「トウカイテイオー、か……」
深夜3時。
ナリタタイシンのトレーニングメニュー作りのためにとパソコンに向かっていたが、気分転換にと、なんとなく呟いてみる。
トウカイテイオー。
幼さの残る顔立ちやトレセン学園全体を見ても比較的低いその身長、それとは裏腹にシンボリルドルフを思わせるような走りをする奇跡のようなウマ娘。
なんと言っても特徴的なのは、やはり彼女の脚回りだろう。
ともすればあり得ないと思えるほど柔らかい身体を十全に使って繰り出される、独特のステップから成る驚異的な末脚。
ステップはスパート時以外にも見られ、それを利用したコース取りが上手いのも特徴か。
身体は小さいものの、それを補って余りある実力を備えている、末恐ろしいウマ娘だ。
彼女の脚は、さながらスプリングだ。
柔らかい身体と強烈な踏み込みで大きくストライドし、他のウマ娘を抜き去る。
それはまるで、圧をかけられたバネが反動で戻るような爆発力を誇る。
……だが、オレ個人としては、ここにこそトウカイテイオーというウマ娘の問題点があると考える。
柔らかい身体と強い踏み込みは確かに大きな武器ではある、が。圧をかけられ過ぎればスプリングは簡単に壊れる。
トウカイテイオーのあの走り方は、筋肉には問題ないかも知れないが、骨の方に多大な負担をかける走り方だ。
そう、それはまるで――
「……サイレンススズカ」
サイレンススズカ。
トウカイテイオーと同じくチームスピカに所属する彼女の走り方も、トウカイテイオーに似通っている部分がある。
と言うのも、だ。
速く走ろうと思ったらどうすればいいのか、と言えば、ざっくり言ってしまうと、地面に強く踏み込んで強く蹴り出せばいいのである。
力強く地面を蹴れば、速くは走れる。
それを実践しているのがサイレンススズカとトウカイテイオーだ。
もちろん、他にもそれをやっているウマ娘はいる。
オレが担当したところで言えば、ナリタブライアンとアグネスタキオンがそうだ。
タキオンに関しては、これもやはりトウカイテイオー、サイレンススズカと似た部分がある。あいつも骨にクる走り方をする奴だ。
ブライアンに関しては心配は要らない。偏った食事をしている割に、何故か身体が頑丈なんだ。あいつは。
これは予言になってしまうが、サイレンススズカとトウカイテイオーの2人は、沖野さんには申し訳ないが、必ずどこかで骨折するだろう。
そういう危険を常に孕んだ走り方をしているが、それで当人は気持ちよく走れていて、なおかつ結果も残している。
悲しい事だが、文句の言い様がない。文句の言い様がないからこそ問題ではあるのだが、直属のトレーナーでないオレが何を言ったところで多分2人は聞き入れてはくれないだろう。
そして、これも沖野さんには申し訳ないが。
悪いが、オレはそんな爆弾娘の面倒はとても見きれない。
アグネスタキオンの時でさえどうにか故障しないように必死になってたのに、その上でトウカイテイオーも、だなんて。
「後輩想いはいいが、こっちの負担も考えてくれよな……ルナ」
どう足掻いても爆発する爆弾を抱え込みたくはない、というのが素直な感情だ。
沖野さんは多分、そういう部分には気付かないで、単純にあの走りに惚れ込んでチームに勧誘したんだろうが……。
……あの走り方でさえ無ければ、と思う。
トウカイテイオー本人が自分の走り方の危うさに気付いていないのも、手を引いてしまうポイントだ。
タキオンには自覚があった。
自分は類稀なるウマ娘であると。しかし己の走り方は自己の崩壊を促すものであると。
だから彼女は研究に徹底した。再三の警告と強制の言葉を無視して、ウマ娘という存在の研究に没頭した。
