走る。
ただ走る。
ただただ走る。
腕を振り、脚を回し、地面を蹴りつけ、走る。
『走る』という事は、ウマ娘たちの存在意義であるとする定説がある。
曰く、『走るためにウマ娘は生まれ、また、生きるために走っているのだ』と。
そんな事を言ったのは、今より遥かな過去に生まれたウマ娘だったとか。
なるほど、確かにそうかも知れない。
我々人間には、それは、およそ想像の及ぶところではないが。
けれど確かに、ダートを、ターフを走っている彼女たちは――。
「楽しそうだな――」
そう思う。
◇◇
あれから、ずっと走ってる。
アタシの前を走るミスターシービー先輩は、ヒシアマゾンさんのゴールパネルから5ハロン離れた位置で正確にスパートを切る。
寸分の狂いもなく、確実に。
多分、アタシにもそうしろって事なんだと思う。
追込ウマ娘なら、このタイミングがベストな位置なんだって、要はそういう事。
実際、前にゴールドシップの走りを見た時も大体こんな感じだった。
他の連中がスパートをかけるよりも少しだけ早く。
そうしないと、追込のウマ娘はバ群に沈められて勝てなくなる。
きっと、そういう事。
「はぁっ……はぁっ……!」
呼吸が苦しい。
今のアタシのスタミナじゃ、多分ここらが限界だ。
もう1本は、きっともう、今日は走れない。
けど、得たものはあった。
今まで自分だけでやってきてたトレーニングよりも、ずっと、もっと、得られたものがあった。
追込ウマ娘としての走り方、ターフの蹴り方、息を入れるタイミング、スパートのかけ方……他にも沢山。
アタシ1人じゃ、きっと今でも先行策を取って、さっさと消耗させられて、無様に負けてたと思う。
……トレーナー。
ムカつくけど、アンタに会えて良かった。
アンタに拾われて良かった。
そんな事、絶対にアンタには言ってやんないけど、感謝だけはしててあげる。
メイクデビュー……、アンタのためにもアタシは――。
「はあああぁぁぁぁッ!!」
――必ず、勝つ。
◇◇
「……そろそろか。そこまでだ、2人とも!」
芝のトラックコースを走る2人にそう呼びかけながら、鉄柵を越えてトラックの中に入る。
ミスターシービーはまだ余力を残してはいるが、残念ながらタイシンの方が限界ギリギリだ。
最後にヒシアマゾンのゴールパネルを通過した2人が減速するのを待って、タイシンに近付く。
と、案の定限界が来ていたようでフラリと崩れるタイシンの身体を支えてやる。
「あちゃ……やり過ぎた?」
「それはない。そうなる前に今止めたからな」
「あ、そっか」
力は残っていてもじんわりと滲んだ汗で髪の毛を肌に張り付けながら、ミスターシービーはにっこりと笑んだ。
「お疲れ、タイシン。どうだ、何か得られたか?」
「…………ん。得たものは、あったよ」
「それは重畳。今日はもう終わりだ。水分補給して、汗流して、気を付けて帰れよ。シービーもお疲れ、ありがとな」
「ん、いいのいいの。同じ脚質の後輩と走るなんてなかったし、楽しかったから」
「そう言って貰えると気が楽だよ。よっ、と」
スタミナ切れでぐったりとしたタイシンをお姫様抱っこで抱き上げる。
うーん……軽い。
確か、身長は145cmだったっけか。そんなに食べる方でもないだろうし、納得の軽さだな。
「……ああ、そうだタイシン。食事に関してだけどな」
「…………なに?」
「何食っても構わないけど、苦しくなるまで食うのはやめとけ。人間でもそうだけど、強靭な肉体と不屈のスタミナを作るのは、栄養バランスのしっかりした食事から、だからな。オグリキャップみたいに食うのが、必ずしも強さじゃないぞ」
「……わかった」
「あと、一応言っとくけど、オグリのあれは単純にバカみたいな食欲と消化器官を持ってるってだけだからな。普通のウマ娘もあんなには食わん」
いつだったか、オグリのせいでカフェテリアの食材が尽きかけて、トレーナー陣で金出しあって追加で食材買った事もあったなぁ……。
今思い出してもあれは痛い出費だった……。
芦毛の怪物っつーか、芦毛のブラックホールだわ。
……笠松のトレセン学園はよく平気だったなぁ。
「よし、下ろすぞー」
と、そう宣言してから、トラックコース近くの観戦席に脚を投げ出すような形になるようにタイシンを寝かせる。
「脚、触るぞ」
「えっ……」
そして、有無を言わさずにトレーニングシューズと靴下を脱がせ、脚のケアを始める。
いくらトレーニングだとは言え、これをやるのとやらないのとでは雲泥の差があるからな。
