トレセン学園は教育機関である。
つまり、そこに所属するウマ娘たちは、日の高いうちは学業に従事する事になる。
だが、放課後にもなればウマ娘たちは学業の軛から解き放たれ、ゴール板をひたすらに目指す本来の姿へと還る。
チームベテルギウスの面々は、現状ではナリタタイシンのみがトレーニングが必要なウマ娘だ。
シンボリルドルフ、エアグルーヴ、ナリタブライアンは生徒会の仕事があるのと同時に、彼女らは既にトゥインクル・シリーズを制しドリーム・シリーズへと駒を進めている。
夏と冬に開催されるそれに間に合わせればいいので、生徒会の仕事と合わせて自然とトレーニングの優先度は低くなる。
つまり、当座の間はナリタタイシンとマンツーマンでのトレーニングになるわけだ。
「――というわけで、トレーニングだ」
「はいはい。何するわけ?」
「まずは――と、その前に。タイシン。お前、今自分には何が足りてないのか、自分では理解出来てるか?」
「……パワー、かな。追込で行くなら、そうでしょ?」
「そうだな、間違ってない。だが、それだけじゃない」
「……何が足りないの?」
「――何もかもだ」
そう、今のナリタタイシンというウマ娘にはスピード、スタミナ、パワーとレースにおいて必要になってくる何もかもが足りていない。
それに加えて、これまでの先行策から追込策に変えるにあたって、具体的にどうするのが追込のウマ娘にとってベストであるのかという知識も足りない。
知識面はナリタタイシン自身もそうだが、これまで担当した経験がないオレも一緒だ。
「まあ、今回は最初だしな。追込ウマ娘に関してはオレもわからない部分が多い。――そこで、だ」
「そこで?」
「まずは、同じく追込を得意としているウマ娘に、追込策のコツを教授してもらおうと思う」
「……なるほどね。で? 誰に教わんの? ゴールドシップ?」
「アイツが他人に何かを教えられるわけねぇだろ」
混沌が服を着て歩いてるような奴だ。追込策のコツの教授はおろか、そもそもコミュニケーションが円滑に取れるとは思えない。
トレセン学園が長いトレーナー陣でさえ一部の人間しかついて行けないのだから、ナリタタイシンみたいなタイプとは水と油。アグネスタキオンとマンハッタンカフェだ。
……まあ、あいつらはそんなに仲悪くないけど。
強いて言うなら、ハルウララに芝コースを走らせるようなもんである。
片方は楽しくしようとするけど、もう片方が絶望的なまでに相性が良くないとかそういう。
「じゃあ……ヒシアマゾンさん?」
「あいつはリギルでゴール板役の仕事があったから、呼べなかった」
「…………え。じゃあ、誰?」
「紹介しよう――ミスターシービーだ」
身体をずらして呼び付けた彼女の姿が見えるようにすると、その姿を確認するなりタイシンの目は見開かれ、耳がピンと立った。
「どもー」
「…………え、本物?」
「安心しろ、そっくりさんとかじゃない。というか、このバカのそっくりさんなんか、この世にいてたまるか」
「呼び付けておいてひどい言い草……」
「タイシンも知っているだろうが、改めて。彼女はミスターシービー。菊花賞の舞台である京都レース場において、愚かにもアップダウンの激しい第3コーナーからスパートをかけて菊の花をモノにした追込策のウマ娘だ。ちなみに、ゴールドシップも同じ事をしやがったから、こいつはヤツと同類だ」
「えぇ!? アタシ以外にそんな事する娘がいたの!?」
「と、まあ、このように、愚かな真似をしたという自覚があるあたりは最高に質が悪いが実力は本物だ。ルドルフには負けたが」
「……ん? なにこれ? アタシを扱き下ろす場なの?」
違う。違うが、一度言ってやろうと思っていたんだ。
許せシービー、これで最後だ。
「まあ、それはともかく。追込ウマ娘の先輩として、このナリタタイシンに色々教えてやってくれ」
「……まぁいいけど。椎名サンは?」
「オレも聞く側。アメリカでも追込ウマ娘の担当はしなかったからな」
「ふんふん、なるほどね。今日は2人とも生徒さんってわけだ」
「楽しい授業を頼むぞ、ミスターシービー先生?」
