ビワハヤヒデ、ウイニングチケットと模擬レースじみた事をした翌日早朝。
オレはトレーナールームの簡易キッチンに立っていた。
このトレーナールームというのは、チームルームとはまた別にトレーナーそれぞれ、あるいはチームに所属するトレーナー毎に割り振られている部屋の事。
例えばオレなら、チームベテルギウスのトレーナーという事で一室。他には、チームリギルのハナさんやリギルのサブトレーナーで一室、という具合になる。
で、そんな場所のキッチンで何をしているのかと言えば、もちろん、ご飯を作っているのである。
「……ん。こんなもんか」
メニューは、まあ、どうという事もない。
白米に味噌汁、焼き鮭、たくあんという『THE 日本食』といった風情である。
まあ、このメニュー構成を日本食らしいとするかどうかは賛否両論あるとは思うけども。
アメリカにいた頃は基本的にパン食だったから、今は米が恋しいのだ。
「よし。いただきま――」
――ガララッ
トレーナールームに備え付けの長テーブルに配膳を済ませ、パイプ椅子に腰を下ろし、両の手を合わせて『さあ、食べるぞ!』という段階で、入口のドアが開いた。
そちらを見れば、そこにいたのは肩まである綺麗に切り揃えられた髪と涼やかな切れ長の目が目を引く、ウマ娘の姿があった。
「げぇっ、エアグルーヴ……!」
「やはりいたか。トレーナーにも寮はあるというのに、トレーナールームで寝泊まりするのは相変わらずのようだな」
「HAHAHA、長く染み付いた習慣はそう簡単には剥がれんよ」
「そうか」
つれない態度である。
「まあ、貴様がどこで寝泊まりしようが構わんが」
「さよか。で、何しに来たんだ?」
「業務連絡のようなものだ」
「……ふむ?」
「本日より、シンボリルドルフ、エアグルーヴ、ナリタブライアン、アグネスタキオンの4名はチームベテルギウスへと復帰する。――とはいえ、我々は生徒会の業務もあるから、あまりこちらには顔を出せないやも知れんが」
「……ん? タキオンもか?」
「奴は違う。貴様がアメリカに渡ってからも研究漬けだからな。そちらにかまけて顔を出さんだろうという事だ」
なるほど、納得した。
タキオンの場合、トレーニングよりも研究の方が重要だからな。
……となると、しばらくはタイシンに掛かり切りでも問題ないって事か。
「エアグルーヴ、朝は?」
「まだだ」
「……やれやれ、仕方ない娘だ。おいで。多少は多めに用意してある」
「気が利くじゃないか」
「そういう毅然としたセリフは、嬉しそうに揺れる尻尾をどうにかしてからにする事だ、エアグルーヴ。規律に厳しい副会長とは思えないぞ」
「む……」
指摘してみると、少し不機嫌そうに尻尾を前に抱えるエアグルーヴ。
我らが副会長どのはそういう感情をあまり表には出したくないようだ。
まあ、ウマ娘の耳と尻尾は制御出来ないという話であるので、無駄な努力だと思うが。
大体、シンボリルドルフにエアグルーヴにナリタブライアンと、オレが担当してるウマ娘はどうしてこうクールに振る舞いたがるのか。
目に見えて甘えてくるのはアグネスタキオンくらいだ。
…………はて。それでいったらナリタタイシンも生徒会メンバー側か?