トレーニング後、レース後には必ず、簡単なマッサージとアイシング。
これをしていたからこそ、オレが担当していたウマ娘たちはトゥインクル・シリーズを怪我なく走り抜けられたのだと、個人的には思っている。
担当ウマ娘とはいえ相手は年頃の少女であるからして申し訳ない気持ちも無いではないが、走れなくなったウマ娘を指して『死んだ』と形容するくらいには大事な部分なのだから、怒られようが蹴られようが、こればかりは妥協出来ない。
理想的なのは、トレーニング後は簡単なマッサージとアイシング、レース後も同様で、ウイニングライブ後は全身マッサージ。
それから、隔週でもいいから週末にはプロの手によるマッサージを受けさせてやりたい。
オレはトレーナーであるが故に多少のマッサージの心得はあるが、医療行為でないとは言ってもやはりプロの腕には劣る。
担当してるウマ娘を勝たせてやるために、己に出来る全ての事を全力で為してこそ、初めて『トレーナー』と呼べるのだ。
……ま、オレが勝手に思ってるだけだが。
「……ふむ。ちょっと筋肉痛になるかもな。明日は簡単なメニューにして、明後日から本格的にやろうか」
「……ん、わかった。まだ触る?」
「もう少し。恥ずかしいだろうが、我慢してくれ」
「いいよ、別に。アタシのためってわかるし」
「悪いな」
「ん……」
短く返事をしながら、タイシンは左腕で両目を覆う。
「……なんだか、通じ合ってますね? ね、椎名サン?」
「まさか。まだ会って日も浅い。オレは彼女の事を知ってるとは言えないし、彼女だってオレの事は通り一遍の事しか知らないだろうさ。なんにしても、これからだよ。マヌケを見返してやるのも、本当の意味で『担当トレーナーと担当ウマ娘』になるのも」
「でも、結構通じてる感じじゃないです?」
「オレの経験から適当な行動や言動をしてるだけだ。トレーナーとして、確かにオレには経験があるけど『ナリタタイシンというウマ娘のトレーナー』としてはまだまだ新米だよ、ミスターシービー」
「……椎名サン」
「何かな、シービー」
「イケメンですね!」
「ありがとう。素直に受け取らせてもらおうかな。――ん、よし! これで、とりあえず大丈夫かな。簡単な事しか出来てないから、疲労が溜まり切る前にプロに見せに行こう」
簡単なマッサージとアイシングを終え、靴下とトレーニングシューズを再び履かせてやる。
いくら人間より遥かに強靭な肉体を持っているとはいえ、疲労の蓄積なんかには十分な注意が必要だ。
彼女たちウマ娘は、まだまだ青春を駆けている最中の年頃の女の子なのだから。
「起きれるか?」
「……平気。じゃ、また」
「ああ」
むっくりと起き上がったタイシンは、短い別れの言葉を吐くと、近くにあった学生カバンを拾い上げてさっさと寮への道を歩いていく。
こういう時には、ウマ娘たちが入る寮が近くにあって良かったと思う。理事長には感謝しないとな。
マルゼンスキーみたいに移動を車でやって自身は一人暮らしでというスタイルも格好良いとは思うが、道路を一本挟んだ向こうに寮がある立地は、トレーニングで疲労するウマ娘たちには嬉しいだろう。
……ああ、そうだ。
念の為、フジキセキに連絡を入れておこう。
というわけで、スマホを操作してヒシアマゾンと対をなす栗東寮の寮長どのに連絡を取る。
2回のコールの後、彼女の声がスピーカーから聞こえてきた。
『やあ、タケルトレーナー。久しぶりだね』
「ご無沙汰だったな、フジ。元気にポニーちゃん達に愛を囁いてるか?」
『意地悪だなあ、タケルトレーナー。あまりその事は言わないで欲しいよ』
「や、悪い悪い」
『まあ、いいけど。それで? 今日はどういったご用かな?』
「うん。今、ナリタタイシンが寮に帰るとこなんだがな。今日はちょっと限界ギリギリまで走らせちまったから、少し気にしてやってくれ。思った以上には疲れてるはずだ」
『ナリタタイシンだね、わかった。けど、同室はスーパークリークだから、あまり心配は要らないよ』
「ああ……スーパークリークか。んー……でもまあ、ちょっと気にしてみてくれ。特に何をして欲しいわけじゃない。タイシンもそれは必要ないだろうしな。ただちょっと、うん、気にしてやって欲しい」
『……わかった。気にしておくよ』
「ありがとう。用はそれくらいだ。またな、フジ」
『はーい。またね、タケルトレーナー』
その声を最後に、ぷつりと通話が途切れる。
