3人のウマ娘の口は開いたままだったのであった。