「……どうした?」
「いや……うん。オレが担当するウマ娘に素直なヤツはいないな、と思ってな」
「貴様も似たようなものだろうが」
「素直じゃないヤツ筆頭がなんか言ってら。……ほら。知ってるだろうが、大して美味くはないぞ」
「ふっ。今更予防線など、貴様らしくもない。安心しろ、我らは貴様の料理の腕前などとうに理解している」
「……つまり?」
「貴様が作るものに間違いはない、という事だ」
そう言うなり、エアグルーヴは合掌をして早速と味噌汁に口を付けた。
音もなく味噌汁を口内に流し、ゴクリと一口。
――瞬間、彼女の周囲に花が舞った。……ように見えた。
顔は相変わらずの仏頂面だが、よく見ると――よ〜く見ると、かすかに口元が綻んでいる。
どうやらオレが作った味噌汁は女帝の口にも合ったらしい。
別にエアグルーヴ用に味付けしたんでもないのに。
「お口に合いましたようで何よりですよ、女帝陛下」
「うむ。だが、少々味噌が濃いな。普段からこれでは高血圧で早死にするぞ。昼食は少し塩分を控える事だな」
やれやれ仕方のない奴だ、という顔をしながらエアグルーヴは言う。
言っちゃあなんだが、まるで姑みたいなヤツである。
「何か言ったか?」
ギロリ、と鋭い眼光がこちらを向く。
はて、ウマ娘の感覚器官は心の中にまで作用するものであったろうか。
「なんにも?」
「そうか。ともかく、貴様も食事を続けるが良い」
「そうするよ。……ところで、エアグルーヴ」
「なんだ」
「ルドルフはまだ、自分にしかウケないダジャレを日頃から吐き出してるのか?」
と尋ねるが早いか、エアグルーヴの口から地の底を這うかのような溜め息が吐き出された。
この反応で確信する。
どうやら我らが皇帝陛下どのは、アメリカに行くまでのところで散々に酷評してやったにも関わらず、性懲りもなく、また、事ある毎に、7冠ウマ娘の名誉あるその口から、正味誰にもウケた覚えのないダメダメなシャレを吐き出し続けていらっしゃるようである。
あれの補佐を日頃やっているエアグルーヴの苦労が偲ばれる。
「……ま、大目に見てやってくれ。多忙な身で、あれくらいしか楽しめる事がないんだろ」
「そう思うなら、アメリカになど行かず貴様が相手をして差し上げれば良かったのではないか」
「まあそう言ってくれるな。これからはまたお前たちの傍にいてやれるんだからな」
「まったく頼もしい事だな」
少し皮肉めいた言い方のエアグルーヴだが、耳や尻尾を確認するにどうやら満更でもないらしい。
心情が露骨に現れる部分を持ってると大変そうだなぁ……。
「そういえば貴様、アメリカでは何をしていたのだ? あちらへ渡ってからというもの、まったく連絡を寄越さなかったが」
「あー……まあ、一応トレーナーとして雇われてましたよ? ええ。雇われてましたとも」
「……なんだ、いやに皮肉った言い方だな」
「トレーナーとしてやってはいたんだが……どういうわけか、故障したウマ娘のケアを任されるようになってな」
「ふむ?」
「こっちも雇われの身でNOとは言えないからやるしかない、って事であの手この手でウマ娘のケアをしてたんだよ。これがまあ大変でな。普段のトレーナーとしての仕事に加えての事だったんで、まさにキリキリ舞いだ」
「能力を買われての事だろう?」
「……はぁ。困るんだよな、ああいう手合いは。こちとら名門の出でもなんでもない、ただの一般トレーナーだぞ」
「逸般トレーナーの間違いだろう」
と涼やかな顔のエアグルーヴ。
こいつ、人の苦労話をなんだと思ってるんだ。
「ともかく、そうしてウマ娘のリハビリなんかも担当する事になったんだけどな?」
「いいから、さっさと話せ」
「……じゃあ、まあ、色々と端折って言うが。どういうわけだか、そうして担当したウマ娘達が向こうの重賞やらG1やらで好成績を残し出したんだ」
「それはそのウマ娘に素質があったからだろう」
「ところがどっこい。このウマ娘達、それまではG1はおろか重賞すら取った試しがないときた」
「なんだそれは」
「こっちが聞きたい。んで。そんな事が続いたもんだから、故障したウマ娘を不死鳥が如く蘇らせるトレーナーって事で、向こうじゃ『Reviver』なんて呼ばれるようになってなぁ」
「また妙な肩書が付いたものだな」