「えぇー? 出来るかなぁ……?」
「……出来なきゃ断腸の思いでゴールドシップを連れてくるだけだがな……」
ぼそりと呟くように吐いた言葉は2人には聞こえていなかったようで、ミスターシービーは早速、タイシンに追込策とはなんたるかを話し始めた。
相槌はタイシンに任せてこちらは黙って聞いていると、どうにもこうにも、ミスターシービーをしてもコツというほどのものはなく、結局のところ最後のスパートまでどれほど脚を溜めておけるかだとか、そこまで持っていくためのスタミナが重要だとか、通り一遍の事くらいしか語れないようであった。
これはつまり、習うより慣れろの精神で行けという事だろう。
結局、走り方なんてものを教授されたところで、それを自分のものとして昇華しなければ意味がない。
ミスターシービーに語れるのは既に自分の走りとして確立された走り方だけで、それをナリタタイシンに当て嵌めるのは難しい――と、つまりはそういう事なわけだ。
まあ、それでも、話を聞いて意識する事くらいは出来る。
既にウマ娘としては引退した彼女を呼び付けた意味は、その点では『あった』と言えるだろうな。
「あとは――うーん、特にないかなぁ。アタシも、そういう風に走ってるってだけで、人に語れるような事はないしね」
「……そっか」
「ね、椎名サン。どうしよっか?」
くるりとこちらを振り返るミスターシービー。
語りは尽くした……、それなら後は――。
「走るしかないだろ。どうせ実際に走ってみなきゃ感覚なんか掴めないんだ。まずは理論からがオレのスタイルだから、そういう意味では遠回りさせた。悪いな、タイシン。シービーも」
「……別に」
「アタシは気にしてないよ。追込の娘って数が少ないから、こうして後輩の娘に教えてあげられるのって、なんか新鮮だし」
「そうだなぁ……確かに、国内最大の
「……そういえば、アタシもヒシアマゾンさんかゴールドシップくらいしか知らない。……なんで?」
「考えられる理由は2つある。ひとつ、そもそもそういう素質がない」
追込とは、多大なスタミナとパワーを必要とする作戦だ。
それに加えて、スパートをかけた段階でバ群をゴボウ抜きするためのキレのある末脚も必要になってくる。
どちらか片方であれば、持っているウマ娘は確かに多いだろうが、どちらもとなるとこれが難しい。
「ふーん……もうひとつは?」
「もうひとつは――単純に、トレセン学園のトレーナー陣が追込策を歓迎していないからだ」
「…………は?」
「これは何も追込だけに限った話じゃない。追込と同様に逃げも忌避される傾向にある」
「なんで? そのウマ娘に合った作戦があるんじゃないの?」
「それはそうだ。だが、逃げも追込もかなりのスタミナとパワーを要求してくる。そして、良ければ大勝出来るが悪ければブービーを舐めるばかりになる。何より、逃げも追込も見どころに薄い」
「見どころ?」
「王道とされる先行策、差し策とは違って逃げも追込もバ群とは関わりのないところで走る事になる。熾烈なデッドヒートの末の勝利は達成感も充足感もあり、それだけにたいへんな魅力があるものだから、トレーナー陣はそちらを選びたがる。つまり、ウマ娘が1着を取るという事ももちろんだが、どれだけ観客を沸かせられるか、という事も重視しているわけだな」
まぁ、一部そういう思想には染まっていないトレーナーもいる事にはいるのだが。
残念ながらトレセン学園に所属するほとんどのトレーナーは、王道と呼ばれる先行、差しが得意なウマ娘を好んで担当にする傾向にあるのは事実だ。
「……なにそれ」
「気持ちはわかるよ、タイシン。納得いかねぇだろうさ。だけど、このトレセン学園の主要なウマ娘たちは、大概が先行か差しだ。シンボリルドルフ、エアグルーヴ、ナリタブライアン、アグネスタキオン、メジロマックイーン、グラスワンダー、エルコンドルパサー……それに、ビワハヤヒデやウイニングチケットでさえ、それぞれ先行策と差し策だ」
「……確かに」
「対して逃げや追込は、サイレンススズカ、マルゼンスキー、タイキシャトル、サクラバクシンオー、ツインターボ、ヒシアマゾン、ゴールドシップと絶対数が少ない。特に追込は逃げよりも少ない」