とりあえずこれで、タイシンの方は大丈夫だろう。
フジキセキにスーパークリークの2枚体制だ、よっぽどの事がない限りは問題ないだろう。
「さて、じゃあ帰るか。送ろうか、シービー?」
「んー……や、今日はいいや。アタシより、ほら、あっちの娘のお相手をしてあげて?」
そう言ってミスターシービーが指さした先には――
「……ルドルフ?」
我らが皇帝、名誉ある7冠ウマ娘、生徒会長シンボリルドルフの姿があった。
◆
「――すまない、トレーナー君。どうしても、相談しておきたい事があってね」
ミスターシービーが去った後、オレとシンボリルドルフの姿はトレセン学園にほど近いオレの自宅にあった。
互いにソファに腰を落ち着け、ブラックコーヒーを啜る。
ところで、ほど近いとはいえ既に遅い時間なので、電話伝いではあるが美浦寮のヒシアマゾンに外泊許可申請をせねばならなかった。
ルドルフが美浦寮で良かったが、これが栗東寮のウマ娘だったらどうしようかと。
「まったく。お前が美浦寮で良かったよ。ついさっきフジにタイシンの事を頼んだばっかりなのに」
「本当にすまない。だが、こうしているという事は了承を得たと考えていいのだろう?」
「……はあ、喰えない皇帝だこと。それで?」
「うん。実は――」
「ああ、いや待て。折角だから、お前がどんな相談事を持ち込んできたか当ててやろう」
「ふむ。いいだろう。当ててみせてくれ」
ふふ、と軽く微笑むルドルフ。
…………さて。
「お前からの相談事は、まあ、そう珍しくはないな」
「ああ。アメリカにいた頃にも随分とお世話になったよ。ありがとう」
「うん。で、『全てのウマ娘の幸福を』なんて御大層なお題目を掲げて走ってるお前の事だ。相談事というのは、ウマ娘の、しかも後輩の娘に関しての事だろう」
「ふふ……」
「お前はどのウマ娘にも分け隔てなく接しているが、特に仲のいいウマ娘と言えば生徒会メンバーや寮長の2人、それからマルゼンスキーなんかが当て嵌るな」
「そうだね?」
「ただ、このウマ娘たちは『後輩』にはあまり引っ掛からないし、わざわざ生徒会長自らが相談を持ち掛けるまでもなく、自分からオレや自分のトレーナーのところに行くだろう」
「……うん、そうかも知れない」
「以上の事から浮かび上がってくるのは――そう、トウカイテイオーだ。察するに、お前が特に目を掛ける彼女の面倒をオレに見て欲しいとか、そんなとこだろう」
「ふふ、凄いな兄さん。正解だ」
「だろうな」
だが――。
「悪いが、それは出来ない」
そう告げると、ルドルフの柔和な微笑みが消え、信じられないものを見るような表情に変わった。
「な、何故だ、兄さん!?」
「シンボリルドルフ。これはオレの、トレーナーとしてのプライドをかけて言わせてもらうが……放っておいても勝手に爆発する爆弾を処理する事は出来ない」
「爆弾……テイオーが、か?」
「以前彼女の走る姿を見たが……あのステップをやめさせない限り、トウカイテイオーというウマ娘は確実に死ぬ」
「あのステップ、とは……彼女がスパートに入る瞬間にするステップの事か……?」
「なんだ、わかってるじゃないか。あのステップをし続ければ近い将来、トウカイテイオーは必ず死ぬ。さりとて、あのステップを取り上げれば、トウカイテイオーというウマ娘の『走り』が死ぬ。どちらにせよ彼女は死ぬんだ、シンボリルドルフ。お前はオレに、彼女を殺せと言うつもりか?」
「それは……だが……!」
「――さ、この話は終わりだ。メシにしよう」
「待ってくれ、兄さん!」
ソファから立ち上がりキッチンの方に行こうとすると、ルドルフに手を掴まれた。
「なんだ」
「テイオーは……彼女は、どうしようもないのか……?」
「…………今、彼女にトレーナーは?」
「え……あ、ああ、沖野トレーナーがいる。彼女はチームスピカの所属だ」
「沖野さん、か……。なるほどなるほど……うん。それなら、まあ、心配はしなくていいだろうな」
「そう、なのか……?」
「まあ、よっぽどの時にはこっちに話が来るだろ。それまでは静観してればいい。今のところは、トウカイテイオーというウマ娘の身体には、何も異常はないはずだからな」
「……そう、か」
ふーむ……全ウマ娘のためとお題目を掲げたルドルフが、こうも入れ込むとはな。
トウカイテイオー。確かに彼女には、ルドルフに並べるような素質があるが……果たして、あの脚がどこまで無事でいられるかな。
……フ。全ては三女神サマのみぞ知るってところか。