タキオンの『“果て”を見たい』という願いは、己の身体の克服の意味もあった。それ故に彼女は、自分の肉体を使って研究と実験を繰り返していた。
だからこそ、彼女はトゥインクル・シリーズを駆け抜けられたのだ。
……だが。
残念ながらトウカイテイオーにそれは望むべくもない事だ。
彼女が目指しているのはシンボリルドルフの影。
無敗のままにクラシック3冠を制覇したばかりか、7冠という称号を引っ提げた上でトゥインクル・シリーズを制覇した稀代の優駿。
そのシンボリルドルフと同じように、無敗の3冠ウマ娘を目指す。それがトウカイテイオー。
上だけを睨み走り続ける者は、足元の小石に気付かず躓く。
有史以前から続く、当たり前の摂理だ。
「……トウカイテイオーを殺すのはトウカイテイオーだ」
その片棒を担ぎたくはない。
たとえそれが、視座を同じくしてトゥインクル・シリーズを駆け抜けた、愛しき担当ウマ娘からの頼みであったとしても。
…………それに。
「タイシンのトレーナーとしては、ライバルが勝手に潰れていくのは喜ばしい事……だからなぁ」
ただ、願わくば――。
――誰一人として欠ける事なく、勝って笑って、負けて泣いて、その果てにあるものを掴んで欲しいと思う。
オレだって、ウマ娘という存在に魅せられた人間のひとり、なのだから。
「――っし、気分転換終わりっ。……さーて、どうするかな。最初から限界決めると……いや、でも……うーん……。変に負けん気発動されても……これはベースメニューにして、後はその都度……うん……スーパークリークを材料にすればオーバーワークも……」
◆
翌日。
今日は練習用のトラックコースをチームスピカが使うという事で、トウカイテイオーの様子を見がてら敵情視察に来た。
タイシンには既にトレーニングメニューを渡してあり、トレーニング前のウォームアップから本トレーニング、トレーニング後のクールダウンまで、タイシンの現在のスタミナに合わせたものを組んである。
「……お、あれがそうか」
遠目からではあるが、走る時の身体の動きに合わせて跳ね回るポニーテールを見つける。
どうやら今は併走トレーニングをしているらしく、ダイワスカーレットとウオッカ、そしてトレセン学園が誇る問題児筆頭のゴールドシップが一緒に走っていた。
相変わらず良い走りをする、などと考えながらしばらく見ていると、ダイワスカーレットがこちらに気付いたらしく、足を止めてこちらを指差しながら沖野さんに何事かを話し掛けている。
言われて気付いたらしい沖野さんはこちらを振り向き、こっちに来い、とばかりに大きく手招き。
「……行くか」
我知らず溢れた笑みと共にそう呟き、沖野さん率いるチームスピカの面々のもとに歩を進める。
「よっ、タケル。しばらくだな」
「ご無沙汰です、沖野さん」
「今日はどうした? 敵情視察か?」
「ま、そんなとこです。うちのルドルフが特に目をかけてるっていうトウカイテイオーを、ちょっとね」
「お、そうか! あいつは凄いぞー?」
「見てりゃわかりますよ。ただ、まあ――あ、いや、まあいいか」
近い将来に故障を迎えるだろう事を言おうかと思ったが、わざわざ本人やチームメイトがいる場所で言う必要もないだろうと考えを改めて、言葉を濁す。
沖野さんは引っ掛かりを覚えたようで眉をひそめたが、チームメンバーの手前か、特に何も言ってはこなかった。
「チームベテルギウスは、再始動だってな」
「ええ。トゥインクル・シリーズは、また貰いますね」
「はははっ。そう上手くいくかな……!」
「ねーねー、トレーナー! ボクたちにその人紹介してよー!」
と、ぴょんこぴょんこ跳び跳ねながら言ったのはトウカイテイオー。
好奇心に瞳を輝かせているあたり、精神面の子供っぽさが抜け切っていない事を窺わせる。