「だから……ほとんどのトレーナーが選ばない?」
「選んだところで、生半可なトレーナーじゃウマ娘をいたずらに潰すだけになる。そういう予防線的な意味も含めて、先行得意、差し得意なウマ娘を選ぶ事が多い。実際オレも、これまで担当したウマ娘は先行策がほとんどだ」
「……じゃあ、アンタはなんでアタシを選んだわけ? 最初からアタシの事知ってたんなら、最初から追込策で走らせるつもりだったって事だよね?」
じっ、とナリタタイシンの蒼い瞳がこちらを睨め付ける。
「んー……まあ、自分に自信が出来たから、だな」
「……どういう意味?」
「お前を知った頃のオレは、まだまだ新米って呼んだ方がいいくらいのトレーナーでな。多少経験は積んでたが、それでもルドルフにおんぶに抱っこだった感は否めない。だから、お前の素質には気付けても、お前を勝ちウマ娘に出来るかと言われれば答えはNOだった」
「……………」
「シンボリルドルフ、エアグルーヴ、ナリタブライアン、アグネスタキオンとトレーナーを経験して……今度はアメリカに飛んだ。そこで担当したのは……まあ、これがまたなんともトレーナー甲斐のないヤツだったけど、色々とノウハウを積めた」
「……ふーん」
「そして帰国し、満を持してお前を迎えに行って、今に至る」
「……バカじゃん」
ナリタタイシンは視線を逸し、吐き捨てるように言う。
なるほど、確かにバカかも知れない。
現実として、結局オレは追込ウマ娘を育てるという経験はしてないから、ナリタタイシンとは二人三脚の上で暗中模索が必至。
そんな状況でナリタタイシンを追込ウマ娘として2人で歩いて行くというのは、なんと愚かな事かと各方面からお叱りを受けてしまうかも知れない。
――――だけど。
「お前を誰かに取られたくはなかった。マヌケなトレーナーに捕まって潰されて欲しくはなかった。ナリタタイシンというウマ娘を大輪の花にしてやるのはオレなんだって、そう思ってた」
「は、はぁ? 傲慢過ぎでしょ」
「まあ、そうだな。……うん。まあ、つまりな? 自慢したかったんだよ、他のトレーナーに。お前と3冠取って、ジャパンカップも有馬記念も勝って、トゥインクル・シリーズを制覇して……そんで、『お前らがバカにして選ばなかったウマ娘は、こんなに凄い素質を持ったウマ娘なんだ。羨ましいだろ。ざまあみろ、バーカ』って、笑ってやりたかったのさ」
「――――ッ!!」
「……オレがこれまで、このトレセン学園で担当したウマ娘は、結局のところ血統に優れたウマ娘ばかりだ。シンボリ家の神童ルドルフ、オークス制覇の偉業を持つ母から産まれたエアグルーヴ、確かな実力を持つビワハヤヒデを姉に持つナリタブライアン、そしてアグネス家きっての優駿アグネスタキオン。オレの功績は彼女らが血統と素質に優れていたからこそだ――そんな風に言うトレーナーも少なくなかったからな」
まあ、実際とんでもない優良ウマ娘たちだったわけだが。
実際おんぶに抱っこだったわけだが!
「確かにオレは、当時はまだまだ経験の浅いトレーナーで、担当したウマ娘の素質に助けられてた部分はある。だから、これからするのは証明であり復讐でもある。……それでも、オレと走ってくれるか、タイシン?」
「……当然! アタシだって散々に言われてきたんだ。アンタと、アンタとアタシをバカにした奴らを見返してやるんだ!」
「その意気だ、タイシン。まあ、オレとタイシンが一緒ならウィナーズ・サークルは貰ったも同然だな。ウイニングライブは常にセンターだ!」
「メイクデビュー前から吹かし過ぎじゃないの、椎名サン」
「これまで空気になってたシービー先生は黙ってなさい。……さてと、改めて目標設定もしたところで――」
「……ところで?」
「シービー先生に実戦で教えて貰おうか、追込ウマ娘とやらを」
そう言ってミスターシービーに視線をやると、彼女は大方の予想は出来ていたらしく、いつの間にかトレセン学園指定のジャージに着替えていた。
やる気十分なようで何よりですな、ミスターシービー先生。