今度はやれやれと呆れた顔のエアグルーヴ。
本当に、まったく妙な肩書がくっ付いたものだと思う。
当時世話したウマ娘達だって、別に復帰出来ないほどの故障を抱えたわけではない。
すぐにレースは出来ない、しかし全く復帰出来ないわけではない、と、そういう状態のウマ娘ばかりだった。
だからつまり、褒められるべきは故障を抱えても心折れなかったウマ娘達の方であって、間違っても世話しただけのオレが持ち上げられるなどあってはならないのだ。
リハビリにしたって、故障から治ったあとには当たり前にやらせるものばかりだったし。
そりゃあ、せがまれてトレーニングメニューを作ってやったりはしたが、それだけで世話した全てのウマ娘達が大成出来るのかと言えば、明らかに答えはNOだ。
ウマ娘の世界――レースの世界は、そんなに生っちょろいもんじゃない。そんな『まさか』が罷り通るのであれば、無敗の7冠ウマ娘なぞ生まれているはずがないのだから。
「いや、それだ」
「……どれだ?」
「貴様の作ったトレーニングメニューだ。それが全てだ」
「……んん? どういうこっちゃ?」
「ええい、これだから己の実力に自覚のない奴は!」
「は?」
「貴様の作ったトレーニングメニューが諸悪の根源だ!」
「あらやだエアグルーヴ。あんた、いつから人の作ったトレーニングメニューを貶すような子になったの? お母さん悲しいわ。そんな子に育てたつもりないのよ?」
「誰が母だ、誰が!」
まあ、そんなトーセンジョーダン――もとい、冗談はさておいて。
オレの作るトレーニングメニューって、そんな特別なものじゃないんだけどなー。
「……はあ。まあいい。どうせ貴様には言ってもわからん事だ。ところで、早くも担当するウマ娘を見つけたと聞いたが?」
「お、流石は副会長。耳が早い事ですなぁ」
「噂の域を出ない話ではあったがな。私も知っているウマ娘か?」
「多分知ってるだろ。ナリタタイシンだよ。3人組の一番小さい娘だ」
「ああ、ナリタタイシンか。確かに知っている。ビワハヤヒデ、ウイニングチケットと並んで実力のあるウマ娘と目されていたが、どういうわけか今一つ揮わなかったな」
「やっぱりそうか。……ま、それもこれまでだ。少なくとも3冠とジャパンカップ、有馬記念は制覇出来るかな」
「そんなに吹かして大丈夫か? ビワハヤヒデもウイニングチケットも、並々ならぬ実力者だが。それに、敵はそれだけに限らんぞ」
「わかってるよ。……何はともあれ、まずはタイシンがオレを信頼してくれなきゃ勝てるものも勝てないからな。差し当たりは普通のトレーニングと好感度稼ぎだな」
「ゲームとは違うのだぞ」
「それもわかってる。ゲームのように楽しむ気持ちは大切だが、お前やルドルフ、ブライアンと走り抜けた日々も、そんな好い加減な気持ちじゃなかったさ」
兎にも角にも、まずはナリタタイシンの信を得るところからだ。
昨日はたまさかこちらの指示を受け入れてもらえたが、あの気難しそうなナリタタイシンが最初から素直に従ってくれるとは思えない。
トレーナーという存在にも散々に言われてきただろうし、同じトレーナーである以上は簡単には受け入れてはくれないだろうと考えておくのが無難か。
……やれやれ。
ブライアン、エアグルーヴに次ぐ難しさだな。
我らが皇帝シンボリルドルフのように、素直になってくれるとこちらも楽が出来て嬉しいんだがね。
「…………はぁ」
「おい、なんだその溜め息は。何故こちらを向いて溜め息を吐いた。おい。理由を言え」
「…………はぁ〜あ」
「なんだ貴様、人を小馬鹿にしたような溜め息を吐いて。そんなに言いたい事があるならハッキリ言ったらどうだ」
「…………フッ」
「鼻で笑うんじゃない! なんなんだ、さっきから! おい、その憐れむような視線をやめろ。殴られたいのか」
憐れむような視線をやめろと言われたので、アメリカ仕込みのボディランゲージで、両手を軽く左右に広げつつ肩を竦めて首を左右に振って『やれやれ』のポーズをかましておく。
まあ、自分の事って意外と自分では気付けない事も多いしな。
流石にこの女帝を以てしても、それは変わらないという事か。
――この日。オレは、左頬に大きな紅葉の葉っぱを付けて過ごす事となった。
理由は察して欲しい。