「おっと、そうだった。こいつは俺の後輩のトレーナーでな、ついこの前アメリカから帰ってきたらしい」
「チームベテルギウスの椎名タケルだ。よろしく。つい3年前まで、ここトレセン学園でトレーナーをやってた。アメリカでもトレーナー業はやってたんだけど……理事長に呼び戻されてな。3年ぶりに古巣に帰ってきたってわけだ」
「知ってるだろうが、今のチームスピカも紹介しとく。まず、このデカいツインテールがダイワスカーレットだ。こっちの前髪で顔隠れてんのがウオッカ。ゴールドシップとトウカイテイオーは……まあ、言わずもがなだな」
沖野さんの言葉に合わせて、ダイワスカーレットはぺこりと頭を下げ、ウオッカは手の甲を見せて斜めにサムズアップ、ゴールドシップは何故か直立不動で、トウカイテイオーはピースサインを向けてきた。
「それから、ここにはいないがメジロマックイーンもいる」
「……よく捕まりましたね、あのご令嬢が」
「…………うちのゴールドシップが拉致ってきたんだ」
悲壮感溢れる声で沖野さんが言う。
……黄金の暴走不沈艦は、どうやら沖野さんの手にも余るようだ。
「なるほど。……どうした、ゴールドシップ? 随分と大人しいじゃないか」
「おめーの前でふざけてらんねーだろぉ? わ・か・れ・よ」
……はて。これは果たしてゴールドシップだっただろうか。
記憶と合致しないが……まあ、黙ってる分には普通の美人なので問題なし。
うん。黙ってる分には本当にただの芦毛の高身長美人でしかないからな。黙ってる分には。
「さ、挨拶はこんなもんでいいだろ。ほら、トレーニングに戻れー」
沖野さんの号令で再びトレーニングを始めるスピカの面々。
……それにしても、良い感じだなぁ。トウカイテイオーは才能の分で頭一つ抜けてるとしても、ウオッカとダイワスカーレットも仕上がってきている。
ゴルシ? あいつは言わずもがなだ。
「……タケル。さっき、何言いかけた?」
「…………トウカイテイオーの脚。沖野さんなら気付いてるんじゃ?」
「まあ、な。だけど、言えないだろ」
「そりゃね。お前は近い将来故障を抱えるから走るのはやめろ、なんて……ウマ娘にとっては『死ね』って言われてんのと変わんないから」
「ああ。……今、誰を見てる?」
「ナリタタイシン。末脚のキレに惚れてね」
「テイオーとは敵になる、か」
「やり合う前に潰れなきゃいいけどね。何か策は?」
そう尋ねると、沖野さんは心底残念そうな顔で
流石の沖野さんでも、今は対処不可能か。
「今の走りをやめろとも言えないからなあ……」
「そうだね……。メイクデビューは?」
「終わってる。すわ皇帝の再来か、って、期待は十分だ」
「なるほど、重荷だ」
「お前のせいだぞ。無敗で7冠なんか取らせやがって」
「ルドルフが特別優秀だっただけですよ。オレは才能開花の手伝いしかしてない」
「……フッ。俺かおハナさんだったら、無敗の7冠ウマ娘にはなってなかっただろう」
「買い被り過ぎ。……まあでも、期待しててくださいね。沖野さん」
そこでひとつ息を入れ、
「勝つのは皇帝の影を追うだけの帝王じゃなく、誰からも見限られてきた復讐の怨鬼ですから」
「……恐ろしいな」
「まぁ、他のはどうだか知らないですけど、少なくともトウカイテイオーには負けないですよ。間違いなくね。――じゃ、ここらで失礼します。タイシンが待ってますんで」
「ああ。――ま、それでもテイオーが勝つさ」
沖野さんのその言葉になにを返す事もなく、振り返ってトラックコースを後にする。
負けるものかよ。皇帝にならんとしているだけの帝王に。
先を走る優駿の影を踏み越えて行った者だけが勝者だ。
流石に無敗とまではいかない――いや、いけないかも知れないが、それでも。
お前が望むままに支えてやるのがオレの仕事さ、ナリタタイシン。